感謝を込めて
森の中にひっそりと佇むひとつの屋敷。
主、アドルフは珍しく迷っていた。
椅子に身体を預けながら、窓に視線を動かす。
太陽の日差しが森にも降りかかり、辺りは明るい。
「どうしましょうか……」
「何がだい?アドルフ」
声に導かれ、扉の方を見るといつの間に入ってきたのか、ディメールの姿があった。
微笑みながら、彼はアドルフに歩み寄る。
「翠螺に何か差し上げたいのですが……」
「そういえば、今日はそんな日だったね」
そう、今日はホワイトデー。
一般の解釈ならば、バレンタインのお返しをする日、なのだろうがアドルフはお世話になっている翠螺に何か出来ないかと考えていた。
「何でもいいんじゃないかな?」
「……彼女の好きなものとか分かれば手っ取り早いんだが……」
眼鏡のブリッジに触れながら、アドルフは短い溜め息を溢した。
思えば、自分は翠螺の事をあまりよく知らないではないか。
深く追求するつもりはさらさら無いが、好みぐらいは知っていてもいいんではないだろうか。
彼の思考を読み取ったのか、ディメールは笑みを更に深くし背を向けた。
「じゃあ、僕が聞いてきてあげようか?」
顔だけを向けながら、ディメールは言った。
「……いや、私が聞きにいくよ」
「そうかい?……でも、彼女は今外出中だよ?」
思わぬ発言に、アドルフは僅かに肩を落とした。
行き先すら知らないなんて。
「君は知っているのか?」
「んっふ……もちろん」
教える気はない、と表情が語っている。
これは、自分が諦めるしかなさそうだ。アドルフは目を伏せながら頼みます、と一言だけ呟いた。
*
いつもの森を抜けて、今日は違う街へと足を運んでいた。
銀色の髪が風に乗って揺れる。
暖かい日差しは春の訪れを知らせているようだ。
買い物を済ませ、少しだけ寄り道をしていた翠螺は携帯画面を見詰めていた。
「ボンジュール、翠螺」
後ろから唐突に聞こえてきた声に驚くことも無く、ただ振り返る。
見慣れた姿に翠螺は首を傾げた。
ディメールは変わらず笑みを浮かべながら彼女に近付く。
「荷物、お持ちしましょうか?」
「……大丈夫です」
僅かに警戒の声音が孕んでいる。
そんな彼女に肩を竦めながら隣に並ぶ。
聞き出すとは言ったものの、素直に答えるわけでもなさそうだ。
それに、彼女は今日が何の日かも分かっていなさそう。
ディメールは僅かに目を細めた。
「今日は何を作るんだい?」
「……そんなことを聞くために、ここまで来たのですか?」
「ノンノン、鋭いね相変わらず」
滅多に表情を変えない翠螺が、ディメールを睨みつけている。
「ちょっとアドルフから頼まれてね」
「……アドルフ様……?」
「そう、渡したいものがあるって」
それだけ伝えると、ディメールは唐突に姿を消した。
内心、笑いながら。
聞いて用意して渡すだけじゃ、面白くないしね。
そんなことを考えながら、彼は屋敷へと戻る。
「何を……考えて……」
呟きが漏れる。
考える前に、早く屋敷に戻らなければ、翠螺は足を速めた。
*
「と、言うわけさ」
「だろうと思いましたよ……」
なんとなく彼の行動を予想していたアドルフは既に彼女への贈り物を用意していた。
中身を聞いても、関係ない、の一言で教える気はないらしい。
どんなことになるやら、とディメールは思いつつアドルフの自室を後にする。
そして、玄関へと向かった。
「おかえりなさい、マドモアゼル」
「ただいま帰りました」
「アドルフが待ってるよ」
短く返事をして、翠螺は先にキッチンへと足を運び、買ってきたものを適当に置きすぐにアドルフの部屋へと向かった。
扉を叩くと、中から主の声が聞こえてくる。
「失礼いたします」
「翠螺……これを、貴方に」
ラッピングされた小さな箱を彼女に渡す。
少し戸惑いながらも、受け取ると律儀に頭を下げた。
そんな彼女に笑みを溢す。
「……今あけてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、気に入ってくれると良いのですが」
丁寧に空けていくと、綺麗なシルバーのネックレスが姿を現す。
僅かに驚きながら、アドルフに視線を戻すと彼は少し照れたように笑っていた。
「いつも、君に任せっきりだからね……感謝を込めてってとこですかね?」
「……いいの、ですか?」
「はい」
「……ありがとうございます」
ふわりと微笑む彼女。
そんな二人の会話をこっそりと聞いていたディメールは少しだけ肩を竦めた。
さっさとどっちかが言っちゃえばいいのに。
自分の気持ちをねぇ。
そう思うでしょ。
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