122020/10/01〜

『君に告げられた春』学生編の二人
 10月といえば、お月見よりも異国からやってきたハロウィンの方が強くなってしまったのはいつからなのだろうか。目の前で弁当をつつく彼女の外見のイメージとしては、お月見の方が雰囲気が合っているが、性格的にはハロウィンの方が好きなんだろうと相澤はぼんやりと考えていた。

「聞いてますか、消太くん」

 声をかけられてハッとすれば、彼女はいつの間にか弁当を食べ終わっていて、こてんと首を傾げている。

「悪い」

「いえ、大した話じゃないんで大丈夫ですよ」

ふふ、と小さく笑った彼女が、水筒用のコップにティーバックを入れる。そこへ水筒に入れてきたお湯をコップに注いだ。緑茶を入ったコップを受け取る。立ち上る湯気が、その香りを相澤へ届けた。

「何を考えていたんですか?」

コップを両手で包みながら訊いてくる彼女が纏う静かな雰囲気。それはとても清らかで穏やかだ。やはり、彼女には月が似合うのかもしれない。そう思いながら、一口お茶を啜った彼は口を開いた。

「お前は、月見とハロウィン、どっちが好きなのかって考えてた」

「お月見とハロウィン、ですか?」

目を瞬かせる彼女に、相澤は今朝のことを話し始めた。

 朝、相澤が教室に入れば、既に登校していた山田が他の生徒たちの輪から外れて声をかけた。どうもそれまでハロウィンの話をしていたらしい山田は、相澤の彼女もハロウィンが好きそうだと言ってきたのだ。この時期らしい話題だとは思うが、どうも彼女とハロウィンがしっくりとこない。それを考えていた時に、ふと、彼女には月見の方が似合うのではないかと思った。

「そういうことですか」

 くすり、と笑った彼女もお茶を一口含む。そして悩むように"うーん"と眉を寄せた笑みを見せた。

「イベント自体は嫌いじゃないです。ハロウィンはお祭りみたいな感じで見ているだけでも楽しいですし」

「参加したいとは思わないのか?」

「ええ。どちらかというと、消太くんの思ってくれた通り、お月見の方が好きです」

 何となく、浴衣を纏った彼女が月を見上げている姿を想像した相澤はほんのりと顔に赤らめる。

「仮装とか見ているのは楽しいんですけど、やたらと言われるでしょう? トリックオアトリートって」

 ほとんどからかいで言われる彼と違い、彼女の場合、下心で近寄ってくる男にしつこくされるのだろうと、なんとなく想像がついた。

「賑やかなのも好きですが、静かに消太くんと月を見られたら―――」

淡く優しい月の光を思い出させるような美しい微笑みが、たやすく相澤の胸を高鳴らせる。

「―――それが一番です」

あまりにも美しい笑みを直視していることができず、顔を背けた彼の耳は赤く熱を持っている。癖のある黒髪から覗く彼の耳を見た彼女は、とても柔らかに笑っていた。

***

 暑さがなくなり寒い日が続くようになった朝。登校しようと、玄関のドアを開けた彼女は、そこに立っていた彼に目を丸くさせた。

「え? あ、あの、どうしたんですか?」

慌てて近寄ってきた彼女に、マフラーに口元を埋めていた相澤はどことなく不機嫌そうな目で彼女の家のドアを見た。

「先に玄関閉めてこい。鍵かけ忘れるぞ」

「あ、ああ、そうですね」

彼から離れたくなかったのか、彼女は玄関のドアへ目を向ける。すると、それだけでカチャンと、鍵のかかった音がした。どうやら個性で内側から鍵をかけたらしい。

 いつ見ても便利な個性だなと思う相澤の頬を彼女の両手が包む。

「こんなに冷えて……。いつからいたんですか?」

朝や夜は冷え込むこの時期。外にいた彼の頬は冷えてしまっていた。寒さが苦手なくせにとポケットに忍ばせていたカイロで手を温めながら、彼女は相澤の顔や耳に触れていく。

「……菓子、用意してんのか?」

「え? お菓子、ですか?」

 首を傾げた彼女に、用意してきたそれを差し出す。それを受け取った彼女はまだ意味が分かっていないようで、それを見ながらさらに首を捻った。

「今日、ハロウィンだろ。なんか言われたら、それ渡せ」

 照れくさそうな顔をしている彼が、自分の為にわざわざお菓子を用意し、こんなに寒い朝から待っていてくれたことが、彼女の胸を嬉しさでいっぱいに満たす。

「ありがとうございます」

細めた目元を赤らめた彼女は、顔を背けている彼の手を取る。ポケットに突っ込んでいた手はホカホカと温かい。

「大好きです。消太くん」

目を見開いた彼は、きゅっと口を引き結んでから小さく開いた。

「俺も……」

 離そうとする彼女の手をしっかりと握り直す。驚いている彼女に気づきながらも、素知らぬ顔で相澤は歩き出した。

***

 放課後に自主トレをする相澤と一緒に帰ることはなかなかない。それでも今日は待っていようと、彼女は校門の近くで彼のことを待っていた。

 すっかりと暗くなった中、一人歩いてきた相澤は校門近くで立っている彼女を見つけて駆け寄る。そして眉間にしわを寄せた。

「こんな時間に何やってんだ」

「勝手に待ってたんです。どうしても直接お礼が言いたくて」

 叱られると分かっていたからか、彼女は苦く笑った。寒く暗いこの時間、いくら雄英生で優秀なヒーロー科の生徒である彼女に何かあったらと考えると彼は不安から僅かに苛立ってしまう。

「礼なんか、いらない」

「消太くん……」

縋るような抱きしめ方は、彼女に何もなかったことに心から安心しているようだった。そろそろと抱きしめ返した彼女は、彼の胸元に顔を寄せる。

「不安にさせて、ごめんなさい」

 苛立ちも不安の理由も理解してくれた彼女の頭に顔を寄せた相澤が小さく頷く。この愛おしい存在を失ってしまう恐怖から逃げるにはまだ強さが足りないのだと改めて実感していた。

「待つなら、寒くないところにいろよ」

「はい」

 体を離すころには、寒さで冷えきっていた彼女の体に、自主トレで温まった相澤の熱が移ったようで、すっかりと温まっていた。

「ふふ、あったかくなりました」

 見上げてくる嬉しそうな顔に、ドキドキしているのを悟られないよう彼は顔をふい、と逸らす。

「帰りましょうか」

「ああ……」

 歩き出してすぐ、相澤は横目で彼女を見た。ただ一緒に歩いているだけだというのに、幸せそうに顔を緩ませている彼女。この顔をさせているのが自分だと思うと、じわりと相澤の胸にも嬉しさが広がった。

「あ、そうでした。消太くん、今朝はお菓子をありがとうございました」

 凄い効果でしたよ、と笑う彼女に彼は首を傾げる。

「教室に入ってすぐ言われたんです。トリックオアトリートって。でも、消太くんにもらったものを渡したら、もう言われませんでした」

思い出しておかしそうにくすくすと笑う彼女に相澤は少しだけ不満そうに下唇を突き出した。

「サルミアッキ、旨いだろ」

「まあ、人によりますね」

 彼女も美味いとは思わないのか目を逸らしている。あの飴がなかなか人に受け入れられないことは理解しているが、自分が美味いと思っているものが嫌われるのは寂しいものがあった。

 もう一度隣を歩く彼女を見れば、ふと、小さな悪戯心が芽生えた。

「トリックオアトリート」

「え?」

 目を丸くさせる彼女の顔を覗き込む。じわじわと顔を赤らめていく様子に、彼の口元が弧を描いた。

「菓子、ないのか?」

「……ないって言ったら、どうなります?」

本当は彼にもらったサルミアッキが一箱残っている。しかし、これは今日の思い出に、もう少しだけ自分の元に残しておきたかった。

「イタズラだな」

 す、と近づいてきた相澤の顔に驚いた彼女が目を瞑る間もなく、軽く唇が触れ合った。真っ赤になった彼女に彼は、ふっと小さく笑う。

「消太くん……」

小さく呟いた彼女に制服の裾を引かれた。顔を向ければ、上目で見てくる彼女に相澤は息を呑む。

「トリックオアトリート」

 目を見開いている彼に、彼女はいたずらっぽく口元を笑わせた。

「ないんですか? お菓子」

「ない……」

 何とか口を動かした答えに、彼女は知っていたとばかりに笑みを深くさせる。背の高い相澤の耳元に口を寄せる為、彼女はすっとつま先立ちをした。

「じゃあ、悪戯をしないと、ですね」

鼓膜を震わせた彼女の小さな声。それは彼の背中をぞくぞくとさせるには充分だった。近寄ってきた彼女の整った顔に、ゆっくりと彼は目を閉じる。しかし、待っていても思った感触なく、手が取られた。

「手、繋いでください」

「………」

 今回は出し抜いたはずだった相澤は悔しさで下唇を突き出す。こうも毎回彼女にからかわれてばかりいるのは面白くなかった。

「キスされると思いました?」

図星をつかれた彼はだんだんと顔を赤くしていく。おかしそうに口元を隠して笑う彼女に、してやられたのは悔しいが言い返せない。

「……トリックオアトリートって同じ相手には一回だけなんですかね?」

 その言葉の裏にある意味は、考えなくとも分かった相澤はぎゅうっと繋いだ手に力を込めた。

「ハロウィンなんかに乗っからなくても、する」

"もう一度キスしてほしい"というのを感じ取ってくれたのが嬉しかった彼女も彼の手をぎゅっと握った。

 誰もいない道を手を繋いで歩く二人を、空に輝く月だけが見守っていた。
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