恋に落ちる瞬間
人が恋に落ちるのは一瞬だと言う。
「ちょお謙也…なあ謙也ってば」
夕暮れ。教室。ふたりきり。
といってもこれは甘い雰囲気とかでは全然なくて、単に日直の仕事を熟しているだけ。
黒板を消し終えて日直の名前と日付を書き換えて、黒板消しとクリーナーを綺麗にしたところであとは日誌だけ。ちゃっちゃと終わらせようとしているのに日直の相方である謙也はさっきから上の空でいい加減しばきたくなってきた。たまに「あかんあかん…」とかぶつぶつ言ってるのが聞こえるけど今は日直の仕事をしてほしい。日誌の内容に協力しろ。
「なあ謙也、3時間目なんやったっけ」
「今はちゃうやろ今は……」
「謙也くーん?」
シカトか。
もう一人で書いたる。そして早く帰ろう。内容をテキトーにささっと書いて日直の名前を署名した。
「謙也」
「いや早まるな俺…」
「なあ謙也」
「今はまだあかんやろ…」
「おいこら聞けや」
頭を抱えてぶつぶつ言っている謙也の耳を引っ張り顔を上げさせる。途端にガッタンと大袈裟に後ずさった。
「ななななんやねん!」
「ななななんやねん!じゃないわアホ。さっさと名前書きさらせ」
「あ…もう書き終わったん?」
「誰かさんが協力せんかったから全部自分で書いたわボケ」
「す、すまん…」
「ええから早う名前書いてくれる?」
そういうと謙也は転がしていた私のペンを取ってささっと記名した。はやっ!無駄にはやっ!どこまでスピードにこだわるんや。ボールペンで書いたせいで名前擦れて全部残像みたいになっとるやんけ。まあ謙也の名前やから別にええけど。
用のなくなった日誌を閉じて筆記用具を片付ける。ガタガタと椅子を戻してじゃっ!と手を挙げた。
「ほな提出して帰るわ、お先」
「ままま待ちや!」
「?なんやねん」
帰ると言った途端謙也が立ち上がった。顔が強張っている気がする。日直の仕事終わったし帰りたいねんけど。
「あー…いや、その」
「はっきりせんかい」
「おん…あの、な」
「だー!もう早うせいや!ウジウジしてる奴好きやないねん!」
「!」
さっきから無視されていたアレとかソレが積み重なって言い放ってやると謙也がショックを受けたようになった。が、正直ずっと無視されていた人の気持ちにもなってほしいので悪いとは思わない。踵をかえして帰ろうとした手を謙也が掴む。振り返るとお、俺は…と口を開く。なんやの一体。
ぐいっと掴まれた手が引かれて謙也の方に体が傾く。
耳元でぼそっと何事か囁かれた。
「…好きや」
それが謙也の精一杯だと言わんばかりに聞こえるか聞こえないかの小さな声の告白に、私は体に稲妻が走ったような心地に襲われた。
心臓がドクッと跳ねた。驚きが隠せない。
顔を上げると真っ赤な謙也がいてああ嘘やないんやな、と思った瞬間、嘘みたいに。
恋に落ちてしまった。
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