青春切符で未来の君へ

 40万打企画でのリクエスト小説

「じゃあ、お前たちに何が遭ったのか。警察でした説明をもう一度ここでしてみろ」

 休日の教師寮の片隅。普段の淡々とした口調の相澤と、その隣には彼の教師としても先輩である香山がいた。
 足を組んで椅子に腰かけた香山は一見優雅だが、その真剣な眼差しを当事者たちへ向けている。向かいの椅子に並んで座る四人、上鳴、瀬呂、轟、雪乃を順番に見た彼女は、フフッと安心させるための笑みを見せた。

「そんなに緊張しなくていいわ。とりあえず、アナタたちに何が起きたのか知りたいの」

 四人がなかなか口を開かないのは、緊張をしているからではない。ヒーロー科に在籍している自覚のある彼らは、自分たちが巻き込まれた個性事故について説明を果たさなければならないことも理解している。
 しかし、つい先ほど体験したばかりの"アレ"を思い返すと、瀬呂と上鳴の胸には何とも言葉にしづらい虚無感のようなものが広がった。それになにより、表情は普段通りの一見やる気のないものなのに、なぜか目を血走らせている相澤に二人は妙な緊張を覚えていた。

「俺から説明します」

 心なしか顔色の悪い二人を見ていた香山の視線が、平然と言いのけた轟へと移る。その際に、見えた俯いた雪乃の耳に香山の目は僅かに丸くなった。

 燃えてしまいそうなほど耳を真っ赤にさせている雪乃に一体何が遭ったのか。淡々としている轟の話が一体どんなものなのか。仕事の一環であるというのに香山はわくわくして聞かずにはいられなかった。

***

 事の起こりは、轟と雪乃が揃って買い物へ出かけていたことから始まる。
 勉強をみてもらったお礼がしたいと申し出た雪乃へ、轟が彼女の弁当を望んだ。料理好きな雪乃はそれならと、一緒に買い物へ出て食材を選ぼうと誘った。

『轟くんの好みに合わせて作りたいから』

 そう言って恥ずかしそうに白い頬を染めた彼女に、自身の拍動が強くなったのを轟は感じずにはいられなかった。雪乃が自分を知ろうとしてくれている。たったそれだけのことが無性に嬉しい。考えることなく首を縦に動かした轟に、雪乃は嬉しそうに頬を緩ませていた。

 雄英近くのスーパーで食材を見て歩く。たったそれだけのこと。これといって特別なことなどなにもない。それなのに、野菜を手に、あれは好きか、これは好きかと尋ねてくる雪乃の姿が轟の目には妙に鮮烈に映っていた。

「あの、ごめんね。一人ではしゃいじゃって……。誰かに食べてもらうのが久々で凄く嬉しくて……」

 恥ずかしさで俯いてしまった彼女に彼は首を振る。料理が好きだというのがにじみ出る様子が、幼子のようで微笑ましいと轟は柔らかに目を細めていた。

「雪乃が楽しそうにしてんの、好きだ」

 微笑みと共にかけられた言葉に、目を丸くさせた雪乃はみるみると顔を赤くさせる。そして、恥ずかしさで結んだ唇を、ゆっくりと解いた。

「轟くんも、一緒に楽しい、が……私はいいな」

再び顔を俯かせた彼女に、目を瞬かせた轟の表情が自然と柔らかくなる。これまでこんなにも柔らかく優しい気持ちになったことはない。日に日に膨れ上がる気持ちのあたたかさを感じ入りながら、轟は雪乃の名を優しく呼んだ。

「お前が好きなモンも、俺に教えてくれ」

 今度は雪乃が目を瞬く、そしてはにかんで笑った。

 買い物を済ませた二人が、足並みを揃えてスーパーを出る。何気なく顔を見合わせた二人は、同時に表情を和らげた。

「あれ? 轟と果敢無?」

 聞き覚えのある声に振り返れば、そこには瀬呂と上鳴が二人と同じように並んで歩いていた。

「瀬呂くん、上鳴くんもどこかにお出かけ?」

 首を捻る雪乃に近寄ってきた二人が違う違うと揃って否定する。

「たまたまそこで会ったんだよ。んで、今は帰り」

「俺も瀬呂より、果敢無ちゃんと楽しくおしゃべりしながら出かけたいわー」

 上鳴の言っているのは、男である瀬呂ではなく、女子である雪乃と二人きりで出かけたいということだったのだが、それは正しく彼女には伝わらなかった。

「それじゃあ、みんなで帰る?」

 それでいいかと振り返った雪乃に、同じく正しく意図を汲み取れなかった轟が頷く。

「帰る場所も同じだ。一緒に行けばいい」

「アア。ウン」

 遠い目をする上鳴に、ゲラゲラと遠慮なく大笑いする瀬呂を轟と雪乃が不思議そうに見ていたときだった。
 突然、ぐらっと地面が揺れたかと思えば、四人はどこもかしこも見渡す限り真っ白な空間の中にいた。いきなり見知らぬところに飛ばされた四人は、すぐに二人ずつ背中合わせになって周囲を警戒する。

「なんだァ? 俺たちのこと雄英生って知っててやってんのかよ」

 瀬呂と背中を合わせていた上鳴が、挑発的に口角を上げて言ったとき、今度はドン!という大きな音が響き渡った。

「……は?」

 音の大きさに思わず体を跳ねさせてしまった雪乃の耳に、瀬呂の間の抜けた声が届く。ゆっくりと彼らの方へ首を動かした彼女が最初に見たのは、固まっている瀬呂と上鳴の背中。どうしたのかと、首を傾げた雪乃の前に、背中合わせにしていた轟が回ってきた。

「瀬呂、上鳴、どうした?」

 声をかけてきた轟へ同時に振り返った二人の表情は、同じように強張っている。轟の背中から、ひょっこりと顔を出した雪乃は、いつの間にか現れた横長の看板のようなものに書かれた文字に丸くした目をぱちぱちと瞬かせた。

『キスをしなければ出られません』

 看板に書かれた文字を戸惑うことなく読み上げた轟の声は、淡々としていて瀬呂たちのような動揺は一切ない。その冷静さに影響されてか、雪乃も、"ああ、これが最近有名な条件を達成しなければ出られない部屋か"と納得していた。

「こ、これって、アレだろ? あの有名な部屋……」

「って、ことは、この中で……するってこと、だよな?」

 確かめるような瀬呂に、答えた上鳴もまだ状況に頭の処理が追い付いていないのか、口調がぼんやりとしている。だんだんと理解が追い付いてくると、勢いよく二人は顔を見合わせた。

「ど、どーすんだコレ!! オレ、男とキスなんてムリだってェ!!!」

「なんでオレとお前でする前提で考えてんだよ!!」

 半狂乱になっていた上鳴は、その言葉に我に返る。顔を見合わせてばかりいた瀬呂を、キスの相手だと思い込んでいたが、彼が相手である必要はない。ここには男子だけではなく、学年でもトップクラスの容姿の良さで有名な果敢無雪乃がいる。
 勝手に喉がゴクリと鳴る。つい、視線が彼女の形のいい唇へ行ってしまう。

「ど、どうする? さ、さすがに男同士でキスっていうのも……」

 上ずった上鳴の声で、何を求められているのか察した雪乃は思わず、自分の唇へ指を添えた。
 無意識にした彼女の動きに、上鳴だけでなく瀬呂も思わずドキリとしてしまう。

「と、とりあえず、話し合お――」

 "話し合おうぜ"と瀬呂が言い切る前に、するりと雪乃の手が取られる。彼女の白い手を取った轟は、一度雪乃の目を見た。
 跪いた彼から向けられる真っ直ぐな眼差し。左右で違う彼の目を美しいな、と思っている間に、彼女の手の甲が軽く引かれる。そして、そのまま轟の唇が雪乃の手の甲へ落とされた。

 ちゅ、と柔らかい感触を感じている。そう頭の隅でぼんやりと感じていれば、部屋全体にガチャリと鍵の開くような音が響き、先ほどまでにはなかった扉が現れた。

「雪乃」

 握られたままの手の奥に見える轟の整った顔を見て、やっと雪乃は彼が自分の手の甲にキスをしたのだと理解し始める。どんどんと赤くなっていく彼女の顔を見つめながら、轟はおもむろに口を開いた。

***

 警察でもした同じ説明を繰り返した轟と、彼が語ったことが事実であると証言した瀬呂たちは、一礼して寮へと帰って行った。
 教師寮の一室に残っているのは口をへの字に曲げている相澤と、静かに俯いている香山だけ。二人は未だ、説明を聞いていた時と同じイスに座ったままだった。

「オツカレっす、香山センパイ」

 轟たちが帰ったのを察した山田が、そっと部屋に入る。両腕を抱えるようにしている彼女に、山田の眉は怪訝そうに寄せられた。

「……なんかありました?」

 ブルブルと震えている香山は、もう耐えられないとばかりに顔を上げる。

「ちょうどいいところに来たわ!!」

 さぁ、話を聞けとばかりの彼女の勢いにたじろいだものの、山田は最初からそうするつもりでこの部屋に来た。なんなら、相澤や香山と同席して生徒たちに何が遭ったのか聞くつもりだってあった。それも相澤と雪乃の関係を知る者としての心配からだったが、さすがに三人も教師がついて事情聴取をするのは不自然すぎる。仕方なく、山田は別室で待機となっていた。

「なんか香山先輩、スゲェ興奮してますけど、俺にも分かるように話してくださいヨォ?」

 やれやれと少し前まで轟が座っていた椅子へどっかりと座った山田は、ちらっと眼の端で相澤を見る。やはり、彼は苛立っているようだ。
 隣で相澤にイライラされているというのに、香山はまったく気にした様子もなく、楽し気に事情聴取の内容を山田に話し出した。

***

「それ、マジっすか……?」

「マジよ!」

 嬉々として話す香山からすべてを聞いた山田は、そろそろと相澤の方へと視線を動かした。

「なんだ?」

 刺々しい口調と睨むような目つきを返された彼は、HAHAHAと乾いた笑いをこぼすと、また香山へと顔を戻す。彼女はまだ悶えているのか、どこか恍惚とした顔をしていた。

「まさか、轟くんが雪乃ちゃんにキスした相手だったとは思わなかったわ」

「あんまその話ほじくり返さないほうがいいんじゃないすカァ? ……相澤パパの目、超血走ってますよ」

「これはドライアイだ」

(ウソつけ!)

 山田だけでなく香山にもそれは分かったが、彼女の興奮は治まらない。

「何度思い出しても震えるわね。轟くんが雪乃ちゃんにキスしたあとに言ったこと!!」

 両腕を抱きしめながら、ぶるぶると震え始めた香山は堪えていたものの我慢が決壊したように大きな声をあげた。

「ああいう青臭い話はさぁ……好み!!」

 部屋に響いた香山の声と同時に、相澤が握っていたボールペンがボキリと音を立てる。真っ二つになってしまった哀れなボールペンを見ながら、山田はふぅっとため息を溢した。

「キスっつったって、手の甲だろォ? んな、カリカリすることじゃねぇだろ」

「……口よりはマシって程度だ。問題はその後の発言だろ」

 あの発言は、やはりそう言うことなのだろうなと山田も考える。
高校生の自分があの発言をしたところを思い浮かべる。人前で、目の間の女の子しか見えなくなって言ったセリフだとしても、それを事情聴取の場で轟のようには話せなかっただろう。よく人前でなんの恥じらいもなく淡々と説明できたものだと思いつつ、山田は口元を大きく笑わせていた。

***

 雪乃の手の甲にキスを落とした轟は、跪いたまま彼女の白い手の甲を見つめていた。

「……今はまだお前に、雪乃に言えてねぇことがある。だから、今はこれで」

 目を丸くさせている雪乃へ、轟はとけるような微笑みを浮かべる。その微笑みを受けた彼女は、みるみる顔を真っ赤にさせた。

「ちゃんと俺の覚悟が決まったら、お前に言う。だから、待ってほしい」

 俯いた雪乃が小さく頷き返す。顔だけでなく頭の中まで熱がこもってしまった彼女には、意味を理解して頷くのが精いっぱいだった。
 嬉しそうな笑みを浮かべた轟の手が離れて行こうとする。これだけじゃ彼の気持ちへの返事には足りない。そう感じた雪乃はとっさに轟の手を握った。

「雪乃……?」

 いまだに跪いている轟と同じように、雪乃も両膝をつく。両手でぎゅうっと、彼の手を握った彼女は、今、感じていることを必死で言葉にしようとしていた。

「わ、たし……」

 絞りだした雪乃の声は震えている。きゅ、と唇を引き結んだ彼女は、意を決して轟の目を見つめた。

「私もっ、言えるようになる、から……! ま、って、て……」

 か細くなっていった声とは違い、雪乃は目を逸らさなかった。恥ずかしそうに微笑んだ彼女の手を、同じように微笑んだ轟が握り返す。言葉はないものの、二人の胸の中は柔らかな気持ちで溢れていた。

 一方、その光景を強制的に見せつけられていた瀬呂と上鳴だけが、激しい疲労感のような虚脱感のようなものに襲われていた。二人の胸中には揃って、自分たちは何を見せられているんだろうかという疑問が浮かび上がっていたが、停止した思考で答えが出ることはなかったのだった。
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