冷たい手が触れる

 救助訓練が始まる間際。突如として(ヴィラン)たちに襲われた。訓練施設のあちこちに飛ばされたクラスメイト同様、雪乃も元居た場所から飛ばされた。

 容赦なく向かってくる(ヴィラン)に、雪乃はたじろいだ。
 向けられる敵意が怖い。怖くて足がすくんでしまう。それでも、一人(ヴィラン)たちの中へ飛び込んでいった相澤の後ろ姿を思い出すと、彼女は息の仕方を思い出した。

 すっと、息を吸い込んで、止める。怖いけれど、おまけでもヒーロー科に在籍する以上、それを逃げる理由にしてはいけないことを分かっていた。

 キッ、と目に力を込めた雪乃は嘲笑を浮かべる(ヴィラン)の前に立つ。

(大丈夫。怖いから逃げるんじゃない、死なない為に逃げなくちゃ)

桜のヒーローコスチュームに似た、マントコートの下に仕込んだ苦無へ手を伸ばす。

「あらら、ひとりぼっち? かわいそーにね」

 下品な笑い方をしながら近寄ってきた(ヴィラン)の一人に、間髪入れず苦無を投げつける。しかし、それは簡単に払われてしまった。

「こんなんじゃ、ぜんぜ―――」

雪乃を馬鹿にしていた(ヴィラン)の声を遮るように、払ったはずの苦無が相手の腕に深々と刺さっている。
 最初に投げた苦無に隠れるように、まったく同じ軌道で投げられた苦無は雪乃の狙い通りの場所へしっかりと刺さった。驚いている、他の(ヴィラン)の気が逸れているうちに、数本の苦無を打つ。
 先に投げたものに後からぶつかり、跳ね返った苦無が、(ヴィラン)の足に刺さったのが見えた瞬間、雪乃は走った。

 彼女の使う苦無。それには即効性の痺れ薬が塗り込んである。自分も取り扱いには気をつけなければならないが、なるべく戦闘をすることも対人で個性を使うことも避けたい雪乃にとって、最大で唯一の武器だった。
 
 残りの苦無の数を考えながら移動していると、奥から気配を感じた。物陰に隠れて、自分を探している(ヴィラン)が近づいてくるのを感じる。足元に落ちていた石を拾うと、雪乃は向かいにある、今にも崩れてしまいそうな瓦礫を見た。バランスを保っている一点を見つけると、崩れかかっている瓦礫に向かって思い切り投げつける。

 寸分の狂いなく当たった石。それは彼女の狙い通り、バランスを狂わせた。

 大きな音を立てて崩れていく瓦礫へ(ヴィラン)たちの注意が向いている隙に、雪乃はまた音を立てずに走りだす。

「随分と小細工が多いな」

びくり、と体が跳ねてしまったことに気づかれないよう、すぐに声のした方へ身構える。そこには骸骨の仮面をつけた青年が立っていた。

「たまごとはいえ、ヒーローだろ? ちょっとは、俺に夢見させろよ」

 気づいたときには、青年は雪乃のフードに手をかけていた。するり、と脱がせたフードの下から出てきた雪乃の顔を見た青年は、仮面の下で一瞬目を瞠ると、面白そうなものを見つけたと口元に歪んだ笑みを引く。

 狂気の滲んた笑みは、雪乃にとって恐怖でしかなく、頬を撫でるこの手も気持ちが悪い。足から力を抜けそうになるのを歯を食いしばって耐えた彼女は、相手を突き飛ばして距離を取った。

「もう(おせ)ぇよ」

 パチン、と指を鳴らされると、視界がくらりと揺れた。頭を押さえた雪乃に青年は楽し気な声をかける。

「いい夢を見るんだぞ。今日から毎日、嫌ってほどな」

 音もなく、ゆらりと揺れた青年の影はどこかへ姿を消した。くらくらとする頭を抱えたまま、雪乃は物陰に体を隠す。目を閉じてゆっくりと呼吸を繰り返せば、眩暈が少しずつ治まった。
よろよろと立ち上がった雪乃は、フードを深くかぶり直して13号たちといた場所まで戻ろうと歩き始めた。

***

 あちこち迷いながら歩いて出てきた場所。そこで雪乃が見たのは顔中を血だらけにし、両腕を折られた相澤の姿。惨い光景に、言葉は音にもならず雪乃の喉を空気だけが通り過ぎていく。

 脳裏に蘇ってくるのは、彼がくれたさまざまな優しさ。抱っこしてくれたときの腕のあたたかさ。熱を出してなかなか寝付けなかったとき、心配そうな色の目で見つめ、大きな手で撫でてくれたこと。一緒に猫を見て笑みを見せてくれたこと。桜の誕生日を毎年、自分や梢磨がしたいようにさせて、見守ってくれたこと。幸せそうな桜を見る眼差し。
 思い出が一つ一つ、物凄い速さで駆け巡るたび、全身が寒く震えが酷くなっていく。

「あ……、ああっ……」

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。彼がいなくなってしまう。何もできない自分の前で、大切な人が消えてしまう。

「消、ちゃん……」

 水辺にいる緑谷たちを奥に見ながら、倒れている相澤にも駆け寄れない。震える足から力が抜けてしまいそうで立っているのもやっとだ。それでも、体は勝手に動いていた。

 相澤にとどめを刺す気つもりで近寄ってくる(ヴィラン)たちから彼を守るように両手を広げる。

(怖い怖い怖い!!)

向けられる敵意よりも、相澤がこのまま死んでしまう未来が怖くて怖くて嫌だった。認識している範囲の(ヴィラン)へ意識を向ける。

「来ないでっ!!」

 思い切り真横へ振り払われた細い腕。その瞬間、(ヴィラン)たちの動きは止まった。

「なんだ……?」

 今、自分が何をしようとしていたのか分からなくなってしまった死柄木や他の(ヴィラン)たちは困惑する。

「あ……」

 ぎゅう、と振り払った腕を押さえる雪乃が何かをしたというのをいち早く理解した死柄木は、その姿を目に捉えた。彼女が自分の記憶を消したのだと分かった彼は、興味を持ったのか、ニタリと、乾燥した唇に弧を描かせた。

「へえ、その個性。どこまで有効なんだ?」

 おもむろに振り返った死柄木に雪乃の体が震える。彼が彼女へ向かって歩き出そうとした、そのとき、轟音が響いた。思わず閉じてしまった目を開けると、先ほど相澤に近寄ろうとしていた(ヴィラン)たちが倒れている。

 そして、雪乃が守ろうとしていた相澤はその人に抱えられていた。

「落ち着きなさい。果敢無少女。君は大丈夫だ」

 声をかけてくれたのがオールマイトだったからなのかは分からない。それでも、"大丈夫"という言葉に、相澤が死んでしまうことはないと励まされているようで一番の不安は鳴りを潜めた。

***

 教師陣が駆け付ければ、そこからは一気に駆け抜けるような速さで事態は収束した。蛙吹に担がれている相澤が心配で心配で仕方なかったが、近づけばなんとか止められた涙が勝手に溢れそうで冷静さを装えない。そんな状況の自分が、相澤の近くに行けば何かぼろを出してしまうだろうと感じていた雪乃は、傍に行くこともできず遠目に彼の姿を見ることしかできなかった。

 警察の事情聴取を受けるまで、一旦教室で待機を言い渡された。緑谷以外のクラスメイト達と教室に戻る中、警察の塚内から聞かされた相澤の容体が頭から離れない。

(目に、障害が残るかもしれない……)

彼の個性が目を使うものだとよく知っている。それに何か影響があるということは、ヒーロー活動にも支障が出る。それはもうヒーローができないということなのかは雪乃には分からない。しかし、ヒーロー活動ができたとしても、それは今後、相澤がこれまでなんなく切り抜けられたものが、難しくなるということなのではないかと思うと、恐怖に似た何かで足が重くなった。

(消ちゃん、お姉ちゃん、梢磨……)

 もう桜に連絡は行ったのか。梢磨も不安になっているんじゃないか。ぐるぐる考え込むせいで足がどんどんと重くなっていく。
 傍にいたのに、何もできなかったことを知ったらどんなふうに思うだろうか、と思った瞬間、足元にあった小石が消えた。

「っ!」

 勝手に発動しそうになっている個性に雪乃の顔が強張る。誰かに気づかれる前に落ち着かなければと思うほど、焦っていく一方だった。

「オイ」

 かけられた声に思考を遮られる。その声の方へ、ゆるゆると顔を上げれば、無表情で見下ろしてくる轟の顔があった。

「ついて行かねぇと、またお前迷うぞ」

「だ、大丈夫、だから……ごめんね」

 今の自分の傍にいて轟を巻き込むわけにはいかないと、咄嗟に距離を取る。怪訝そうな顔をした彼は、悩みながらも雪乃へ向かって一歩踏み出した。

「なんかあんのか?」

「な、なんでもない」

俯いていた彼女の視線を追いかけたとき、足元の小さな小枝が消えたのが見えた。ハッとして雪乃を見た轟は、顔を険しくしながらも彼女を真っ直ぐに見つめる。

「個性、抑えらんねぇのか?」

「あ……」

事実を言っただけの彼の口調は淡々としていて、普段と変わらない。いっぱいいっぱいになっていた雪乃の中で、その変わらなさが不思議と安心を覚えさせた。

「……落ち着け」

 初めて聞く、彼の気遣わし気な声に、彼女は小さく息を吸い込む。そして、ゆっくりと吐き出せば、今にも暴走してしまいそうだった個性が落ち着いていくのを感じた。

「ごめ、なさい……」

 泣き止もうと必死に涙を拭う彼女を見ていると、どうしてか放っておけなくなった轟は迷いながら言葉を探す。

「どっか、イテェのか……?」

こんなとき、どんな言葉をかけてやればいいのか分からない。それでも、轟はできるだけ優しい口調を心掛けた。

「ちが、うの……。目の前で、誰かが、相澤先生に何かあったらって思ったら、怖くて……」

 ただ、体を震わせている自分がみっともなかった。どこまでも役立たずな自分が嫌いだった。相澤たちに家族にしてもらう前の小さな自分と何も変わらないことを痛感させられた。

「……泣くな」

 どうしてなのかは分からないが、雪乃の涙を見ると轟の胸は酷く締め付けられる。どうにかして泣き止ませたい思いで、彼は恐る恐る伸ばした手で彼女の涙を拭った。

 触れてきた轟の指先は冷たかった。驚いた雪乃が顔を上げると、そこには端正な顔立ちを心配で歪めている彼に、彼女の心臓は早く動き出す。

 冷たく優しい手が、(ヴィラン)の青年に触れられて気持ちが悪かったところを、優しい気持ちに上書きしてくれるようだった。おずおずと轟の手に、雪乃は自分の手を重ねる。

「ありがとう……。轟くん」

 赤みの差した頬を柔らかく緩ませている彼女に、轟の顔にも赤みが差していく。頬を濡らす涙を拭うのは自分だけでありたい。ぴくっと勝手に動こうとした自分の腕に動揺した彼は、その手で自分の口元を覆った。

 雪乃に対して、どうしてこんな感情を抱くのかは分からない。それでも彼女が笑うと、轟は自分も笑いたくなるような気がした。
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