研究会議
湿った風が吹き抜ける。
今日の予報は雨だっただろうか。そんなことを考えながら鞄を持ち直す。
帽子から覗く緑の髪は風に弄ばれているように見えた。

彼はとある目的地へと向かっていた。
理由は単純に待ち合わせのためだ。
先程送られてきたメールには場所、そして資料が綴られている。
そんなシンプルな文面は彼女らしいと言うべきか。
変わっていないな、と思う。
事件が起こる前も、起こった後も。

彼、トルテとマラ、そしてハーコットは研究員である。
数年前は共にセントラル街の研究所にいたものの、マラの研究が何者かの手によって盗まれたことをきっかけに彼女は研究所から身を消した。今は森の奥地に小屋を設けそこで研究に励んでいる。
そして被害はトルテにも及んだ。彼はセントラル街から別の街の研究所へと移った。
犯人達は一時的に喜んだものの、ハーコットや上の研究員からの圧力で派手な動きはできなくなっていた。
追い出さなかったのはそんなことをしても研究は戻って来ないから。それならただの駒として扱えばいい。
二人してそんなことを考えていた。
今はハーコットの下で助手を務めているらしいが根本から腐っているのか態度は代わらず仕舞いらしい。

そんな彼が定期的に二人に会う理由はただ一つ。
研究成果の伝達、そして他愛もない話をするためだった。
最初に皆が顔を合わせたのはいつだっただろうか。確かハーコットが言い出したことだ。
単なる世間話をしているうちにマラが研究のことでぼやき、ハーコットとトルテが助言をして__

そんな回想に浸っていると目的地のカフェへと辿り着いていた。
扉をくぐると蒼で統一された制服の男性が視界に入った。


「いらっしゃい」

「どうも、ジェミニさん」

「いつものところか?」


男性__ジェミニはニヤッと笑みを浮かべて席へ案内をする。
此処のカフェは全員知り合い。だからこそ周りに聞かれないような席に案内してくれるし割引なんかもしてくれる。
時には夕食をカフェで働いている皆と食べることも。それほど仲がよかった。
案内されると既にハーコットが資料をめくっているのが見える。


「よう、トルテ」

「お久しぶりです」


定位置に腰を降ろすとトルテはジェミニにランチセットを頼んだ。
あいよ、と彼は返事をするとカウンターへと戻って行った。


「ハーコット、これを。前に伝えた件のまとめです」

「あんがと、助かる。あいつら無能だから……ったく」


がりがりと後頭部を掻くと僅かに眉を寄せる。
あいつら、とは先程言った研究を盗んだグループのことだ。そこそこの成果は上げるものの、人の言うことを聞かないわ勝手に薬品を取り扱ったりと追い出されても仕方ないような行為をしている。
なら、何故追い出さないか。端的に人手が少ないのだ。


「セントラルも人が減っちまったからなぁ……タバコ吸っていいか?」

「彼女が来るまでですよ」


箱から一本取り出し火を点ける。
深く煙を吸い込み溜め息をつくように吐き出した。
彼も大変だ。無能な研究員を携えて指示を出し、独自で行っている研究も彼等に知られないようにしなければならない。
その点、トルテは研究所を移動して恵まれた施設に身を置いている。


「何だが、申し訳ないですね」

「ん?」

「すべて貴方に押し付けてしまって……俺は研究を続けてる。彼女だって自由に機材を使えない状況に置かれているのに……」

「ったく……」


俯くトルテ。ハーコットは煙を目一杯吸い込み彼の顔に目掛けて吹き付けた。


「ッ!何をっ……」

「俺が言い出したんだ、お前のせいじゃねぇよ」


してやったり、というような笑みを浮かべるハーコット。
今ので、トルテの悩みも吹き飛ばされたかのように、彼の心は澄んでいた。


「……ありがとう、ハーコット」

「今更だろ。それより……マラのやつ遅いな」


確かに、いつもなら彼女が一番早いはずなのに。
連絡を取ろうとハーコットが携帯を取り出そうとした時、二人分の足音が聞こえてきた。
視線を向けると男女がこちらに向かってきている。
女性はハーコットとトルテがよく知っているマラ。
男性は初めて見る顔。ハーコットはタバコの火を消しながら立ち上がった。


「よぉマラ……と……?」

「こっちは小太郎」


指をさしながらマラは言った。
少しだけ戸惑いながら彼は会釈をする。それにつられて二人も頭を下げた。
マラが男をつれてくるなんて初めてだし、そもそも他人と一緒にいるのを見るのも初めてだ。


「……マラ、彼は?」

「彼氏」


なんの躊躇もなくサラリと出てきた言葉に数秒固まらざるを得なかった。
あのマラに彼氏ができた。そんなのエイプリルフール当日だろうが日常だろうが信じられない。
しかし彼女の口から嘘が出ることも殆どない。


「……まじか」


やっと出てきた一言だった。


「マラ、率直すぎませんか……?」

「はぁ?だって本当のことでしょ?」

「ま、まぁ取り合えず座れよ」


ハーコットがマラを宥めている間に、トルテはカウンターへと向かった。
珍しく梳葉がいる。


「トルテ、どうかした?」

「椅子、もう一個ありませんか?」

「すぐに持っていくわ、待ってて」


ニコリと笑みを浮かべて、奥へと消えていった梳葉の背中にお礼を言いトルテは戻った。
既にマラはハーコットから資料を受け取り黙々と目を通している。
小太郎と呼ばれた青年は苦笑を浮かべながらハーコットと話し込んでいる。
トルテに気付くと彼は頭を下げた。


「何かすみません、関係ない一般人が首突っ込んだみたいに……」

「いえ、小太郎さんが彼氏だって聞いて……ちょっと安心しました」

「……?」


スッと目を細めてマラを見詰めるトルテの表情は少し悔しそうだった。
その意味が分からず小太郎は身を縮める。


「彼女が此処の研究所にいないのは知ってますか?」

「あぁ……何か盗まれたとか……」

「そう……そのとき、俺は何も出来なかったんだ……それが悔しくてね」

「あほ」


持っていた資料でトルテの頭を叩く。
驚き目を見開いている彼にハーコットは短く溜め息を溢す。


「お前だって、被害にあってた。自分のことで精一杯だったろ?むしろ、俺がちゃんとサポートしなきゃいけなかったんだ」

「うっさいわねーあんたら」


三人の会話に不機嫌そうな表情を浮かべながらマラが割り込んだ。
テーブルの上にあったハーコットのサンドウィッチに手を伸ばして掴みながら彼女は繋げる。


「別に研究が盗まれようが何されようが結果を出さなきゃ意味ないでしょ。それに研究材料なんてまだ沢山ある。だったら全部解明するまでよ。あんな無能な奴らに越されないわ。あたしは」


強い決意の炎が瞳に宿る。
彼女の言葉にハーコットとトルテは笑みを浮かべた。
そうだ、これが選んだ道だと再確認した。


「……って言えるのも全部アンタのおかげ」


薄っすらと浮かべた笑みを小太郎に向けた。
わけが分からずに首を傾げる彼にマラは肩を竦める。


「傍にいてくれるんでしょ?」

「……当たり前だ」


少し照れくさそうに笑う小太郎。
その肩に腕を回してハーコットは嬉しそうに笑った。

彼女にも信じられるものが出来たんだな。
トルテもハーコットも安心した。
人との接触を極端に嫌っていたマラにも自分達以外に頼れる存在を見つけられた。
それに、彼は優しそうだ。


「あ、何か食うか?此処の飯、旨いぜ……ていうかマラ!俺のサンドウィッチ勝手に食うな!」

「別にいいでしょ?どうせ食べるんだから。あ、ジェミニ!ケーキセット一つ!」

「あいよー!」


ジェミニの声が聞こえる。
そして椅子を一脚持った梳葉の姿が見えた。
トルテはすぐに近寄り、それを受け取る。


「はいこれ」

「すみません。小太郎さん、どうぞ」

「ありがとうございます」


腰掛けるのを見てトルテも彼の隣に座り他愛も無い世間話を切り出した。
今日の研究会議は賑やかになりそうだ。


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