モッコウバラのすれ違い

“ずっと三人で一緒にいようね!”

 幼くて本当のことなんて何も知らない頃に、私たちは残酷な約束をした。ずっと変わらず一緒にいられると本気で信じてた。

***

 写真の中の幼い私は、花冠をして隣に住む兄弟の間で笑っている。このときのことは鮮明ではないけど、今でも覚えている。

 親戚の結婚式に行った次の日、私は桐嶋兄弟にその感動をつたない言葉で話した。

『きのう、花嫁さんにみんなでお花かけて、すっごくきれいだった!』

純白のウェディングドレスに身を包み、フラワーシャワーの中を歩く花嫁さんの姿は綺麗で、今でも印象に残っている。

『はやく花嫁さんになりたいな〜……』

結婚の意味なんて知らなかったけれど、早く大きくなって花嫁さんになりたいと思うほどに憧れた。

『透、ケッコンしたいのか?』

 桐嶋兄弟の夏也くんは私より二つ年上のお兄さん。弟の郁弥は私と同い年だ。

『ケッコン?』

あの時のなっちゃんは、中途半端だけど結婚の意味を知ってた。

『好きな人とするんだ。ずっと一緒にいる約束がケッコンだよ』

いつもお兄さんのなっちゃんの後ろにいた、いっくんが無邪気に提案をした。

『なら、三人でずっと一緒にいよう?』

子どもだから……知らなかったんだから仕方ないと思う。

『うん! 透、なっちゃんといっくんのお嫁さんになりたい!』

私たちは未来に向けてありえない約束をした。

『じゃあ、大人になったら三人でケッコンしようね!』

『うん、いいよ!』

『約束だよ』

でも、本気で三人でケッコンするつもりでいた。

『じゃあ、約束ね』

 二人が私を喜ばせるために作ってくれた花冠。それを頭に乗せてもらって花嫁さんみたいと浮かれた。

 今となっては、なんて馬鹿馬鹿しい約束だと思う。でも、間違いなく本気の約束。少なくとも私は本気だった。なっちゃんのことも、いっくんのことも、比べられないほど大好きだったから。そんな馬鹿馬鹿しい約束をいつまでも忘れられない私はもっと馬鹿だ。

 机の上に飾ってあるフォトフレームの中で、幼い私が桐嶋兄弟と笑っている。見ないようにして、私は制服へ袖を通す。二人の通う岩鳶中とは違う制服は少し離れた女子校のものだ。別に女子校に行きたいと思ってたわけじゃない。ただ岩鳶中に行きたくなかった。制服に着替えて、鏡を覗きこむ。幼い頃よりも、ずっと伸びた髪をブラシでとかす。桐嶋兄弟のことを思い出したせいか鏡の中の私は暗い表情をしていた。

 身支度を整えて指定の通学カバンを持って一階へ降りる頃には、桐嶋兄弟のことよりもこれから乗る混雑した電車内のことの方が憂鬱になっていた。

***

 家を出て歩道に出た瞬間、隣から出てきた詰襟の学生服に身を包んだ少年と目が合った。

「……よお」

「……うん」

 まさかこの時間になっちゃんに合うとは思っていなかった。岩鳶中に通うなら時間はまだ早いはずなのに、どうして鉢合わせてしまったんだろう。

「朝からそんな顔すんなよ。日直で早いだけだ」

顔をしかめるなっちゃんに、私の眉間にしわが入る。

「……別に聞いてないよ」

我ながら可愛くない返事だって分かってる。でも、もう子どものときのように親しい関係だと思ってない。きっとそれはお互いそうなんだと思う。

「昔は郁弥と一緒に俺の後ろ、いっつもくっついて来てたのにな…」

 さっきから私の考えを読んでいるようなことばかり言うのは幼馴染だからなのか、私が分かりやすいのか。何にせよ言い当てられてばかりで少し腹が立った。

「……桐嶋くんのお兄さんは何で私に構うの?」

睨むように見上げると、なっちゃんは目を剥いた。

「お前……! なんだよ『桐嶋くんのお兄さん』って!」

怒鳴られたこともそうだけど、そんなに怒るとは思っていなくて驚いた。

「……そのままだよ」

こんなに怒るなっちゃんを見るのは久しぶりで少し怖かった。だから目を反らしながら言うのが精一杯だった。

「私、もう行くから……!」

「おい! ちょっと待て!」

このまま一緒に歩いたら駅までずっと問い詰められるかもしれない。そんなのは嫌だった。
 カバンをギュッと握りしめて、駅に向かって走る。きっと、なっちゃんはまだ怒っていると思ったから私は振り返らなかった。だから、なっちゃんが傷ついたような顔をしているなんて知らなかった。

***

 朝、なっちゃんに会ってしまったせいかボーっとした一日を過ごしてしまった。帰りの電車で一日を振り返るとため息しか出ない。吊革を掴んでいる腕に頭を寄せると、またため息が漏れた。
 電車を降りて重い足取りのまま改札を抜ける。そのまま駅を出たところで誰かにぶつかった。

「いった……」

「ごめんなさい!」

下なんか向いて歩いていたせいだ。慌てて頭を下げて謝った。

「……透」

「え……?」

 なんで私の名前を知っているんだろう。顔を上げてみれば、そこにいたのはいっくんだった。

「あ……」

それ以上、私は言葉を続けることができなくて黙った。

***

 一緒に帰るつもりなんてない。だけど、家が隣なんだから帰る方向は一緒。だから正確には一緒に帰っているつもりなんかない。いっくんの少し後ろを一定の距離を開けて歩く。駅からしばらく歩いたところで、いっくんは振り返った。

「……なんのつもり?」

「……何が?」

無視してもよかったのかもしれないけど、ヘタレな私にはできない。何よりなっちゃんといっくんの力強い目に見つめられると、子どものころから逃げられる気がしなかった。

「なんで隣、歩かないの?」

拗ねているような寂しそうな目に後ろめたさを感じながら、私は目を反らした。

「だって……一緒に帰ってるわけじゃないし……」

はっきりと言うのが躊躇われて声が小さくなる。

「なにそれ……」

いっくんの質問攻めに私は息苦しくなって、水面から息を吸うときのように顔を上げた。

「い、桐嶋くんこそ、なんで今さら私に構うの!? もう、ほうっておいて!」

 思わず昔のようにいっくんと呼びそうになってしまったけれど、私はなんとか気持ちを吐き出せた。そんなに大きな声を出していないのに、息が乱れていた。

「き、り……しま……?」

長いまつ毛に縁どられたいっくんの目。その目が大きく見開かれて、強い驚きがよく見える。そしてその目にじわじわと怒りと悲しさが混じっていくのも分かった。

「なんだよ、それっ!?」

 今朝のなっちゃんと同じセリフがいっくんから飛び出した。だけど、なっちゃんと違うのは、怒鳴られた怖さより、いっくんの酷く傷ついた顔に罪悪感を覚えたこと。その傷ついた顔を長く見ていることなんて私にはできなくて、いっくんを置いて逃げるように走った。

 家に着く直前で後ろを振り返ってみたけれど、いっくんはいなかった。暗くなった道路に街頭がぼんやりとしているのが見えた。

モッコウバラ
 〜幼いころの幸せな時間〜

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