それはまるで宝箱のよう

侑編2話の後
 侑が小雪を送り返していったあの日。お礼にともらってきたポテトサラダの味が忘れられない治は、教室の自席でため息を吐いた。
 初めて食べたあの味は、どうやって作ったのだろうか。最後の一口を侑に食べられてしまったのが悔しいのも相まってか、どうしても、もう一度あのポテトサラダを食べたかった。

 何をしていても気になってしまい、後ろの席を見る。彼の視界に入ってきたのは、席が隣同士の為、よく話している角名と小雪。今も今日の移動教室の場所について角名が話していた。

「なあ」

気付けば、治は二人の前に立っていた。話していた二人の目が自然と治の方へ向けられる。

「聞きたいんやけど」

誰に話を聞こうとしているのか分からない二人は、お互いの顔を見合わせてから、また治の方へ顔を向けた。

「俺?」

「いや、小雪」

 私?と不思議そうに目を丸くさせた彼女へ彼は頷く。自分に答えられることならと言う小雪はいつ見ても背筋が伸びていて、凛とした空気を纏っている。常に隙のないような彼女だけれど、不思議と聞き上手でよく笑うせいか話しやすかった。だから、治も回りくどいことはせず、すんなりと訊くことができる。

「この前のポテサラ、小雪のオカンが作ったん?」

「いや、あれは小春だよ。いつも夕食は小春が作ってくれるんだ」

「小春って、2組の? ほんまに?」

 大きく目を見開いて迫る治に、驚きながらも小雪は頷いた。

「う、うん。もし、気に入ったなら、本人に直接言ってあげて。料理が好きだから、凄く喜ぶと思う」

そうか、と何かを噛みしめている彼を横目に、角名は何の話?と彼女に耳打ちをする。

「ああ、この前、侑に家まで送ってもらったんだ。そのとき、小春がお礼にって夕食のポテトサラダをお裾分けしたんだよ」

「なにそれ、聞いてない」

 自分が知らなかったことがつまらなかったのか、細い目でじっとりとした視線を向けてくる角名に小雪は、ははっと爽やかに笑った。

「聞かれてないからね」

「面白そうな話は俺にも話してよ」

「これが面白いかどうかは分からないけど、なるべくはそうするよ」

 予鈴が鳴って、治も他のクラスメイトと同じように自分の席へ戻って行く。その背中を見送った小雪は、気のせいかもしれないが普段とは違うような気がしていた。

***

 気になって気になって、どうしようもなかった治は昼休みに侑のクラスである2組の前に立っていた。その手には大きな弁当箱と、購買で手に入れた総菜パンがある。

 開かれた教室のドアの奥に、自分そっくりな顔と、先ほどまで同じクラスで見ていたものにそっくりな顔が並んでいるのがなんだか気に入らなかった。
 ずんずんと教室の中に入ってくる治にいち早く気が付いたのは侑で、珍しいそうな視線を送る。

「サム、なんか用か?」

「お前やないわ」

 機嫌の悪さを隠さない返事に、ハァ?と顔を顰めた侑を無視して、弁当の蓋を開けたばかりの小春に治の目は向けられていた。

「言祝、さん、やんな?」

「え? は、はい。言祝小春です……」

 まったく接点のない治に声をかけられて驚いた小春の目は丸くなっている。一体、自分になんの用があるのかと、彼女はどことなく緊張していた。

「いや、あんな……」

 顔は小雪とよく似ているのに、仕草や話し方が全然違う。違和感というより、ドキっとしてしまう。小雪はとても話しやすく、男友達のような気安さがあるのに、小春はそうではない。

「あー、ここでメシ食うてもええ?」

「あ、はい。どうぞ」

 彼女の前の席から椅子を借りた治は、小春の机の上に弁当箱とパンを置いた。

「たくさん、召し上がるんですね……」

呆れではなく感心した声をあげる小春に、"まあな"と返した彼はまず弁当箱を開く。中身は侑のものとまったく同じだ。

「いただきます」

 きちんと両手を合わせた彼女に何故だか北を思い出した侑と治は、小春と同じように手を合わせた。何も気づいていない彼女は、箸を持たず、どれから食べようか考えている。

 自分の弁当を食べる治の目は小春の弁当箱に釘付けになっていた。鶏の照り焼きに、切り干し大根とにんじんの煮物、卵焼きにほうれん草の胡麻和え。見ているだけで食欲をそそる彩をしている。

「旨そうやな」

「そう、ですか?」

 きょとん、とした彼女に頷いた治は思ったことを素直に口にした。

「見てるだけで腹減ってくるわ」

「弁当食いながら、なに言うてんねん」

 呆れながら弁当をかき込んでいる侑に何を言われても治は気にせず、小春の弁当から目を離さない。

「えっと、どれか味見してみます、か?」

「ええの!?」

おずおずと申し出た小春に治は思わず身を乗り出した。

「は、はい。どうぞ……」

 差し出された弁当を遠慮なく受け取った彼は迷わず鶏の照り焼きを取る。彼女の小さな口に合わせたのか、治からすればとても小さな一口大のそれを、パク、と口の中へ放り込むと、彼の目は大きく見開かれた。

「ほんま、ヤバいわ……」

俯いた治に小春の顔が強張る。口に合わなかったのかと心配していると、彼は口を押さえながら、真剣な顔を上げた。

「むっちゃ旨い。もう他のは食えんかもしれん」

「そんなに旨いん?」

 気になったのか、侑も彼女の弁当を覗き込む。治の言うように小春の弁当は魅力的に見えた。

「宮くんもよければ、どうぞ。まだお箸つけてないよ」

 自分たちからすれば小さすぎる弁当を差し出してきた彼女に遠慮せず、侑も箸を伸ばす。掴んだのは治と同じ照り焼きだ。

 しっとりとした鶏肉に絡む、コクのある甘辛いタレ。噛めば噛むほど出てくるうま味に侑の目も治と同じように丸くなっていく。

「……これはアカン」

「せやろ?」

まるで自分が褒められているかのように胸を張る治に侑はハア?と顔を顰めた。

「むっちゃ旨いけど、お前が作ったんちゃうやろ。なんでドヤんねん」

彼からの呆れた視線など気にせず、治はまた小雪の弁当を覗く。

「なぁ、こっちのも食うてみたい」

 治が強請ったおかずは、卵焼き。その上には桜の塩漬けが乗せられている。

「あ、これは……」

先ほどまで美味しいと言われ照れた表情をしていた小雪の顔が曇った。

「アカンの?」

「サム、お前人のモンばっか欲しがんなや。みっともないで」

「う、ううん! 食べてもらうのは好きだから全然いいの! でも、きっと宮くんたちの口には合わないから」

 眉を寄せて笑う彼女に治も侑も首を捻る。どうして、そんなことを言い切れるのか治には納得ができなかった。

「そんなん、食ってみな分からんやろ?」

「そうですけど、やめた方がいいと思います」

 頑なな小春に少しだけ治も意地になってしまい、不機嫌そうな顔になる。

「旨いか旨くないかは俺が決める。なぁ、一つ味見させてくれ」

 少し迷ったものの、そこまで言われてはと、小春は治へ弁当箱を差し出した。

「本当にお口に合うか分かりませんよ?」

「ええって。ありがとうな」

わくわくと期待で頬を緩ませている彼は遠慮なく箸を伸ばす。たまごの黄色と桜の塩漬けのピンク色が可愛らしく、目も楽しませてくる。

 大きく開いた治の口の中へ、卵焼きが入る。彼がどんな反応をするのか、ごく、と固唾をのんで見ていた小春は、彼が口を押さえた様子に眉を下げた。

「アカン。飲み込みたくない」

「え?」

さっきよりも長く咀嚼を繰り返している治は悩むような顔をしている。本当にいつ飲み込もうか迷っているようだ。

「……もう一つ、いかがですか?」

 もう一度彼に弁当を差し出せば、ごくん、と口の中のものを飲み込んだ治の表情は一気に明るくなった。

「ほんま!?」

 小さな子どものような彼の表情に小春はゆっくりと目を細める。美味しそうに食べてくれる治に、彼女の胸の中がポカポカと温かくなった。

「はい、どうぞ」

 喜んでもう一つ卵焼きに箸を伸ばした治は、ひょいと口の中に入れる。嬉しそうに食べている彼は、先ほどと違いあっさりと飲み込んだ。

「甘い卵焼きなんて珍しいなぁ。おやつみたいや」

「こちらではあまり召し上がらないと聞いていたんですが、お口に合ったみたいで嬉しいです」

「桜の塩漬けがまた甘さを引き立てとる感じがええな」

 自分の作ったものをこうして喜んで食べてもらえるのが嬉しい。もっと食べてもらいたくなって、彼女はまた自分の弁当を差し出した。

「このほうれん草の胡麻和えも絶品やわ」

 どうやって作るのかと訊いてきた彼に答える彼女も楽しそうに話している。治が喜ぶたびに弁当を差し出す小春の弁当の中身が、どんどんと減っていく。その様子を呆れ眼で見ていた侑が、見かねて口を開いた。

「小春、あんまサムに餌付けしとると弁当無くなってまうぞ」

「ほんなら、これやるわ」

 先ほど購買で買ってきたパンを選ばせるために広げた治はアレコレと説明を始めた。

「焼きそばパンも旨いけど、このコロッケパンな、むっちゃ旨いねん」

「わ、どれも大きいんですね」

 目を瞬かせる小春の言う通り、治の買ってきたパンはどれも普通のパンより大きい。それもそのはずで、彼の買ってきたものは特大サイズだった。
 食べきられるかと顎に手を添えて考え込んでいる小春から、治の目は離れない。小雪と同じ顔をしているというのに、どうしてかずっと見ていたいと思わされてしまう。

「あの、どうしても味が気になってしまうので、コロッケパンを一口いただいてもいいですか?」

「え、ええよ」

 いただきます、とコロッケパンに手に取った彼女が袋を開ける。そのまま、かぶりつくであろう唇がだんだんと開くのに合わせて、治の鼓動は強くなっていく。
 無視できない大きさになっていったドキドキを聞いていた治は、きゅう、と痺れるような胸の痛みに目を細めた。

「ありがとうございます。宮くん」

「お、おん……」

 当然のように一口分をちぎって、コロッケパンを治へと返す。間接キスでなくなったことに、ほんの少しがっかりした彼は、ブンブンと首を振っていやらしい考えを頭の中から追い出した。彼女の前でそんなことを考えるのは、なんとなく恥ずかしかった。

 一口サイズのコロッケパンを口の中に運んだ小春は目を大きく開けて口を押える。そして、飲み込んでから治の顔を見上げた。

「すっごく美味しい! 本当に!」

 感動でキラキラとしてる小春の目。その表情は今日見た中でも一番、治の心を掴んで離さなかった。

 二人を隣の席でずっと見ていた侑は、弁当を食べる手を止めて治の顔を見る。赤い顔で小春に見惚れている片割れに、"ああ"と納得した。

(惚れてもうたんか)

突然、ギクシャクと話しだした治を、プッと笑ってから侑は自分の弁当をかき込む。
 治のことを笑っている侑だが、自分も小雪を前にすると同じだとは知らなかった。

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