ユーリス少年の一番長い夜
その日は風の強い夜だった。いつも通り城の図書室の子供達に魔法を教えに行っていた。
余りにも風が強いから危ないと子供達をそれぞれの家まで送り届けていたら空にはぽっかりと月が浮かんでいた。
「少し遅くなっちゃったな…」
吹き付ける風に体を竦めて、酒場への帰り道を急ぐ。明かりが零れるドアを見付けて漸く開けると何だか酷い有様だった。
床には椅子やら皿やら何やら散乱してたのだ。
「うわっ何これ…またセイレンが暴れてるの?」
思わずそう言うと僕の帰宅にいち早く気付いたエルザが手招きした。
「ユーリス!こっちこっち」
「エルザ、ねぇこれどうしたの」
いつもより酷いんじゃない?と言えばエルザは自分の後ろを指差す。その顔は蒼白だ。
指差した方を見るとマナミアの前に詰まれた皿―これはいつも通り、セイレンの前に転がる酒瓶―これもいつも通り、そしてその合間でジョッキを煽っているミシャと必死で止めようとするジャッカルが見えた。
「ミシャも飲んでるの?」
「そうなんだ、俺とジャッカルが帰ってきた時には既にこうなってて…あああクォークに怒られる…」
うなだれるエルザの脇をすり抜けてミシャの元へと急ぐ。がしっとジョッキを煽る手を止めたらとろんとした顔で僕を見た。
「ん…?」
「何やってるんだよ一体。普段は飲まないだろ?」
「あーユーリスらぁおかえりー」
「うわっ」
おかえりと言ったと同時にミシャがタックルするように抱き着いてくる。僕の後ろでゴトンと音がした。多分ジョッキが落ちたんだろうけど、…ごめん、アリエル。
「ほら、もう部屋に戻るよ!」
「えー」
「そうだそうだー!まだいいじゃねぇか、なぁミシャ」
「そーだそーだー」
「いいから戻る!もうすっかり酔っ払ってるじゃないか」
「あーん…」
ぐいっと腕を引っ張って立たせると足元にゴロゴロ転がる酒瓶を退かして2階に上がった。部屋のドアを押し開けて近くのベッドに座らせるとミシャがにやっと笑った。なんか凄い嫌な予感がするんだけど。
「ユーリス、一緒にねるー?」
「は!?何言ってんの寝ないよ!」
「顔真っ赤ー」
「赤くなんかないよ!」
「ふーん。ね、添い寝してよ添い寝」
「やだよ、何で僕が」
「ひとりじゃ寂しくて寝られないー」
「それだけ酔ってたら嫌でも眠れると思うよ」
「ユーリスのばか…けち」
「はいはい、けちでいいよ」
「うーっ…」
「えっちょっとまさか泣いてるの?」
ぐすっと鼻を啜る音に慌てて顔を覗き込んだらミシャの腕が背中に回ってあっという間にベッドに倒れ込んだ。
「ちょ、ちょっとっ!」
「離さないもーん、んふふ」
ミシャの腕はぎゅうぎゅう僕の体を抱きしめるばかりで隙間無くひっついてくる。顔をぐりぐりと僕の胸に押し付けるわ、足を絡めてくるわでもう…僕だって男なんだけど!
「ちょっ…ミシャいい加減に…」
「やぁだー」
これ以上ないくらいに密着した体が抱き着いて離れない。背中に回っていた腕が服の中に侵入してきたのを感じて僕はとうとう声を荒げた。
「ちょっと!僕だって男なんだよ!?」
「……ユーリスなら…いいよ?」
こう言えば離れるだろうと思ったのに、予想外の答えが返ってきた。
意図的にすら感じられるように手は背中や脇腹を這い、足はより一層絡み付く。
「ユーリスになら好きにされても、いいよ?」
お酒でなのかなんなのか、潤んだ瞳の中に唖然とした僕が見えた。好きにして良いんだよ、と紘が僕の手を取る。するりと背中に回されて柔らかな肌が手に触れた。
「だだだだめだって!」
「どうして?私ユーリスなら…」
そう言いながら近付いてくるミシャの顔。あと1cm、あと数ミリ。息の近さに僕は思わず目をつぶった。
…
……
……あれ?
いつまで立っても触れないそれに僕はそーっと目を開けた。
「えー…」
そうしたら数ミリの距離のまま、健やかに眠りに落ちていた。
「そりゃないでしょ」
僕だって男だし、期待したのに。
ベッドを抜け出そうと思ったけど絡んだ足と抱き着いたままの腕に観念して目を閉じた。頭が冴えっぱなしで眠れる気はちっともしなかったけど。
あーあ明日になったら絶対にからかわれるんだろうな。全部ミシャのせいにしちゃえばいいかな。でも覚えてなかったらどうしよう。
いや、もういい、何も考えない。考えたってどうしようもない。
目の前にある安心仕切った寝顔と伝わってくる心音や体を温かさに僕は小さく溜息をついた。
どうやら今夜は眠れそうにない。
ユーリス少年の一番長い夜
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