平穏を乱す者達
水が衝撃によって波を立てる。それに身を隠そうかとも思ったが相手も飛べるのでは意味がない。彼は舌打ちをしながら海の中へと潜り相手の出方を窺い、どうしようかと逡巡する。海の中までは追って来ないはずだ。自分の苦手な属性なのだ、余計な体力を消耗したくないだろう。
それに対し、こちらは属性のおかげで潜ることはできる。だがこれも時間の問題だ。
視界も悪い。しかも夜の時間帯のために尚更……だ。
(どうすっかなー……)
目を細め、未だ空中でオレンジの翼をはためかせている相手を見る。あちらもあちらで出方を窺っているらしい。
あまり能力を使わない彼にとって長期戦は不利だ。しかも、何故天下の大元帥様の相手をしなくてはいけないのだと愚痴すら浮かんでくる。彼はなんとか直接触れられないかと考えるが相手のほうがスピードがあるし、こちらは一発攻撃を喰らえば即効捕まるだろう。体質が邪魔をする、うざったいと毒づきつつ一旦海から出ることを決意する。
これで攻撃を貰ったら一たまりもないが、そこは運次第だろう。
「ぶはっ……きついなーおい……」
相手に聞こえないように呟き、濡れ重くなった上着を脱ぎ捨てる。瞬間、彼の影がズズ、と不規則に動き始める。それは相手の背後へと伸び身体を捕らえようと、実体を持つ。しかし相手は振り返り腕を振り払い炎を精製するとそれを阻止する。背後を向けている間に彼は再び近付き腕を掲げ影の鉤爪を精製、それを振り下ろそうとするが、横から紫の波動が飛んでくるのを奇跡的に視界に捉え、上昇する。下を見ると男性の背に乗った女性が苦い表情を浮かべているのが見えた。
三対一。分が悪すぎる。
「ったく、何で俺がこんな……」
「君が一番厄介だからだ、牙礫燈ノ矢」
スッと女性が彼の目の前まで上昇してくる。
軍服は血統軍のもの。オレンジの艶やかな髪に美女と言っても過言ではない顔立ち。そう、彼女が大元帥のディーラ。
「大元帥、制圧が終わりましたので、加勢します」
「助かるよ、フローラ、エラルド」
男性には巨大な葉の翼が背中から出現しており、それで飛んでいるらしい。どんな芸当だよと思いつつ彼……燈ノ矢はもう一人の女性に目を向ける。こちらは紫の髪を結んでおり、彼……恐らくエラルドだろう、背中に乗っている……というよりはおぶってもらっている、の表現が正しいだろうか。先程、横からの攻撃は彼女がやったもの。
総動員だな、そうこっそり呟き彼は背後を見遣った。船は特に損傷はなく綺麗なままだ。しかしフローラと女性が発した言葉……制圧が終わったと聞くと、仲間達は身動きが取れない状態なのだろう。全く、油断も隙もねぇな、ていうか対策しくじったなあのアホ野朗と悪態を吐く。
状況的には最悪だ。自分には特定の属性しか攻撃をうけないものの、その特定の属性を彼女らは持っているのだ。一定の距離に入ってしまえば、能力を使えば相手も攻撃はしてこないだろうが、彼のことを知っているために遠距離からしか攻撃をしてこない。
「さて、大人しく捕まる気は?」
カチャリ、と剣を構えながら、ディーラは首を傾げて尋ねる。
「冗談はよしてくれよ」
肩をすくめながら、こちらも答える。すると、彼女はそうかい、と同じように肩を竦めると距離を縮めて来た。それに驚きながらも身体は反射的に後方へと飛ぶ。それを追いかけるようにエラルドも翼をはためかせ、フローラに掴まるように伝える。
瞬間、風が強くなる。
「くっ……」
エラルドとフローラが強烈な風圧によって包まれる。翼に直撃したエラルドの体勢が崩れ海へと落ちていく。それを見たディーラはすぐに降下し二人の腕を掴む。
「フローラ少佐を!」
「わかった!」
ディーラはエラルドの腕を放し、フローラを抱きかかえる。彼は何とか翼を動かすが、持ち直せないことが分かると頭を下にして海へと飛び込んだ。これで、彼は戦えないだろう。燈ノ矢が振り返ると、そこにはピンクのパーカーを来た少女が腕を組みながら宙に浮いていた。
「燈ノ矢おそーい!こっちは準備出来てるよー?」
「わりぃ、ちょっと手こずったんだよ。綾、あいつらは?」
綾と呼ばれた少女はディーラを見ながら答える。
「先に目的地に向かった。あと大元帥さんがいたら倒しておいてね、だって」
「はぁ!?俺がか!?冗談だろあのバカ……!」
そんな会話をしていると切っ先が迫っていることに気付き咄嗟に回避する。彼は舌打ちをして腕を振り上げ鉤爪を精製、そして振り下ろす。流石に女性一人を抱えたままでは素早く動けないのだろう、鉤爪が掠り彼女は呻き声を上げる。綾はじゃーねーと言いながら船へと向かった。
「ちょ、まじかよ!!」
燈ノ矢は一人吼えながら更に追撃を加える。二撃目は完全に避けられ、切っ先から炎が飛んでくる。こちらもそれを避けて距離を縮める。今なら、直接触れられるはずだ。
腕を伸ばし、彼女の首に狙いを定める。それに気付いたのだろう、ディーラは苦い表情を浮かべて避けようとするが、フローラがそれを許すはずもなく紫の波動を精製、そしてそれを球体へと変化させ撃ち出した。思わぬ攻撃に咄嗟に燈ノ矢は回避ができなかった。それを肩へと受け体制を崩す。
「やっべ……」
海へと真っ逆さまに落ちていく。下には先程落としたエラルドがいるはずだ。捕まるのだろうか。
しかし、海へと落ちる前に誰かに腕を引かれそのまま上昇した。
「黒鐘卿梳……!貴様は確かに船で……!」
「ご愁傷様、あれはダミーだ」
唐突に現れた銀髪の男性……卿梳はニヤリ、と笑いながら彼を横に抱えてそのまま何処かへと飛び去ってしまった。
「……また、だめだったか」
「申し訳ありません、大元帥……」
「いや、私の判断ミスだ。偽者だって分からなかったからね……」
片手で支えているのも限界がある。ディーラは一度剣をフローラに持って貰い彼女を抱きかかえ、水面へと近付いた。いつの間にかエラルドのパートナーでもあるオルトが彼を保護しているのが見え、安堵の息を吐き出す。
「たいちょー、だいじょぶ?」
「すまないな……そっちは?」
「逃げられました……でも、みんな無事です」
オルトの言葉に、エラルドはホッと息をつく。
「大元帥、いかがいたしましょう?」
「退却だ。今日は、ゆっくり休もう」
*
「全く、君は能力を使うのがへたくそなんだよ」
「んなのしょうがねぇだろ……未だに慣れねぇんだからよ……」
腕を引かれながら、燈ノ矢は攻撃を受けた肩を見る。未だに痛みが残っており暫くは動かせそうにない。
そもそも、どうしてこうなったか、だ。
いつもどおり、とある地方で取引をしようと船で移動していたところ、待ち伏せしていた血統軍が襲い掛かってきて戦闘へと突入。(いつの間にか近くにあった船の外見を変え、そちらに意識を逸らさせていたようだが)燈ノ矢の能力を嫌ったディーラが一対一になるように追い込み、外へと飛び出て空中戦になった。
そもそも、きちんと情報を把握しておけば待ち伏せしていたこともわかっただろう。そこらへん、抜けているなと燈ノ矢は思う。
「さて、と。今日は忙しいよ」
「へいへい」
もうすぐ、日が昇る。
「これで虚空騎士団も襲ってきたら一たまりもないね」
「なんでそんな笑ってられるんだか……」
笑顔でそんなことを言う卿梳に呆れて燈ノ矢はため息を吐き出した。
「そしたら、また君が囮役だ」
「またかよ!」
「大丈夫、君は打たれ強いだろ?」
その笑みがどうにも憎らしく、だが信頼されているのが分かって、舌打ちしかできなかった。
長時間の飛行になるかな、そう思うと濡れた身体ではきついものがある。そんな思考を読み取ったのか卿梳は一度水面へと降りる。
「少しの間、飛べるかい?」
「あ、あぁ……」
翼を出現させ、身体を宙に浮かせる。すると、卿梳はジャケットを脱ぎ彼へと差し出した。
「着てろ、まだ船は遠い」
「……ん、さんきゅ」
それを受け取ると、身体がぐらついた。海へと落ちる前に卿梳が再び彼を抱え飛行を再開する。
体質を忌々しく思う。こんな力があるから、こんな面倒なことに巻き込まれる。
でも同時に、この力がなかったらこいつらと出会わなかっただろう。そんなことさえ思う。
「ったく、世の中、めんどくせぇな」
「だから、僕達が粛清するんだろう?狭間だけが……生きていける世界を、作り上げる」
「俺はかんけーねーよ。……此処が、俺の居場所だからいるだけだ」
「そうかい。でも、此処にいる限りはこき使わせてもらうよ」
「言ってろ」
全ての、人間には血を。狭間には平穏を。
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