すれ違いと回り道


 別に聞こうとして聞こえてきた話ではない。たまたま偶然、彼女の声だったから爆豪の耳に入ってきた。

「私は、かっちゃんが好き」

 心臓が握られたようだった。どくりと強く脈打って、熱を持った血が全身を巡っている。いつだって、どこにいたって拾ってしまう名前の声が、このときばかりは、きゃあきゃあと騒ぐ女子の声に埋もれていくようだった。

「爆豪? 入口の前で止まってどうした?」

 首を傾げる切島に気づかれないようにチッと舌打ちをする。

「うるせぇ。ンでもねェわ!!」

フン、と鼻息を吐き出して名前が話している女子のグループの前を通り過ぎる。楽しそうに笑っている彼女を無理やり意識の外に外して、何事もなかったように爆豪は自席へ着いた。

***

 爆豪と緑谷、そして名前は幼馴染だ。いつも爆豪の後ろをついていた緑谷と違って、彼女が一緒に遊ぶことは少なかった。ただ、泣いている緑谷のそばにいて宥めていることが多かった。
今でも爆豪の記憶にはっきりとある。緑谷の涙を拭いながら、視線を寄こす彼女の目に非難の色はなく、ただ困り切っていた。あの目には、泣いている緑谷に向けられているものと同じ気遣いと優しさがあった。そんな彼女だからだろうか。いつの間にか緑谷に寄り添う名前を見るのが嫌いだった。

 視界の端でとらえた名前は真剣に授業を受けている。爆豪にとってなんの難しさも感じられはしない問題を、彼女は薄く眉間にしわを寄せて悩んでいた。視線に気づいたのか名前が顔を上げる。目元だけで向けてきた笑みに、思わず頬杖から顔を上げていた。

 もし、本当に彼女が想っていてくれたのなら。そんな考えに胸が熱くなって、名前の視線を正面から受け止めることが出来そうにない。視界から彼女の姿を外して、ケッと小さく息を吐き捨てた。

***

「かっちゃん? ねえ、かっちゃん」

「あ?」

 帰り道、ずい、と顔を近づけてきた彼女に、爆豪は思い切り体をのけ反らせた。

「大丈夫? 最近、全然目を合わせてくれないけど、なにかあった?」

近い距離で首を傾げる名前の匂い。ふわりと香ったシャンプーの匂いは昔、夏祭りで手を取ったときに知ったものと変わっていなかった。

「かっちゃん?」

心配そうに見上げてくる彼女の目に心臓が跳ねる。意識しないようにこれまで気づかないようにしていた気持ちの蓋がグラグラと外れかかって感情が揺れ動く。

「もしかして、出久くんとケンカしたの?」

 その口から出た名前に揺れ動いていた感情が更に強く揺さぶられる。湧き上がってくるふつふつとした何かに胸の中が焦がされて苛立ちが膨れ上がった。

「あ? テメェ、なに言ってやがる。デクがなんだって? ああっ!?」

「出久くんとケンカしたわけじゃないならいいんだ。前に謹慎したときなんて二人とも結構ケガしてたから心配だったんだよ」

よかったよかったと笑う名前に舌打ちする。凄んでみても、子どもの頃と変わらず、まったく気にした様子はない。

「ケンカするほど仲がいいってことなら羨ましいな。そういえば、出久くんとケンカしたことないかも」

頭の中がカッとして彼女の手を掴む。そのまま力任せに引き寄せれば、名前の驚いた顔が目の前にある。

「出久出久ってさっきからうるせェんだよ!! テメェは俺に惚れてんだろが!! だったら他の男の名前ほいほい出してんじゃねェ!!」

「………」

 しん、とその場が静まり返る。口を開けて呆けている彼女が数度瞬きをしてから、ゆっくりと首を傾げた。

「え、っと……え?」

本当に何のことか分からないでいるのは、幼馴染ゆえか名前の表情で分かった。だんだんと嫌な予感がしてきて、爆豪の額には汗がじわじわと浮かび上がる。

「かっちゃん、その、誰が言ってたの? 私が、かっちゃんのこと好きって」

「……テメェが、言ってたんじゃねーか」

確かに聞いた。先日、朝の教室で女子たちに囲まれるようにして話しているのを偶然だったが間違いなく聞いた。ぶっきらぼうにそう伝えてみれば、名前は顔をみるみる真っ赤にして、わなわなと震えだす。

「か、かっちゃん、そ、それ……」

 まったく期待がないと言えば嘘だ。小さな頃から、泣いている緑谷を慰めることが多かったせいか、名前と緑谷は大きくなったら一緒になればいいと周囲の大人が望んで話していたのを知っていた。二人の間にそんな感情はないことも知っていたから、気分はよくないが彼女と緑谷が二人きりでいてもよかった。大人たちは露とも知らないだろうが、今もずっと名前を欲しいと思っている。

「それ、たっちゃんとかっちゃん、どっち派って話だよ」

「は?」

大きな声でカラカラと笑った名前は目尻に溜まった涙を拭って爆豪を見上げる。

「すっごく昔のマンガの話。双子の兄弟、どっちが好みって話してたの」

「マン、ガ……?」

予想しない言葉に混乱しながら繰り返した爆豪へ彼女はうんうんと笑いながら頷いた。

「そ、そうだよ。かっちゃん、自分のことだと思ったの?」

腹を抱えて笑う名前に今度は恥ずかしさで苛立って、爆豪の顔が端から端まで真っ赤に染まり切る。

「紛らわしい話してんじゃねェ!!」

両の手からバチバチと火花を散らす爆豪に名前は"でもね"と隣へ立つ。

「最近のかっちゃんはカッコよく見えるよ」

呆気に取られている爆豪に一つ笑みを残すと、先を歩いている誰かを見つけて名前は走っていった。彼女の走る先を目で追いかけると、その先に見えた背中にまた一気に頭に血が上る。

 "轟くん"と名前の声が響く。振り返った気に食わないツートンカラーの髪の男が足を止めるのが見えて、さらに気に入らない。追い付いた彼女は、何か話しかけると笑って一緒に歩き出した。

「いいのか? 爆豪と一緒に帰ってたんだろ?」

「いいのいいの。もう少し妬かせないと、ちゃんと言ってくれそうにないから」

名前が髪をかけた耳が赤いのを見ながら、轟は彼女がいいと言うならそうなんだろうと視線を前へ戻す。後ろから"半分野郎!! 一緒に歩いてんじゃねェ!!"と怒鳴る声を聞きながら、"二人とも正直に好きだって言っちまえばいいのに"と、彼は鼻で小さくため息をもらした。
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