92020/07/01〜

『結んで、ほどいて』の三人
 大人からすれば小さなもの。しかし、女の子にしてみれば、それはとても大きなものだった。
保育園で迎えを待つ女の子は、それを抱えるようにして座り、相澤か彼女が来るのを今か今かと待っている。

 春に植えたそれは、子どもたちの努力だけでなく、保育士たちの大きな手助けもあってすくすくと育った。初めて自分で育てた植物から得られた実。これを見せたら、二人は喜んでくれるだろうかと考える。どんな顔をするんだろう、何を言ってくれるんだろうと、そわそわしながら、抱えているものに頬を寄せた。

 副担任に声をかけられると、女の子は青みがかった白い髪を揺らして立ち上がる。そして迎えにきた相手を見て、嬉しさで頬を染めてかけよった。

「消ちゃん! お姉ちゃん!」

 ぱたぱたと走ってきた女の子に彼女はにっこりと笑って迎える。そして抱えているものを見て首を傾げた。

「どうしたんですか? それ」

「これね、大きくなったから持って帰っていいって!」

見えるように掲げてきたのは、立派な小玉スイカ。興奮交じりの説明では、何を言いたいのかよく分からなかった。

「グリーンハンドって個性の先生がいて、いろんな野菜や果物を毎年作るんですが、今年は小玉スイカを作ったんです。子どもたちが一生懸命、お世話して作ったのでたくさん話を聞いてあげてくださいね」

副担任の須々木の説明で、どういうことなのか理解した彼女がなるほどと女の子から視線を戻す。彼女に見られた須々木は、ドキッとしたのか急に顔を赤らめた。

「え、えっと、今日は他にもスケッチブックにたくさんお絵描きしてて、お姉ちゃんの好きなものってお団子の絵を描いてました」

「そうなんですか? 帰ったら見せてもらいます」

楽しみにしている彼女の雰囲気が柔らかい。さらりと流れた髪を耳にかける仕草に、須々木はいつも以上にドキドキとしてしまう。"あの"ともっと話そうとしたとき、淡々とした声が割り込む。

「あの、まだお話続きますか?」

 もちろん二人の会話に割り込んだのは相澤で、いつもの気だるげな目を須々木に向けていた。じっと見てくる彼の足元には女の子がいて、早く話が終わらないものかともじもじとしている。

「す、すみません!! あの、それじゃあ、気を付けてお帰りください」

「ありがとうございます。失礼します」

「先生、さよなら」

女の子と同時に相澤も頭を下げる。そして、三人は揃って歩き出した。

 見送る須々木に、"あのね、あのね!"とはしゃいで話している女の子の声が微かに聞こえてくる。先日、苗字が変わり、女の子も彼女も"相澤"になってしまった。分かりきっていたことなのに、初めて知ったときには胸が痛んだ。

今も、隣を歩く相澤を見る彼女の目が明らかに恋をしているそれで、須々木の胸はやはりぎゅうぎゅうと痛んでいた。

***

 偶然、帰りが重なった相澤と彼女はどうせならと、一緒に保育園のお迎えへと向かった。

「今日ね、消ちゃんとお姉ちゃんが一緒に来てくれて、すっごい嬉しい!!」

「私も、消太さんと一緒に迎えに行けてすっごく嬉しいです」

ふふ、と笑い合っている彼女たちに挟まれている相澤は、気だるげというよりも納得がいかないとばかりに不満そうに顔を引きつらせている。

「オイ」

「どうしました?」

首を傾げた彼女の髪が揺れる。分かっていてわざと気づかないふりをしてるのを見抜いている彼は、眉間にしわを寄せた。

「なんだコレ」

「何かおかしいですか?」

 三人で手を繋いで歩くことに不満はない。ただ、どうして自分が間で彼女と女の子に手を繋がれているのか納得がいかなかった。

「普通、俺たちは外側だろ」

「だって、スイカ離したくないって言うんですから仕方ないでしょう?」

一番歩道側を歩いている女の子は片手でスイカを抱え、もう片方を彼と手を繋いでいる。

「……それとも、私だけ仲間外れで、二人の後ろを歩けばいいですか?」

 寂し気に言っているのは、わざとだ。こうして自分をからかっているのだと相澤には分かるが、まだ幼い女の子には分からない。

「消ちゃん……」

なんでそんな悲しいことを言うの?とばかりに見てくる女の子に、彼はぐっと押し黙る。

「消太さんのこと、大好きだから私も手を繋いでいたいのに……」

ぐすぐすと泣きまねまで始めた彼女に、女の子は慌てて相澤の手を引く。

「しょ、消ちゃんっ……!」

どうしようと彼と彼女を交互に見ては、あわあわと口を閉じたり開いたりしている女の子は泣き出しそうなほど困惑しきっている。
これは自分だけでなく、女の子の反応もからかっているか、女の子の反応も使って自分をからかっているかのどちらかだ。口を引き結んだ相澤は、しばらくすると諦めたように大きく息を吐き出した。

「二人と手を繋げて嬉しいデス」

 酷く棒読みで心なんて微塵もこもってなさそうな口調。それでも満足なのか、それとも、嬉しいというのは彼の本音であるということを見抜いているのか、彼女はにっこりとした笑顔を相澤と女の子に見せた。

「ふふ、よかったです」

 夕暮れの赤い日差しの中で見せた彼女の笑みに、彼の胸は大きく一つ跳ねる。この幸せそうな笑みが、少し前まで胸の中に居座っていた不機嫌を甘く溶かしてしまう。

(ズルい)

結局何をしても、彼女に微笑まれれば許してしまう。ため息を吐く直前に、小さな手が相澤の手を引く。

「よかったね、消ちゃん」

 嬉しそうににこにこと見上げてくる女の子の顔は彼女によく似ている。二人の前では、誤魔化しも嘘も吐けない彼は、首に巻く捕縛武器の中に口を埋めると"ああ"と短く返事をした。

***

 帰宅してすぐ、女の子は相澤と風呂に入った。その間に彼女はこの日の為に用意していたものを脱衣所に置くと食事の支度に戻る。

 ここのところの暑さで食欲が少しずつ落ちている女の子もこれなら食べられるだろうかとあれこれと用意していた。

 脱衣所から話し声が聞こえる。何を言っているのかは聞こえないが、きゃっきゃっと喜んでいるような女の子の声が聞こえてきて彼女も嬉しそうに表情を綻ばせた。

「お姉ちゃん!」

リビングに飛び込んできた女の子は彼女の前に来ると両手を広げる。

「こ、これ! いいの!?」

「もちろんです。気に入ってくれましたか?」

嬉しさで着ているものを抱きしめてから、女の子は彼女にぎゅうっと思い切り抱き着いた。
 白地にピンクの花柄の甚平は、女の子にとてもよく似合っている。それを喜んでくれたことが嬉しくて彼女も女の子を抱きしめ返した。

「おい、まだ髪乾かしてないだろ。戻ってこい」

 追いかけてきた相澤の手には、可愛らしい猫のキャラクターのタオルがある。どうやら嬉しさ余って髪を乾かすのもそこそこに彼女のところまで来てしまったらしい。

「きちんと髪を乾かさないと風邪を引いてしまいますよ。消太さんに乾かしてもらってきてくださいね」

「わかった」

走っていく女の子の背中を見てから、顔を上げた彼女と相澤の視線がぶつかり合う。微笑まれれば、彼の目も無意識に細められた。

 微笑み合う二人を見た女の子の胸がポカポカとしてくる。幸せそうな二人の傍にいると、いつも女の子の心はいつもあたたかくて仕方なかった。噛みしめるように両手を胸の前で握り締める。

「どうした?」

首を傾げて様子を見てくる相澤に顔を上げた女の子は慌てて首を振る。まだ、この胸のポカポカを表現する言葉を女の子は知らない。

「ううん、何でもない。これ、好きだなって思ったの」

彼女の前でしたように相澤にも両手を広げて甚平が見えるようにする。実際、これも胸のポカポカに関わっているのは間違いない。

「……それ、手作りだ」

「手作り?」

こてん、と首を傾げた女の子の目線に合わせて彼が膝を折る。

「タグがないからな」

 小さな頭にタオルをかぶせた相澤は、自分が来ている甚平にはタグがあったことを思い出す。夜な夜な隠れて何かを作っていたのはこれだったのかと納得した彼は、まったくと目だけをキッチンにいる彼女に向けた。

「お姉ちゃんの、手作り……」

可愛らしい手提げバッグを作ってもらったときも嬉しかったけれど、こうして着るものを作ってもらった嬉しさはまた別物だった。俯いて胸元を握り締めている女の子が喜びを噛みしめているのを見ながら、相澤は小さくフッと笑う。

「あとでお礼言ってやれ」

「……うん」

 上げてきた顔はやはり赤い。撫でてやると、くすぐったそうに笑う顔を可愛らしく思った。

「消ちゃんのも手作り?」

「俺のは既製品」

 同じく相澤に用意されていたそれは、黒地に細いグレーのストライプの甚平。きっと今日の為に用意していたんだろうと彼には思い当たるものがあった。

「きせー?」

「お店に売ってるやつ」

 俯いた女の子が、自分だけ作ってもらったものをもらってしまっていいんだろうかと考えているのが簡単に想像できる相澤は、やれやれと思いながら小さな頭にポンと手を置いた。

「俺のはデカいから、作るのも大変だからお店で売ってるモンでいい。それに、アイツが俺に選んでくれたのは変わらないだろ」

だから嬉しいんだとは言葉にはしなかったが、じぃっと見つめてくる女の子にはそれが分かったのか、うんと頷く。

「お姉ちゃんが選んでくれて嬉しいの、分かる。でも、消ちゃんが選んでくれても嬉しいよ」

 気恥ずかしそうにしている女の子は、もじもじと爪先を擦り合わせる。それが可愛らしくて"そうか"と言いながら、相澤はもう一度小さな頭を撫でた。

***

 夕食はそうめんだった。ピンクや緑色の麺の混じっているのが食べてみたくて、女の子はいつもよりも少しだけ欲張って食べてしまった。

「お姉ちゃん、あれ美味しかった。ちゅるちゅる」

「どれでしょう? オクラかな? なめたけかな?」

「とろろだろ」

女の子よりも早く相澤が答えると、彼女は彼を見ながら目を瞬く。そして、目の前の女の子に首を傾げて訊いてみた。

「えっと、白いふわふわしたやつですか?」

「うん! あのちゅるちゅるしたの好き!」

両頬を押さえている様子で、よっぽど気に入ったのだと分かる。とても可愛らしい仕草に、彼女の心は和んだ。

「消太さん、よく分かりましたね」

「ちょうど食うとこ見てたからな」

 とろろをかけたそうめんを口に含んだ瞬間、女の子は目を見開いていた。目をパチパチとさせながら、とろろを見つめていたかと思えば、パァっと明るくなった表情を思い出した相澤の目が僅かに優しくなった。

 ヒューッと口笛のように甲高い音のあと、ドンッと響いた大きな破裂音。ビクッと体を震わせた女の子と違い、彼は窓際に移動してベランダのカーテンを開いた。

「ギリギリ見えるな」

「先に見ててください。用意してきます!」

キッチンでバタバタと動き出した彼女を見ている女の子を相澤が手招きする。外から聞こえる音に怖がりながら、女の子は一歩一歩ゆっくりと彼の元へ近づいた。

「ほら、見てみろ」

ひょい、と軽く抱き上げられた女の子は窓の外へ視線を向ける。暗くなった空に咲く大きな花。その鮮やかさに女の子は瞬きを忘れて見入っていた。

 しばらく花火を見入っていると、パチッと部屋の照明が落とされ、外の打ち上げ花火がより見やすくなる。照明を落とした彼女は、トレーに食べやすく切ったスイカを手に相澤と女の子の傍に立つ。

「見てください。ほら、黄色だったんですよ」

女の子のスイカはとても綺麗な黄色をしていた。抱っこされたまま、スイカを見ている女の子に、彼女はふふっと小さく笑う。

「スイカは色の違いで甘さが違うんですよ」

「そうなの?」

「ええ、半分残してありますから、明日赤いスイカを買ってきて食べ比べしませんか?」

とても楽しそうな提案に、うん!と元気よく頷いた女の子は、ドン!と花火の破裂する音に驚いて相澤にしがみつく。

「ほら、外見てれば怖くないだろ」

 言われた通りに外を見てみれば、ヒューッと音を立てて花火が空に上がっていく。パッと広がった花が、パラパラと音を立てて消えていった。

「綺麗ですね」

隣に立つ彼女を改めて見てみると、先ほどと違い、淡い水色のシュシュが高い位置で綺麗な黒髪を括っている。そして、彼女の服装も変わっていた。

「お姉ちゃんも甚平着たの?」

「これは浴衣です。ほら、下がズボンじゃないでしょう?」

 白地に青い朝顔が描かれた浴衣に見覚えのある相澤は、初めて見た日と同じように彼女の姿に見惚れていた。そして、すぐに赤くなっている顔を見られたくなくて背ける。

「来年は浴衣を作りますから、楽しみにしててくださいね」

「うんっ!」

嬉しそうに頬を赤くさせる女の子は、もう花火の音に驚かない。にっこりと笑う顔に、彼女の目が優しく細められた。

***

 花火の後、スイカを食べた女の子はリビングでぐっすりと寝入っていた。安心しきっている可愛らしい寝顔に小さく微笑んだ彼女は、お昼寝用のタオルケットをかけてから、ベランダに出ている相澤の隣へと戻る。

「たまにはいいですね。こういうのも」

「ああ……」

部屋の中は暗く、差し込むのは満月の淡く優しい光だけ。ベランダに出ている二人は、月を見上げて寄り添っていた。

「とろろ、そんなに美味しそうにしてたんですか?」

「まあな」

月を見上げている彼の横顔を見つめる。無造作に束ねた髪に、通った鼻筋、無精髭ですら愛おしい。
 優しい声で名前を呼んできた相澤の肩に、彼女はおもむろに頭を寄せた。

「あの子のことだけじゃなくて、私のことも見ててほしいものです」

冗談半分、本気半分で言ってみた言葉に返ってきたのは思ってもないもので、彼女の目は丸くなる。

「なら、俺のことも見てろ」

え?と顔を上げた瞬間、彼女の唇は奪われる。目を閉じる間もなく、唇を離した彼は月明かりの中、とても穏やかな表情をしていた。

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