海の怪物にご注意


照り付ける太陽に、サングラス越しに目を細め眼下で行き交う人々を見つめる。
風が彼の髪を撫で過ぎ去っていく。時折聞こえてくる波の音、一番耳にするは人々の声。

此処はとある海、海水浴として開放している場所であり人々は夏になると決まってこの場所へと訪れる。
海には危険が沢山潜んでいる。それを監視するのがライフセーバーの仕事。

ザザッ、と耳に取り付けてあった通信機に短いノイズ、そして仲間の声。


『隊長、定期報告よろしいでしょうか?』

「あぁ、構わない」

『はっ、特に異常は見られません。一人迷子がいましたが、問題なく母親の元へと送りました』

「わかった、適度に休憩を取って続けてくれ」


了解しました、と聞こえそのままブツリと通信は途切れた。

隊長と呼ばれた彼は、かの血統軍の特攻部隊の隊長……エラルドである。どうしてそんな人物がライフセーバーの仕事をしているかは……


「たいちょー!」

「お前は何度言えばわかる……隊長、って大声で呼ぶな」

「っと……すみません、でも他に呼び方なんて……」

「此処は一般の方々がいるんだ、怖がらせるような言動は慎め」

「……すみません」


しょんぼりする彼にエラルドは頭をポンポンと叩き改めてこうなった経緯を思い出す。


*


「……私達がライフセーバーの仕事を?」


血統軍、大元帥の執務室でエラルド、そしてオルトの二人が思ってもいなかった任務内容に驚いていた。
ディーラから告げられた内容……とある海水浴で解放している海の監視員、ライフセーバーの仕事をしてほしい、となんとも簡潔なものだった。
どうして、と理由を聞き返すと単純に人手不足でどうしたものかと悩んだ組合が軍に力を貸して欲しいと言ってきたらしい。それを断ることなど出来ずにこうして特攻部隊へ命令を下した……という。

そもそも、素人がそんな重要な仕事をしていいものだろうか、と不安になる。


「オルトは泳げるだろう?」

「え、まぁ……一応は」

「エヴァを通して一応全員、泳げるか聞いてみたんだが……皆大丈夫だと言ってくれてね」


ディーラの言葉に、エラルドは微かに目を見開く。


「そうですか……その任務遂行致します、大元帥」

「よかった……本当はエヴァも連れて行かせようとしたんだが……予定があってね」


大佐であるエヴァライトは部下を鍛えたり、軍になりたての人達をまとめ上げるのに忙しいのだろう。特攻部隊はある意味、扱いやすいのだ。

任務の書類を部隊全員分貰い、エラルドとオルトは執務室を出る。瞬間、オルトがげっそりとした表情を浮かべ書類を見詰めた。


「……海かぁ」

「どうした?」

「……いや、海自体はいいんですけど、なんというか任務で行くっていうのが……」


そんな彼の様子に、腕を引きながらエラルドが尋ねる。


「遊びたいのか?」

「違います!海って何が起こるかわからないから、あんまり……任務で行くとどうしてもそういう場面に遭遇しそうで……怖いんです」


意外にも、きちんと海の事を理解している、あたりまえか。彼はもとより水を操れるのだから。
それに比べ、エラルドは海に関しては一般人と同じレベルと言ってもいいぐらいには、津波が怖いということぐらいしかわからなかった。

そこはきちんと書類を読み込まないとな、と小さく胸に誓ったエラルド。あとは特攻部隊の皆にもきちんと事情を説明して備えるようにしておこう。


*


そんな感じで、特攻部隊は皆同じライフセーバーのパーカー、そして腕章をつけて海を歩いている。
しかし海は広い、そのため何個かグループを作ってブロックに分けてそれぞれ監視を続けていた。

エラルドとオルトは少し狭いブロックだが二人だけでそこを見ていた。

既に刻は午後四時を過ぎていて、人もそれなりに引いてきている。

「特に異常はない……か。このままだといいがな……」

「……うん」


オルトは思う。少しだけ風が怪しい。波も不安定で、何かが起ころうとしているのか……不安だった。


「……たいちょ」

「どうした……?」

「あそこ……」


オルトが指で示した先へと視線を動かす。海の底が深く、それ以上は進んではいけないと知らせる線を越えて、一人の少女が浮き輪で浮かんでいた。
どう考えても、流されてしまったに違いない。

そして、駆け寄ってくる男女。嫌な、予感が的中してしまったのだろうか、オルトはバッとパーカーを脱ぎ捨てサングラスも外す。エラルドもサングラスだけを外してポケットに押し込む。


「娘が……!!」

「たいちょ!俺のお願いします!」

「頼む!」


彼はエラルドにパーカーとサングラスを渡して海へと走っていった。エラルドも二人……おそらく両親だろう、なるべく混乱を避けるべく落ち着くように言い聞かせる。

まさか、本当に遭遇してしまうとは。エラルドは困惑した感情を無理矢理押さえ込みオルトを見遣る。流石は水を操るだけはある。そこらへんを泳いでいる人達とは比べ物にならないスピードで少女の元へと泳いでいっている。

しかし__


「……波が……大きい……!」


感情を押し殺した声で呟く。ここで自分も不安の声を聞かせてしまえば両親に伝わってしまうだろう。
彼も両親をつれて浜辺へと近付く。すでに波は少女へと近付いており、一瞬、全てを食らう怪物ではないかと錯覚してしまう。
だが、波が少女を襲う前にオルトが到着して、少女の浮き輪に手をかける。

それを嘲笑うかのように、波が二人を引き裂くように襲い掛かった。一瞬にして姿を見失う、両親は短い悲鳴を上げた。彼も心中は気が気でない。
暫くして……浮き輪だけがプカリ、と姿を現す。


「ッ……オルト……!」


大丈夫だ、此処で自分が混乱してどうする。オルトが着ていたパーカーを握り締め心臓を落ち着かせる。両親にも大丈夫、落ち着いてくださいと言い諭す。
すると、パシャリと二つ頭が飛び出した。

オルトは少女を抱きかかえながらゆっくりと砂浜へと戻ってきた。すぐに彼はオルトの傍に駆け寄り、膝をついて少女の状態を確かめる。


「体温が低下してる……」

「水に浸かり過ぎたんです!何か……」


オルトが少女を抱えながらエラルドに伝える。それを聞いた彼は少し目を細め、少女の手を握る。
瞬間、ほのかに彼の身体が光に包まれた。それは段々と少女にも伝染していきいつしか二人を包み込んでいく。それが彼の能力だと分かったのは、少し、ほんの少しだけ苦しそうに表情が変わった時だった。


「……あったかい、お兄さん」

「……寒く、ないか?」

「うん!」


少女はとびきりの笑顔を見せた。それに微笑むエラルド。

両親は少女を抱き締め、涙を流していた。


「本当に、ありがとうございます」

「いえ、よかったです。寧ろ、こちらがキチンと見ていればこんなことには……」

「そんなことはないです、娘のことを見ていなかった私達の責任です……本当に、ありがとうございました」


深々と頭を下げる両親に、エラルドとオルトは薄っすらと笑みを浮かべた。
少女も、元気よく手を振ってバイバイと言ってくれた。それに軽く手を振りながら三人を見送る。他のお客さんも良かったと言葉を溢しながら散り散りになっていく。

瞬間、エラルドの身体が傾く。それをオルトが支えた。


「……す、まん」

「少し休みましょうか」


*


結局、その後は何もなく、客が全ていなくなったのを見て血統軍の本部へと戻っていった。
報告書をグループ事に受け取りエラルドはディーラへと提出。そこでこの任務は終わった。

部屋に戻ると、オルトが丁度、お風呂から上がったところでタオルを肩にかけて、上半身は何も来ていない状態で端末を弄っていた。


「あ、たいちょ。お帰り」

「オル、ト」

「わ、わっ……たいちょ?」


フラフラとエラルドが近づき、不意に彼に抱き付く。いきなりのことに驚きながらも、オルトはしっかりと彼を支える。


「……こわ、かった」

「え……?」

「いなくなった、んじゃないかって……」


肩に顔を埋めながら、彼は奮える声で呟いた。


「……大丈夫です、俺は此処にいますよ」


端末を置きながら、オルトはエラルドを抱きしめる。


「そうだ、な……」

「たいちょ」

「……ん……、」


肩を掴んでゆっくりと身体を離すと、オルトは唇を重ねる。小さく吐息を漏らし、エラルドは首に腕を回した。クシャリ、と彼の髪をゆるく掴みその口付けを深いものへと。

ぴくり、とエラルドの身体が跳ねる。


「ん、は……」

「たいちょ、かわいい」

「る、せぇ……駄目だな、俺も……こんなんで不安定になってちゃ」

「……そうですね、でも……少しぐらい、いいじゃないですか」


いざとなれば、切り捨てなければならない、それが大切な人でさえも。でも、まだ自分はその決意が出来ていないらしい。いや、そんな決意、しないかもしれない。


「そうだな……なぁ、オルト」

「はい」

「……もう一回、キスしろ」

「ん、何度だってしますよ、たいちょ」


ニコリと微笑むオルトに、少し頬を染めるエラルド。
しかし、降り注いだキスに心地よさを感じる。


「ん、あ……やめ、まだ報告残ってるんだ……」

「……じゃあその後でいいです」

「決定事項かおい……」

「はい」


ギュッと抱き締めた身体は、いつもより弱く感じた。だけど、いつもは頼もしい俺の隊長。


「だって、そうしないと隊長の不安、取り除けないでしょ?」


俺が此処にいるってこと、証明しないと。


「俺が隊長の傍にいるって……いっぱい伝えたいんです」


だから、愛をあげたい。

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