私が受け止めてあげる

※このお話にはアニメ化されていないネタバレがあります。閲覧には十分、ご注意ください
 仕事を少し早めに切り上げた相澤は、自分が指定した待ち合わせ場所へと足を運ぶ。人目につかない路地を抜けて出た公園。割と大きなその公園は、まだ夜が明けていないこともあって人の気配がない。

自分が待つことになると思っていた相澤は、外灯の明かりの下に見つけた彼の姿を意外に思った。

「早いな」

「まぁな。お疲れさん」

 ほら、と投げ渡された缶コーヒーを受け取る。少し温いそれは山田が待っていた時間を思わせた。

「話ってなんだ」

「ん、ああ……」

ベンチに腰掛けた山田の隣に相澤も同じように座る。プルタブを起こして缶コーヒーを開けた相澤の横で、山田も手にしていた缶コーヒーを一口、喉へ流し込んだ。

「……確かめたいことがあってよ」

「わざわざ仕事を切り上げてきたんだ。早くしてくれ」

テンポの悪い話し方をする山田に、言外に時間を無駄にするなと匂わせる相澤の目は手元の缶コーヒーから動かない。そうだなと答えてから、山田は浅く息を吸い込んだ。

「お前、防人の他に付き合ってたやつ、いたか?」

「は?」

わざわざ呼び出して訊くことがこんなことなのかと相澤は真意を確かめるように山田を見る。答えろと訴えてくる目に、相澤は短く息を吐いた。

「……いるわけないだろ」

 ずっと彼女を忘れられなかった。別れたばかりの頃は忘れられない胸の痛みに後悔ばかりしていた。一度は落ち着いたはずのその後悔は、ヒーローになった防人の姿を相澤がよく見かけるようになった頃から猛烈に大きくなった。彼女と親し気に話す警官、ヒーロー、どこの誰だか分からない男。そんな奴らが傍にいるのを見つけると、体の内側で黒い何かが燃え上がっているように感じた。

「だよなァ」

 深い深いため息を吐き出した山田はその勢いのまま項垂れる。それがなんなのかと相澤は隣をじっと見ていれば、視線に気づいた山田がゆっくりと顔を上げた。

「お前、とんでもない勘違いされてるぞ。防人に」

「どういうことだ?」

ぐっと眉間に深いしわを寄せた相澤を横目で見てから山田は目を閉じて、長く息を吐き出す。

「さぁな。そこは自分でなんとかしろ。じゃねェと……」

意地悪くニィっと口元を笑わせた山田はベンチにもたれかけていた背を起こす。

「かっさらっちまうぞ。アイツのこと」

立ち上がろうとした山田の前に、彼は既に立っていた。気配を感じさせなかった動きは驚かせるには十分で、ぽかんと山田は口を開いている。

「……本気なのか?」

 強く睨みつけてくる相澤の目には、静かな中に動揺と嫉妬、そして敵意のようなものがない交ぜになって込められている。思わず背中がぞくりとしてしまうほどの視線に、山田は薄っすらと笑みを見せた。

「嫌なら上手くやれよ。防人の為じゃなくてお前の為に言ってんだからよ」

やれやれと肩をすくめた彼の言ったことが本気ではないと分かった相澤は睨むのを止める。内心、彼がホッとしていることを見抜いている山田は、軽く目を閉じてフッと笑った。

「話はこんだけ。時間取らせて悪かったな」

 立ち上がった山田は、ふと思い出したように、まだベンチの前に立つ相澤へ振り返る。公園の頼りない外灯の下で、彼は何かを見つめていた。その手にあるものが、防人がずっと髪を結んでいたアレだと気づいた山田は開いた口を閉じてそのまま立ち去った。

 あんな冗談が分からず、ムキになった相澤を思い出すとしばらくは笑えそうだ。二人が上手くいったら、その時には笑い話として話せることを願いながら歩く山田の上には、もうすぐ夜が明ける空が広がっていた。

***

 昼間の明るい時間にその姿を見つけたのは初めてだった。意外に思いながら、彼女はその後ろ姿へと声をかける。

「防人さん?」

鎖骨にかかる程度の黒髪を揺らしながら振り返った私服の彼女に、同じく私服の香山はやっぱりと目を瞬く。

「珍しいわね。こんなところで」

「そうですね。香山先輩はお買い物ですか?」

香山の手にあるものを見た防人が確かめるように尋ねると頷きが返ってきた。

「ええ、キャットフード切らしちゃって」

「あの子、元気なんですね」

 "おすし"と名付けられた子猫は、高校の頃、相澤と白雲が拾った。そして、そこから香山が引き取った。懐かしい話だと目を伏せた防人から寂しさのようなものを感じ取った香山は眉を顰めた。

「……そういえば、貴女はどこからの帰りなの? 事務所、こっちじゃないでしょう?」

「私は拘置所からの帰りです。以前の火災現場で助けてもらった男の子の面会に行ってきました」

 あの(ヴィラン)だった少年の元へ新しい本を届けたと言えば、香山は目を丸くさせてからフッと微笑んだ。

「貴方らしいわね。元気だったの?」

「はい。最近は勉強もしたいそうなので、今日は数学と英語の参考書を届けてきました」

思い出したように微笑んでいる防人に、やはり違和感を覚える香山はじっと彼女を観察する。

「時間があるならこれからお茶でもしない? フルーツタルトの美味しいお店があるの」

「フルーツタルト、ですか」

 無表情で視線をどこかに流す防人の髪が風に揺れる。あまり気乗りしなさそうな彼女の様子に香山は首を傾げた。

「あら? 気分じゃない?」

「いえ、そんなことはないですよ。せっかくですし、ご一緒させてください」

 柔らかな表情ではあるものの、どうにも無理をしているようにしか見えない彼女に香山は、その理由をこれから聞き出そうと微笑んだ。

***

 香山に連れてこられた喫茶店は、長い年月が生み出す品格を備えていた。静かな雰囲気の店内は、不思議と入りにくい感じがしない。

「そこ、座りましょうか」

「はい」

適当な席に向き合って座る。そして、飲み物を注文するとき、防人は彼女のおすすめだというフルーツタルトを頼まなかった。

「いいの? 甘いもの、好きだったでしょう?」

「……もう随分食べてません。最後に食べたのは18になる前くらいで」

 どうしてか相澤と別れてから、あんなに好きだった甘いものを食べたいと思わなくなってしまった。そんなものを食べる暇があったら、もっと努力しなくてはと焦っていたせいだろうか。

「本当に?」

驚いている香山に苦笑いで"はい"と答えた彼女は誤魔化すように髪を耳にかけた。

「だから、心配しないでください。いつも通りですから」

温かい紅茶だけを頼んだ防人の気持ちがなんとなく理解できる香山は一旦、口を閉ざした。

 運ばれてきたコーヒーの香りが湯気と共に漂う。それを楽しみながら香山はカップに口をつけた。

「……相澤くんと上手くいってないんでしょう?」

びくり、と彼女の手が震える。それを見逃さなかった香山は何も言わず、もう一口コーヒーを飲んだ。

「甘いものが食べられなくなったのも相澤くんが関係しているんじゃない?」

困ったように視線を泳がせていた防人は、ちらりと香山を見て観念したように息を吐き出した。

「……そう、かもしれません。食べると幸せなことばかり思い出してしまうので、少し距離を置きたくなったというか……」

上手く言えませんが、と視線を下げた彼女の髪を見て香山は続ける。

「その髪も?」

コーヒーカップの向こうから僅かに向けられた香山の目は防人の短くなった髪に向けられる。

「……髪を伸ばしていたのは願掛け、みたいなものだったんです。中学の時に初めて会って、もう一度会えるようにって。でも、今は会っても仕方ないですから」

 髪を弄りながら視線を横へと逃がす彼女の、あまりに寂しそうな目を見ながら香山はカップを置いて優雅な動きで頬杖を突いた。

「どうして仕方ないの? 相澤くん、入院している貴女からほとんど離れなかったのよ? それがどういう意味か、貴女なら分かるでしょう」

 分かるからこそ、どうしたらいいのか分からないとは打ち明けられず、防人は俯く。悩んで苦しんでいる様子の彼女をもう見ていられない香山は、困った子どもを見るような目を向けた。

「もう難しいことを考えるのは止めて、自分の気持ちに正直に動いちゃえば?」

考えつきもしなかった言葉に、防人の顔がおもむろに上がる。印象的な黒い目を見開いている彼女に、おかしそうに香山は笑った。

「いいじゃない。気持ちのまま飛び込んで行っちゃいなさい。もしも、相澤くんが貴女を受け入れないようなことがあったら、そのときは―――」

伏せていた目を開けた彼女は、まだ目を丸くしたまま動かない防人に、優しく笑いかける。綺麗なだけではない笑みには憧れるような強さがあった。

「―――私がちゃんと受け止めてあげるわ」

気遣う優しい言葉が視界を歪ませたのを深く感じながら防人は香山に負けないほど綺麗に微笑み返す。

「ありがとうございます」

 目尻の涙を指で拭っている様子に微笑みを崩さず、香山は、相澤が防人を受け入れないような、もしは来ないだろうと確信に近いものを覚えていた。

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