其ノ一
 

「今日も寒いな」

 そう呟く声は直ぐに田や木に吸い込まれ消えてしまう。
 その声を発した本人は、未だに芽吹きさえもしない櫻の木を見つめていた。
 暦ではとっくの等に春は過ぎている。いや、春どころではない。夏までもが過ぎようとしていた。
 それなのに冷たい北からの風が吹き、酷いときには雪が降る。そして今日は、その酷いときであった。
 しんしんと雪が降る中、その者は指定された茶屋へと向かっていた。
 普段は人里離れた場所に住んでいた彼には、雪降る中人里へと下りるのはかなり億劫な事であろう。
 この通り、彼の足並みはゆっくりなものだ。
 ふう……、と吐息を零すと、またまた咲いてもいない櫻の木を眺める。
 さぞかし面倒そうにしていると伺えた。
 木を眺めている目はもう帰ってしまいたいと訴えているようだ。
 だが、今回はそういう訳にはいかないのだ。その事は本人こそが一番理解し解っている。
 帰ってはいけないと自分に言い聞かせ、木を眺めるのを止めて止まっていた足を動かした。
 茶屋までは後少しだ。
 それにまだまだ日は傾いていない。此の分なら茶屋で昼が食べれるだろう。
 大好きなみたらし団子でも食べようか。
 そう考えるだけで、茶屋へ向かう足並みは軽いものになっていた。



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