10月が終わる。カレンダーを一足早く、次の月のものにしようとした桜は、じぃっと見上げてくる視線にカレンダーを捲ろうとしていた手を止めた。
「えっと、あの……?」
あまりにも真剣に見つめてくる小さな目を知らぬふりはできず、彼女はなんだろうと首を傾げる。
「もう11月になったの?」
「え? いえ、11月は明日からですよ。今日はハロウィンじゃないですか」
明らかにガッカリとしている雪乃と視線を合わせる為、桜がそっと屈む。首を傾げるようにして俯いている雪乃を覗き込んだ彼女は、口元を可愛らしくニッと笑わせた。
「何か気になることがあるんですか?」
自分が話し出すのを待ってくれている優しさに雪乃の口はゆるゆると動き出す。
「あのね、11月早く来ないかなって」
ぽつり、と小さく聞こえた声に目を瞠った桜は、ふ、と優しく表情を和らげた。
「それじゃ、お買い物行きますか? 今日は消太さんがお仕事でいませんし、ハロウィンしながら色々考えましょう」
「うんっ!」
ずっとずっと気にしていたそれも、飾り付けられた町を見てわくわくとしていたハロウィンも、どちらも楽しもうと言ってくれる彼女に堪らなくなって、雪乃は桜に抱き着く。
「今日は楽しくて忙しくなりそうですね」
抱きしめ返しながら、ふふ、と笑う彼女の声が嬉しくて、雪乃は桜に擦り寄った。
***
商店街を歩いてもらったハロウィンの菓子たちが並ぶローテーブルの上。そこに、桜と作った月見団子が並んでいるのを雪乃は、うっとりと見ていた。
「それじゃあ、いただきましょうか」
いただきます、と合わせた手をお菓子に伸ばしかけた雪乃は、ハッとして桜を見上げる。
「お姉ちゃん、消ちゃんの分もある?」
「ええ、もちろんです。雪乃が作ったお団子も取り分けてありますよ」
安堵して菓子を手に取った雪乃を彼女は細めた目で見つめる。菓子を取っておきたいと思ったのは相澤が好きだからだろう。それでも、この子が優しい気持ちを持ちながら成長しているのを見るたびに、桜の胸はあたたかくなった。
「美味しい」
大きくない月見団子を齧って、ニコニコとしている雪乃に笑みを返した彼女はスマホのカメラを向ける。動画か写真を撮るか悩んでいる間に雪乃は次の団子へ手を伸ばした。
「お姉ちゃん」
「え?」
あーん、と言いながら月見団子を食べさせようとする雪乃は口を大きく開けている。可愛いと思ったときには桜の指は思わず、シャッターを切っていた。
「あーん、して?」
こてん、と首を傾げた雪乃は桜が口を開けてくれることを疑っていない。初めて来た頃のことが脳裏をかすめた彼女は、嬉しさに胸が締め付けられる心地がした。
ゆっくりと開けた口の中へ当たり前に入ってくる月見団子。小さな指で届けられた団子を、咀嚼した桜はそれを飲み込んでから、また笑いかける。
「雪乃が食べさせてくれたから、味見をしたときよりずっと美味しいです」
えへへ、と照れて笑う雪乃に今度は桜が月見団子を運ぶ。あーん、と口を開けて食べさせてもらった雪乃は、先ほどよりも嬉しそうにしていた。
時折、食べさせ合いっこをしながら、二人はあれこれと話しをする。そして、大まかなことが決まると、わくわくと緊張からのドキドキで雪乃の気持ちはそわそわと落ち着かなかった。
***
翌日の朝方。帰宅した相澤が、誰も起きているはずのないリビングにそっと入れば、そこには、紅茶を飲んでいる桜がいた。
「まだ起きてたのか」
「いえ、少し前に目が覚めちゃって寝れそうにないんで起きてただけです」
おかえりなさい、と微笑む彼女はパジャマに薄手のカーディガンを羽織っている。レースカーテンから入り込む薄明りに包まれている桜は、その光のように柔らかな雰囲気を纏っていて相澤の胸を強く高鳴らせた。
「ただいま……」
照れくさくて首に巻いている捕縛武器を引き上げて口元を隠しながら、くぐもった声で返す。まるでお見通しとばかりに微笑んだ彼女は、静かに立ち上がると相澤の前に立った。伸ばした手で当然のように彼の頭を撫でる彼女は、からかいまじりの笑みを浮かべる。
「お仕事、頑張りましたね」
「……ガキ扱いすんな」
そう言いつつ、目を伏せた相澤は桜の少し体温の低い手に小さく擦り寄った。
「ふふ、消太さん可愛い」
自分を撫でる彼女の手を捕まえた彼は、強引にその手を引き寄せる。簡単に胸元に倒れ込んできた桜の腰に片腕を回すと、空いている手で彼女の顔をすくい上げた。
驚いて丸くなっていた桜の目を見つめる相澤は、愛想のない表情をしている。しかし、その目は、どこまでも深い彼女への想いが熱く込められていた。
溶けてしまいそうだと思ったときには、桜は無意識に目を閉じ、食べられてしまいそうなほど深いキスを受ける。
「んっ……」
お互いの口の中に押し込められる吐息と声。息苦しさを感じれば感じるほど、二人の体は火照っていった。
どちらともなく唇を離せば、彼女は荒い呼吸を繰り返しながら彼の胸にもたれかかる。無理をさせてしまった罪悪感から、桜の背中を摩る相澤の息もわずかにだが上がっていた。
「可愛いのはお前だ」
小さく呟いた彼の声が、誰も聞けない本心を含ませた響きをさせていて、彼女の顔は更に熱を帯びる。ぎゅ、ときつく相澤の黒いヒーローコスチュームを握り締める彼女を彼は両手で強く抱きしめた。
「好き、です」
息を整える間に発せられた声が、相澤をさらに優しい顔にする。目を伏せた彼の口元には緩やかな弧が描かれていた。
「俺は愛してる」
不意打ちの言葉に、声になっていない音を出しながら顔を彼に押し付ける彼女の耳が真っ赤になっている。珍しい桜の様子に、相澤は満足そうに喉の奥で笑っていた。
***
風呂で疲れと一日の汚れを落とした彼は、ローテーブルに並べられた軽い食事と色とりどりのお菓子たちをじぃっと見つめる。
「それ、雪乃から消太さんにです」
「雪乃が?」
頷いた彼女は、雪乃のことを思い出しているのか相澤に向けるものとは違う、優しさを帯びた目をした。
「ハロウィンがとっても楽しかったから、消ちゃんにも分けてあげたいそうですよ」
「そうか」
ヒーローである相澤や桜が揃って休みになることはそうそうない。休日やイベントごとはいつもどちらかは仕事だった。
一緒にいられなかったのなら何が楽しかったのか教えてあげればいいと思えるようになってからは、雪乃はこうして楽しかったことのお土産を残している。
ローテーブルの上にあるハロウィン仕様の菓子の中にある、一つだけ毛色の違うものが彼の目を引く。
「今年のハロウィンは満月だったので、お月見団子を雪乃と作ったんです」
相澤の視線の先にあるものに気づいた桜は、昼間のことを思い出してそれを一つ手に取った。
「あーん」
雪乃が自分にしたように、彼に食べさせようとする彼女は楽し気に笑う。食べさせられることよりも、桜に向けられる笑顔に相澤の頬は熱を持った。
おもむろに開いた彼の口に月見団子を運ぶ。ぱくり、と口の中に入った団子が咀嚼されるのを見て彼女は"どうです?"と小首を傾げた。
「旨い」
「ハロウィンなのでカボチャを練り込みました」
可愛いでしょう?とくすくすと笑う桜の方がよほど可愛らしく見える。そう言おうと開きかけた口に次の団子が運ばれた。
「こっちは私が作ったもので、さっきのは雪乃のです」
タイミングが合わなかっただけかと思えば、相澤が何かを話そうとするたびに桜は食べ物を口に運んでくる。
(わざとか)
気付いた彼が不満を目で訴えれば、彼女は苦笑いで眉を下げた。しかし、どうしてかその様子は楽しそうにしか見えない。
「すみません、つい」
「何が、"つい"だ」
じとり、とした視線を向けられる桜は、だってと口元を隠すように手を添えて小さく笑う。その見慣れているはずの仕草を何度見ても、相澤が慣れることはなく勝手に胸が高鳴ってしまう。
「消太さんに食べさせるの好きなんです。口を開けて待ってるのが凄く可愛くって」
よしよし、と頭を撫でてくる手が心地いい。元からするつもりもないが拒否ができない彼はされるがまま彼女をムスッとした目で見つめた。
「だから、私以外にはそんな可愛い顔を見せないでくださいね」
するり、と頬を一撫でしていった桜は学生の頃とは違い、穏やかで優しい笑みの中に色気を漂わせている。そのどことなく艶やかな笑みは相澤を酔わせるには充分だった。
伸ばした無骨な指先が触れる瞬間、あ、と彼女は思い出したとばかりに彼を酔わせた笑みを引っ込める。
「雪乃は別ですよ? あの子は私の娘ですから、あーんしてって言われたらしてあげてくださいね」
「……分かってる」
久々に過ごす時間に漂った甘い雰囲気は桜から始まり、桜から壊された。面白くなくて、不貞腐れたように食事を口に運ぶ相澤を見た彼女は悪戯が上手くいったとばかりに楽しそうな顔をしている。
そんな顔をされてしまうと、不満は残るものの不機嫌ではなくなってしまう彼は、敵わないと思いながら、彼女から視線を逸らすことしかできなかった。
***
同じような動きを繰り返す白い指。絡んでは離れ、形を成していくそれに雪乃の目は釘付けになっていた。
「面白いですか?」
背中から感じるあまりにも真剣な視線を送る雪乃に振り返った桜の手は止まらない。手元も見ずとも作業が止まらないことに雪乃は目を瞬く。
「お姉ちゃん、凄いねぇ」
彼女の肩に顎を乗せた雪乃はうっとりとした声を出した。
「雪乃も練習すればできるようになりますよ」
「ホント?」
ええ、と返事をした彼女はまた視線を手元に戻す。流れるように動いて行く指先をいつまでも見ていられると、雪乃はぎゅっと後ろから桜に抱き着く腕を強めた。
抱き着いてくる雪乃に彼女が小さな笑みをこぼしたとき、玄関からカチャリと鍵の開けられる音がした。ハッとした二人は同時に顔を上げる。
「タ、タイマー! タイマーまだ鳴ってませんよね!?」
「う、うん!」
相澤の帰ってくる時間が思ったよりも早かったこともあるが、設定していたタイマーが鳴らなかったことも二人を慌てさせた。チラッと雪乃がタイマーをセットしてくれたタブレットを確認した彼女は苦く笑う。
(雪乃、コレ、20分じゃなくて20時間になってます……)
分かるように説明したつもりだが、確認まではしなかったのだから仕方がないとタブレットのタイマーを消した彼女は編み針や毛糸をかき集めた。
音を立てないように、素早く片づけをした桜はまるで最初からそこにいましたとばかりにキッチンに立つ。
そんなことは露知らず、リビングに入ってきた相澤は部屋の中に漂う違和感に首を捻った。
「何してたんだ?」
「お、おかえりなさい」
キッチンからひょっこりと顔を出した桜は笑っているものの何かおかしい。驚いた余韻でいまだに焦っている彼女は、気付かれないように話題を変えることにした。
「すみません。ちょっと手が離せなくてお出迎えに出れなくて」
「……んなことはどうでもいい」
真っ直ぐにキッチンに向かった相澤はとぼけている桜の前に立つと、眉間にしわを寄せた。
「お前、何を隠してんだ?」
「嫌だなぁ、疑わないでくださいよ」
迫るように体を寄せた彼に苦笑いをすることしかできない彼女。そんな桜を助けなくてはと雪乃は口を開いた。
「消ちゃんっ!」
ビクッ!と体を跳ねさせたのは名前を呼ばれた相澤だけでなく、彼の傍にいた桜もだった。むぅ、と頬を膨らませた雪乃の目は必死で、相澤は目を見開く。
「お、お風呂! 行くよ!!」
「あ、ああ……」
初めて聞いた雪乃の大きな声に唖然とした二人は、ゆるゆるとお互いの顔を見合わせてから、雪乃へ視線を戻した。
動けないでいる二人に構わず、タオルとパジャマを抱えた雪乃は、ずんずんと浴室に向かっていく。
「えっと、お願いしてもいいですか?」
「ああ」
頭を一つ掻いた彼は、雪乃の必死さに何かを隠しているのは間違いないと確信した。しかし、それをもう問い詰めようとは思わない。
(無茶してるわけでも、浮気してるわけでもない。なら、話してくるまで待つか)
仕方がないと、相澤も雪乃を追いかけて浴室へ向かった。
***
丁寧に雪乃の髪を拭きながら、ふと、相澤はこの子が来たばかりの頃を思い出す。風呂に入るどころか、声をかけられるのも、口を開くことにも怯えていた頃。この青みがかった綺麗な白い髪は酷く傷んでいて、今のようにスルスルと指を避けるように梳かせることはなかった。
傷んだ髪が治るほどの時間を過ごしてきたのかと思うと感慨深いものがある。
「消ちゃん、雪乃の作ったお団子食べた?」
タオルを外してやれば、振り返った雪乃はそわそわとした目で相澤を見上げた。
「ああ、旨かった」
「お姉ちゃんと作ったの」
嬉しそうに、はにかんだ雪乃は、彼の顔を見て表情を消す。寂しそうに見えてしまった彼の顔に罪悪感やら悲しさが小さな胸の中を埋め尽くした。じわじわと泣いてしまいそうなほど顔を歪めた雪乃の手が相澤の服を掴む。
「あのね、消ちゃんのこと仲間外れにしてるんじゃないよ」
何を言おうとしたのか察した彼は僅かに瞠目すると、視線を合わせる為に屈む。
「分かってる」
涙の溜まっていく目元を撫でた相澤の親指が濡れる。触り方から、彼の優しさや自分が大切にされているのが伝わってきて雪乃の目の奥は更に熱を持った。
「お姉ちゃんと雪乃のこと、待ってて」
自分で涙を拭った雪乃に正面から見つめられた相澤が目を伏せて頷く。
「待ってる。だから気にするな」
「消ちゃん」
ぎゅっと抱き着けば、彼も抱きしめ返してくれる。相澤も桜も凄く優しくて、そんな二人の家族になれた幸せを雪乃は噛みしめていた。
***
桜と雪乃が何かを隠していると相澤が気づいてから一週間後。朝方に帰宅した彼が目を覚ましたのは日も落ちた頃だった。
(さすがに寝すぎた……)
頭を掻きながら布団から起き上がると、ふと、リビングから聞こえる二人の楽しそうな声が微かに聞こえてくる。
大きなあくびを噛み殺しながら、暗い寝室から明るいリビングへ出た相澤は眩しさで目を眇めた。
「あ、消ちゃん!」
嬉しさで弾む雪乃の声に続いた桜の声で彼はやっと目を開く。
「よく眠れましたか?」
「そうだな」
部屋中に漂ういい匂いの元へ目を向ければ、ローテーブルいっぱいに料理が並べられていた。
「なんかあんのか?」
首を傾げる相澤を見た桜と雪乃は、顔を見合わせていたずらっぽく笑い出す。なんなんだと眉を顰める彼へ二人は同時に振り返ると、ニコッと笑った。
「消太さん」
「消ちゃん」
"お誕生日おめでとうございます"と綺麗に声が揃ったのは偶然だったのか。誕生日であることを忘れていた相澤は、思考の端でぼんやりとそんなことを感じながら目を見開いて固まっていた。
「ほらほら、こっちです」
「早く早く!」
手を引く二人にされるがまま、席についた相澤の頭はやっと状況に追い付く。にこにこと隣に座った雪乃の頭を一撫でしていると、キッチンから桜が戻って来た。
「さっき出来たばかりなんですよ」
ローテーブルの真ん中に置かれたホールケーキ。少しだけ歪な飾りつけから、雪乃も手伝ったのだろうと予想がつく。
「雪乃がね、ここのクリームやって、苺乗っけたの」
「ありがとな」
楽しかったんだよ、と言う雪乃に彼の口元が柔らかに笑う。相澤の優しい表情を向かいで見ていた桜も、微笑みながらロウソクに火をつけた。
部屋の電気を消そうと立ち上がった彼女に、そこまでするのかと彼が目で訴える。
「お誕生日ですから」
にっこりとした桜の笑みに、今年の彼女の誕生日の仕返しが来ることを予感した。
パチ、部屋の照明のスイッチが切られる。暗くなった部屋に揺れるロウソクの灯りに照らされながら雪乃と桜がお決まりの歌を歌った。
「消ちゃん、ふぅーってして」
急かす雪乃にせがまれて彼がロウソクの火を消す。真っ暗になった室内で、だんだんと早くなっていく心臓を感じていた相澤の期待を裏切るように室内が明るくなった。
「ふ、ふふ、くくっ……!」
耐えきれないとばかりに顔を背けて肩を震わせる桜は照明のスイッチの前から動いていない。急激に恥ずかしくなった彼は、まだ笑っている彼女をキッと睨みつけた。
「消ちゃん、お姉ちゃん?」
どうしてケーキを切ったりしないんだろう、と首を傾げる雪乃に桜は涙を指先で拭いながら振り返る。
「す、すみません。おかしくって……! あはは!」
「オイ」
お腹を抱えて笑う彼女と、癪に障ったとばかりの顔をしているのに目元は恥ずかしさで赤らんでいる彼。二人を交互に見ては、雪乃はさらに首を傾げる。
「じゃあ、ケーキは冷蔵庫にしまって、ご飯にしましょうか」
ケーキをしまおうとする桜に、"あっ"と雪乃の何か言いたげな声が上がる。言いたいことを察した彼女は、ふ、と目を細めると頷いた。
「そうですね。そうしましょうか」
一気に表情を明るくさせた雪乃は、勢いよく立ち上がりキッチンへと走る。パタパタと走る小さな背中を見送った相澤は、ちらりと桜に目を向けた。
「すぐに分かりますよ」
その言葉通り、急いで戻って来た雪乃は小さな背中に何かを隠しながら彼の前に立つ。もじもじとして、俯きがちに相澤を上目で見てから、紙袋を差し出した。
「消ちゃん、はい、これ」
受け取った紙袋にはリボンや雪乃のお気に入りのネコのシールが貼られていて、手作り感がたっぷりとある。もう一度、雪乃に目を向ければ、"開けないの?"と不思議そうにしていた。
期待している幼い目に促されて紙袋を開けてみれば、落ち着いた赤が最初に見えた。取り出したそれはマフラーのようでマフラーではない。
「スヌードです。雪乃が消太さんにはその色がいいって選んでくれたんですよ」
「でもね、これはお姉ちゃんが編んだの。見ないでも編めるんだよ!」
まるで自分のことのように凄いでしょうと繰り返す雪乃の頭を彼の手が撫でる。
「大事にするよ」
「うんっ!」
甘えて相澤の腹に抱き着く雪乃から桜へ視線を移す。
「ありがとな」
「喜んでもらえました?」
「ああ」
頬を赤らめて頷いた彼に彼女も満足そうに笑う。
これまで経験したことのない誕生日に、これが家庭を持ったということなのかもしれないと淡い実感をしていた時だった。
「消ちゃん、消ちゃん」
くいくい、と袖を引いてきた方へ顔を向けた相澤の視界に、どことなく緊張した面持ちの雪乃が入る。
「どうした?」
「あの、お誕生日おめでとう」
彼の肩に手を添えた雪乃は、ゆっくりと桜によく似た顔を近づける。ちゅ、と頬に触れた小さく柔らかな唇の感触に相澤の目が大きく見開かれた。
固まっている彼に、雪乃はもごもごと言い訳をするように口を開く。
「えっと、保育園でね、パパのお誕生日にほっぺにちゅーするってお友達が言ってたから……だから……」
尻すぼみに小さくなった声に合わせるように俯いた雪乃は、ほんの少し不安を感じて両手を握った。
「消ちゃん、嫌だった……?」
不安で口を引き結んでいた雪乃は、恐る恐る顔を上げる。そして、彼の顔を見てぽかん、と口を開けた。
真っ赤な顔をした相澤は口元を手で覆っている。その顔は桜にからかわれたときの極々たまにしか見たことのないもの。
瞬きも忘れて驚いている雪乃と動けないでいる相澤に、くすり、と小さく笑った彼女は立ち上がると、彼の隣に座った。
「お誕生日、おめでとうございます。消太さん」
雪乃がしてきたのとは反対の頬に触れた桜の唇。真っ赤になっていた相澤の顔は更に赤くなり、狼狽えた目で彼女を睨む。
「嫌、だったんですか?」
「勘弁しろ……」
熱を持つ顔を手で覆い俯いた彼を挟んで雪乃と目を合わせた桜は、ニコッと笑ってから相澤の顔を覗き込んだ。
「ねぇ、消太さん。私たちにキスされるの、嫌でした?」
手の隙間から覗いた彼の目に"訊くな"と訴えられるが、彼女は臆することなく言葉を重ねる。
「そんな目で見られても分かりません。私も雪乃もちゃんと、消太さんの言葉で聞かないと、嫌だったのかなって不安です」
これは自分を恥ずかしがらせる為でも、彼女の悪戯心に突き動かされたものでもないと気づいた相澤はそろそろと顔を上げた。穏やかで優しい桜の目を見れば、やはり雪乃の為かと、彼は深いため息を吐き出す。
「嫌、じゃない……」
動きの悪い口でなんとか言葉にした彼は、及第点ですねと彼女に頭を撫でられる。ムスッとした相澤が目の端で見た雪乃は、頬を緩ませて幼い笑顔を見せていた。