調子が狂い始めた日
今日は快晴で、森の中でも心地よい太陽の日差しが降り注いでいる。
そんな森の中、ひっそりと佇む屋敷。
此処には何処に行く当てもない放浪者が泊まっている場所である。現在は五人が屋敷におり、一人は主であるアドルフ、その傍付きである翠螺、謎が多い仮面の自称魔術師のディメール、エヴィニエスからの流れ者である円、そして彼女も円と同じエヴィニエスから来た。
屋敷のキッチンで上機嫌なのか、珍しく頬が緩んでおりタンクトップ姿でお菓子作りに励んでいる女性、シャーロットはオーブンの温度を確かめ鉄板に乗せてあった未完成であるスコーン……それも色んな味のものをオーブンに突っ込んだ。数分もすればいい匂いが漂い始め、もう少しで焼きあがるといことろで屋敷のチャイムが聞こえてきた。
普段ならシャーロットは無視するのだが、今日は屋敷に誰もいないことを知っていたために舌打ちをしながら玄関へと向かっていった。
両扉を開くと、そこには可憐な少女が立っていた。
「こんにちは!鹿乃って言います!」
「はぁ……で?」
「翠螺さんに頼まれてお花を届けにきました」
少女、鹿乃はニコニコと笑顔を浮かべている。それに対してシャーロットはお菓子作りを中断させられたことによって少し不機嫌になっていたのだが、訪問者にそれを悟られぬように冷静を装いながら対応をする。
「翠螺、今いないんだけど」
「あ、本当ですか……どうしよう」
「……少し待てば、帰ってくるかも、上がって」
そのまま帰すわけにも行かず、彼女は鹿乃に上がってもらうように促した。すると、少女は少し困った表情を浮かべたが、シャーロットの言葉に従いお邪魔します、と小さく言って扉を潜った。
大きな屋敷に鹿乃は驚きながらシャーロットについていくと、ひとつの部屋に辿り付いた。そこは客間らしく豪華な椅子とテーブルがあった。
「座って。今、紅茶淹れてくる。飲める?」
「あ、はい大丈夫です!」
それを聞くと彼女はすぐにキッチンへと向かった。すぐにお湯を沸かしてタイミングよく焼きあがったスコーンを適当に取り出してお皿に並べそれをトレーへと乗っけた。
茶葉を用意しつつ、シャーロットは翠螺が帰ってくるまでどう繋ごうかと思い悩んでいた。自分は他人と喋るのがあまり好きでない。それがあんな少女だったら尚更だ。早く翠螺が帰ってきてくれることを祈ってティーカップにお湯を注いでそれをシンクへと捨て今度は茶葉を通してお湯を注いだ。ソーサーにティーカップを置き角砂糖のボトルをトレーに乗せまた客間へと戻って行った。
客間に戻ると鹿乃は珍しいのかキョロキョロと辺りを見回していたが、シャーロットが戻ってくると緊張したような様子で座り直していた。
「はい」
「あ、ありがとうございます!」
鹿乃と向かい合うように座り、シャーロットは足を組んだ。
いつまで経っても紅茶に手を出さない少女に首を傾げながら尋ねる。
「いらない?それなら置いてくるけど」
「い、いえ!頂きます」
慌てて紅茶に手を伸ばし、息を吹きかけて少し冷ますとティーカップの縁に口をつけ、傾けた。それを見たシャーロットも安心したように背凭れへと身体を預ける。
「美味しいです……!」
「そう?市販の茶葉なんだけど」
「こっちのスコーンは……えぇっと、貴方が作ったんですか?」
「まぁ、一応」
それを聞くと、目を輝かせて鹿乃はティーカップをそっと置くと、スコーンへと手を伸ばした。まだ焼きたてで暖かいそれを少女は幸せそうに頬張った。程よい甘さと、チョコレートチップの甘さが混ざり合って口の中に広がっていく。
シャーロットは話題に困りつつそんな少女の様子にどこかホッとした様子で頬を緩めた。
「すごいです、こんなおいしいスコーン作れるなんて……えっと、」
「……あぁ、シャーロット。長いなら、シャロでいい」
「シャロ……さん」
ぶっきら棒にシャーロットは自分の名前を伝える。
「ほんと、美味しいですね……」
「そんなの本でも何でも見れば作れる」
「でも、これにはシャロさんの愛が詰まってる気がします」
「なっ……!?」
唐突に変なことを言われ__変というのも失礼なのだが__シャーロットは思わず目を見開いた。だが少女は至ってからかう様子もなく幸せそうにスコーンを食べている。まるで小動物のように。
こういう天然少女は本当に相手にするのが苦手なシャーロットは翠螺が今すぐに帰ってくることを祈った。これでは自分の身が持たない。
「……ったく」
でも、何処か嬉しそうに、そして恥ずかしそうに眼鏡を取った。それをポケットに押し込むと席を立った。
「抹茶とか、スコーン色んな味あるけどなんか欲しいのある?」
「わぁ……!抹茶、食べたいです!」
「はいはい」
初めての訪問者にも関わらず、こうしてシャーロットに笑顔を振りまくのは珍しい。大体、彼女はぶっきら棒で他人に基本は干渉しないタイプ、それ故に印象が悪いとアドルフや円にもよく言われているほどに性格が悪い。語弊があるかもしれないが、彼女はそれを知っている。
だが、少女は邪険にせずにこうして彼女が作ったものを美味しいと言ってくれている。それはシャーロットにとって慣れないことだった。
だから、席を外して一旦冷静になろうと少女の傍を離れたのである。
「あー……くそっ、んだよこれ……」
今まで我慢していた毒をキッチンの隅で吐き出した。ラップしてあったスコーンを少し暖めて適当に皿に並べると力任せに壁を殴りつけた。
「……落ち着け」
紅くなった手を気にせずに、皿を持ちキッチンを出る。
すると、タイミングよく誰かがこの屋敷に帰ってきたらしい。
玄関の方を見てみると翠螺が両手に袋を持っている姿があった。
「シャロ」
「翠螺、よかった、客だぞ」
「もしかして鹿乃さん、ですか?」
「あぁ」
すぐに行きます、と言ってキッチンへと向かう翠螺。
先に客間に戻り追加のものを差し出す。すると再び華のような可憐な笑顔を浮かべ、これもまた幸せそうに食べ始めた。
「あ、翠螺帰ってきたから、もうすぐ来ると思う」
「ほんとですか?ありがとうございます……あの」
「何?」
鹿乃は少しだけ迷ったが、何かを決心したかのようにシャーロットへと顔を向けた。
「ま、また、シャロさんのお菓子食べに来てもいいですか?」
「……………………は?」
その言葉に、たっぷりと時間を要して、それでも理解することができなかった。混乱する頭を何とか整理する。
つまり、鹿乃はまたこの屋敷に来て、お菓子……しかもシャーロットの作ったお菓子を食べたいと言い出したのだ。これには流石に驚きを隠せずに彼女は唖然とした。
「あ、アンタ……物好きだな」
「え……?」
「いや、あー……そのー……来たいなら、来れば……いいんじゃね?」
「それって……?」
「っ……つまり来いっつてんだ!」
思わず素の口調が出てしまい、シャーロットはハッとして口元を押さえた。
(やばい、怖がらせたか?)
だがそんな彼女の心配を他所に鹿乃は瞳を輝かせて、
「あ、ありがとうございます!」
シャーロットの両手を握った。
急接近した少女にシャーロットはたじろいだ。そこで、ふわりと花のいい香りが少女から流れてくる。
混乱する前に、その香りで彼女は冷静さを取り戻していた。
「な、なんでそんなに喜んでるんだよ!」
「だって、また美味しいシャロさんのお菓子食べれるからです!」
「だーも……離せ!」
乱暴に手を振り払い、鹿乃を落ち着かせると丁度翠螺がやってきた。
シャーロットは疲れたように翠螺にパスをすると自室へと早足で戻った。
調子が狂った。お客様には丁寧に接しろとアドルフから散々言われたにも関わらず、素が出てしまった。だが、少女は怖がりもせずに近づいてきた。
「……なん、だよ……」
ベッドに倒れこんで、ゆっくりと瞳を閉じた。
このときは、気付かなかった。自分もまた、鹿乃に会える、と期待していたことを__
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