木下闇 | ナノ


▽ 忍びの忍び


18話



月が見えない、昏い夜だった。
天気が崩れて風が強く吹いた。
その厚い雲が真っ白な月を隠してしまったのだろう。

うちは邸、当主がマダラに代替わりされてから改築された屋敷の中で最も美しい場所で。扉間達が泊まる屋敷より自室に戻ったウキナは机上に置かれた灯りを頼りにこの世界では使われていない不思議な文字を墨で書き残す。寒くもなく、かといって心地良くもない生温い風とは違うソレが吹いたことで筆を置いた。

そして『何もない』空間に向かって、当たり前のように声を掛けた。


「おかえりなさい、小太郎」
「(コクン)」

声なき忍び、顔無しの赤い鬼、風の悪魔、そして、伝説の忍び。
おいでおいでと手招く彼女に、小太郎、と名を呼ばれた男はまるで母親に駆け寄る子どものようにウキナに抱き付いた。

「お疲れ様です」
「(ギュッ)」

優しく赤い髪を梳かすように指を通す。顔を隠す仮面はいつの間にか彼女の手によって外されていた。姿を見られたら殺せと定められた一族の掟も、唯一無二の主と決めた少女を殺める理由にはならないから、と。最強と謳われた風魔小太郎はうちはの姫君に忠誠を誓っていた。

声なき報告を静かに受け取ったウキナは暫し伏せていた目を開け、労わるように小太郎の頬を撫でる。猫のようにその手にすり寄る男が、あの伝説の忍びだと、時にマダラや柱間すら退けた強者だと誰が信じようか。


 この世界の忍びは思いも付かなかっただろう。一族単位で任に当たる世界。同族以外の忍びを雇う忍びがいるなんて……画期的な計画を立てる千手柱間ですら唖然とすることを彼女は平然と実行した。事後報告された同族たちの驚愕といったら筆舌しがたい。
 それは彼女が元々「使われる立場」ではなく「使う立場」の人間だったからに他ならない。予てより彼女は目的のために、いつか裏切るかもしれない同族以外で信用できる存在を欲していた。だからこそ、戦場で死にかけていた男を見つけたのは幸運だったといえる。


「では暫くお休みなさい。え?ああ、私もそろそろ寝ますよ。ふふ、心配性ですね」
「(フルフル)」

「恐らく、これから貴方に頼ることが多くなります」
「(……ギュ)」

ポツリと零した自信満々とは言い難い弱音に小太郎は重ねられた手を握ることで自身の想いを伝える。
ハッと目を見開いたウキナはふにゃりと顔を綻ばせて笑った。


「ここには千手が来ているので見つからないように……ああ、貴方には愚問ですね。
お休みなさい」


***


小太郎視点


初めてあの方を見た時、この世にこんなにも美しい存在がいたのかと驚愕した。
 
 『うちはの御末様』
そうあの方が呼ばれていた時の事。

長い歴史を持つ特殊な瞳術を扱ううちは一族がここ数年急激に戦力を上げたことに危惧しないものはいない。当然風魔一族も警戒した。元々厄介だった一族は仲間を失っただとかで心を病み、発狂しながら戦場で赤い目を暴走させる忍びにあるまじき感情的な一族だと云われている。任務のために心を殺し、声を捨て、道具らしく生きていた小太郎には理解しがたい生き物だ。

だからこそ、見交わされた視線に囚われた時の衝撃は言葉にできない。
胸に抱いた激情は、ずっと求めていた主に対する歓喜。嫌いだと思っていた、警戒していた一族の魔眼とは異なる、至宝の紅玉だけが己の本能を刺激した。酷く惹きつけられるような、刹那の感覚。


(ここまでか)

地獄かと見間違えるほど赤く染まった大地で、力尽き、もう終わると死を覚悟した瞬間。


『もう終わり?』

――つまらないこと。
子どものような無邪気さがこの場に不釣合いだった。


その時はまだその目を見ていなかった。だからこそ生き残っていた敵だと判断した己は、最後の力を振り絞って苦無を投げつけた。

グサリ。肉を突き刺す音がしたのは己からだった。

『せめてサヨナラの挨拶をしてから殺しなさい。出来れば笑顔がいいわ。でも貴方はどちらもしてくれませんから、私も大人しく殺されません』

ニッコリと柔和に微笑んだのは、幼女とも取れる年頃の子どもだった。しかし、肩を地面に張り付ける苦無を握っているのも、風の悪魔と恐れられる己を馬乗りするのも、全部、全部、その子どもだった。


だが、その時初めて目が合った。燃える様な緋色と視線が交差した。そして心の底から跪いたのも、その時が初めてだった。



あれから数年。今でもこの方の傍にいられる幸運に何度感謝したことだろう。
 優しげに頭を撫でる手を甘受する。金も名誉もいらない、ただこの方の役に立てれば、それでいい。

 (ウキナ様は決して優しいだけの方ではない。昏い闇も併せ持っている。だがそれも必要なのだ、あの深淵の瞳には俺には見えない先を見据えていらっしゃる。俺には見えない道を、どんなに明るい光の道だろうと、純粋な黒で隠された道だろうと、間違えることはないのだ。俺はただ、あの方の傍で跪き、その背中を追えばいい)



「では暫くお休みなさい。え?ああ、私もそろそろ寝ますよ。ふふ、心配性ですね」

ただでさえお体が強くないというのに、一族のため、兄のためと無茶を成される主。そこがうちはらしいといえばうちはらしいが、力で解決しようとせず策を巡らせ慎重に事を成すところはうちはらしくない。

心配性だと謂われ、首を振って否定したのは当然だろう。ムスリと膨らんだ頬が愛らしい。

俺よりも短い生の身体に連続的に長く生きてきた魂の方。ウキナ様の兄、マダラとイズナを除けば俺だけの主の秘密を知りつつ、偶に見せる子供らしい仕草が愛おしかった。

(この方に主を求めつつ、母を求め、子を求め、時に絶対の神を求めてしまうのは己の業か。)


あの後、一瞬、雲間から月光が差したような気がした。いや、実際には月は雲に覆われている。だけど小太郎の目はその眩い光で焼かれた気がして思わず瞼を閉じた。その分敏感な鼻が風に乗った花の香りを嗅ぎ取る。

「(まるで月読の精だ)」

闇に生きるものにとって蠱惑的な存在。月は月でも、真っ白な、まさに真昼の月と称するに相応しい光明。

(ボロボロの傷だらけで醜い俺の手を美しいと云って下さった。道具としての己ではなく、人として息をしてもよいと、氷のような世界で心許せる僅かな空間があるとするならば、それはあの方の傍だけだ)


風魔小太郎とは本当の名前ではない。風魔一族の代々の長が名乗る、道具の名称。生まれ持った(いやそもそも自身にはそれすら与えられなかったが)名を呼ばれず、育った一族から賜ったソレがなかったら名もない大勢の中の一人だった。


――なら「小太郎」をあなただけの名前にしてしまえばいい。
ウキナはそう優しく微笑んだ。
同じ名前の人間なんて、探せばいくらでも存在する。だけどその名を聞いて、ただ一人の人間をこの世界の人間が想像すれば、それは貴方だけの名前です。貴方が私の傍にいてくれるというならば、貴方はうちはウキナが信頼する風魔小太郎でしかない。他の風魔小太郎と同じではないのです。


うちはウキナの影に、風魔の忍びあり。
後世に残る、一つの噺。


 
***
追記
この風魔小太郎はイメージ的にバサラの伝説のあの方。黎明期は風魔一族も名門の一つだったが原作軸では衰えている。歴代最強の長を使役するうちはは後世でも有名。





prev / next

[ back to top ]


「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -