楽しみを紡ぐ日々

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 小学校に響く放課後を知らせるチャイム。キャラメル色のランドセルをしっかりと背負った女の子は慣れた足取りで教室を出る。

「雪乃ちゃん、また明日!」

「うん、バイバイ」

下駄箱でクラスメイトと挨拶を交わした雪乃は、校庭を歩き出す。自分と同じように家に帰ろうとしていたり、習い事に向かおうとしていたりする児童を見ながら名前も校門を向かった。

 雪乃の背負うランドセルに一年生特有の黄色いカバーはない。一年生のときよりもしっかりと背負えているのも当然だった。

雪乃は小学三年生になっていた。学校生活にも十分に慣れ、知らない先生もほとんどいない。方向音痴は治っていないものの、通学路に心配もなかった。

 通い慣れている道の途中にある公園では、同じ小学校の子どもたちが寄り道をして遊んでいる。名前も、こっそりと公園に入って、隣接する家の窓をじっと見上げた。

他の子たちと遊ぶわけでもなく、ずっと隣の家の窓を見ていると、女の子の目的の相手がひょっこりと顔を出す。その子と目が合うと雪乃は嬉しそうに"あっ"と短く声をあげた。

 ガラスの向こう側にいるその子の声は聞こえない。しかし、口を動かしていることから、何か話しかけてくれているような気がした。嬉しくて笑ってみれば、雪乃を見つめている相手はゆっくりと瞬きをする。穏やかな眼差しを向けてくれるのが嬉しくて、雪乃の頬が緩んだ。

「あ、相澤……!」

 声をかけられた雪乃が振り返ると、そこには同じクラスの男の子がいた。男の子は手にしたボールを弄りながら言いにくそうに、雪乃をチラチラと見る。

「なあに?」

首を傾げた雪乃の青みがかった白い髪が揺れる。さらさらと流れるその髪は、傷みなど知らなさそうだ。

「えっと、ドッジやんない? ほら、お前、ボール投げんの、上手いから……」

一度雪乃と目を合わせた男の子は、真っ赤にさせた顔を背けた。

「寄り道とは感心しないね。小学生は真っ直ぐおうちに帰りなさい」

 いつの間にか、二人の間にしゃがみ込んでいた男は、折った膝に頬杖をついて、気だるそうな目を向けている。ぎょっとした男の子は、雪乃を庇うように彼の前に出た。

「だ、誰だよ、オッサン!! 怪しいんだよ!!」

「大丈夫だよ」

そう言いながら雪乃は男の子の背中から出て、不審者と罵られた男の傍へ寄る。そして立ち上がった彼の手を当たり前のように取った。

「あ、相澤、危ないって!」

「危なくないよ、だって私のパパだもん」

「ドーモ、雪乃の父親です……」

いつも雪乃がお世話になってますと、どことなく威圧的な相澤に、男の子は恐怖で体を強張らせる。

「え、あ? 相澤のお父さん……?」

ポカンとしている男の子が、気だるそうにしている彼を恐る恐る見上げると、"君にお父さんと呼ばれる筋合いはないよ"と言わんばかりの視線が返ってきた。その視線に怖気づいた男の子は、じりじりと後ずさる。

 男の子が一方的に睨まれているのに気づかず、雪乃は相澤の手を小さく引いた。

「ねえ、消ちゃん、見て。あの子、最近仲良くなったんだよ」

小さな指の示す先にいるのは、窓ガラス越しの猫。雪乃を見つめているサビ猫は、にゃあ、と声をかけているのか小さく口を開いている。

「どんな声してるのかな? 雪乃の声、聞こえてるかな?」

「猫の耳は犬よりもいい。雪乃の声もちゃんと聞こえてるだろ」

 ぽん、と小さな頭を撫でてやると、雪乃は、そっかと嬉しそうに相澤を見上げてから、猫へと視線を戻す。雪乃が手を振るとそれが二人の合図なのか、サビ猫は窓辺からスッと姿を消した。

 お前もちゃんと帰れ、と相澤が声をかけようとすると、雪乃は、ベンチで膝を抱えている女の子を見ていた。じっと見ていたかと思えば、雪乃はその子へと駆け寄る。

 先ほど雪乃に話しかけてきた男の子をチラッと見た、ベンチの女の子はため息を吐いてから、頬を膨らませて唇を突き出した。その子に雪乃が声をかけると、表情を明るくさせ、にこにこし始める。女の子のランドセルには、一年生の証拠である黄色いカバーがかけられていた。

 何を話しているのか、相澤には分からない。しかし、雪乃が自分より小さい子に優しくしているところを見るのは感慨深かった。

ランドセルから折り紙を取り出した雪乃は女の子に何か折っている。ランドセルの上でテキパキと完成させたそれを、差し出された女の子は目をキラキラさせながら受け取った。

 しばらく話していると、例の男の子が雪乃たちの元へとやってきて、女の子に文句を言われている。頭を掻きながら、男の子は渋々ランドセルと背負うと女の子と一緒に帰り始めた。振り返った女の子に手を振られて、雪乃も手を振り返している。

二人が公園を出て行くまで見送っていた雪乃は、少し寂しそうに視線を落とすと、思い出したように顔を上げてベンチから立つ。

戻って来た雪乃は、気まずそうに相澤を見上げた。

「あの、ごめんなさい。寄り道して……」

「なんで寄り道なんかしてんだ? 最近、帰りが遅いって名前が心配してるぞ」

自分を見下ろしてくる彼の目は怒っていない。向けてくる目は普段と変わらずに凪いでいた。

「最初は、さっきの猫見てて……。猫とは、ちょっとお話したらバイバイしてたんだけど、あの子、いつもお兄ちゃん待ってるから……」

「一緒に待ってるのか?」

うん、と頷いた雪乃は言いにくそうに口を開く。ぽつりと溢した呟きに、相澤は目を見開いた。

「一人は、寂しいから……」

 俯いたままの小さな頭を相澤の手が大きく包む。優しく何度も撫でてやりながら、彼は雪乃に優しい表情を向けた。他の子にこの子が優しくできていることが、誇らしいような気持ちに彼の胸は満たされている。

「お前が誰かに優しくしてやれたのは、俺としても嬉しい。でも、名前に心配かけるなよ」

「はい……」

しゅんとして俯いている雪乃に小さくため息を吐いた相澤は、頭を一つ掻いた。心配をかけたことを、きちんと反省しているのは見れば分かる。

「……帰るぞ」

「消ちゃんも?」

「途中までな」

うん!と嬉しそうに頷いた雪乃と相澤は自然と手を繋いで歩き始めた。

***

 夜。既に雪乃は眠っている時間に、相澤が帰宅した。玄関まで出迎えた名前は、彼の表情を見て心配そうに眉を寄せる。

「おかえりなさい。何かあったんですか?」

難しそうな顔をしている相澤が彼女を見ると視線を下げた。

「雪乃は、もう寝てんのか?」

「ええ、随分前に寝ましたから今日は起きないと思います」

 雪乃が起きていてはできない話なのだと察した名前の目に、すっと真剣みが宿る。

 黙ってしまった彼が何かを考えているのを見抜いた彼女は、とりあえずと小さく笑いかけた。

「先にお風呂で汗を流してきてください。ご飯の支度、しておきますから」

名前に気を遣わせてしまったことを、申し訳なく感じながら眉間にしわを寄せた相澤はため息をつく。

「ああ。頼む」

 難しそうな顔をしたまま相澤は浴室へと向かう。その背中を名前は、心配そうな目で見送ることしかできなかった。

***

 食事を済ませた相澤は、いつも名前が淹れてくれる食後のお茶を手にしながら、まだ黙ったままだった。洗い物を終えた彼女は、様子を窺いながら彼の隣に腰を下ろす。

 なかなか話し出さない相澤を急かすことなく、名前は体を寄せたまま何も言わなかった。

「……今日、道草食ってた雪乃と途中まで帰った」

「雪乃から聞きました。公園の猫を見ていたり、クラスメートの妹と、クラスメートが遊び終わるのを待っていたりして遅くなっていたって」

前を向いたままの彼の横顔を見つめる。悩んで、困っているような相澤から視線を外した名前は自分の湯呑へ目を落とした。

「帰り道で、言われた」

「何をです?」

 首を傾げる彼女を横目にみてから大きく息を吸う。そして彼は、ぎゅっと眉間にしわを寄せて彼女の顔を見た。

「……弟とか妹っていいねって」

恥ずかしさで目元を赤らめている相澤に、名前は目を瞬いた。きょとん、としてから、彼女は彼が言いにくそうにしている真意を口にする。

「つまり、兄弟が欲しいってこと、ですか……?」

 口にすると改めて自覚させられた。ぼんやりとしか想像していなかったことを、しっかりと理解すると彼女の顔もどんどんと赤く染まっていく。

「どうする」

「え?」

質問されているはずなのに、名前の黒い目を見つめてくる相澤の目には期待がある。

「子ども、もう一人考えないか?」

お互いに子どもが欲しいとは考えていた。ただ、しばらくは三人での生活を大切にしようと、話をしなくともそう思っていた。

「もう、一人……」

 "俺たちの子ども"と彼が言わなかったのは、雪乃が自分たちの子どもだからだろうと思うと彼女の胸はそれだけであたたかくなる。この当たり前のような優しさが好きだと感じながら、彼女は頷いた。

「私も欲しいです」

 伸ばされた無骨な手に促されるように上がる花の(かんばせ)。ゆっくりと目を閉じた二人の唇が当たり前のように重なった。

唇を離した相澤は、近い距離から名前の顔を見る。淡く染まった頬で嬉しそうに微笑んでいる彼女に、彼はフッと表情を和らげた。

「んっ……」

軽く唇を合わせてから、微かに触れたまま相澤の唇が名前の首筋へと移動していく。首筋に何度かキスをすると、彼は彼女の髪に触れた。さらさらと流れていく艶やかな黒髪を耳にかけてやると、相澤はその形のいい耳に口元を寄せる。

「今から、いいよな?」

 こんなに顔を寄せられては、きっと頬の熱さは隠せないだろうと思った名前は、小さく頷く。

「優しくしてくださいね」

彼の方を向いて彼女からキスをする。不意打ちのそれに、固まっていた相澤はみるみると顔を赤くさせると、無言で名前を横抱きにした。

「わっ!?」

いつもよりも早足で寝室に入った彼は、ベッドに下ろした流れで彼女を押し倒す。
天井を背景に見つめてくる相澤の目にある熱。その熱が名前の胸を高鳴らせていった。

「煽った分だけ、覚悟しろよ」

 顔にかかった髪が邪魔だとばかりに掻き上げた相澤はニヤリと意地悪く笑っている。わざと作った意地悪い笑みに、初めて許される行為への喜びが隠されているのを見抜いている名前は、柔らかに笑って彼の首に腕を回して引き寄せた。

「いっぱい、気持ちよくなってくださいね」

言葉を飲み込んだ相澤は、ぐっと唇を引き結んでからため息をこぼす。まったくと思いながら、優しく、強く名前を抱きしめた。

「……お前も気持ちよくしてやる」

 舌を絡めたキスの、くちゅくちゅとした音が二人がいる寝室に響く。優しい熱に溶かされるような快感に彼女は目を閉じた。

***

 玄関のドアが閉じる音。それに続いてパタパタと洗面所に向かった足音が止まると、水の流れる音がした。リビングからその音を聞いていた名前は、くすっと笑う。

 読んでいた雑誌を置いて、廊下とリビングを繋ぐドアを彼女が見ていると、嬉しそうな顔が飛び込んできた。

「ただいまっ!」

「おかえりなさい、雪乃」

出迎えてくれた彼女の優しい微笑みに、にこっと笑い返した雪乃はランドセルを下ろすのも忘れて駆け寄る。

「触っていい?」

「もちろんです」

 膨らんでいる名前の腹に触れた小さな雪乃の手。最初は恐る恐る触れていた手は、普段通り優しく優しくを心掛けて、日に日に大きくなる彼女の腹を撫でた。

「赤ちゃんって声、聞こえるのかな?」

「そろそろ聞こえるようになってくるそうですよ」

そのうち自分の声も赤ちゃんに届くのだろうかと、雪乃は名前の腹に耳を当てる。小さな音も聞き逃さないようにと目を閉じた雪乃の頭を、少し体温の低い手が優しく撫でていく。

「……何か聞こえますか?」

「よくわかんない……」

 音よりも、名前の匂いと温もりばかりを感じてしまい、殆ど走って帰ってきたことも相まって、強い眠気が雪乃にやってきた。

「雪乃?」

「うん……」

何とか返ってきた眠そうな声。苦笑いをしながら、名前は雪乃の体を揺する。

「雪乃、お昼寝するならランドセルは下ろしましょ」

こくん、と頷いた雪乃はその場にランドセルを下ろすと、彼女の傍で猫のように丸くなった。

「ママ……」

「ここにいますよ」

丁寧に頭を撫でてくる手を、しがみつくように両手で握った雪乃は、そこに頭を押し付ける。まるで甘えている猫のような仕草に名前は、また小さく笑うと、もう片方の手で自分の膨らんだ腹を撫でた。

「あなたのお姉ちゃんはお昼寝を始めましたよ。生まれてきたら、みんなでお昼寝しましょうね」

 生まれてきた子と雪乃が並んで昼寝をしている様子を想像した名前の顔に、また笑みが浮かぶ。

 妊娠を知らせた日の名前の、今にも泣いてしまいそうなほど嬉しそうな笑顔を思い出す。そして、同時に思い出すのは、雪乃の後ろで呆けていた相澤のこと。

「きっと、あなたが生まれてきたらパパは嬉しくて泣いちゃうんでしょうね」

いつも雪乃がいる前では、決して抱きしめてくることない彼が嬉しさ余って抱きしめてきたのだから、きっと出産のときにはそれ以上に喜んでくれるんだろう。

 出産に不安がないわけではない。しかし、それ以上に、お腹の中の子に会えるのが名前は楽しみで仕方なかった。

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