82020/06/01〜

『結んで、ほどいて』の三人
 ざあざあと雨を降らせる雲を見上げる。出張から戻って来た相澤は駅に着くと同時に強まった雨に、鼻でため息をついた。
 傘など持っていない彼は、ここからどう帰ろうかと考える。普段なら濡れて帰るくらい気にしないが、今回ばかりはそうもいかなかった。

 手にある紙袋に相澤の視線が下りる。彼の手にあるのは、彼女と、その彼女と一緒に養子のように育てている女の子への土産。これまでの彼であれば土産だなんてそうそう買ったりはしなかった。しかし、偶然、新幹線に乗る駅で見かけたその地方ならではの和菓子が彼女が以前好きだと言っていたものだと思い出したときには、それを手にレジに並んでいた。

 これを渡した時の喜んだ顔が見たいと思ってしまう。きっと女の子は興味を持つだろうし、それを見た彼女の笑みを思うと勝手に頬が緩みそうになった。
 誤魔化すように咳ばらいをした相澤のポケットが震える。スマホを取り出して確認してみれば新着メッセージが届いていた。慣れた動きで確認したメッセージは彼女から。

"これから二人でお迎えに行きます"

添付されていたのは、猫耳のついたレインポンチョを着て嬉しそうにしている女の子の様子の写真。これには頬を緩めないように努めていた相澤の目にも優しさが帯びる。フッと目を閉じてから返事を送ると、彼はまた雨の降る空を見上げた。

***

 いつも雨の日に出かけるときはパステルピンクに他のパステルカラーで描かれたドロップが可愛らしい傘を使っていた。しかし、今日は彼女に渡されたレインポンチョを着た女の子は嬉しさのあまり、鏡の前で自分の姿を確認するようにくるくると回っている。
 その様子を一枚写真に撮った彼女は、そろそろ駅に着いたであろう相澤へメッセージを送った。

「気に入ってくれましたか?」

「うん! ありがとう、お姉ちゃん」

恥ずかしそうに笑いながら、かぶっているフードに手を添えた女の子に、彼女も笑みを返す。そのタイミングで彼女が手にしていたスマホが震えた。思ったよりも早い返信を確認した彼女は、女の子に声をかける。

「消太さん、もう駅に着いてるそうです。お迎えに行きましょうか」

「うん! 行く!!」

 いそいそと玄関に向かった女の子は下駄箱から自分の長靴を取り出す。座って長靴を履いた女の子は振り返って彼女を見上げた。

「お姉ちゃん、早く!」

早く相澤に会いたい気持ちと、この可愛いレインポンチョで歩きたい気持ちでそわそわと落ち着かない女の子は握り締めた両手を胸の前で振って彼女を急かす。

「はい。行きましょうか」

靴を履いて相澤の傘と自分の傘を手に取った彼女が玄関のドアを開くと女の子も嬉しそうに外に出る。外や人を嫌がっていたとは思えない様子に、彼女の慈愛が込められた目は優しく細められた。

***

 手を繋ぎながら、女の子が保育園で覚えたという歌を聞きながら歩く。繰り返し歌ってくれるおかげで、だんだんと覚えてきた彼女も一緒になって歌うと、女の子はより一層楽しそうに歌った。

「せっかくですから、消太さんにも聞かせてあげてくださいね」

「うん、消ちゃんにも教える」

 早く会いたい気持ちが出ているのか、女の子の足取りは普段保育園に向かうときよりもずっと速い。自分も長らく家を空けていた彼に早く会いたいと思いながら彼女は頷いた。

「そうしたら、三人で歌えますね」

 はたして相澤は歌ってくれるだろうか。目の前で青みがかった白い髪を揺らす女の子の頼みであれば、断らないような気もして、彼女はふふっと口元に傘を持つ手を近づけて笑う。

「お姉ちゃん?」

彼女の笑みが自分に向けられたものではないことを何となく感じ取った女の子は、こてんと首を傾げた。

「いえ、何でもないんです。ちょっとだけ急ぎましょうか」

「うん! 早く消ちゃんに会いたい!」

"私もです"と答えた彼女は女の子の手を引きながら走り始める。自分で走るよりも速いことに、女の子から、きゃあ!と弾んだ声が飛び出していた。

***

 待っている間の時間を無駄にしないようにと、相澤はスマホでニュースや仕事に関する情報に目を通していた。ふと、時間を確認する。まだ彼女たちがこの駅に着くには少し早い。それなのに、早く会いたいと思うせいか、何度も相澤は時間を確認してしまっていた。

 まったくと、自分自身にため息をこぼす。こうして気づけば彼女たちのことが頭にチラつくようになったのは一体いつからだっただろうか。まさか自分がこんなふうに変わるとは思っていなかった彼は、スマホの画面から視線を上げる。先ほどよりも雨足は弱まったものの、まだしっかりと降っていた。

「消ちゃんっ!」

 まだ聞こえるはずのない幼い声に、相澤は目を見開く。そして声のした方へ顔を向けると、傘を二本持った彼女と送られてきた写真と同じレインポンチョを着た女の子が、自分へ手を振っていた。

 彼女と繋いでいた手を解いだ女の子は、真っ直ぐに走って彼の足へと抱き着く。

「おかえりなさい!」

「いい子にしてたか?」

うん!と元気よく頷いた女の子の頭を撫でていると、静かに歩いてきた彼女が傍までやってきた。

「おかえりなさい、消太さん」

「ああ。……ただいま」

 少し照れくささを感じながら言ってみれば、彼女はそれを見抜いて、くすっと笑う。離れている間も、できるだけ毎日、電話やメッセージを送っていた二人だが、やはり久々に会える喜びは一入だった。

「消ちゃん、何か持とうか?」

 何か手伝いたいと訴えている女の子の幼い目に見つめられた相澤は、少し考えてから、いや、と首を振る。

「今日はない」

そっか、としょんぼりと下を向いてしまった小さな頭に、大きな手が包むように乗せられる。

「また今度な」

 その短い言葉に愛想はなかった。しかし、女の子を喜ばせるには十分な優しさがある。

「うん……!」

分かりにくい彼の優しさをしっかりと受け取ることのできた女の子の返事に、相澤の目が優しくなった。それをすぐ隣で見ていた彼女の表情もとても柔らかだった。

「帰りましょうか。みんなで」

「ああ」

 お互いに差し出し合った手が、小さな手に取られる。当たり前のように二人の間に入った女の子は、とても嬉しそうに笑っていた。その笑顔に相澤はフッと笑い、彼女も幸せそうに目を細める。

 彼女から受け取った傘を開いた彼は、女の子と彼女へと振り返った。同じように傘を開いていた彼女と目が合う。先ほど見た笑みとは違い、頬が淡く染まっている。ただ目が合っただけだというのに、自分がそうさせているのだと感じた相澤の目元にも赤みが差した。

「あのね、ここまでお姉ちゃんと歌いながら来たんだよ」

 猫耳のついたレインポンチョのフードをかぶり直した女の子にかけられた声で、ハッとした彼は少々気まずい思いをさせられる。

「……歌?」

うん、と女の子が頷いたのと同時に三人は歩き出す。話したわけではないのに、相澤と彼女の持つ傘はそれぞれ、女の子に雨だれが当たらないように傾いていた。

「消ちゃんにも教えてあげるね」

 傘に弾かれる雨の音は幼い歌声に霞む。大きな歌声というわけでもないのに、不思議と雨音は遠くに聞こえた。

「覚えた?」

「は?」

きょとんとしている彼に、彼女の笑いが堪えきれなかったとばかりに漏れ出る。深く傘をかぶって隠そうとしている彼女だが、小刻みに震えてしまっていることで相澤にも女の子にも笑っていることは筒抜けだった。

 不思議そうに自分を見上げてくる女の子に彼女は首を振るとにっこりと笑う。

「すみません、二人とも可愛いなと思ったら、つい」

ふふっと笑っている彼女から、女の子は相澤を見上げた。

「可愛いって。よかったね、消ちゃん」

不満を込めて向けた視線に苦笑いを返してきた彼女へため息をつくこともなく、彼はムスッと下唇を突き出す。それでも眉を下げた笑みを向けてくる彼女に、相澤は本当に怒ることなどできなくなっていた。

「あの……少し遠回りをしませんか?」

「遠回り?」

 なんでわざわざと思う相澤に彼女は頷く。そして、女の子へと視線を落とした。

「公園の紫陽花がとても綺麗に咲いているんです。雨の日に見る紫陽花も綺麗かと思いまして」

彼女がそう提案してきた理由。それはまた同じ歌を歌っている女の子が理由なのだろうと察した相澤も、はぁっと小さくため息を吐いた。


 大分弱くなった雨の中。相澤と彼女の間に挟まれた女の子が、咲き誇る紫陽花に感嘆の声を上げる。喜んだ声のあと、手を繋いでいる二人を交互に見上げた女の子はきゃっきゃっと笑った。

幼い笑い声を挟み、笑みを交わした彼と彼女は、女の子へと視線を落とす。二人の視線は、どこまでも穏やかなものだった。

 そして、帰宅した相澤はすぐに、彼女たちに買ってきた土産を渡した。好きな和菓子をもらえたことに喜ぶ彼女と、彼女が喜んでいることが嬉しい女の子の様子を見た彼は、やっと家に返ってきたことを実感していた。

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