世間でNARUTO展なるものが流行っている頃である。生憎私はBASARAの方が好きなので友人が興奮気味に語る話しも右から左だった。今思うとちゃんと聞いておけばよかったと思う。だが生憎今ではその友人の名前も自分の名前も忘れてしまったが。 「よいか、忍には名前は無い。感情は無い…そして過去も、未来も無い。あるのは任務のみ…木の葉という大木を目に見えぬ地中より支える。よいか、これこそが根の意志、決して忘れるな」 目の前の包帯お爺ちゃんに一言申したい。 私、まだ三歳です。 あとよいかって二回いいましたよ。 死んだ覚えがないのに赤ん坊から人生やり直し、なら前の私は死んだのだろうか。まあ生まれたてのオギャーから再スタートしたなら衝撃のあまり生まれた瞬間ショック死しただろうが、私の場合母腹の中にいるときからスタートした。 ええええ!?と驚きはしたが生まれるまでの十月十日。考える時間が山とあった。それに時折ポンポンと優しく叩いたり、歌を歌ったり、性別が判別してからは恐らくつけられるだろう名前を何度も呼んで語り掛けてくれる声が好きだった。 恐らく母親であろう女の声、父親であろう男の低い声、まだ幼い兄の声。実際この世に生まれてから対面した時には彼らに愛しさを感じた。 「会いたかったわ。私の明」 私も会いたかったよ、お母さん。 そして私ももうすぐ三歳になる頃、事件は起きた。 事件は幼児誘拐事件。犯人は目の前の包帯お爺ちゃん。被害者は私である。 このお爺ちゃん。毎日毎日私に刷り込むかのように永遠と忍とは〜里とは〜と五月蠅い。普通の子どもなら飽きるよ、私は普通じゃないけどとっくに飽きてるよ。 しかもこのお爺ちゃんは長くて有難くないお話の後に「では実践だ」とか云って無理矢理刃物もたせる。今生の家族、とりわけ二つ年上のお兄ちゃんが「ダメだよ」っていって持たせなかった物――苦無と呼ばれるそれを持たせる。 そしてこれまた有難くないことにミミズが這ったような文字の羅列を音読される。なんて拷問だ。私はゲームがしたい、自宅のクーラーが効いた涼しい部屋で寝ころびながらLet's Party!がしたかった。少なくとも薄暗い地下室で仮面をつけたおっさんたちとリアルLet's Party!はしたくなかった。 「上月!真剣にやらんかッ!!早くあの目を使え!」 ギャーギャー五月蠅いお爺ちゃん。ぎっくり腰にでもなればいいのに……それに私は上月じゃないよ。明だよ。 だけど後でまたお説教はくらいたくないから我慢して目にグッと力を籠める。 今じゃこれだけが私と引き離された家族との繋がりだ。 「天照!」 この、万華鏡写輪眼だけが私がうちはだった証だ。 1 |