192021/03/01〜

『君に告げられた春』の二人
 パラパラパラパラと小気味よい音をさせているトランプの束。リフルシャッフルも簡単に空中でこなし、細く白い指先が次々にカードを切っていく。

「もう一度ババ抜きでいいですか?」

 にこ、と笑った彼女とは対照的に、相澤はムスッとしていた。
 彼女の部屋に泊りに来ている相澤へ、トランプでもどうかと彼女が持ちかけて始まったババ抜き。

「ああ」

 淡々としているのは普段と何も変わりはないが、隠しきれていない不機嫌さが今の彼の声には含まれている。
 ふふっと、小さく笑った彼女は手早くカードを配っていく。慣れた手の動きはマジシャンのようにすら思えた。

「お好きな方をどうぞ」

 手を引っ込めた彼女の顔を見てから、相澤は彼女の前に置かれた手札を取る。彼がカードを持ったのを見てから、彼女も相澤の前に置かれた手札を取った。

 別にトランプに負けることが悔しいわけじゃない。こんなのはただのゲームだと頭では理解していても、相澤には納得できないことがあった。

「お前、カード切るときに何かしてないよな」

「いやだなァ、するわけないじゃないですか」

 苦笑いをしながら、次々に手札からカードを捨てていく彼女へちらりと目を向けてから、彼は視線を自分の手札へと落とす。
 相澤が疑いたくなるのも無理はなかった。これまで何度かここで彼女とこうしてトランプをしている。運が大きく絡むポーカーでは勝ったり負けたりがあるが、今しているババ抜きだけは一度も勝てたことがない。

「じゃあ、さっきも私が勝ったので、消太くんからどうぞ」

 差し出された彼女の手札から、適当なものを引く。二人だけのババ抜きでは当たり前にカードが揃い、彼はカードを捨てた。

「そんなに怖い顔しないでください」

 眉間にしわを寄せている相澤に、困ったように笑った彼女も同じように彼のカードを引いて自分の手札のものと合わせて捨てる。

 黙々とお互いの手札を引いては、揃ったカードを捨ててを繰り返した。残りが二枚になった相澤の手札と、残り一枚になっている彼女の手札。彼女より一枚多い彼の手札にはババであるジョーカーがある。

 ちらっと顔を上げた彼女に、相澤の胸は思わずどきりとしてしまう。勝手に上がった頬の熱に、彼女は自分の顔の良さを知らないのではないかと彼は睨むように目を細めた。

「消太くんは分かりやすいですね」

 形のいい唇に弧を描いた彼女の指先が、相澤の持つカードの一枚に乗せられる。

「これでしょう?」

彼女の言う通り、整った指先が乗せられたカードがジョーカーだった。悔しさで口を引き結んだ彼に、彼女は小さく笑って指を退かす。

「切ってもいいですよ。絶対に分かりますから」

「凄い自信だな」

 癪だと思いながら彼女の提案通りに相澤は自分のカードを切る。二枚しかないカードを入れ替え続けながら、彼女の黒い目を見つめた。
 じっと、見つめていれば、今度は彼女の頬が赤くなっていく。どんどんと赤くなる顔が照れているのが分かる。それなのに逸らさないでいる彼女を可愛らしく感じた彼はフッと僅かに頬を緩めた。

「……意味深ですね」

 むっとして唇を小さく尖らせた彼女。きっと自分の前以外ではなかなか見せないであろう、その表情に浮かれそうになる気持ちを抑えた相澤は、よく切ったカードを二枚彼女の前に出した。

「ほら、選べ」

「いいんですか? 当てますよ?」

 自分を好きだと伝えてくれることの多い黒い目が珍しく挑戦的で、彼も口元をニィッと笑わせる。

「賭けたっていい。俺が勝つ」

 虚勢で笑って見せる相澤の内心など簡単に見抜いているのか、彼女は意外そうに目を瞬いた後、考えるように顎に手を添えた。

「うーん、じゃあ、私が勝ったら私のお願い、何でも聞いてくださいね」

 そんなのいつものことだろうと思ってしまう彼の表情が普段の無愛想なものになる。彼女の頼みを断れないのは、断るほどのものではないこともあるが、一番の理由はすっかりと惚れ込んでいるからだ。
 しかし、実は彼が自分に弱いことなど知らず、優しさだと思い込んでいる彼女は、自分が負けたときのことを言わずにカードを引こうとする。

「おい、お前が負けたときはどうすんだ」

「えー、負けませんってば」

 むぅっと不満げな顔の通り、彼女が選ぼうとしたカードはジョーカーではない。ひやりとした相澤は、ほら負けたときのことを言えと目で彼女を促す。

「じゃあ、私が負けたときは一緒にお風呂に入りましょう」

「ハァ!?」

 勝手に喉をついて出た相澤の声は大きく、顔も思い切り熱くなった。動揺している彼を見て、彼女はクスクスと笑う。いつも通りにからかわれていると理解していても相澤の声は勝手に震えた。

「お、お前、何、バカなこと……!」

「大丈夫です。負けませんから」

 簡単に言い切る彼女に、面白くない気持ちがむくむくと大きくなる。顔を見つめてくる彼女に相澤はまたカードを切った。

「……選べ」

 もしかしたら、自分の気づかぬところで表情に出てしまっているのかしれないと考えた彼は目を閉じたまま、彼女にカードを選ばせることにした。

「………」

 すぐに選んでこない様子から、やはり彼女が自分の表情を読んでいたかもしれないと相澤が考えたとき、手元からカードが抜き取れられた感覚がした。

「私の勝ちです」

 目を開けた彼の手元に残ったカードはジョーカー。彼女の宣言通り、相澤の負けだった。"さぁ、どんなお願いを聞いてもらいましょうか"と言いながら、彼女はカードを片付け始める。

「もう辞めるのか?」

 いつもなら二回で済むわけはなく、もう一、二回、ババ抜きをしていた。それがどうして辞めようとしているのかと思った彼は、ハッとして振り返る。

「あー……」

「オイ、なんだアレは」

 どういうことだと彼女を睨む相澤が見たものは、空中でピタリと止まっている小さな鏡だった。明らかに彼女の個性で浮かんでいる鏡は、ゆっくりとした動きで元の位置に収まった。

「ごめんなさい……」

 目を逸らす彼女に、はぁっと息を吐き出した彼は額を押さえる。

「こういうことだったのか」

「ち、違います! 本当に消太くんの顔に出てるんですよ!」

 ブンブンと手を振って否定する彼女を見る相澤の目は疑いの色を強く孕んでいた。不正をした罪悪感で言いにくそうにしている彼女は、俯いてからちらりと彼を見る。

「……消太くんの目を見てたんです。そうすると、ババのときだけ少し特徴が出るから」

 上目で見てくる彼女が、なんだか可哀そうに見えてしまった。そんな気持ちを追い出すように顔を背けた相澤は、目の端で彼女を捉えた。

「自分で言いだしたことですけど、その、一緒にお風呂は……恥ずかし、くて」

 真っ赤になった彼女の両手は胸の前で不安そうに握られている。既にお互いの肌を知っていても、慣れないのは同じだった。込み上げてくる恥ずかしさを誤魔化すように彼は口を開く。

「お、俺はいいなんて言ってないだろ!」

 自分の言葉に顔を上げた彼女の表情を見て、相澤は我に返った。

「違う!」

 慌てて否定した彼は、目を見開いている彼女の華奢な両肩に手を置く。そして、驚いてさらに丸くなった彼女の目を正面から見つめた。

「い、やなわけじゃない……」

 刺激が強すぎて怖いと言えず、黙った相澤は強引に彼女を抱き寄せる。ふわりと香る優しい彼女の匂い。白い首筋に顔を埋めれば、さらに彼女の香りを強く感じた。

「……分かるだろ」

 そっと彼の胸に置いた手から感じる早い鼓動。自分だけではないと思う彼女の赤い頬が緩み、両腕を彼の首へ回した。

「はい」

 彼の温もりに包まれる幸せに、彼女の黒い目が閉じられる。頬と頬を触れ合わせていた二人は、見つめ合うためにそっと頬を離した。

 小さく笑みを交わすと、そこからはお互いに引かれ合うように、静かに唇が重なった。
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