同じ未来に進んだ日

 二人で住む為に契約した部屋。室内に運び込まれた荷物たちが意思を持っているかのように飛び回っている。ダンボール箱から飛び出していく衣類たちはクローゼットに、食器や調理器具たちはキッチンへと飛んでいく。

 相変わらず便利な個性だなと思いながら、相澤は自分の荷ほどきを続ける。物をほとんど持っていない彼の荷物は少ない。彼女も一般的な人よりも物が少ないが、調理器具だけはよく持っていた。
 自分の目の前を浮いている見たことのない調理器具は一体何に使うものなのか相澤には分からない。キッチンにいる桜は、調理器具や食器をしまう場所を考えているのか、時折悩むような声を漏らしている。

「なんか手伝うか?」

 ふよふよと浮いていたよく分からない調理器具が壁にぶつかる前にと捕まえた。彼に声をかけられた彼女は、ハッとして部屋のあちこちで浮いている調理器具たちに目を向ける。

「すみません、夢中になっちゃって」

浮いていた調理器具たちが手前から順にキッチンの中へと入っていく。とりあえず、ワークトップや流しの中に置かれていく様子を見ていた相澤は、手にしていた調理器具を桜へ差し出した。

「コレ、何に使うんだ?」

 鉛筆削りのようなハンドルのついた調理器具。彼女が持っていなければ、調理器具ではなく、何かの工具のようにも見えなくなかった。

「それは野菜を麺みたいするんです」

ここに野菜を入れて、なんて説明する桜に相澤は眉間にしわを寄せずにはいられない。そんな彼の目に彼女は苦く笑いかけた。

「言いたいことは分かりますよ。こんなの頻繁に使わないだろって思うんでしょう?」

 言葉にしなくても表情や目で語ってくる相澤に桜は調理器具を弄りながら、コレを受け取ったときのことを思い出す。

「頂き物なんです。厚意ですから無下にはできないじゃないですか」

調理器具に向けられる眼差しと言い方に何かを感じ取った彼の眉根がピクリと反応した。

「相手、男だろ」

「えっと、まぁ、そうですね……」

 物に罪はない。だから捨てろとは言えないけれど面白くはない。不満そうに顔を顰めている相澤に、桜は逸らしていた目を向けた。

「男性といっても、相手は子どもですよ? 仕事中で救護した子がお礼にって福引で当てたものをくれただけです」

"ありがとう"の言葉とともに差し出されたお礼と笑みを思い起こせば、自然と彼女の表情も柔らかくなる。
 人から向けられる厚意を素直に受け入れられる桜も好きだが、子どもであろうと、この優しい表情が自分に以外の男に向けられるのは面白くない相澤は、黙って彼女の手を引いた。

「消太さん?」

「………」

 無言で抱きしめてくる彼に、ふ、と笑った桜は額を相澤の胸元へ押し付ける。

「ヤキモチ妬き」

「……惚れさせたお前が悪い」

思ってもみない返答に、目を瞬いた彼女はゆっくりと顔を上げた。しかし、彼の顔をよく見る前に、大きな手で元の位置に戻されてしまう。

「こっち見んな」

「ふ、ふふ」

 我慢しきれずに零れた笑い声に、相澤は腕の中にいる桜を不貞腐れた顔で見下ろした。

「なに笑ってんだ」

「いえ、まさかそんなことを言われるなんて思わなかったので、つい」

嬉しくて、と胸に顔を押し付けてきた彼女が可愛らしいあまり、彼は更に顔を赤らめる。

(本当に勘弁しろ……)

 そう思っていることを隠す相澤の為、くすくすと笑いながらも桜は大人しく抱きしめられていた。

***

 風呂で一日の汗を流し、彼女の用意した食事を終える。食後のお茶を淹れてきた桜は、相澤から少し離れたところに座った。
 いつもなら隣に座る彼女に、どうして離れて座るのかと彼が目で訴えてみれば、にこっと笑みでかわされる。

 このまま言葉にしないでいれば、いつもの寄り添う時間は来ない。そう瞬時に理解した相澤は不満げに下唇を突き出してから、諦めて口を開いた。

「……なんで離れてんだよ」

「うーん……」

 お茶を一口飲んだ桜は、悩むように頭を傾かせると、ちらりと彼を横目に見る。不満そうな表情とは異なり、彼の目は寂し気な色が混じっているようで、彼女は苦笑して口を開いた。

「"おいで"って言ってほしくて」

 目を瞠った相澤に見られている恥ずかしさを逃がそうと桜は俯きがちに湯呑を手にする。さらさらと流れていった艶やかな黒髪の間から覗く耳が赤い。
 じわじわと高くなってくる頬の熱に視線を下げてから、彼はゆっくりと目を開いた。

 ふぅ、と長く吐き出された、ため息の音。さすがに断られてしまうかと思っていた彼女が"冗談です"と言おうと顔を上げる。

「ん……」

 恥ずかしさで顔を赤らめながらも両手を広げている相澤に、桜の胸には言い表しがたいほどの温かさやくすぐったさが広がっていく。

「消太さんっ!」

 気持ちのまま素直に胸に飛び込んだ彼女を、相澤がしっかりと抱き留める。触れているところから伝わる彼の温もりに、先ほどよりも甘く痺れるものが彼女の胸の中でさらに大きくなっていた。

 大きくなり続ける愛おしさからこぼれた嬉しそうに笑う声。とても幸せそうに頬を緩ませている桜に相澤の表情も和らぎ、無意識に彼女の頭を撫でていた。

「消太さんの手に撫でてもらうの、凄く好きです」

「知ってる」

 毎回幸せそうに微笑まれれば、誰でも気づくと思いながらも、この幸せそうな顔をする桜を誰の目にも映したくない。知っているのは自分だけでいいと、相澤は彼女に顔を寄せた。

 目を覗き込むように近寄ってきた彼の顔。いつもと変わらぬ表情をしているというのに、不思議と纏う雰囲気は柔らかい。
 そっと唇が重なり、離れる。触れ合ったままの鼻先も至近距離で見つめられることもくすぐったくて、桜は笑い、目を伏せた相澤は口元に弧を描いた。

「桜」

 少し掠れた甘い声に呼ばれた彼女の瞼が閉じる。頬を撫でながら、また唇が重なり、ちゅっと音を立てて離れた。
 何度も何度も丁寧なキスを繰り返され、受け入れるだけだった桜の唇も、相澤の唇もお互いのそれで濡れている。濡れた唇の上を、食べるように動く彼の唇が何度も撫でながら滑り、ときどき重なる。

 いつになっても、好きな人と交わすキスに緊張してしまう桜は、息を継ぐのが下手で不足し始めた酸素を求めて口を開いた。

「桜」

 熱い舌が彼女の小さな口の中へ滑るように入り込む直前に、溶けるような甘さを含んだ声で呼ばれた桜は腹の奥がきゅん、疼いたのを感じた。

 どんどんと深くなるキスに彼女の白い頬は赤く染まり、綺麗な瞳も涙に潤んでいる。彼女の口に吸い付きながら、こめかみから艶やかな黒髪の間に彼の手が包むように差し込まれた。
 座っていることすらできなくなった桜が体勢を崩したのを見逃さない相澤は、後頭部を打たないように気を配りながら、優しく彼女を押し倒す。

「消、太……さん」

 吐息交じりに呼ばれたことで彼の体が強く反応した。頭の中はもう、目の前の桜のことでいっぱいになり、冷静な相澤から理性を溶かしていく。

 欲のまま、貪るようなキスを繰り返し、舌を絡め合ってお互いの熱を高めていけば引き戻せないところまでくるのはあっという間だった。
 息を乱している桜の顔にかかる髪を払ってから、相澤の無骨な手が滑らかな肌を撫でる。

「なぁ……」

 熱を帯びたことを主張するそこを、彼女の体に押し付ける。我慢できない、シたいと訴えてくる彼の頬へを手を伸ばした桜は自分から唇を寄せた。

「うん。消太、もっと触って……?」

 越してきたばかりの部屋の床で致してしまえば、彼女の体を痛めてしまう。薄っすらと残っていた理性で、桜を抱き上げた相澤はそのまま寝室へと運ぶ。

 彼女が選んだカーテンが引かれた薄暗い寝室。そこにあるベッドに桜を座らせた相澤は、優しく下ろしたときとは異なり、強引に彼女を組み引いた。

 カーテンの隙間から入り込む満月の灯りに照らされている彼は、誰も知ることのないであろう欲情した男性の色気を纏っている。首筋に吸い付かれて、声を漏らした桜に気をよくした相澤はそのままの状態で、彼女の指に自分の指を絡めた。

「んんっ……!」

 桜から上がる甘い吐息が近くで鼓膜を震わせるのを感じながら、彼はぺろり、と白い首筋を舐め上げる。

「ひゃっ!?」

 驚いて体を強張らせた彼女の首筋から顔を上げた彼は、真っ赤になっている桜を見下ろした。先ほど舐めた首筋を押さえて、どんどんと赤くなっていく桜は涙目でぱくぱくと何か言いたげにしている。
 どうして彼女がこんなにも愛おしいのか。考えたところで理性で感情を処理しきることはできないのに、と自嘲から薄笑いを浮かべた彼に彼女は手を伸ばした。

「消太さん……」

 気にかける包むような優しい眼差しに相澤の胸が高鳴る。頬を撫でていた白く細い指が彼の瞼を通り過ぎた。おもむろに相澤が目を開いて見たのは、色香を漂わせる桜の笑みだった。

「よそ見しないで、ちゃんと私だけ、見て……?」

 くらりと酔ってしまいそうなほどの色気に、はぁ、と息を吐き出した彼は無造作に髪をかき上げる。

「煽ったんだ。責任取れよ」

 長く熱い、溶けてしまう夜が始まる。同棲初日の夜は、こうして更けていくのだった。
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