それはお互いに

 彼女を初めて見たのは放課後の保健室だった。戦闘訓練でドジって歩けなくなった上鳴を背負って行ったとき、笑顔を向けられて"あ、ヤバイ"と思った。もうそんときには手遅れで、あの笑顔が頭から離れない状態だった。

 彼女の名前も知らない。制服で普通科なのは知ってる。でも、それ以上は何も分からない。授業以外じゃ、彼女のことばかり考えるようになってるし、間違いねェのも分かってる。ただ、どうしたらいいのかさっぱり分からねェ。

「オイ。さっきからウゼェため息ばっか吐いてんなクソ髪」

「え? 俺、そんなにため息吐いてたか?」

 吐いてんだろうが!!とキレる爆豪に丸めたテキストでボコボコと殴られる。まあ、爆豪が嘘を吐く理由もねェし、無意識にため息ばっか吐いててもおかしくないような気分ではあったから頭を下げる。

「わりぃ! ちょっと考え事しててよ……」

「ハッ! 余裕だな!」

バンッ!とファミレスのテーブルの上に広げられた教科書やノートを殴るように叩かれて、そんな場合じゃなかったと汗が噴き出した。テスト対策で爆豪に勉強を見てもらっている状況で俺は何をやってんだ。

「俺は切島が何考えてんのか分かっけどー……」

 ニヤニヤ笑う上鳴に瀬呂がなんだなんだと興味を持っている。隠すつもりも誤魔化すつもりもねぇけど、からかわれるネタにされたくもねぇ。

「ズバリ! 保健室のあの子だろォ? めっちゃくちゃ可愛いよな!!」

「なになに? どういうことだよ!」

吐いちまえと、瀬呂が俺の首に手を回してくる。上鳴と同じでコイツもニヤニヤして面白がってんな。

「んだよ! わりぃか!!」

「お、さすが! 誤魔化さないな」

 そう、ふと気づくとあの子の笑顔を思い出して、そわそわ落ち着かねェ気持ちにさせられる。

「正面切って告っちまえば? 一目惚れしました〜ってよ。なあ、爆豪」

ドリンクを啜る上鳴に、爆豪が馬鹿にしたように鼻で笑う。

「ハッ! キメェな。知らねえ奴に、んなこと言われてもウゼェだけだ」

「いや、ウザいはないだろ」

ないないと手を振って否定している瀬呂には悪いが俺もそうなんじゃないかと思う。どこの誰だが知らねェ男にいきなり、一目惚れしました!なんて言われたら怖がられたりするんじゃ―――

「んな、どーでもいい話はいんだよ!! さっさとこの問題解けや!!」

 丸めたテキストで順番に俺たちの頭が殴られる。爆豪の言うことはもっともだ。教えてもらってるんだから集中しろ!と自分に言い聞かせても、さっきの爆豪の言葉が胸に刺さったまま息苦しさが消えなかった。

***

 放課後、ついに我慢できなくなって保健室に行ってみた。行ってみたところでケガをしてるわけでもねぇし、中に入る理由もない。嫌われたくねぇと怖気づく自分が情けなくて嫌気がさす。

(こんなんじゃダメだ)

 出直すことにして保健室に背を向けたとき、中から聞き覚えのある声がした。確かめたくなって保健室のドアを開けたら、その音に気づいて中にいた二人が振り返る。

「あ、切島くん!」

パッと表情を明るくさせた緑谷の隣に彼女はいて、どうしてか目を丸くさせていた。

「切島くんもどこかケガ?」

首を傾げた緑谷に、彼女はハッとしたように俺に駆け寄ってくる。

「あ、あの、大丈夫ですか? 痛みのある場所は……」

「い、いや! 俺はケガとかしてねェよ! 緑谷の声が聞こえたからどうしたのかと思ってよ……」

 ホッと胸を撫で下ろした彼女は目が合うと恥ずかしそうに俯いた。目の前にいる彼女との距離が近い。近すぎて見てらんなくて顔を逸らしたけど、すげー可愛いと思った。

「心配してくれてありがとう。僕ならもう大丈夫。苗字さんの個性のおかげでもう痛みもなくなったから」

また自主練か何かでケガでもしたらしい緑谷は彼女にありがとうと言って笑っている。

「苗字、っていうのか」

「あ、うん。普通科の苗字名前です。えっと、緑谷くんのお友だち、だよね?」

他の奴が相手なら普通に話せるのに、彼女の前だと緊張して"ああ"と短い返事しかできない。

「苗字さんは、凄いんだよ! リカバリーガールに似た個性で、こうして放課後は個性訓練を兼ねて手伝ってるんだ」

「そんな大したものじゃないんだけど、誰かの役に立てるようにしておきたいなって思って」

 照れて恥ずかしそうにしているとこも可愛い。それなのに、緑谷と親しそうにしてるのを見てると胸の中がモヤっとして嫌だと思っちまう。こんな、うじうじしてるのは男らしくねぇ。そう思うのに、目が合った苗字が顔を赤くしたりするから、俺もなんだか顔が熱くなってくる。

「………」

お互いになんも話せなくて、俺たちは近い距離で向き合ったまま視線を逸らす。なんか言わねぇと、って思っても心臓が勝手に早く動くもんだから余計に何も考えられねぇ。

「……あ、ああ!? 電話だ!! そ、それじゃあ、僕はこれで! 苗字さん、どうもありがとう! 切島くんもまた明日!!」

 一気にまくし立てて、保健室から逃げるように出て行った緑谷に、"お、おう"と適当な返事しかできなかった。すげえ慌てっぷりに俺だけじゃなくて苗字もポカンとしてる。

「なんだか凄く急いでたね。何かあったのかな?」

「緑谷って、ときどきあんななんだよな」

緑谷の出て行った保健室のドアから無意識に苗字を見たら、向こうも同じタイミングで俺を見ていた。

「あ……」

同時に口から出た声が気まずくて、俺たちはまた黙った。困ったように目を泳がせていた苗字は俺を見ると、あのね、と小さく話し出す。

「えっと、実は、切島くんのこと前から知ってたんだ」

「え? どっかで会ってたか?」

 会ってたら絶対に忘れるわけがねぇ。上鳴じゃねぇけど、こんなに可愛いんだし、忘れようと思ったって無理だろう。

「ううん。あの、体育祭の最終種目で体が金属になる人と試合してたでしょ?」

多分、鉄哲のことを言ってんだろう。ああ、と生返事をしながら何を言われんのかと緊張してきた。

「あのとき、リカバリーガールと一緒に待機してたんだけど、なんでかな、切島くんのケガが一番心配だったんだ」

"ごめんね、知り合いでもないのにキモイよね"と焦りながら謝る苗字を見てたら、自分が本当に情けなくなった。

 爆豪の言ってたことも間違いじゃねぇ。多分、いきなり一目惚れで告白する奴をキモいと思う奴もいる。でも、苗字はそんなこと思ったりしねぇ。バチン!と思い切り自分の両頬を叩いて覚悟を決めた。

「苗字!!」

驚いて体を小さくさせてる苗字には悪いと思ったが、勢いを止めたくなくてそのまま口を動かした。

「この前、ここでお前を見たとき、一目惚れしちまった!! 好きだ!! 苗字のこともっと知りたい!!」

 正面から真っ直ぐに目を見て告白するのは、さすがに恥ずかしさがあった。俺を見上げていた苗字の顔がだんだんと赤くなっていく。口をパクパクさせたかと思ったら、ぎゅっと噛みしめて、また口を開いた。

「わ、私も、切島くんに一目惚れしてて……。あの、私も知りたいから、切島くんのこと、教えて?」

「……は?」

 今度は俺が真っ赤になる番だった。伸びてきた苗字の手が俺の制服を掴んで、小さく引っ張ってくる。

「切島くん、好き」

俺が一目ぼれした笑顔で好きと言われて何も思わないわけも感じないわけもなく。俺は顔中に熱が集まってきたのを感じていた。

「き、切島くん! 大変!!」

 慌てた苗字の手が俺の顔に添えられる。その手からじんわりと温かさを感じた。これが苗字の個性なんだろうけど、なんで俺は個性をかけられてんだ?

「すぐ止まるから大丈夫だよ」

「え?」

俺の顔を優しく拭いた、苗字の手にあるティッシュが真っ赤に染まってる。

「どうして急に鼻血が出ちゃったんだろうね?」

うーん、と首を捻りながら考えている苗字の手から感じていた温かみがだんだんと弱くなる。俺から離れて行った手を自分の顎に当てた苗字は本当に何が理由なのか分からねぇみたいだ。

「……苗字が笑って好きとかいうから。だから出たんだよ」

告った相手の前で鼻血出すなんて、スゲーカッコ悪い。こんなの爆豪たちに知られたら何言われんだろう。

「ご、ごめん。理解力なくて、よくわかんない」

「だ、だから……! 嬉しくってだよ!!」

やっと意味が分かったみたいで、赤くなった苗字はまた口をパクパクさせてから話し出す。

「そ、そんなの、私だって……」

上目で困ったように俺を見た苗字が息を吐いてから、一歩前に出て距離を詰めてきた。

「私だって、嬉しい!」

恥ずかしさでしゃがみ込んだ苗字に言われたことが、すぐに理解できない。ボケっとした顔を苗字の前でしちまったと思って、慌てて顔を引き締めようとしたけどダメだ。

「ホント、苗字は可愛いよな」

隠さずに開き直って笑って言えば、真っ赤になった苗字が涙目で俺を見上げてくる。それもスゲー可愛くて、多分、これから俺はもっと苗字を好きになってくんだと確信した。

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