貴方に恥じないように

 そういえばと、ふと、気になる。隣を見れば、山田に誘われて一緒に昼食を取っている防人の整った横顔が見えた。すぐに視線に気が付いた彼女は相澤へ顔を向ける。

「どうしました?」

かくりと首を傾げた防人の髪がさらさらと流れる。それが妙に目が行ってしまって、不覚にもどきりとした。

「相澤先輩?」

「いや、お前はなんで俺のこと知ってたのかと思って……」

どきりとしたことを悟られないように、防人を視界から外す。容姿が整っている人間は心臓によくないなと、どこか冷静な頭の片隅で思った。

「覚えて、ないですか?」

聞こえてきた寂しそうな声は、普段の彼女のものとは想像が出来なくて驚いた。慌てて振り返れば、悲し気に俯いていた防人は顔を上げて取り繕うように笑みを見せる。

「困っていたところを助けてもらったんですよ」

それで十分だろうと言わんばかりに話を切り上げた防人は、先ほどからじゃれ合っている山田と白雲を見た。二人の会話に加わった彼女が笑う。その横顔を見ながら相澤は自分の記憶を手繰り寄せ始めた。

 彼女の黒い髪がそよ風で揺れる。あの日からずっと胸ポケットに入れっぱなしになっている黒猫のメモの存在を思い出す。

(黒猫……俺を思い出す……?)

ぼんやりと脳裏に蘇ってきたのは、いつだったかの雨の日のことだった。

***

 結局、その日は何も思い出せなかった。別に防人に思い出してほしいと言われたわけでもないし、無理にすることでもないと思っているのに、彼女が悲し気に俯いていた様子が頭から離れない。
 ため息を一つこぼして、帰り支度を始めると隣からやかましい声がかけられた。

「HEYHEYHEY! ため息なんかついちゃってどーしたYO! あんな可愛い子と一緒に昼飯食えたのに幸せが逃げちまうぜ!?」

顔を顰めながら山田を見たが、彼はまったく意に介さず親指で外を指した。

「そういやさっき、一年の可愛い子が教室覗いてったぞ」

別に約束をしているわけじゃないし、防人が自分を待っているだなんて自惚れたくはない。それでも、気になってしまう。

「……別に防人の待ってる相手が俺とは限らないだろ」

ぶっきらぼうに言いながら荷物を持って立ち上がると、山田は目を見開いてからおかしそうに笑いだす。

「マジか!! 俺は"一年の可愛い子"としか言ってねーっつーのー!!」

勢いよく振り返る。確かに、一年の可愛い子が防人とは限らない。それなのに、どうして防人だと思ってしまったのか。悔しさと恥ずかしさで無視を決めて、相澤は教室の外へ出て行った。

***

 探すつもりはない、と自分に言い聞かせながら昇降口を目指す。山田に引っ掛けられた悔しさと恥ずかしさで動かす足はいつもよりも早くなっていた。
 でも、と思った瞬間に歩く速度が落ちる。あの時、山田に言われなかったら防人を探していた気がする。

(なんであいつを探そうだなんて……)

「相澤先輩!」

 びくりと体が縮みあがる。ゆっくり振り返れば、いつも通りの彼女が華やかに笑いながら駆け寄ってきた。驚きで早く脈打つ心臓を、深く息を吸い込んでなだめる。前髪を跳ねさせた防人は、どこから駆けてきたのだろうか。

「防人、廊下は走るなよ」

「すみません、相澤先輩を見つけて嬉しくなっちゃって」

はにかんで笑った防人の頬が赤い。走ってきたせいだと思うが、もしかしたら本当に自分が影響しているのだろうかと思わされた。

「何か用か?」

 分かっているくせに、どうしてか今はこんな聞き方しかできない。今の言い方はなかったかと不安になりながら、ちらりと防人を窺えば彼女は"ああ"と微笑んだ。

「今日はまだ言えてなかったんで」

誰もいない校内の廊下で夕日に照らされる防人に息を呑む。真剣に見える眼差しと赤く見える頬は夕焼けのせいかもしれないが、相澤の胸をときめかせた。

「好きです」

黙ったまま何も言えないでいる相澤に微笑むと彼女はまた話し出す。

「今日、相澤先輩が戦闘訓練をしているのを見かけました。初めて見たんですけど、カッコよかったです」

「……どこがだよ」

 今日だって散々だった。個性で相手の個性を消したところで互角に持ち込めても格闘は得意ではない。体格差でボロボロになったところを見たであろう彼女に冷たい口調になってしまった。

「ボロボロにやられることがカッコいいんじゃありません。そこから立ち上がるからカッコいいんですよ」

当たり前のように言った防人の目を見る。黒い目はとても澄んでいて、奥には彼女の芯の強さが感じられた。その目を見れば、今、口にした言葉に嘘はないんだろうと信じられる。

「応援してます。誰よりも」

それから、と恥ずかしそうに防人が笑う。

「相澤先輩が先にヒーローになったとき、恥ずかしい後輩だと思われないように私も頑張ります」

橙色に染まる校舎の中で、相澤はただ防人を見つめたまま動けずにいた。

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