君に告げられた春

※このお話には性行為を匂わせる描写があります。苦手な方は閲覧にご注意ください。

 ふぅ、と息を吐き出す。夜になり始めた屋上から空を見上げた防人は深くかぶっていたマントコートのフードを外した。曇っている空の様子から予報通り雨が降り出しそうだ。

「桜」

 呼ばれた声の方へ、彼女は風で揺れる髪を押さえながら振り返る。彼の姿を認めた防人の表情はとても穏やかなものになった。
まるで自分を待っていてくれたように思える彼女に相澤の胸が小さく跳ねる。

「こんばんは。今夜はこれからお仕事ですか?」

「いや、今、上がったところだ」

隣にやってきた彼を見上げて"お疲れ様です"と彼女は気遣う言葉をかける。

 誤解をなんとか解いた日から、二ヵ月。季節は春から夏へと変わり始めていた。お互いに暑そうなヒーローコスチュームを纏っているなと思うようになったのは春が終わる前だっただろうかと、防人は頭の隅でぼんやりと思い出していた。

「そっちは?」

「私もこれで上がりなんです」

 ということは、このまま彼女は入り浸っているという事務所の仮眠室へと戻るのだろうと相澤が思っていると防人は緊張した面持ちで"あの"と声をかけてきた。

「今夜、何かご予定はありますか?」

「え?」

付き合っていた頃、よく見ていた頬を染めた彼女。そんな彼女が目の前にいることが相澤を信じられない気持ちにする。

「予定がなければ、ご飯、ご一緒しませんか……?」

 落ち着かなさそうに手を組んで俯いた防人に期待していいのだろうか。不安がないわけではない。しかし、それ以上に期待したい気持ちが相澤の中で強かった。

「ああ……」

短い返事に、安堵してホッと息を吐いた彼女は、彼の視線に気づいて、ふんわりと微笑んで見せた。

***

 どこかの飲食店に入るのかと思っていた相澤は防人に連れてこられた場所があまりに予想外で目を丸くさせていた。

「どうぞ」

柔らかい声に添えられて出されたスリッパに見覚えはない。しかし、この場所はそれなりによく知っている。

「部屋、残してたのか」

 雄英高校からほど近いマンションの一室。学生時代、彼女が住んでいたこの部屋は、とっくに引き払ってしまったのだと相澤は思っていた。

「元は母の持ち物なんです。だから、どうしても手放せなくて」

苦く笑う彼女に勧められるまま、スリッパを履いて廊下を歩く。その先には最後に見たときとは違うレイアウトになったリビングがあった。

「どうぞ、くつろいでください。すぐに支度しますから」

着替えにいった防人をなんとなく見送ってしまった相澤は見慣れない室内にぐるりと視線を走らせる。

記憶との違いに落ち着かない気持ちであったが、一つ一つよく見てみれば家具はどれも以前と同じもの。まったく知らない部屋というわけではないことが、彼を安堵させた。

「……あの、もしよければ、なんですが」

 いつの間にか戻って来た防人は、言うかどうするか迷っていて、はっきりとしない。

「どうした?」

意識しなくても優しくなる相澤の口調に、おもむろに顔を上げた防人は、抱きしめるようにして持ってきたものを差し出した。

「先に、お風呂……入りますか?」

 彼女の手にあるものに彼の目が大きく見開かれる。男物の黒い上下のスウェットは、ここにしょっちゅう泊まりに来ていた頃に使っていたもの。

「コレ、まだとってたのか」

「捨てられるわけないじゃないですか」

目元を赤らめてどこか少し恥ずかしそうにしている防人に、相澤は伏せていた目をゆっくりと開ける。言葉にされなくても、これが残されているということは彼女が離れている間も想ってくれていた証明だ。

「桜、好きだ」

 瞠目した防人は驚いて、くっと息を止めた。勝手に早くなっていく心臓の動きを感じながら、彼女は言おうと決めていたことを伝えるために口を開こうとする。

緊張のせいで、唇が震えてしまう。自分らしくないと思ったら、おかしくなってきた防人は目を伏せて小さく笑ってから、相澤を見つめた。

「大好きです。……消太さん」

 これでもかというほど大きく目を瞠る相澤は、自分の耳を疑った。彼女の部屋に呼ばれたことに浮かれて、都合のいい聞き間違いをしたと思った方が納得できる。動揺しながらも、確かめたくて聞き返さずにはいられなかった。

「本当、なのか……?」

「はい」

眉を下げながら笑う防人に手を伸ばす。強く抱きしめれば、彼女からも抱きしめ返されて、自分が耳にしたことが間違いではなかったと彼は噛みしめるように目を閉じた。

「ごめんなさい。待たせてしまって……」

「お前は何も悪くない。俺がバカだったんだ」

存在を確かめるように彼は彼女の首筋に顔を埋める。

「公園で、桜に動きを止められて、やっと気づいた。お前は俺が守ってやるだけの奴じゃない。むしろ、俺より強いのかもしれないって……」

「そんなこと―――」

「ある。お前は俺よりずっと凄いよ」

絹のような黒い髪を撫でながら彼は後悔してきたことを口にし始めた。

「……俺はお前を守ってやらなきゃいけないと思い込んで、お前の実力がちゃんと見えていなかった。守れなくて、お前を死なせたらって考えたら怖くなって、桜の前から逃げたんだ」

 それは何となく知っていた防人は返事をしなかった。代わりに抱きしめる腕に力を入れる。

親しい人が目の前で死ぬ。白雲を目の前で失った相澤にとって、現実味のあるその恐怖を理解できても知ることはできない。だから、一日も早く実力をつけて彼に安心してほしいと思っていた。

「でも、お前は、諦めないでいてくれた。こんな俺なんか―――」

「なんかじゃありません」

 体を離した防人は相澤の口に細い指を乗せて止める。

「私の好きな人を貶める発言は聞き逃せません。それが本人であっても」

困ったように笑う彼女があまりにも変わらないでいてくれたことを嬉しく思いながら彼は頷いた。

「一人で、ずっと頑張ってきたんでしょう?」

 頭を撫で返してきた防人の目が穏やかに細められる。

「その中に少しでも私の為があるなら―――」

撫でるのを止めた手が、するりと下りてきて相澤の頬を一撫でして添えられた。

「―――ありがとう」

花のように顔を綻ばせた彼女の手を彼の大きな手が捕まえる。離れていた二人の体が隙間なくくっつくくと、相澤は防人の目をじっと見つめる。

 彼の目にある熱に気づいた彼女はそこから目を離せなくなった。そっと近づいてきた相澤の顔は、鼻先を触れさせ合うと、その先に進めていいか言葉なく確かめる。淡く頬を染めた防人がゆっくり目を閉じると、待っていたように唇を重ねた。

 ようやく触れ合えた唇を一度で離すことはできず、何度も何度も繰り返す。一度触れるたびに込み上げてくる好きに、これまでの寂しさも苦しさも切なさも癒されていくようだった。まるで、初めてキスを交わした日のように繰り返していると、ふと、頬に感じるものがあって彼女は目を開けた。

相澤の目から落ちてきた涙。それは一つ、二つといくつも溢れて彼女の頬に落ちて流れていく。苦しかったのは自分だけではなかったのだと思うと、彼女の目にも涙が込み上げる。そこから溢れた涙は、相澤の流したものを合わさって、防人の首筋へと流れて行った。

「もう、離してあげませんから」

 冗談っぽく笑う彼女の涙を拭ってやりながら、相澤は目を伏せてフッと表情を和らげる。

「それはこっちのセリフだな。お前、自分がどれだけ厄介な男に捕まったか分かってないだろ」

涙を拭われて目を閉じた防人の頬を優しく撫でながら、相澤は自嘲するような笑みを浮かべた。

「勝手に自信を無くして、自分から別れるって言いだしたくせにお前のこと忘れられなくて、お前の周りの男に嫉妬するような、本当にどうしようもない男だ。俺は」

「それを言ったら私だって似たようなものです。別れても好きな気持ちを引きずって、空回りして、周りに心配も迷惑もかけて……。どうしようもない女です」

こつん、と額をくっつけた彼は目を閉じたまま、口元に優しい笑みを引く。

「なら、どうしようもない同士、お似合いだな」

「はい。そう思います」

おかしそうに笑う彼女につられて一緒にくつくつと笑った相澤は、ポケットからそれを差し出した。

「これ……」

 彼に差し出されたそれは、学生時代からずっと防人の髪を結っていた相澤の捕縛武器。病院で処分されてしまったと思っていたそれを彼女は恐る恐る手にとった。

「ずっと、持っててくれたんだな」

「手放したく、なかったんです。コレがあると消太さんを近くに感じるから……」

ナイフで切られ、ボロボロになってしまった様子は痛々しいけれど、防人の胸を温かいもので満たす。温かい気持ちが零れていってしまわないように、彼女はそっと捕縛武器だったものを胸元で抱きしめた。

「桜」

 大きくないのに、よく聞こえる静かな声に彼女は伏せていた目を開ける。染まった淡い頬に目に薄っすらと涙を溜めた防人に、真剣な相澤の視線が向けられた。

「俺はもうお前を離したくない。ずっと、傍にいてほしい」

「はい。私もそうしたいです」

嬉しそうに目を細めた彼女はその言葉だけで満足してしまっているようだが、相澤はそれでは足りなかった。

 心臓のバクバクとした動きを全身で感じる。まさか自分がこんなにも緊張する日が来るとは思っていなかった彼は、気持ちを落ち着かせるために深く息を吸い込む。

「消太さん?」

こてん、と首を傾げた防人の声で一度息を止めた相澤は、もう一度印象的な黒い目を見つめた。

「本当に、ずっと一緒にいたいって思ってくれるのか?」

「もちろんです」

迷わず答えた彼女の気持ちに彼は、ふぅ、と短く息を吐き出す。

「……なら、結婚してくれ」

驚いて目を丸くさせている防人から少し顔を背けながらも、相澤は目の端で反応を見る。

「ずっと一緒にいるなら、その方が合理的だ」

 はらはらと涙が頬を伝う。勝手に溢れてくるそれを拭うことも忘れて彼女は彼を見上げた。

「……泣くな」

しかめっ面に不安を滲ませた彼の無骨な手。防人の涙を拭う相澤の指先は、驚くほど優しいものだった。

「全部、受け取ってくれますか? 私のダメなところも、含めて」

「……そこもひっくるめて桜が好きなんだ。全部、俺にくれ」

 防人の腕が相澤の体に回る。緊張で早くなっている鼓動に気づかれてしまうと頭の片隅で思いつつも、彼はできるだけ優しく彼女を抱きしめ返した。

「……私の欲しいもの、くれますか?」

腕に添えられた防人の手に促されて、相澤はお互いの顔が見える程度に、そっと力を緩める。

「欲しいもの?」

一体何が欲しいのか。防人の欲しいものの見当がつかず、相澤は秘かに動揺した。しかし、彼女が欲しいと言うのであれば何が何でも差し出したい。

「俺に用意できるのか?」

「さあ? 難しいかもしれません」

何を言われるのか分からない不安と、彼女に断られてしまうんじゃないかという不安が彼の胸の中で膨れていく。

 不安で眉間にしわを寄せている相澤に防人は堪らなくなって小さく笑う。

「全部ください。不安も嬉しいも恐いも好きも、消太さんの全部を私にください」

 思ってもいなかった言葉に、彼はぐっと息を詰まらせた。悪戯が上手くいった子どものように笑う彼女に、むすっとした表情の彼は目を逸らして俯いた。

再び強く防人を抱きしめた相澤は、彼女の首筋に顔を埋めて、肺に取り込んだ空気を長く吐き出す。

「……なんだそれ」

「くれますか? くれないならしませんよ」

くつくつと笑っている彼女に敵わないと思わされる。悔しくないわけではないがそれ以上のものが彼の胸に込み上げていた。

(桜が俺の傍にいてくれるならなんでもいい)

防人のサラサラをした黒髪を耳にかけてやると、相澤は首筋からこめかみに向かってなぞるように口元を這わせた。くすぐったそうに体を震わせた彼女に気を良くしながら、彼は耳元で口を止める。

「全部やる。お前がいれば、俺は何もいらない」

 掠れた声で囁かれたくすぐったさよりも、相澤の深い覚悟の込められた言葉が防人の耳に熱を持たせた。

「どうするんだ?」

目を覗き込んできた彼に彼女の顔が一気に赤くなる。すぐにでも唇が触れ合ってしまいそうな距離では、相澤の吐息を感じないわけがなかった。

「するのか? 俺と結婚」

どことなく甘えたような声で迫られた防人は、短く"あっ"と声を漏らす。思わず一歩下がろうとした彼女の腰に彼の腕がまわった。

「なあ……」

真っ赤になって体を強張らせていた防人は、肩の力を抜いたように微笑む。

「したいです。もらってくれますか?」

 じわじわと顔を赤くした相澤は嬉しさと満足さを映す目を細めた。当たり前のように二人の唇が重なる。

また徐々に深くなっていくキスを繰り返している間に、相澤と防人の呼吸は乱れていった。

「……寝室、行きますか?」

 恥ずかしそうに少しだけ顔を俯かせた彼女の膝裏に手を差し込んだ彼は軽々と抱き上げる。驚いて抱き着いてきた防人に、そういえば学生の頃、同じように抱き上げたときもこんな反応をしていたな、と相澤は懐かしさで微かに笑った。

このまま寝室に連れて行こうとする彼の腕を彼女が慌てて引く。

「あ、あの、寝室そこじゃないんです。今は、その隣の部屋にしてて……」

「ここか?」

彼女に言われた部屋のドアを開けると、そこには昔と同じセミダブルのベッドが置かれていた。
 暗い部屋のベッドの上へ、そっと防人を寝かせた相澤が覆いかぶさるように、彼女の顔の左右に手をつく。

「部屋変えたの、俺のせいか?」

「……あの部屋で一人で寝たくなくなっただけですよ」

どうでもいいことだとばかりに目を閉じた彼女の唇に彼の唇が重なった。

「もう、一人にしない」

「はい。もう寂しいのは嫌です」

 深いキスを交わす。キスの合間に二人の熱を持った吐息の音は、寝室の静けさに溶けて消えていく間もなく次々へと繰り返される。

防人の部屋着に相澤の手がかかる。羽織っていたカーディガンをはだけさせ、Tシャツの裾に彼の手がかかったとき、聞き覚えのある小さな音が二人の間に響いた。

「あ、あの……」

 これまでとは比べ物にならないほど真っ赤になった防人は強烈な恥ずかしさで口をあわあわと震えさせている。目を瞬いて何も言わない相澤に、彼女は焦りながら口を動かした。

「わ、私、本当にお腹が空いてて……! だ、だから……」

これから男女の時間を過ごそうというときに響いた彼女の空腹を訴える音。火を噴いてしまいそうなほど真っ赤な顔を覆っている防人に、堪えきれなくなった相澤は息を漏らす。

「く、くくく……! ははは!」

腹を抱えながら大きな声を上げて笑う彼に目を見開いた彼女は次第に頬を膨らませた。

「そ、そんなに笑うことないじゃないですか! 仕事の後なんですから、お腹が空いてるのなんて当たり前―――」

「―――そうだな。気づかなくて悪い」

 防人の唇にちゅっと小さなリップ音を残した相澤は愛おし気な目をしながら、優しく彼女の頭を撫でる。

「食い終わったら、続きさせてくれ」

「続き、ですか?」

赤い顔で目を逸らす彼女の頬にゆっくりと彼の口が寄せられた。

「ちゃんと桜が俺を選んだんだって確認しないと、怖くてしかたないんだ」

Tシャツから覗いていた防人の鎖骨と首筋を舐め上げた相澤の目を見て気づいてしまう。燃えるような熱の奥が不安に揺れている。自分も、もしかしたらそうなのかもしれないと思った彼女は両手を伸ばした。

「何度でも確認してください。それで、私のことも安心させてください。消太さんの傍にいていいんだって」

もう一度、唇を重ねた二人は鼻先を触れ合わせたまま小さく笑い合う。ベッドから防人を抱き起した相澤はしみじみと愛おしさを感じながら、彼女へ小さく頬ずりをした。

***

 目を覚ます。朝の陽ざしが入り込み、室内は薄明るい。

すうすうと、寝息を立てる彼女の何も纏っていない両肩が布団から出てしまっているのを見つけた彼は、そっと布団を引き上げた。

「ん……」

身じろいだ防人は無意識に熱を求めて相澤の胸元にすり寄る。素肌から感じる熱に彼も何も感じないわけではない。しかし、冷え切った彼女の肩に触れると、むくむくとした熱よりも、それをどうにかしてやりたくなってしまう。起こさないように気を付けながら、彼は温めるように防人の肩を抱いた。

「……消太、さん?」

「起こしたか?」

 気遣う声が嬉しくて彼女は彼の胸に顔を埋めたまま首を振る。

「いい匂い……。消太さんの匂いがします」

「お前、本当に匂い好きだな」

パッと顔を上げた防人は不満そうな表情で相澤を見た。

「匂いが好きなんじゃありません。消太さんが好きなんです」

分かってませんね、と文句を言いながら彼女はふくれっ面を作る。謝った方がいいのかと逡巡する彼に、くすっと笑った彼女は目を細めながら白い手を伸ばす。

「私、ずっと言いたかったことがあるんです。聞いてくれますか?」

「ああ」

ぴと、と相澤の頬に手を乗せた防人はとても美しく微笑んだ。

「愛してます。これからは、ずっと一緒にいてくださいね」

 驚きで目を見開いている彼の心臓は正直に早く大きく脈打ちだす。頬に添えられている防人の手に自分の指を絡めた相澤は流れる動きで唇を合わせた。

「可愛いな、桜」

瞬きをパチパチと繰り返している彼女に彼は穏やかな表情を向けて、丁寧にその顔を撫でる。

「俺もずっと言いたかったんだ」

何かを堪えるようにぎゅっと唇を結んだ防人は真っ赤になって、相澤の胸にまた顔を埋めた。照れている彼女に、勝ったような気分になった彼は楽しそうにクツクツと笑いながら頭を撫でる。

 そして、ようやく布団から出た二人は揃って朝食の準備を始めた。

***

 相澤が防人にプロポーズをした半月後。二人はとある場所へ赴いていた。

「ここです」

 防人に案内されてやってきた場所へ相澤は向き直る。髪を切り、無精髭を剃った彼の身なりは珍しく整えられていた。持ってきた手桶をその場に下ろした相澤は、防人ではない苗字が刻まれた墓石を見る。

 彼が彼女に連れて行ってほしいと頼んだのは、彼女の両親が眠る場所。一般的な大きさのこの墓は防人の母方のもの。

本家の親戚と折り合いの悪かった両親は死後、離れ離れにされ、この墓には母親一人が入れられていた。当時からそのことを気にしていた防人が、ヒーローになってから本家と何度も掛け合い、父親の遺骨を分骨してもらった。そうして経緯で、彼女の両親は最近やっと一緒に眠ることができている。

 花を生け、線香を供えた二人は、しゃがみ込んで手を合わせる。閉じていた目を開けた彼女は優しい声で語りかけた。

「父様、母様、紹介したい人を連れてきました」

風が吹いて防人と相澤の髪が揺れる。同じように目を開けた相澤はまるで彼女の両親を目の前にしているかのように真面目な顔つきをしていた。

「初めまして。相澤消太と申します。今日は、桜さんとの結婚のご挨拶に伺いました」

 ここに来たいと言った彼の目的を知らなかった彼女は大きく見開いた目を向ける。

「もう無意味に泣かせたりは絶対にしません。私と一緒で幸せだったと思ってもらえるように努めます」

墓石を見つめる相澤の横顔から、防人も視線を墓石へと移す。そして、小さな笑みを口元に引いた。

「私、この人の傍でないと幸せになれないみたいなんです。だから、私も消太さんを幸せにできるように頑張ります」

「桜……」

お互いの顔を見つめて、どちらともなく微笑む。それだけで二人は幸せを感じていた。

 先に立ち上がった相澤は、ポケットに入れていたそれに手を触れる。僅かに緊張していれば、防人が不思議そうに首を傾げていた。

「これ、受け取ってくれないか」

「なんですか?」

彼に差し出されたものを受け取るために彼女も立ち上がる。そして、両手で丁寧に受け取ったものに、また目を丸くさせる。

「これ……」

「コイツがあれば、離れていても、いつでも俺を傍に感じてくれるんだろ?」

 防人の手の中にある相澤の捕縛武器。それは学生時代、彼女に乞われた彼が分けてやったときと同じ長さに切られていた。

和らいだ表情は防人がどれほど喜んでいるのかを相澤に知らせる。花の咲くような柔らかな微笑みに相澤の目が奪われないはずはなかった。

 初めて彼女に想いを告げられた春を思い出した彼は、やっと気づく。

(俺はきっと、最初からこんなふうにお前に惚れる予感がしてたんだ)

 見つめ合うように立つ二人を風に乗ったクチナシの花の香りが包む。その香りは相澤と防人がそこにいる間、留まり続け祝福していた。

END
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