可愛い男の子

「わあ! すっごく可愛いです!」

 手を合わせてニコニコとしている桜の前では、外出用の服を着せられた雪乃が恥ずかしそうにしていた。

猫の耳のようなものがついたニット帽に、同じ色のマフラーは桜の言う通り、雪乃によく似合っている。

「これでいつでもお出かけできますね」

柔らかな微笑みを向けられると、雪乃はいつもホッとするような心地になった。

「変じゃない……?」

「それ、消太さんと一緒に選んだんですよ」

 先日から保育園に通い始めた雪乃を預けている間に、相澤と桜は足りていない雪乃に関する必要品を買っていた。その中の一つがこのニット帽とマフラーだった。

 一緒に買い物をしているときのことを思い出した桜が、つい苦笑いになってしまうと、雪乃は不思議そうに首を傾げる。

「ま、まあ、経緯はともあれ、消太さんも雪乃に似合うと思ったんですから、大丈夫です」

途中で彼が持ってきたGANRIKI☆NEKOのトレーナーとスカートを思い出す。やっぱりアレはないなと首を振って、桜は笑みを作った。

「写真を撮って送ってみましょうか。きっと似合ってるって言ってくれますよ」

「う、うん……」

ぎこちなく頷いた雪乃に彼女のスマホが向けられる。俯きがちに照れて顔を赤くした様子を写真に収めた桜はすぐに相澤へ送った。

「さ、せっかくですから、公園に遊びに行ってみましょうか」

 引き取られてから一度も個性の暴走を起こしていないことから、雪乃は少しずつ外に出られるようになった。初めの頃は個性を暴走させるんじゃないかと怖がっていた雪乃だが、相澤と近くを歩くことから始め、近所の人と挨拶を交わすようになり、少しずつ他人との関りを広げている。

 今日は初めて桜と二人で外に出る。ドキドキとしている雪乃は胸元で両手をぎゅっと握り締めた。

「雪乃と出かけるのは初めてですから、なんだかわくわくしますね」

にこっと笑った桜に、もし、暴走して嫌われたら、怖がられて居場所を失くしたらとばかり考えていた雪乃の恐怖や不安は溶かされる。

「家の中の楽しいことだけじゃなくて、外にも探しに行きましょう?」

差し出された手をおずおずと取った雪乃に向けられる桜の眼差しは春の陽気のように穏やかだった。

「大丈夫。楽しいことを探しに行くのに、怖いことなんてありませんから」

「ホント……?」

「私はそう思ってます。猫に会えるかもしれないし、もしかしたら、お友達ができるかもしれませんよ?」

保育園ではあまり同じ年の子たちと話せていないけれど、もしかしたら、今日は自分に合わせてくれる子に会えるのかもしれない。普段、楽観的ではない雪乃は不思議とそんな気持ちにさせられた。

***

 厚手のコートを着せられた雪乃は桜と一緒に外を歩く。季節外れの雪が降り出しそうな、薄灰色の雲に覆われた空を見上げた雪乃の口から白い息が漏れた。

「寒いですか?」

「ううん。お姉ちゃんと手、繋いでるから平気」

一度目を瞬いた彼女は、ふっと嬉しそうに目を細める。嬉しいと思ってくれているのが分かった雪乃も、嬉しさで目元を赤らめた。

 二人で笑い合いながら歩いていると、つい、距離が伸びてしまい、普段なかなか来ない公園まで来てしまった。

公園には天気のせいもあってか、人の姿がない。誰かに会えるかもと連れ出した手前、気まずさを感じずにいられない桜は、ちらりと雪乃の様子を窺った。

「すみません。よく考えたら、この天気じゃ誰もいませんよね」

「あそこ」

 小さな指が差す方を見れば、雪乃と同じくらいの年の男の子が、砂場で一人、遊んでいた。砂を集めては崩している様子から、何かを作る目的はなさそうなその子は、酷く退屈でつまらなさそうな顔をしている。

"帰りますか?"と声をかけようとしたとき、雪乃は桜の手を離し、男の子のところへと歩いて行った。

***

「何、作ってるの……?」

 控えめにかけられた声が自分に向けられたものだと気づいた男の子は、驚いた面持ちで顔を上げた。

猫の耳のついたニット帽がよく似合っている可愛らしい女の子。自信のなさそうな表情をしている女の子に、男の子はやっと口を開く。

「何も……」

 何も作っていない。ただ、ここでこうして時間を潰しているだけだった男の子は困ったように俯く。

「隣、行ってもいい? 嫌じゃない?」

「嫌じゃないよ」

どうしてこの子はそんなことを訊くのだろうと男の子は首を傾げる。ホッとした様子の女の子に、自分の答えは間違ってなかったのだと、無意識に男の子も安堵した。

「………」

黙ってしまった二人は、下を向いて自分たちの足元を見ていた。しばらく砂を見てから、少しだけ顔を上げて相手を見ると、同じタイミングで相手も顔を上げた。

 まったくの同時に顔を上げたことに驚いた二人は、目をパチパチとさせる。そして、どちらともなく、笑い出した。

「あはは!」

「ふふふ」

眉を下げて笑う女の子に、男の子の目は離れなくなる。つい、見入ってしまっていると、女の子は小首を傾げた。

「あの、何か変……?」

 先ほどまでの笑顔が消えて、不安そうな表情に戻ってしまった女の子に男の子は慌てて首を振る。

「可愛いって思った。猫の帽子、似合ってる」

男の子に柔らかい笑みを向けられた女の子は嬉しそうに笑った。

「あのね、これ、今日もらったの。お姉ちゃんと消ちゃんが選んでくれて、とっても嬉しかったんだ」

 猫耳のニット帽を褒められたと思った女の子はこれまでよりも饒舌だった。意外そうに目を丸めた男の子に気づいた女の子は、はっとして両手で口を押えた。

「ご、ごめんね。急にいっぱい話して」

「どうして謝るの? 僕、怒ってないよ」

恐る恐る見てくる女の子に、男の子はなんとなく、この子は自分にどこまでも自信がなくて不安なんだと感じ取った。

「ねえ、名前、なんて言うの?」

「雪乃……」

 小さな声で答えた雪乃がとても弱弱しく見えた男の子は、どうにかしてこの子を安心させてあげたいと思う。

「僕は焦凍だよ」

「しょうと、くん」

目を瞬かせた雪乃は、焦凍を見ながら、ぱっと表情を明るくさせた。

「可愛い名前だね」

「可愛い?」

そんなことを言われたことのない焦凍は首を傾げる。その動きに合わせて、紅白の髪がさらさらと流れた。

「あのね、昨日、初めてケーキ食べたんだ。ショートケーキって可愛いやつ。それとおんなじだね」

まさかショートケーキと同じだと言われるだなんて思ってもみなかった焦凍は、目をパチパチと瞬く。

「焦凍くんは、髪の毛もケーキみたいに可愛くていいね」

うっとりとするような目で見られた焦凍の顔が赤くなる。くずぐったいような気持ちになった焦凍の視線は猫耳のニット帽から覗く雪乃の髪に向けられてから、また逸らされる。

「雪乃ちゃんの髪だって、その……」

 可愛いなんて言葉はさっきのように何でもなく言えるはずなのに、どうしてか焦凍の口からは、もう簡単には出てきてくれなかった。

「雪乃の髪は、焦凍くんみたいに可愛くないし、お姉ちゃんみたいに綺麗でもないから……」

恥ずかしいとばかりに、ニット帽を深くかぶった雪乃が髪を隠そうとする。
 彼女の言うお姉ちゃんとは誰だろうと、周りを見てみると、ベンチで母親と話している
雪乃にそっくりな女性を見つけた。黒々とした長い髪は確かに綺麗だ。でも、と焦凍は俯いている雪乃の髪を見る。

「僕は雪乃ちゃんの髪、好きだよ」

「……変って思わないの?」

うん、と頷いた焦凍は思った事を、幼いながらも一生懸命に言葉にしていく。

「僕の白い髪の毛より、青っぽくて綺麗だよ。だから、僕は雪乃ちゃんの髪、好き」

パッと顔を上げた雪乃の顔は真っ赤だった。あわあわと口を動かしている様子が可愛らしく思えた焦凍が、くすっと笑うと雪乃の耳はじんわりと熱を持った。

「ねえ、ショートケーキ、作ろう? 上手くできるか分かんないけど」

 少しの緊張を感じている焦凍に誘われた雪乃は嬉しそうに頷いた。その嬉しそうな笑顔を見た焦凍も、同じようににっこりと笑った。

砂を集めて形を作って、思った形にならなかったり、崩れた様子を見て笑い合ったりして、ショートケーキのホールになる部分を作った二人は、飾りつけに使う草や木の実を探す。手を繋いで公園の中を動き回る、焦凍と雪乃が同い年の子どもと一緒にいて、こんなにも楽しい気持ちになったのは初めてのことだった。

***

「こんにちは。今日は寒いですね」

 声をかけられた焦凍の母は、俯いていた顔をハッとして上げた。にこりと微笑む若い女性へ、咄嗟に笑みを向けて返事をしたが、それもぎこちのないものになってしまった。

「隣、いいですか?」

「え、ええ、もちろん」

置いていた荷物を引き寄せた焦凍の母に会釈をした桜は、静かにベンチへ腰を下ろした。

 砂場で男の子と話している雪乃へと目を向ける。彼女が自分から他の子へ話しかけるのを見たのは初めてだ。とてもいいことであるのに、繋いでいた手を解かれて走って行ってしまった小さな背中を思い出すと、桜は嬉しさと一緒に僅かな寂しさを覚えた。

「お嬢さん、可愛らしいわね」

「え?」

隣の女性の目が雪乃たちへと向いていることのを見てから、桜は柔らかに頬を緩める。

「ありがとうございます。そう思っていただけて嬉しいです」

「……お若いのに、きちんと子育てされているのね」

 自分の子を見る焦凍の母の横顔は酷く疲れているように見える。少し考えるように視線を上げた桜は持ってきた水筒から温かい紅茶を入れて、数粒の一口チョコを添えて差し出した。

「どうぞ」

「え?」

「お疲れのときには温かい飲み物と甘いものがいいかと思いまして」

お嫌いですか?と訊いてきた彼女の目に、焦凍の母は泣き出してしまいそうなほど目を潤ませて首を振る。

「いいえ。ありがとう」

受け取る瞬間に、二人の手が触れ合う。とても冷たい彼女の手に桜はの心配は増した。

 紅茶を一口含んで、ほうっと息を吐き出した焦凍の母から、桜は雪乃たちへと視線を戻す。何を話しているのか笑い合っている幼い声に、つい表情が緩んだ。

「息子さん、優しいんですね」

雪乃と手を繋いでいる男の子。引っ張っていくのではなく、常に雪乃のペースに合わせてくれている様子から、彼の気持ちの優しさがにじみ出ていた。

「そうね。……あの子は優しい」

 俯いてしまった焦凍の母に桜は心配そうに眉を下げる。彼女から感じる自分を責めているような雰囲気が気になるものの、初対面ではそこまで深く訊くこともできない。情けなさを感じて視線を足元へ落としたときだった。

「お母さん、喉乾いた」

 母親の元へ雪乃を連れて戻って来た焦凍は、喉の渇きを訴えて飲み物を強請る。

「はいはい」

焦凍の母が取り出したのはパックのヨーグルト飲料。パッケージには牛のイラストが描かれている。
雪乃も喉が渇いただろうと、桜がバッグから飲み物を出そうとすると、彼女は雪乃にも焦凍に渡したものと同じヨーグルトを差し出した。

「はい。どうぞ」

「えっと、あの、焦凍くんのは?」

心配そうに見上げてくる雪乃に、焦凍の母は何か気付いたように一度目を見開くと、すぐに優しく細める。

「焦凍は今飲んでるから大丈夫」

「焦凍くんのお母さんのは? 雪乃がもらったら、なくなっちゃうよ?」

ふふっと、優しく笑った彼女は桜から渡された紅茶を見せた。

「大丈夫よ。おばさんはお姉さんから紅茶をいただいたから」

まだ不安そうにしている雪乃の両肩に、背中側から桜の手が置かれる。

「いただきましょう? 遠慮ばかりするのも失礼ですよ」

「これ、美味しいよ」

母から受け取ったヨーグルトを、今度は焦凍が雪乃へ差し出す。桜の顔を確かめるように見上げてから、雪乃は差し出されたヨーグルトへ手を伸ばした。

「ありがとう……」

焦凍と焦凍の母の顔を見ながらお礼を言った雪乃は、桜の方へ振り返る。

「せっかくですから、焦凍くんと一緒にいただきましょうか」

うん、と頷いた雪乃がヨーグルトのパックにストローを差し込む。仲良く並んでベンチに座った二人は、手を繋いだままヨーグルトを飲み始めた。

「わ、美味しい!」

 目をキラキラとさせてヨーグルトのパックを見た雪乃に焦凍が嬉しそうに笑う。ニコニコとしている二人を、桜と焦凍の母は穏やかに見守っていた。

***

 ヨーグルトを飲み終えた二人はまた、桜たちのいるベンチから離れて遊びだす。その間、焦凍の母と当たり障りのない話をしていた桜は、彼女が何度か笑みを見せてくれたことにほっとしていた。

「お姉ちゃん」

 呼ばれて顔を前に向ければ、雪乃が男の子と手を繋いだまま、目の前に立っていた。

「どうしました?」

「あのね、焦凍くんがお姉ちゃんと雪乃が似てるって」

それで近くに来たのかと、桜は焦凍に笑いかける。

「焦凍くん、さっきは雪乃に優しくしてくれてありがとう。雪乃と似ていると言ってくれたことも、とても嬉しいです」

照れくさそうに顔を染めた焦凍は頷いてから、自分の母へ手を伸ばす。

「お母さん、雪乃ちゃんは雪乃ちゃんのお姉ちゃん、そっくりだよね」

「そうね……」

頭を撫でられて気持ちよさそうに目を細めている焦凍に、雪乃は悲し気に首を振った。

「雪乃、お姉ちゃんみたいに綺麗じゃない……。だって、雪乃は何にもできなくて、個性も……」

「雪乃……」

昔を思い出してしまったのか、俯いてしまった雪乃の手は桜が掴むより早く、他の手が攫った。

「雪乃ちゃんは可愛いわ。きっと大きくなったらお姉さんみたいに綺麗になれる」

 視線を合わせるためにしゃがんだ焦凍の母の目を窺うように見た雪乃の目には零れてしまいそうなほど涙が溜まっていた。

「ほん、と……?」

「ええ。だから、そんなに不安にならなくて大丈夫よ」

微笑んで頭を撫でてくる手の優しさに、雪乃は頬を染めて俯いた。

「焦凍くんと、焦凍くんのお母さんも似てるね」

「そう?」

頷いた雪乃は、じっと彼女の目を見つめる。幼く純粋な瞳に見つめられた焦凍の母はどこかドキリとするような心地だった。

「二人とも、とっても優しい」

 にこりと笑顔を見せた雪乃に焦凍の母は驚いた顔をしてから、泣いてしまいそうな笑みを返した。

***

 その後、お互いの姿が見えなくなるまで手を振って焦凍と雪乃は別れた。バイバイするのが寂しく感じるほど焦凍と遊ぶのが楽しかった雪乃は、帰って来た相澤と一緒に風呂に入りながら今日の出来事を話していた。

「あのね、今日ね、お姉ちゃんが公園連れてってくれてね、すっごい可愛い子と遊んだの!」

「へえ」

 丁寧に、髪の毛を洗ってやりながら相澤は、まだ興奮している雪乃の話に相槌を打つ。早く話したくて堪らなかった雪乃は相澤が帰ってくるのを、リビングでまだかまだかとずっと待っていた。ようやく帰って来た彼に話せる嬉しさも相まって、普段よりもずっとテンションが高い。

「昨日食べたケーキみたいに可愛くってね! 髪の毛もケーキみたいだった!」

「ケーキ?」

昨日食べたケーキと言えば、桜が仕事帰りに食べたくなったと買ってきたショートケーキだ。一体どんな子だったんだと思いながらも、相澤の手は手際よく動いている。

「名前もね、焦凍くんって、ケーキみたいな名前なんだよ」

「お前、それその子に言ったのか?」

うん!と元気よく頷いた雪乃に彼は、素直過ぎるのもどうなんだろうかと、悩むように口をへの字に結んだ。

「……ほら、頭流すから下向け」

 素直に頭を下げた雪乃の髪にシャワーをかける。桜が使っているシャンプーのいい匂いをさせながら泡が流れていく。地肌にも残らないように、しっかりと流してから、雪乃に用意されているトリートメントを手に取った。

「砂場でね、焦凍くんと昨日のケーキ作ったんだ」

「ショートケーキ?」

「そう。でね、お姉ちゃんが上手にできたからって写真撮ってくれたから、後で見てね」

"上手にできましたね"と言って写真を撮っている桜を、あまりにも簡単に思い浮かべることができた相澤は、ふっと小さく笑う。雪乃が来てからというもの、彼女は写真を撮ることが増えた。その気持ちが理解できなくない彼は、ふと、今日送られてきた雪乃の写真を思い出した。

「そういえば、写真見たぞ。帽子、似合ってた」

「焦凍くんもね、帽子似合ってる、可愛いって言ってくれたんだよ!」

 振り返った雪乃の顔いっぱいに嬉しさが広がっている。最初は微笑ましい話だったのに、だんだんと気に食わない話になってきたような気がする相澤は、へえ、と短く返事をした。

***

 その後も、公園での話は雪乃が寝るまで続いた。顔には出さなかったものの、面白くない気持ちにさせられていた相澤に桜がくすくすと笑う。

「ご機嫌ななめですか?」

「公園で会った奴、雪乃に気があったんじゃないのか?」

リビングでお茶を啜っていた相澤の隣へ桜が当たり前のように座る。彼の肩に頭を寄せた彼女は、さあ?と、またおかしそうに笑った。

「別にあったとしてもいいじゃないですか。とても優しい、いい子でしたよ」

 むうっと下唇を突き出した相澤が面白くないと思っているのが手に取るように分かる。

「消太さん、お父さんみたいですね。雪乃に好きな人が出来たら、今みたいな顔をしそう」

くすくすと笑った桜は、ふと、自分も父とそんな話をしたような気がした。
相澤に恋をしたのは両親が亡くなった後なのだから、そんな話をしたわけはないのにと、彼女は首を傾げる。

「どうした?」

「いえ、何でもないです」

考えても仕方ないと、桜は相澤を見た。その視線に気づいた彼も、彼女へ視線を向ける。

「消太さんは私にだけじゃなくて雪乃にもヤキモチ妬くんですね。前は私だけだったのに、寂しいな」

 わざと桜が口を尖らせると、相澤はため息を吐いた。

「分かって言ってんだろ」

「何をです?」

首を傾げた動きに合わせて、彼女の黒い髪が揺れる。また桜の手のひらで転がされているような気がする。そう分かっていながら、相澤は彼女を抱き寄せた。

「俺を嫉妬で狂わせるのはお前だけだ」

まさかそこまで言われると思っていなかったのか、黒い目を見開いて驚いている桜に彼の機嫌は一気に直る。むしろ、上機嫌だ。
 彼女の後頭部に手を回し、そのまま逃げられないうちに唇を重ねる。不意打ちに弱い桜は真っ赤になり、薄く口を何度か開いたり閉じたりした後、俯いて頭を相澤の肩口にくっつけた。

 くつくつと笑う彼の声を一番近くから感じる。きっと、上手く自分をからかえたことを喜んでいるんだろうと思うと、彼女も面白くはない。
 すっと、顔を上げた桜は相澤の目を見つめて、すぐに視線を落とす。伏し目がちな彼女から色気のようなものを感じ取った彼は思わずどきっとしてしまった。

「じゃあ、たくさんヤキモチ妬いてもらいましょうか。私しか見えなくなるように……」

相澤の頬を撫でた桜の手が、滑るように首筋を撫でていく。頬を赤くして、ぞくりとした体を強張らせた彼に、彼女の体がより密着する。

「お、い……」

 勝手に高鳴っていく鼓動。期待してしまっている相澤から、急に桜の体が離れる。背を向けて、手で口を覆う彼女からは、抑えきれていない笑い声が漏れていて、体も小刻みに揺れていた。

「桜……!」

ユラっと髪を逆立てた相澤は怒っていることを見せながら桜に迫る。しかし、それも長くは続かなかった。

「可愛いなぁ、消太さんは」

 目尻に涙を溜めながら、よしよしと頭を撫でてくる彼女に、怒るのも馬鹿馬鹿しくなってしまう。はぁ、とため息を一つこぼして、彼はすっかりと冷めてしまったお茶を手に取った。

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