12019/12/01〜

『君に告げられた春』の二人
 午後の強い日差しも木々の下では優しい木漏れ日に変わる。二人だけでの昼食は、いつも決まって子猫と遊んだこの場所だった。

「今日もここは気持ちがいいですね」

 重なり合う木の葉を見上げて目を眇める彼女の声が柔らかく耳に心地いい。うつらとしている相澤は、こくんと一つ頷いただけで声を出さなかった。

「もしかして、眠いんですか?」

「ああ、ちょっとな」

この場所の居心地の良さか、彼女の隣にやすらぎを感じるようになってしまったせいか。眠気で上手く働かない頭ではよく分からない。

「眠っても大丈夫ですよ。お昼休みが終わる前には起こします」

「……いや、大丈夫だ」

本当は彼女の言葉に甘えてしまおうかと少しだけ思った。しかし、こうして時間を作って一緒にいるのに寝てしまっては勿体ない。自分では彼女が楽しめる話題を作ってやるのは無理だ。そんな自分が彼女にしてやれることは話を聞くことくらいしかない。
楽しそうにしている彼女の話ならいくらでも聞いていたい。そう思うようになったのは一体いつの頃からだったのだろう。

 顎に手を添えて何か考える仕草をした彼女が、ちらりと相澤を見る。さらりと流れた髪が綺麗で相澤の目はそこに釘付けになった。

「あの、相澤先輩。実は私、先日、誕生日だったんです。それで、図々しいんですがお願いを聞いてほしいな、って思って」

「プレゼント代わりに?」

"はい"と頷いた彼女に、相澤は考えた。事前に知っていたら何かしら用意したのにと思う。しかし、彼女の性格では遠慮してきっと言い出せないのも理解している。

「……俺にできる範囲なら」

その答えを聞いた彼女の表情が、パッと明るくなる。嬉しそうな顔をする彼女を見れば、努力して何とかなることでも叶えたいと思ってしまう。

「じゃあ」

とんとん、と自分の膝を叩く彼女の言いたいことが分からない。首を傾げると、彼女はまた膝を叩きながら少し照れたような顔をした。

「膝枕したいです」

「は?」

 突拍子のない頼みに目も覚める。ぽかんと呆けてる相澤に、彼女は恥ずかしそうにしながら小さく口を尖らせた。

「もう、何度も言わせないでくださいよ。私だって少しは恥ずかしいんですから……」

頬を赤くさせながら向けられる上目と、しばらく見つめ合う形になる。観念した相澤は、そろそろとした動きで横になる。そして、恐る恐るといった様子で彼女の膝に頭を乗せた。
 この体勢で彼女を見ていると意識してしまいそうなので目は固く閉じたまま。しかし、目を閉じていると彼女の膝の柔らかさばかりに意識がいってしまう。

「髪、触ってもいいですか?」

「いいけど……」

彼女の髪と違い、綺麗なものではない。それなのに、撫でてくる手があまりにも丁寧で優しいものだから、つい目を開けてしまった。
 相澤の視界に飛び込んできた彼女の柔らかな微笑み。下から見上げる彼女の顔もとてもよく整っていて、目を逸らせなくなる。薄っすらと染まった頬を見ていると、その熱がじわじわと相澤にも移っていく。

「先輩の髪も凄く好きです。ずっと撫でてたいなぁ」

幸せそうに細められた彼女の目に見つめられると、胸の辺りがくすぐられるような不思議な感覚がした。このままでいると自分の心の中を彼女に見透かされてしまいそうで、目を伏せる。

「……誕生日、いつだったんだ?」

 このこそばゆくて仕方ない状況から目を背けるために考えて思いついた話だった。それに出来たら来年は何かを、という気持ちもある。

「春です。桜の咲く時期なんですよ」

「おい。どこが最近なんだ」

何でもないように言った彼女はしれっとしている。桜の咲いていた時期なんて随分と前のことだ。騙された気分でいる相澤に彼女は悪戯っぽく、くつくつと笑う。

「私、誕生日プレゼントは前後六ヵ月受け取ることにしているんです」

「お前な……」

「相澤先輩からプレゼントをいただけて、今年の誕生日はとってもいいものになりました」

「これのどこがだ」

呆れ混じりな相澤の髪を一撫でして、彼女は穏やかに諭すように話し出す。

「好きな人を膝枕できるなんて、それだけで幸せです」

繰り返し撫でてくる手は、どこまでも優しい。大切にされているのが言葉がなくとも伝わってくる。それが無性に嬉しく感じた。

「膝枕って初めてしてみたんですけど、やっぱり少し恥ずかしいですね」

「……俺も、初めてされた」

小さく呟かれた一言に彼女は目を丸くさせてから、にこりと笑う。

「じゃあ、相澤先輩の初めてを一つ奪っちゃいましたね」

からかい半分なんだと分かっている。そして、その半分が本気で言っていることも。だからこそ、相澤は口を噤んで真っ赤になることしかできない。ごろりと仰向けから横向きに寝返りを打って、横目で彼女を見る。恥ずかしさが奥に見える彼の目は、彼女に文句を訴えていた。

「言い換えたら、私の初めてを相澤先輩にもらってもらった、ってことにもなるんですね」

「……勝手に言ってろ」

ぎゅっと目を閉じたら、また彼女の手が撫でてくる。その手つきに、膝枕と木漏れ日の心地よさ、そして―――

「おやすみなさい。相澤先輩」

―――優しい声にだんだんと眠気が強くなり始めた。感じる彼女の温もりと匂いが相澤を穏やかな微睡みへと誘っていく。眠りに落ちる瞬間、ふと、気づいた。とっくに過ぎてしまった誕生日のプレゼントが欲しいと彼女が言い出したのは自分を休ませる為だ。こんなさり気ない気遣いを好ましく感じていた。
 
 まだ彼女の気持ちにきちんとした返事はしていないけれど、彼女を特別に想っている自覚はある。膝枕なんて大したことではないかもしれないが、もし、初めてを奪った責任を取れるのだとしたら、これから先、彼女と一緒にいられる理由にできるかもしれない。

 微睡みの中で見る夢では、ずっと先の大人になった自分とその隣で笑ってくれる彼女がいた。
top