112020/09/01〜
彼女と一緒に過ごしていて、育ちの良さを感じる瞬間はいくつもある。今も、相澤はそれを目の当たりにしているところだった。
「え? 食べながら歩くんですか?」
思いもしなかったという声音に、相澤も山田も固まった。
八月も終わったとはいえ、変わらぬ暑さ。何もしていないのに汗が流れて仕方がない状態をどうにかしようと、偶然居合わせた山田と共に二人は帰り道のコンビニに入った。
「買い食いって、そういうもんだろ……?」
きょとん、としている彼女から確かめるように山田の視線が相澤へ向けられる。サングラスの奥から"そうだよな? 俺の認識おかしい?"と訴えてくる山田の目を一瞥して、相澤は彼女を見た。
「したことないのか?」
「ありません……」
食べるときに座るのは当たり前じゃないのかと、若干困惑しているのが見て取れる。そういえば、と相澤には思い当たることがあった。
先日行った夏祭りでも、彼女は買ったものを歩きながらは食べなかった。きちんと座れる場所を探し、二人で座って焼きそばやたこ焼き、りんご飴にわたあめを食べたのだった。
あの時は、花火を落ち着いて見る為だろうと思っていたが、元々歩きながら食べるという選択肢がなかったことには、今さらながら驚く。
「んじゃ、俺らと一緒にワルイコトしよーぜ!」
大きな口を開けて笑う山田に彼女は目を丸くさせる。そして、おかしそうに口元に手を添えて小さく笑った。
「悪い先輩ですね」
歯を見せて笑う山田を横目に見ながら相澤は目についたアイスへ手を伸ばす。コンビニの背の低いアイスケースから目的のものを取り出した相澤は、じっと向けられている視線を感じた。その視線の主はもちろん彼女で、黒い目は相澤の手元に注がれている。
「なんだよ」
こんなスーパーや駄菓子屋にも売っていそうなありきたりなアイスが珍しいはずはない。しかし、この物珍しそうな彼女の目を見ていると、まさかという気持ちも湧き上がってくる。
「二つ入ってるんですね。そのアイス」
興味津々とばかりに見ていた彼女は、アイスケースを覗き込んだ。
「いろんなものがあるんですね」
「……お前、コンビニ入ったことないの?」
相澤が思っていることが山田の口から飛び出す。アイスケースを見ていた彼女は、整った顔をムスッとさせて山田を見上げた。
「そんなわけないじゃないですか。ありますよ、五回くらい」
「五回……」
世間知らずみたいに言わないでください、と口を尖らせた彼女がまたアイスケースを覗く。不機嫌そうだった顔は、色々な種類のアイスを見ているうちに機嫌が直ったようで、楽し気なものになっていた。
「オイ、相澤……」
アイスを見ている彼女に背を向けて強引に肩を組んできた山田を鬱陶しく思いながらも、相澤の顔は普段通り愛想はない。
「前から思ってたけどよォ、たまァにズレてるよな?」
「……箱入り娘なんだろ」
彼女がいいところのお嬢様だったことは知っているが、わざわざ教えてやることもない。ちらりと、彼女を見れば候補を二つには絞れたようで、それぞれを見比べている。すぐに決めることができたようで、彼女は選んだ一つを持って相澤たちへ近づいた。
「山田先輩は決まりましたか?」
「Of course! 今日の気分はコイツだァ!!」
アイスケースにズボッと手を突っ込んだ山田を相澤がうるさいと睨みつける。
ワリィワリィと謝る山田が持つアイスに彼女の視線が張り付いている。このままだと、また迷いだしそうな気がした相澤は彼女の手を引いて会計をすませた。
***
「あの、ごちそうになっちゃいましたけど、いいんですか?」
首を傾げている彼女の艶やかな黒髪が流れる。コンビニの外は、ムッとする暑さで息をするのも嫌になるほどだというのに、彼女は驚くほど涼し気に見えた。いつも彼女の周りだけ気温が何度か低いのではないかと思わされるほどだ。
「いつも弁当作ってもらってるから、これくらいはな」
確かにそれもある。しかし、本当は、夢中になってアイスを選ぶ彼女が可愛くて、つい買ってやりたくなっただけだった。
「ありがとうございます」
嬉しそうに顔を綻ばせた彼女に、照れくささで相澤は顔を背ける。これで二人きりであれば手くらい繋ぎたいところだった。
「んじゃ、早速、ワルイコトして帰ろうぜ」
「え? ああ、はい!」
遅れてコンビニから出てきた山田へ彼女が思い出したように頷いている。アイスのことで頭がいっぱいになって、すっかり忘れていたことは隣にいる相澤にはお見通しだった。
当たり前のようにアイスを取り出した山田と相澤の後ろを歩きながら、彼女は両手でアイスを持ったまま開けようとしない。好奇心と後ろめたさで困惑しているのを見て取った相澤は、歩調を緩めて彼女の隣にくる。
「無理しないでいいんだぞ」
「無理ってほどじゃないんです」
その、と言いづらそうに彼女の口が動く。困ったような顔に赤みが差しているのは恥ずかしさなのか暑さのせいなのかは分からない。
「緊張、しちゃって……」
足を止めた彼女は、周りを見てから、ずっと両手で持っていたチアパックのアイスの口を開ける。パキパキと音を立てて開けたアイスにすぐ口をつけることはせず、先を歩いて行ってしまっている山田を追いかけた。
「ドウヨ! ワルイコト!」
アイスを齧りながら振り返った山田は、思ったよりも相澤たちと距離が出来ていたことに足を止める。どうりでさきほどから相槌がないはずだ。
「あ、はい! ドキドキします!」
ぼうっとしていて授業中に指名されたように、ハッと顔を上げた彼女を相澤が呆れた目で見ている。
「まだ食ってないだろ」
「でも、キャップ開けちゃいました」
母親にバレたら怒られると思っている子どものような反応がおかしくて、相澤の口元が微かに緩む。その笑みは彼女にしか見えず、山田は一切気づかなかった。
「ほら、その場で食ってみろ!」
ほらほらと急かしてくる山田に負けた彼女が、窺うように相澤を見る。二つ入りアイスのうち、片方をあけた相澤は彼女に見えるようにそれに口をつけた。じっと、その様子を見ていた彼女は思い切ってアイスに口をつける。
「美味いだろ?」
固く目を閉じている彼女に、山田は歯を見せてニヤニヤと笑う。恐る恐る目を開けた彼女は、目をパチパチと瞬かせてから、長く息を吐き出した。
「あの、緊張で味がよく分かりません……」
「マジかよ!」
何をそんなに緊張することがあるのかと思うが、こればかりは個人の感覚で仕方がない。
「ま、そのうち慣れんだろ」
行こうぜ!と先を歩き出した山田の後を二人が歩く。
比較的無口な相澤と、聞き手に回ることの多い彼女と一緒にいるとき、いつも話の中心にいるのは山田だった。普段は途切れることのない相槌が、また段々と少なく遠くなっていく。
不思議に思った山田が振り返ると、相澤と彼女は少し離れた位置に立ち止まっていた。
「何してんだァ?」
何かあったのかと相澤たちの元に寄れば、彼女は申し訳なさそうに顔を上げる。
「す、すみません。なかなか難しくって……」
「何が難しいんだよ?」
意味が分からないでいる山田が首を傾げると、ずっと様子を見ていた相澤が口を開く。
「食うのと歩くのを同時にするのが難しいらしい」
「……そんな奴いんのかよ」
信じられないと言わんばかりの目をしている山田へ"ほれ"と相澤が彼女を指さす。その信じられない奴はここにいるぞと言われていることなど知らず、彼女は難しい顔をしていた。
***
彼女の家に泊ることになっている相澤は山田と別れ、彼女と二人で歩いていた。とっくに食べ終わった二人と違い、彼女は解け切ってしまったアイスを懸命に啜っている。
彼女としては歩いたまま食べているつもりなのだろうが、アイスに口をつけるたび足が止まっていた。そのたびに、相澤は彼女を端へ移動させたり、歩行者との間に立って、ぶつからないように気を配っていた。
「食べ終わりました!」
嬉しそうに顔を上げた彼女に幼さを見た相澤が微笑む。一生懸命にやりきった子どものような表情は、彼女の上辺しか知らない奴らからすれば意外に見えるだろうと思うと、優越感のようなものが胸を満たした。
「楽しかったか?」
「うーん……」
優しい表情をしている相澤に訊ねられた彼女は悩みながら目を伏せる。そして、ゆっくりと目を開けると困った顔で笑った。
「楽しいことは楽しかったです。でも、もういいかなって」
ゴミになってしまったアイスを両手で持ちながら恥ずかしそうに頬を染める彼女の横顔。それを見ながら、相澤は首を傾げた。
「何回やっても難しいし、恥ずかしいし、私には向いてないみたいです」
歩き食べをしている人間なんかいくらでもいる。決して行儀のいい行為ではないし、批難されることはあれど褒められる行為ではない。それを否定することなく、"自分には向いていない"という彼女に、彼女らしさを感じた相澤はフッと笑った。
「でも―――」
す、と距離を詰めた彼女は相澤の耳元へ口を寄せる。鼓膜を震わせた内緒話に、相澤の顔は一気に赤く染まりあがった。
"また、イケナイコト、教えてくださいね"
勢いよく振り向いた相澤に彼女はクツクツと顔を背けて笑っている。またからかわれていると悔しそうな顔をする相澤の手を、彼女の小さな手が取った。
にこ、と微笑まれれば、それだけで先ほどの悔しさも勢いがなくなって消えていく。
「行くぞ」
「はいっ!」
嬉しそうな彼女の手を相澤から握る。楽しさと嬉しさが混ざり合った笑みを浮かべる彼女を直視することができず、彼女の家に着くまで相澤はそっぽを向いていた。