苛立ちの意味は

彼は苛立っていた。
訳がわからない苛立ちに、更に苛立つ。
ただ、思い出すのはあの少女のことで__

第二訓練場広場。
今の時間は各々で剣の練習をしたり模擬戦をしたり、様々な形で力をつけている。
その教官でもある彼、エヴァライトは書類を捲りながら、柱にもたれ掛かっていた。


「教官!」

「何だ」


諜報部、クレーニヒと同じ場所に身を置いている兵士がエヴァライトに駆け寄る。
書類から視線を上げ、彼は身体をそちらに向ける。
兵士は敬礼をし、直立不動の体勢を取る。


「ディーラ大元帥がお呼びです」

「分かった。すぐに向かう。お前ら……サボったら分かってるな?」


彼の殺気を含んだ眼差しに、竦み上がりながら訓練していた兵士は敬礼を返す。
それを見たエヴァライトはコートを翻して大元帥、ディーラの執務室へと足を進めた。

連続殺人事件から数週間。
軍内は落ち着きを取り戻していた。
ディーラ、そしてエヴァライトが負傷して帰還したときは慌しかったものだ。
特に大変だったのはフローラ率いる衛生機関だった。
病棟に付きっ切りで、寝る時間も削り二人の状態を見続けた。

その結果、派手に動き回ることは出来ないもののこうして業務をできる様にはなった。

また、一つの変化も訪れていた。

彼女は頻繁に休みの日に出かけるようになったのだ。
フローラとフィラが言うには……彼氏ができたのだと。

人の関係に口を出すつもりは無い。ただ、それが任務に支障を出すなら__


「ディーラ大元帥、エヴァライト参上しました」

「入れ」


失礼します、と言いながらエヴァライトは扉を開ける。
書類の山の隙間から顔を出し、彼の姿を確認すると椅子から立ち上がった。


「身体の怪我は大丈夫か?」

「はい。問題ありません」

「ふむ……少し話をしようか」


ディーラは来客用の椅子にエヴァライトを勧める。
軽く頭を下げなら、彼は腰を降ろす。ディーラも向かい側の椅子に座り、足を組む。
彼女は微笑みながら、尋ねる。


「少女を助けたそうだね?」

「はい……そうです、けど」


いきなりあの少女__那智の事が話しに出るとは思わず、面を食らう。
そんな彼の様子に笑みを消して、ディーラは首を傾げた。


「歯切れが悪いね。エヴァ」

「……」

「似ていたのかい?妹に」


深みへと侵入してくるディーラに、なす術も無くエヴァライトは俯いた。
かつて、彼には両親がいて、最愛の妹がいた。

過去形なのは__


*


今から数年前、この国[狭間帝国]は人間のみが住める国[神聖帝国]に攻め込まれたことがある。
武器を持ち、住民は次々に狭間の者を殺していった。

何しろ唐突のことだったために、準備も何もなかった。
そこで立ち上がったのは血統軍と虚空騎士団。
この頃、まだディーラは大佐、エヴァライトは少尉の位置づけになっていた。
幼い頃から彼は軍に身を置いていて、貧しかった己の家庭を支えていた。

それも、この戦争が起きなければ平和だったのだ。
大元帥も、彼には家族の安全を確かめに行けと命令を下していて。

エヴァライトは早急に向かったのだ。
しかし、彼の目の前で両親は殺され__妹も殺された。
怒りから彼は剣を抜き奴らにも同じ道に逝かせた。

彼が戻ってこなかったことを不振に思ったフローラとフィラはすぐに現場へと向かう。
そこで見たのは、血溜りの中で、両親を寝かせ妹を抱きかかえて泣いていたエヴァライトの姿だった。
周りには無残にも殺された神聖帝国の人々。
彼も怪我をしていたのだが、深い傷は見当たらず、亡くなった家族と共に軍の本部へと戻る。

病棟の一室に通されたエヴァライトは心の内を吐露する。
半ば、発狂するように。


「どうして殺されなきゃいけなかった!?どうして殺す必要があったんだ!!」

「落ち着いてエヴァ少尉!」

「何がいけなかったんだ!俺達が狭間の者だからか!?答えろ!!」


食って掛かる彼に、フローラは涙目になりながら落ち着いて、と懇願する。
家族を看取ったのは彼女で、死体を処理したのも……。
だから、彼の気持ちは胸が引きちぎれるほどに理解できる。


「落ち着け、エヴァ少尉」

「ッ……大元帥、ディーラ大佐……」


扉が開き、二人の男女が入ってくる。
大元帥がディーラに耳打ちをすると、彼女はフローラに近付き微笑む。そして二人は病室から出て行った。
二人きりになったエヴァライトはバツが悪そうに視線を床に落としていた。
そんな彼に大元帥は僅かに眉を下げながら、頭を下げた。


「すまなかった。私がもっと早く状況を理解していれば」

「ッ!大元帥!私などに頭を下げないでください!これは私が招いた事態です……!」

「……エヴァ」


頭を上げた大元帥は、苦しそうに顔を歪め彼の肩に手を置いた。


「お前のせいじゃない。私の判断ミスと……人間達の傲慢さが招いたこと……」

「大元帥……」


俯く彼から手を離し、大元帥はもう一回、すまなかった、と呟いて病室を出て行った。
入れ違いで、ディーラが足を踏み入れる。
彼女は震えた唇をどうにか動かして、エヴァライトに伝えた。


「大元帥は……胸に銃弾を喰らった」

「____!!」


バッと顔を上げると、ディーラは泣きそうな表情を浮かべていた。
彼女の言葉が何を意味しているのかは、頭では理解したようだが受け入れたくない、と叫んでいる。

それでも、彼に声をかけようと此処まで来てくれたのだ。
エヴァライトは拳を握り締め、苦しげに言葉を吐き出した。


「大元帥……!!私なんかの……ためにっ……!」

「……それで、次期大元帥に……私が任命された」

「……ディーラ、大佐が……」

「もう、こんな事態は招きたくない。私は国民を守る……だから、私に……力を貸してくれないか?」


ぎこちない笑みを浮かべ、ディーラは手を差し伸べた。
エヴァライトは彼女の手を取り、跪く。


「もちろんです……私の命は貴方のために__!!」


*


彼は目を伏せて、一人の少女の事を思い出しながら呟く。


「似ているのは外見だけです。俺の妹はもっと大人しかったですし……そもそも、妹ではなく一人の女……」

「……分かっているじゃないか」

「は?」


彼女は微笑みを浮かべていた。
意味が分からなかったエヴァライトは首を傾げる。


「守りたい、そう思ったのだろう?」

「え、まぁ、そうですが……」

「なら全力で守れ。彼女だって一人の国民だ。好きなのだろう?」


しばらく、エヴァライトは固まった。
その反応を予想していたのか、ニコニコとディーラは驚いた様子もなく、笑みを浮かべている。

ようやく、単語の意味を理解した彼はガタッ、と勢いよく椅子から立ち上がり、猛反論した。


「なっ!何を仰っているのですか!!だれがあんな小娘ッ……!!」

「レディーに小娘は……失礼ではないかな?」

「ッ……あ……あ、……あの女性は偶然居合わせただけで、守りたいとは思いましたがッ……!!」


言いたいことがまとまらない。
彼はとにかく否定をしたかった。
しかし、言っているうちに訳が分からなくなっていった。


「私と同じでエヴァも鈍いな」

「なっ……!!……大元帥も?」

「言われるまで気付かなかったが……私は確かに彼を好きになっていた。かっこいいし……頼もしい」


一人頷きながら、ディーラは彼のことを考える。
そんな彼女を呆然と見詰めていると、不意に那智の笑顔が浮かび、驚く。


(どうしてあの小娘が思い浮かんだっ……?)


口元を手で押さえながら、彼は混乱している頭をどうにか静めようとする。
それでも、やはり驚きは隠せない。


「……まぁ、ゆっくり考えて、答えを出した方がいい」

「…………」

「そうでもしないと、他の男に取られてしまうぞ?」


どうでもいいことです。
前の自分なら即答で言っていただろう。
だが、口は動かなかった。

それは、心の奥深くで、それを恐れているからだろう。

エヴァライトはディーラの執務室をあとにすると、すぐに自室へと戻った。
帽子を乱暴に脱ぎ捨て机へと置き、コートも脱ぎ捨て椅子へと腰掛ける。


「……俺が……恋愛?バカバカしい……」


決めたではないか、ディーラについていくと。
大元帥に全てを捧げると。


「ッ……くそっ」


今度会ったら、文句の一つや二つを言ってやろう。
単なる八つ当たりなのだが、彼にはそれしか思いつかなかった。

それに……何故か彼女なら笑い飛ばしてくれるような気がしたから__

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