自己中心的利他性



実技の授業が終わり、そのまましばらく鍛錬と銘打った塹壕掘りにいそしんだ後、土まみれのまま長屋に戻った私は凍りついた。襖越しに聞こえる長次の特徴的な笑い声。これはやばい。相当怒ってらっしゃる。もはや彼の個性の一つともなっている怒ると笑うというのは長次曰く、元から怒っているような顔だから逆に笑ったほうが効果的なのだそうだ。特に下級生には良く効くと言っていたが、既に慣れっこなはずの私たち六年ですら恐怖を覚えずにはいられないのだから、下級生の感じる恐怖は長次が考える以上に凄まじいのではないかと思うけど、今はそんなことどうでもいい。とにかくこの状況をどう打破するか。長次はああ見えて(というのも失礼な話だが)陰湿な方ではない。むしろそういうことを面倒くさがるタイプで、嫌なことは嫌とはっきり本人に言ってしまう。伝わらないことも多々あるが。今回、長屋で、というか私たちの部屋で怒っているあたり、おそらく私が原因なのだが、如何せん心当たりが無い。このまま足りない頭で考えたところできっと思いつきはしないから、せめて更なる怒りを積み重ねることだけはしないよう、目ぼしい土汚れを払い落し、そおっと襖を滑らせた。


「ちょーじ…?」


恐る恐る声をかける。笑い声は止まない。そのくせ全く動く気配のない背中に漂う妙な威圧感に思わず襖を閉じたくなる。だけどここで諦めて襖を閉めたら試合終了。ですよね、安西せんせ?ってことで悪いことをしたら謝る、っていう幼い頃に誰もが刷り込まれたであろう流れをなぞることにした。心当たりないけど。


「長次、ごめん。私のせいだよな。」


そうしてようやく笑い声は止まり、頑なに動かなかった体が揺れ、その道の方ですらさっと道を譲りそうな堂々のヤクザ顔がこちらを向く。眉間には深く皺が刻まれており、道を空けるどころかその場で漏らしてしまうのではないかと思うほどの迫力。私はもう慣れた。


「それなのに申し訳ないんだけど、私馬鹿だから、何がダメだったのか分からない。ごめん。」


二度目の謝罪を口にした途端、忍のっていうか人としての感覚が空気の変化を感じ取った。できれば理由を教えて欲しい、と続けようとしていたのを止めて、伏せ気味にしていた視線を長次に向ける。ぎょっとした。爽やかな文次郎、もしくは幸運な伊作を見た時くらいぎょっとした。未だかつて見たことないけど。長次が、あの無表情の代名詞の長次が、鋭く細められた人を射殺せそうな目から涙を零していたのだ。


あ、とちった。そう思うや否や、私の頬が感じ取ったのは突風。直ぐに続くは鈍い墜落音。ほぼ条件反射的に音のした方へと振り向くと、鍛錬や喧嘩の名残、また私の作った塹壕や綾部の作った蛸壺、もしくはその修繕跡なんかで騒々しい雰囲気の漂う庭には似つかわしくない煤ぼけた巻物が一つ転がっていた。え、何これ。どういうこと?なんて呆けてる暇はなかった。何故ならこの間にも長次が背後で第二陣の硯を振りかぶっていたからだ。


「どうわぁぁぁ!!」


間一髪で避けた硯が石にぶつかり破裂した。いやいやいや、長次さん?ちょっと自分の肩考えてよ。あなたあのスピードとコントロールで縄標放るんですよ?その肩で投げた硯はもはや武器だ。凶器だ。今ぶつかったのが石だったから壊れたのは硯の方だったけど、頭であってみろ。どう考えたってえらいこっちゃになんのは頭の方だ。その後も泣き喚きながら手当たり次第に物を投げてきて、その様は駄々っ子のようで可愛いっちゃあ可愛いのだが、なんせ長次は学園で一二を争う体格の持ち主だ。破壊力が可愛いじゃあ済まない。というか済んでいない。


「長次!ちょ、待った!まじに何で怒ってんの!?それだけ!せめてそれだけ教えて!」


次々と飛んでくる凶器と化した生活雑貨を躱したりいなしたり受け止めたりしながら、突破口を見出すためにも取り敢えずそれだけ叫びきる。聞く耳はかろうじて残っていたようで、人より幾分か優れた動体視力は長次の口が小さく動くのを確認した。しかしなんせ雑貨という砲弾が飛び交う中だ。静かな場所ですら聞き取り辛い長次の声など聞こえるはずもない。何?何?と何度も繰り返し首を傾けていたら、普段より沸点の低くなっている彼にはそれすら苛立たしかったようだ。


「何であの時黙ってたんだ!!」


普段の長次にはあるまじき音量でマジ切れされた。心的ダメージがそこそこあったが、その代わり言葉にしたことで落ち着いたのか、生活雑貨の雨嵐は止み、身的ダメージの心配は消えた。教科書を手にしたとき反動で跳ねたのであろう小筆が机を転がってからからと音を立て床に落ちる様が何ともシュールだ。


「……黙ってたって何のことだ?」


長次はいかにも言ってしまった、みたいな顔をしているが、真意は全く伝わってない。黙ってたって何?本当に何?ネタバレされても心当たらない。何これ、怖い。


「…実習の時、…小平太は体力だけ、みたいな言い方されただろ……!」

「え、あ、うん。」

「…何で何も言い返さなかった。実力不足なだけの野郎にそんなこと言われる筋合いないのに…」


………それだけ!?何だそれ。くそ下らない。そんなん私、散々言われ慣れすぎて今更なんも思わないし!!


「…そんな…どうでもいいことで……。」


本当に本気でどうでもいい。私らしくもない覇気のない言葉が出るくらいどうでもいい。そんなことよりこの惨劇の方がよっぽど問題だ。片付けるの大変だろうなー。壁とか障子もやばいなー。留三郎ごめん。


「………どうでもよくない…!!」

「え?」

「…小平太のことでどうでもいいことなんてないっ…。もっと自分を大切にしろ…!」


ぎょっとした。何その変化球。陥落。私、陥落。とどまれ私の理性。え、何、結局のところ、これってつまりは全ては私を思うあまりの行動だったってことでいいの?って思ったら、悲惨なこの状況も顔に似合わない赤い目元も急に可愛らしいものに見えてくるから困る。そういえば、散々になんやらかんやら投げられたのに、何一つとして私には当たってない。投げて当てることを生き抜くための動作に選んだ長次が投げていたのに、だ。ねえ、やっぱり私が私を大事にする必要ないじゃないか。だって君が、長次が、私よりずっとずっと、私のことだいじにしてくれるのだもの。なんて。そう思ったら愛おしいのと申し訳なかったので、何やら柔いところがぎゅうぅっとなったから、誤魔化すようにごめん、と呟いた。





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長次が理不尽にキレるだけの話。

六月六日記念。


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