お昼寝したい

 窓ガラス越しに暖かい日差しが部屋の中に入ってくる。リビングの大きな窓から雪乃は何気なく空を見上げた。今日はよく晴れていて雲も少ない。ぽかぽかとした太陽の光が心地よくて、不思議と目を閉じたくなった。

(あったかい……)

 ふと、思いついたことをした試したくて、きょろきょろと部屋の中を探してみるけれど、リビングの中に探している人はいない。恐る恐るキッチンを覗いてみても見つからず、じんわりと一人にされてしまったんじゃないかと不安が広がった。

「あれ? どうしました?」

 ひょこっと出てきたのは探していた人。ホッとして、いつの間にか握っていた服の裾を話した雪乃は桜を見上げた。

「お姉ちゃん、探してた」

「そうでしたか。洗濯物を洗濯機から出してきただけだったんですが、声をかけた方が良かったですか?」

悩むように下を向いた雪乃の頭を見ていた彼女は、微かに口元を笑わせる。

「雪乃をおいてどこかに出かけたりしませんよ。もし、これから先、お留守番を頼むことがあるとしても、必ず声をかけます」

心配しないでと言葉にはされなかったものの、急に一人にされることはないと分かった雪乃は安心して強張っていた体から余計な力を抜いた。

「さて、今日は何をしましょうか? 私が洗濯物を干している間、考えておいてくれますか?」

 にこっと笑った桜に見入っていた雪乃は、ベランダへと歩いて行ってしまう彼女の背中を慌てて追いかける。

「お、お姉ちゃん!」

思ったよりも大きな声が出たことに自身で驚いた雪乃は、びくりと体を強張らせた。

「え? どうしました?」

なんでもないように振り返った彼女に、嫌われてないと安心してゆっくりと息を吐き出した雪乃はこわごわと見上げる。不思議そうな顔をしているだけで何も言わない桜はたどたどしくても雪乃が自分で言葉にするのを待っていた。

「えっと、あの」

いつも、何か言おうとすると上手く口が動いてくれない。もどかしく感じながら、どの言葉を使えばいいのか雪乃が考えていると、とても優しい何がか頭に触れた。

「ゆっくりでいいですよ。何を話してくれるのか楽しみに待ってますから」

 自分に視線を合わせるためにしゃがんでくれた桜の手に撫でられて、雪乃は自分の胸が、リビングの大きな窓から入ってくる太陽の光のようにポカポカとするように感じられた。

「あの、ね、雪乃も……」

言ったら、嫌がられてしまうかもしれないと思ったら雪乃の喉はきゅっと閉まった。声が出しにくい。両手で喉に触れた様子で、桜は何も言わずに雪乃を抱き上げた。

「大丈夫、大丈夫。何も怖くないから……」

背中を、とんとん、と宥めるように叩かれた雪乃は、彼女の肩口に顔を埋める。優しい匂いを感じると、怖い気持ちも、不安だった気持ちもどこかに行ってしまった。

「あのね、雪乃も、お姉ちゃんのお手伝いしたい……」

「洗濯物を干すの、手伝ってくれるんですか?」

顔を埋めたまま、うん、と頷くと、嬉しそうに笑った桜に雪乃は抱きしめられた。

「ありがとうございます。お願いします」

 少し前までは、こうして抱きしめられると、どうしていいのか分からなかった。でも、だんだんと、どうしたら彼女が喜んでくれるのか分かってきた雪乃は恐る恐る、手を伸ばして抱きしめ返した。

 優しく撫でられた雪乃の髪は、引き取られた当初、異様に長くキシキシとしていた。しかし、今は綺麗なショートボブに整えられ、適切な手入れをされている為サラサラとしている。

「さ、早く洗濯物を干しましょうか」

「うん……」

ひょいと雪乃を抱き上げた彼女は、これから干す洗濯物を入れたカゴを個性で持ち上げる。そして、二人は一緒にベランダで洗濯物を干し始めた。

***

 ベランダから見上げた空は、リビングの窓から見上げたものを同じなのに、どうしてかもっと広く、寒く感じた。ぶるり、と勝手に震えた体を両腕で抱えた雪乃に桜は微笑みかける。

「寒いですから、中で待っていてくれてもいいんですよ。お手伝いは、暖かくなった頃からで十分ですから」

首を振ったけれど、具体的に何を手伝えばいいのか分からない雪乃は、上目で彼女の様子を見た。

「それじゃあ、こうやってタオルをパンパンって伸ばしてくれますか?」

 見様見真似で、タオルの端を持ってしわを伸ばすように振る。小気味いい音に雪乃の心は踊った。楽しそうに目をキラキラとさせている彼女に、くすっと笑った桜は同じようにタオルのしわを伸ばす。

「そうそう。上手ですよ。たくさんやると、タオルはふわふわになるんですって」

「ほんと?」

目をまんまるにさせる雪乃が可愛くて、彼女はとても優しく目を細めた。

「夕方には乾いていますから、たたむときに確認してみませんか?」

「うん……!」

これまでよりも張り切ってタオルのしわを伸ばし始めた音を耳に、桜は空を見上げた。

 雲一つない空に、ほんの少しの寂しさを感じて視線を落とすと、手にしていた相澤のシャツを普段よりも、さらに丁寧に干した。

***

 洗濯物を終えると、彼女は掃除を始める。手伝いを喜んでもらえて嬉しくなった雪乃は、掃除でも手伝えることがあればと、桜の後ろをついて歩いた。

「じゃあ、おトイレ掃除をしてくるので、雪乃はこれで拭き掃除をお願いします」

「うん!」

自分が役に立てることが嬉しくて、雪乃はとても積極的だった。自分の身長よりも高いフローリングワイパーを一生懸命に動かしている。心配でトイレからこっそりと様子を見ていた桜だが、無理せず丁寧にフローリングを拭いている雪乃の様子に安心して、トイレ掃除を続けた。

 リビングの殆どを拭いた雪乃はキッチンの方へと拭き掃除を続ける。何も落ちていないキッチンの床を拭き上げると、次はどこを拭けばいいのか分からなくなった。

きょろきょろと左右を見て、廊下を拭き始めた頃には、桜がトイレ掃除と風呂掃除を終えていた。

「そこが終わったらおしまいです。ありがとう。雪乃のお陰で、とっても綺麗になりました。私がするよりも角のところとか、凄く綺麗にできてます」

 何度も具体的に褒められた雪乃は俯きがちに、もじもじとしながらも、嬉しそうに顔を真っ赤にさせていた。

「いつもより念入りにお掃除してたら、お昼になっちゃいましたね。さて、今日は何を食べたいですか? 昨日、たくさん材料を買ってきたのでなんでも作れますよ」

「え、えっと……」

桜の作ってくれる料理は美味しいものばかりだ。どれにしようと雪乃はあれこれ考えていると、ふと、昨日の夜、相澤に読んでもらった絵本のことを思い出した。

「あの、目玉焼き……」

「目玉焼きですか?」

不思議そうにしていたが、彼女が何を考えて目玉焼きと言ったのか分かった桜は、くすっと笑う。

「いいですよ。厚く切ったパンの上にチーズも乗せましょうか」

ぱあ、と一気に明るくなった表情に喜びを抱えきれない雪乃は、胸の前でぎゅっと手を握り締めてから、彼女へと抱き着いた。嬉しそうな雪乃の頭を桜は何度も優しく撫でていた。

***

 絵本で見たような厚切りのパンにチーズを乗せ、目玉焼きを乗せた昼食は、普段食べている量よりもずっと多かったというのに、雪乃はペロリと食べてしまった。

 空腹が解消されると、次に睡魔がやってくる。僅かな眠気を感じた雪乃は、ハッと思い出して桜の傍に寄った。

「あのね、今日やりたいことあるの」

「なんでしょう?」

 何を言い出すのか楽しみにしている桜に、雪乃はもしかしたらお行儀が悪いからダメだと言われてしまうのではないかと、急に不安になってしまう。どうしよう、と迷いながらも、急かさずに待っていてくれる桜の黒い目に励まされるようにして、雪乃は口を開いた。

「あ、あそこでお昼寝、したい……」

だんだんとか細くなった声で打ち明けられた桜は、小さな指が差すリビングの窓の方へと目を向ける。暖かな日差しが注いでいるそこは確かにお昼寝には良さそうな場所だ。

「いいですね。じゃあ、床だと寒いですから毛布を下に敷いて、好きなものを持ってきてお昼寝しましょう」

どこか楽しそうにしている彼女に、雪乃は戸惑いまじりの声をかける。

「怒んないの……?」

「どうしてですか?」

こてん、と首を傾げられてしまった雪乃は、困ったように引き結んでいた唇をおずおずと開く。

「だって、お行儀悪い、から……」

雪乃が気にしていることを理解した桜は穏やかな雰囲気を纏わせて、俯いている小さな頭へ手を伸ばした。

「確かにお外のおうちでやったら、お行儀が悪いと言われてしまうかもしれませんね」

やっぱりと、後悔している彼女に、ふふっと小さく笑う声が聞こえる。

「でも、ここは雪乃の家です。だから、どこでお昼寝をしてもお行儀が悪いなんて怒られたりしませんよ」

 雪乃の家です、という言葉が小さな子どもの胸に広がっていく。自分の居場所を認められたような感覚を受けるのは、ここに来てから何度もあるというのに、今も嬉しくて堪らない。

 ぎゅっと胸元を両手で握った雪乃が何かを感じているのを見て、桜は心配さをほんの少し混ぜた笑みを浮かべた。

「……お昼寝しましょう。タオルとか、ぬいぐるみとか雪乃の好きなものと一緒に」

恐る恐る顔を上げた雪乃に彼女はにこっと口元に笑みを引いて立ち上がる。

「厚手のふかふか毛布を持ってきますから、雪乃は自分の好きなものを探してきてくださいね」

「う、うん」

よしよしと数回小さな頭を撫でた桜は、以前、相澤と一緒に使っていた寝室だった部屋へと入っていく。

撫でられた頭に触れて余韻を感じていた雪乃は、我に返ると慌てて立ち上がった。そして、あれこれと悩んでその場でくるくると回ってしまう。

(好きなもの、好きなもの……)

 ここに来てから毎日のように好きなものは増えている。もらったクマのぬいぐるみ、いつも夜に読んでもらう絵本、みんなでお揃いの猫のパーカー、もこもこひつじの腹巻、他にもいろいろと思いついてしまって、雪乃は困り果てていた。

 どうしようどうしようと考え込んでいると、ふと雪乃は眠る前にいつもあって安心するものを思い出した。それを取りに雪乃はいつも三人で寝ている部屋へと駆け込んだ。

 目的のものを持った雪乃がリビングに戻って来ると、桜が厚手の毛布を敷いているところだった。

「おかえりなさい。好きなもの、選べたみたいですね」

小さな両手で抱えているそれを見た彼女は、意外そうにすることもなく微笑む。

「あの、遅くなって、ごめんなさい」

 自分が言いだしたのに手伝わなかったことで嫌われたんじゃないかと怖くなっている雪乃に、桜はうーん、と考えるような声を出す。

「こういうときは、"ありがとう"って言うんですよ」

言ってごらん、と何も言わずに桜が待ってくれているのが分かった雪乃はもごもごと口を動かした後、恥ずかしさを感じながらなんとか口を開いた。

「あ、の、あり、がと……」

真っ赤な顔で俯いている様子が、なんだか相澤が照れているときのように見えた桜はおかしそうに小さく笑う。

「お姉ちゃん?」

「なんでもないですよ。雪乃は可愛いなって思ったら、つい笑っちゃって」

 雪乃が寝室から運んできた小さなタオルケット。それを見た彼女はまた目を細めた。

「それが雪乃が一緒にお昼寝したい、好きなものなんですね」

両手で、ぎゅっとタオルケットを抱きしめながら頷いた雪乃は、これをもらったときのことを思い出す。

***

 初めてここに来た翌日、足元が冷えないようにと桜が持ってきたタオルケットには、可愛らしい犬や猫のイラストが描かれていた。

「これは雪乃ちゃんに」

驚いて動けないでいる雪乃は差し出されたタオルケットを受け取ることもできなかった。

「受け取ってもらえますか?」

「いいの……?」

自分なんかには勿体ないほど可愛いと思うタオルケットへ目を向ける。本当にこれを受け取ってしまっていいのか、分不相応なのではないかと雪乃は胸元で両手を握り締めた。

「雪乃ちゃんに似合うと思って選んだんです。だから、受け取ってもらえると嬉しいな」

恐る恐る伸ばされた小さな手が、桜の差し出すタオルケットを受け取る。

「あ、りがと」

 ほのかに香った柔軟剤の匂いは、昨晩、使った布団からもした。柔らかく優しい手触りと、可愛い絵柄。そして初めてもらった自分だけのもの。それが嬉しくて堪らなくて、雪乃はタオルケットに顔を埋めた。

 それからは、絵本を読むときや、お絵描きをするときだけでなく、夜に眠るとき使うようになった。

***

 雪乃と同じように思い出していたのか懐かしそうな目をしていた桜は嬉しそうに表情を緩めている。

「雪乃が、そのタオルケットを好きになってくれて嬉しいです」

赤い頬をさせて上目で見てきた雪乃の髪を撫でながら、桜は目を伏せた。

「さ、一緒にお昼寝しましょう」

「お姉ちゃんは?」

首を傾げている雪乃と同じように、桜もかくり、と首を傾げる。

「一緒に寝ますよ?」

 そうじゃないと首を振った雪乃は見せるようにタオルケットを持ち上げた。

「お姉ちゃんの好きなもの」

「そうですね……」

そういうことかと、桜は考えるように顎に手を添える。ちらりと、見上げてくる雪乃を見てから、彼女は寝室へと入っていく。

すぐに戻って来た桜の手にあるものに雪乃は目を瞬く。

「さ、今度こそこれでお昼寝できますね」

 先にころん、と横になった桜の隣に慌てて横になった雪乃は、なんとなくタオルケットを抱きしめた。
 想像通り、ポカポカとした日差しが気持ちいい。じんわりと体が温まってくるとお腹も満たされていることもあって、どんどんと眠くなっていく。

「気持ちいいですね」

「うん……」

頭を撫でられている雪乃の目は、とろんとしている。ふかふかとした毛布も気持ちがいいし、何より、こうして桜や相澤のような優しい手に撫でられることが心地いい。鼻を押し付けているタオルケットから、感じる匂いに雪乃の目はゆっくりと閉じられた。

 眠り始めた雪乃の寝息を聞きながら、桜の表情が緩んでいく。この子にもっと楽しいことを教えてあげたい。もっと笑顔が見たいと思うのは自分だけではないと、桜は持ってきたものに頬を寄せる。うっかり洗濯し忘れた、昨夜、相澤が着ていたシャツ。それから感じる匂いは、彼女の心を落ち着かせた。

 しばらくすると、桜も微睡はじめ、そのまま眠り始めた。

***

 夕方。帰宅した相澤は誰も出迎えに来ないことを不思議に思った。何かしていて出られないのであれば、声をかけられたり、奥の部屋から物音が聞こえてきてもおかしくはない。普段よりも急ぎがちに靴を脱いだ相澤は早足でリビングへ入った。

 この時間、いつもであれば明かりがつけられている。しかし、今日はそれもなく、リビングの中は薄暗かった。耳を澄ますと、微かに聞こえてくる二つの呼吸。その息遣いで、二人が何をしているのか理解した相澤は、その音がする方へそっと近づいた。

 夜寝るときに使っているタオルケットを抱きしめている雪乃と、相澤のシャツに顔を埋めている桜は肌寒くなってきたのか体を寄せ合っている。

「おい、こんなとこで寝るな。風邪ひくぞ」

二人の体を軽く揺さぶってみても、起きる気配はない。雪乃に至っては、転がっていったと思ったら、敷かれていた毛布の端を掴んで体に巻き付けながら戻って来た。

「桜」

 とりあえず、彼女だけでも起こそうと、もう一度体を揺らす。相澤に体を揺らされた桜は小さく身じろぎすると、元々くっつけていた彼のシャツに更に顔を埋めた。

「いい匂い……」

幸せそうにシャツに頬ずりをしている桜が可愛らしく見える。しかし、どこか面白くない。

「おい、桜」

強く揺さぶってみると彼女はやっと、その目を開けた。数回、ゆっくりと瞬きをすると、シャツに顔を付けて、また目を閉じてしまう。

「……俺よりそっちがいいのか?」

耳元で囁くと、桜は全身を震わせて目を覚ました。背中側から自分を覗き込んでいる彼に酷く驚いている。

「消太、さん……?」

 何が起きているのかまだ理解していない彼女の目に、自分だけが映っている。しかし、それだけでは、相澤は満足しなかった。

「そんなのと、俺、どっちがいいんだ?」

まだ桜の手にあるシャツへ、一度視線を向けてから訊ねる。寝起きでまだ頭が働いていないのか、首をこてん、と傾げた彼女がじれったくて、仰向けになるように組み敷いた。

「なあ、どっちだ?」

薄く開こうとした彼女の口を自分のそれで塞ぐ。一気に真っ赤になった桜の目は、今度こそちゃんと覚めた。

「あ、あの、おかえりなさい」

「ただいま」

 もう一度唇を重ねて、すぐに離す。鼻先を触れ合わせたまま、相澤はもう一度同じ質問を繰り返した。

「答えろ。俺と、そのシャツ、どっちがいいんだ?」

何を言っているのかと目を瞬いた彼女は、彼の目を見て何を聞き出したいのかを理解する。おかしそうに、くすりと一つ笑って、相澤の頬を撫でる。

「消太さんに決まってるでしょう? シャツは消太さんを少しでも感じたいから持ってただけですよ」

嬉しそうに頬を緩めて甘えてくる彼を、他の人は見ることはできないだろう。そう思うと、桜の胸の中で相澤を想う気持ちがより鮮明になる。
 よしよしと頭を撫でていると、小さなぐずるような声が隣から聞こえてきた。二人は、顔を見合わせて小さく笑うと体を離す。

「桜」

 雪乃を起こそうをしていた桜が振り返ると、もう一度、相澤の唇が触れた。彼女の不意を打てたことに、彼はニヤリと笑っている。どう見ても意地の悪い笑顔だと言うのに、そんな表情さえ好きだと思ってしまう桜は、赤くなりながら相澤に背を向けるのだった。

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