172021/01/01〜
両手を合わせ、神様への一年の感謝と願い事をする。ちらりと隣を盗み見れば、しっかりと目を閉じた彼女。神様の前で目を伏せている彼女の頬には、提灯の灯りでできたまつ毛の影が下りている。
普段も何気ないときに彼女に見とれてしまうことがあった。しかし、今の彼女にはこれまで以上にドキドキが止まらない。
長いまつ毛が揺れ、その下から澄んだ瞳がゆっくりと姿を現せば、さらに天喰の鼓動は強くなっていく。
「どうかしました?」
こてん、と首を傾げた彼女に、とれてしまいそうなほど首をブンブンと左右に振った。青みがかった白い髪を纏めている彼女の着物姿に天喰の胸は早鐘を打ち続けている。このままでは心臓がどうにかなってしまうのではないかと内心、びくびくしていた。
この神社の前で最初に会ったときには、彼女に見入ってしまって新年の挨拶だけで終わってしまった。なんとかもう一度、着物が似合っていると伝えるチャンスを探していた彼は、今なら自然に伝えられるだろうかと緊張から唾を飲み込んだ。
「あ、の」
「すみませーん、お参り終わりました?」
ハッとして振り返れば、並んでいたカップルが困ったような顔をしている。たくさんの人目を引いていることに気づいた天喰の顔からサァっと血の気が引いていった。
「すみません、失礼しました! い、行きましょう!」
慌てて彼女が後ろの人たちへ、ペコペコと頭を下げながら拝殿の前から彼の手を引いて歩き出す。出鼻をくじかれ呆然として彼女に手を引かれる情けなさに、天喰の胸は絶望感でいっぱいになっていた。
おみくじを引く人だかりから少し離れた場所に提灯の灯りはあまり届かず、薄暗く人もいない。そこまで来ると、彼女はようやく天喰の手を優しく離した。
「ごめんなさい。急に手を引いたりして」
先ほどまで彼に触れていた手を胸の前で握る彼女に、彼は焦りながら口を動かす。
「ぜ、ぜんぜん! むしろ、あんなところで立ち止まって注目を集めて迷惑をかけて物凄く申し訳ないよ。それに、あんなに情けなくて……消えてしまいたいっ」
下を向いてしまった天喰の手にもう一度触れる。おもむろに顔を上げた彼に、彼女は少しだけ怒った顔をしていた。
「消えちゃダメ」
「うっ……」
怒られているというのに、どうしても彼女が可愛く見えてしまう。真面目に怒られることもできないのかと思う反面、どんなときでも可愛い彼女にも原因はあるのではないかと、ほんのわずかにある頭の妙に冷静な部分で考えていた。
「今は二人きりだから、名前で呼んでもいいですか?」
「も、もちろん。あ、いや、怒られているのに、君に名前で呼んでもらうのは俺にとっては―――」
悪い方へと考えが止まらない天喰の口に、彼女の白く細い指が乗せられる。とても優しい指先に話すことを止められてしまった彼は、自分の唇に乗せられている彼女の指の感触に顔中を赤くさせてた。
「環くん、消えるなんて悲しいこと言わないで」
言葉の裏で彼女に、お願いと言われたような気がした天喰は視線を下げてから小さく頷く。彼女に悲しい思いをさせてしまった自分に落ち込んでいれば、小さく裾を引かれた。
「……環くんが許してくれる間は、傍にいたい」
まるでいつか自分から別れを切り出されると思っているような言葉に、天喰の頭の中はすぅっと冷えていく。先ほどの焦りはもう彼の中に一つもなく、今あるのは怒りのような寂しさと切なさだった。
裾を掴んでいる彼女の手を掴む。そのまま強引に引き寄せれば、彼女の驚いた顔が天喰の前に来た。
「君こそ、俺がどれだけ片想いしていたかも知らないで、そんな勝手なこと言わないでくれ」
先ほどの気弱そうな表情ではなく、彼は怒っているのにどこか泣いてしまいそうな顔をしている。彼が自分を好きでいてくれる間は、彼女でいさせてほしいという意味だったのに、と眉を下げた彼女の頬を天喰の指の背が撫でる。
「俺はきっとこの先も君にしか恋をしない。この気持ちは君から教えてもらうだけで十分だ」
少し離れたところにある参道を照らす幻想的な灯りに後ろから照らされている彼は、寒さのせいか鼻の頭を赤くさせながら、困ったように眉を寄せ、とても優しく目を細めている。
天喰の隣で見る景色は、どうしてこんなにも美しいのだろう。どうしてこんなにも優しい気持ちが胸の奥から溢れてくるのだろうと思いながら、彼女も彼に微笑んだ。
「私も、きっと、こんな気持ちになるのは環くんにだけ」
まだ頬に触れている天喰の指へ甘えるように目を閉じてすり寄る。それに応えるように、彼は手のひらで彼女の冷えてしまった頬を包んだ。
「環くん……」
嬉しそうな彼女に、天喰も愛おしさを込めて名前を呼び返す。くすっと笑い合った二人は、そこでもう少し話をしてからおみくじを引きに行くことにした。
***
おみくじの結果はどちらも小吉で、いいのか悪いのか微妙なところだった。
「あ……」
おみくじに向けられる彼女の目が大きく見開かれたまま動かない。驚いて動揺しているのか、綺麗な瞳が揺れていた。
「何か、気になることがあった?」
まさかとんでもなく悪いことが書いてあったのではないかと気づいた彼は、また顔色を悪くする。おろおろと心配する天喰を見た彼女は顔を真っ赤にさせてから、ゆっくりと
「あのね、ここ……」
彼女が引いたおみくじのある部分を、白く細い指先が示す。そこに書かれている文面に彼の顔も真っ赤に染まった。
(恋愛、この人が最上……)
嬉しくて堪らないのか、彼女はおみくじをぎゅっと胸元に押し付けるようにして抱きしめる。そんな可愛らしいことをする彼女に天喰は意を決して口を動かした。
「これ……」
誰にも、彼女にも見せずに持って帰るつもりだったおみくじ。それを彼女と同じように彼も自分のおみくじを差し出す。受け取った彼女に同じところを指した天喰は指先までほんのり赤くさせていた。
「え……」
驚いている彼女は、目をパチパチと瞬かせて確認するように何度も読み返す。そして、勢いよく彼を見上げた。
天喰のおみくじに書かれていた恋愛の箇所には、一言、『結婚せよ』と書かれていた。真っ赤になっている彼女に彼は恥ずかしさで強張る口元を無理やりに動かそうと震わせている。
「環くん……?」
何か言いたそうにしている天喰を心配して声をかけた彼女の手を、彼の手が掴む。伝わってくる温もりを離したくない。そう思えば、天喰の口元から不思議と力は抜けていた。
「卒業したら、もう今日みたいに一緒に初詣には来られない」
ヒーローになれば年末年始は忙しくなる。そうなれば、彼の言う通り、夜の初詣に一緒に行くことはもうできないだろう。両親がヒーローである彼女は、ヒーローという職業の不規則さをよく知っている。
学校行事に両親が揃って来てくれることも、イベントごとを揃って行うこともそうそうなかった。
一足先にヒーローになる天喰もきっと同じような生活を送るのだろうと、彼女は頷く。
「でも、君と家族になれる日が来るように努力する! だから、待っててほしい」
ぎゅ、と握ってくる彼の手に、空いていた彼女の手が重ねられる。
「待たない。追いかけるよ。環くんのことを守れるくらい強くなれるように、頑張って追いかけるから心配しないで先に行ってて」
口元に笑みを引いているというのに、彼に向けられる彼女の目は真剣だった。雄英で再会した頃は、どこか儚げで守ってあげなくてはとばかり思っていた彼女は、いつの間にか、ただ守られるだけの存在ではなく、立ち向かう強さを持っていた。
凛とした彼女が眩しいと目を眇めた天喰は、彼女なら、すぐに追い付いてくるのだろうと予感する。
「うん。君に頼られる男になれるように……俺も負けない」
堪らなくなって、本当は抱きしめてしまいたい。しかし、人目もあることを忘れていない彼は、ぎゅっと彼女の手を握ることでそれを耐えた。
ぴゅうっと一月の冷たい風が吹きつける。寒さで目を閉じた彼女に風が当たらぬようにと、彼は自分の影に彼女を入れた。目を瞬いた彼女は彼の影から出ると、そっと身を天喰に寄せる。
「守ってもらうんじゃなくて、寒くてもこうやって寄り添いたい。どちらかが寒い思いをするのは寂しいよ」
「……うん。そうだね」
もう迷子になって泣いていた小さな女の子ではない。自分の隣に立ち、寄り添ってくれる女性になったのだと改めて感じた天喰は、さらに彼女への恋心を募らせていた。