72020/05/01〜

『君に告げられた春』の二人
 キッチンから聞こえてくる鼻歌に耳を傾けながら、相澤はタブレットでニュースを読んでいた。朝から一生懸命に作っているものは、昨日の夜に作っていたものから考えれば簡単に想像がつく。

 優しい鼻歌が止まったかと思えば、彼女は彼の隣へにこにこしながら来ていた。

「消太さん、どうぞ」

「また、随分作ったな……」

差し出された大皿に乗せられている、大量の柏餅。思い出してみれば、学生のときにも作ってもらったことがある。

「お裾分けする分もありますから」

「誰に?」

まさか男ではないだろうなと、目で訴えてくる相澤に彼女はくすっと笑う。

「山田先輩ですよ。今晩、いらっしゃるんでしょう?」

面白くないとばかりにムスッとしている彼へ、柏餅が一つ差し出される。

「味見、してくれますか?」

向けられる柔からな微笑みに負けた相澤が口を開くと、意味に気づいた彼女は目を瞬いてから、おかしそうに小さく笑った。ローテーブルに大皿を置いた彼女は、真っ白な餅を包んでいる柏の葉を剥がすと彼の口元へ運ぶ。

「はい、どうぞ」

ぱくり、と柏餅を口の中へ入れた相澤は僅かに目を見開いた。

「どう、ですか?」

心配そうな顔をしている彼女は、咀嚼している彼の様子を窺っている。その視線に気づいている相澤は、安心させようと飲み込んですぐに口を開いた。

「美味い。味噌か?」

よかったと緊張を解いた彼女の顔に嬉しさが広がる。

「はい。こしあんも好きなんですが、お味噌も好きなんです。だから、消太さんにも食べてほしいなと思って」

「……もう一口くれ」

「ふふ、甘えん坊ですね」

「……言ってろ」

また口を大きく開けた相澤へ、彼女の手によって柏餅が運ばれる。半分ほど残っていた柏餅を一口で含んだ彼は、もちもちとした触感と味噌餡の塩気と甘みの何とも言えない塩梅を楽しむように咀嚼を繰り返す。飲み込んだ相澤は、彼女が全く手をつけていないことが気になった。

「お前は食べないのか?」

「私のは別にあるんですよ」

 どうも嘘くさい気がした彼は、彼女の目を真っ直ぐに見つめる。

「なら、どうして食べないんだ? お前、いつも一緒に食べるのがいいって言ってるだろ」

「そ、それは……」

目を泳がせる彼女の手を引く。本当ならこのまま膝の上に彼女を乗せるつもりだった。しかし、目の前に来た彼女は相澤の体に触れる前に、個性を使って自身の体を浮き上がらせた。

 手を掴まれた状態で浮かび上がっている彼女を見開いた目で見た彼は、すぐにその目を傷ついたように細める。

「俺に触られるのが嫌なのか……?」

「ち、違います!! でも、今、というか、しばらくはそんな権利もないっていうか……」

 慌てて必死に弁明しようとしているが、はっきりとしない彼女の言いたいことが相澤に伝わらない。怪訝そうにしている彼の顔をしばらく見てから、彼女は観念したように小さなため息をこぼした。

「……先週、大阪の方へ出張に行ったじゃないですか」

「ああ」

一体それがなんの関係があるのかと思いつつ彼は彼女が何を話すのか待つ。

「それで、その、そこで一緒になったヒーローの方がとてもよく食べる方で、美味しいたこ焼きを食べに毎日あちこちに連れて行ってくれたんです」

まだ宙に浮いたまま、彼女は困惑で表情を曇らせる。そんな彼女と自分の距離が縮まらないことが嫌で、彼は無意識に握る手に力を込めた。
 その仕草から相澤の寂しさを感じ取った彼女は、ゆっくりと彼の隣に体を下ろす。

「あちらは厚意ですし、ごちそうになっている手前、残すこともできなくって全部頂いていたんです。……それで、当たり前なんですが―――」

言いにくそうにしている彼女の言いたいことにようやく見当がついたが、確信が持てなかった彼はそのまま話し終わるのを待つ。

「―――太りまして」

 ぽつり、と呟いた声はとても小さくて聞き取りにくかった。ようやく彼女が、自分の膝に乗りたがらない理由が分かった相澤は、ほっと息を吐き出した。

「俺は気にしない」

「私は気にするんです!」

怒ってムスッとした彼女の手をもう一度引く。不意を突かれた彼女は、引かれた勢いのまま相澤の胸元へ倒れ込んだ。ふっ、と嬉しそうな笑みを浮かべた彼は抱きしめた彼女の首筋に顔を埋める。

「……拒絶される俺のことも考えろよ」

「そんな、拒絶なんて……」

先ほどのショックを思い出すと、凍えるような心地になる。更に顔を首筋に埋めてきた彼の気持ちを感じ取った彼女は優しく腕を背に回した。

「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです。でも、できれば消太さんに気づかれないうちに元の体重に戻したくって……」

「それで食うの控えてたのか」

頷いた彼女から、そっと体を離す。そういえばと、相澤は彼女の顔を覗き込んだ。

「その大阪のやつって男か?」

「え? ああ、そうですね。でも、あちらも私のことは最後まで男性だと思っていたみたい、です、けど……?」

 目の色を変えた彼は、強引に彼女の体を押し倒す。床に黒い髪を広げながら、彼女は反転した視界に目を瞬いた。

「消太、さん?」

「手伝ってやる」

え?と呆けている彼女に構わず、唇を重ねた彼は、一度では止めず何度も何度も繰り返す。
 ん、と角度を変えて何度も唇を重ねる短い合間に、息継ぎをするものの彼女の息は次第に上がっていく。止める気のない相澤の裾を引く。何度か引いてやっと、彼は覆いかぶさっていた体を少しだけ離した。

「て、手伝うって、何を、ですか……?」

はあはあ、と短い呼吸を繰り返す彼女と違って、息の上がっていない相澤はニヤッと笑って片手で髪をかき上げる。

「運動」

 なんの?と訊こうとした彼女の言葉は、彼の唇によって口の中に閉じ込められた。再び彼女の体に覆いかぶさった相澤は噛みつくようなキスを繰り返す。それを受けているうちに、彼女の息は更に上がっていた。

 頬を真っ赤に染め上げ、目を潤ませている彼女を満足そうに見た彼は服の上から彼女の体に触れる。

「だ、ダメですって!」

ぎゅっと相澤の手を捕まえて、それ以上は嫌だと彼女はきつく目を閉じて首を振った。

「そ、そういうことは、ちゃんと痩せてからがいいです。……消太さんにガッカリされたく、ない、から……」

顔を背ける彼女に、そんなことと思いながら彼は鼻で小さく笑う。

「なら、どの辺が太ったのか確かめさせろ」

「な、な、何言って……!」

慌てふためいている珍しい彼女の様子に向けられた、他人がそうそう見ることができない優しい微笑み。どきっとしてしまった彼女の形のいい唇が薄く開く。しかし、言葉を発する前に、相澤の口によって塞がれてしまった。

「全部知りたい。お前のことはなんでも」

 大きく目を見開いた彼女は、真っ赤になりながら恥ずかしそうに目を伏せる。迷うように彷徨う彼女の視線を覗き込んだ相澤の目が捕まえた。

「いいだろ?」

拒否なんて許してくれないくせに、と彼女は苦く微笑んでから彼の首に両手を回した。

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