似ている優しさ
どうしてこんなことになったのか。LEDライトの小さな明かりだけが照らす地下で防人は、自分と同じように座り込む二人の子どもへ視線を向ける。
一言で表すなら、運が悪かったのだろう。大型スーパーの駐車場で起きた車の衝突事故。そこから互いのドライバーのケンカに発展してしまった。加熱していったケンカの仲裁に入ったのはヒーローではなく、面白そうだと割り込んできた敵 だった。
暴れに暴れた敵 の影響で、激しく損傷したスーパーは半壊。敵 はすぐに他のヒーローたちに取り押さえられたものの、瓦礫で閉じ込められた人々が出てしまった。そこにやってきた防人と同じ、新人ヒーローの一人が妙に張り切って空回りを起こし、半壊から更にスーパーを壊してしまう。その結果、瓦礫から子どもをかばった彼女が地面にぽっかり開いていた空洞へと一緒に落ちてしまい、その上に大量の瓦礫が落ちた。
現在、三人が閉じ込められている穴の大きさは、頭上までは3メートル、横は5メートルほど。壁を背にもたれかかっている防人よりも前で二人の子どもはLEDの明かりを囲んでいる。
「うちたち、ここからもう出られないの?」
悲しそうに膝を抱えた女の子が声には涙が混じっている。
「そんなことはありませんよ。他のヒーローが今救助活動をしてくれているはずです」
励ますように声をかけた防人を、もう一人の男の子が睨みつけて立ち上がった。
「嘘だ! じゃあ、なんで出られないんだよ!! アンタもヒーローなんだろ!? 早くおれらをこっから出せ!!」
「私も出たいのは同じです」
八歳前後の男の子と四歳ほどの女の子。説明して分かるだろうかと思いながら、彼女は上を指さした。
「いいですか? 今この上は壊れた建物の破片で塞がれてしまっています。確かに私はこれを動かすことができますが、無理やり動かすと建物の破片がバランスを崩してどうなってしまうか分かりません」
男の子の方は今の説明で理解でいたようで、両手をぎゅっと握り締めて黙った。
「ねえ、どうすればいいの……?」
不安でおろおろしている女の子は、説明された内容をすべて理解することはできなかったが、今すぐに出られないということは分かったようだ。
「大丈夫。もう上にはヒーローが来ていたでしょう? 彼らが何とかしてくれますから、私たちはそれを信じてここで待っていましょう」
防人が努めて作った笑みで、女の子は安心できたのか初めて表情に安堵をにじませた。
立ち上がったままの男の子の視線を感じる。何か言いたそうにしている彼に首を傾げれば、そっぽを向かれてしまった。
「あの、どうかしました?」
「べ、別に! お前、ヒーローのくせに弱そうだと思っただけだ!!」
フン!と大きく鼻を鳴らす男の子に苦笑いをしていると、近寄ってきた女の子がねえねえと腕を引いてきた。
「ねえ、お兄さんはどんなことができるの? 空飛べる?」
「空を飛ぶというより、自分が浮いたり、ものを浮かせたりすることはできますよ」
パッと表情を明るくさせた女の子は見せて見せてと強請る。それくらいならと、防人が彼女を浮かせてみせると楽しそうにはしゃぎだした。
「すごい! うち、飛んでるよお兄ちゃん!!」
「お、お前! 大人しくしてろ落ちたら……!」
浮いている妹を見上げながら、わたわたとしている男の子が、でっぱりに足を取られて転びそうになる。
「おっと」
倒れかけた彼を抱きかかえて、女の子をゆっくりと地面へ下ろす。よほど楽しかったのか、女の子はまだきゃいきゃいと声を上げていた。
「大丈夫ですか?」
男の子の表情を見ようと顔を覗き込むと、彼は顔を真っ赤にさせて目を逸らす。その様子が、思い出の中の彼に似ていて防人の目が寂しそうに細められた。
「ねえねえ! もう一回! もう一回やって!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら腕を引いてお願いをしてくる女の子に、男の子はムッとした顔をする。
「もう大人しくしてろ! なんかあったとき、コイツが疲れてたらおれたち助からないぞ!!」
助からないという言葉に、女の子の元気はどこかへ行ってしまった。しゅんとしてめそめそし始めてしまった彼女に男の子は罪悪感を覚えたのか、きゅっと唇を結んでいる。
「……お腹、空きませんか?」
「え?」
そう声をかけてみると、意外な言葉だったのか男の子は目を丸くさせて防人を見た。
「お腹、すいたぁ〜……」
更にめそめそとしながら答えた女の子に、一つ頷くと防人は腰のポーチを外す。
「あ、食べちゃいけないって言われてるものありますか? 食べるとお腹が痛くなったり、気持ちが悪くなったりするもの」
「ない……」
弱弱しく首を振った女の子から男の子を見れば、彼もこくんと頷いた。食物アレルギーの確認をすませてホッとしながらポーチを開く。
「それじゃ、はい、どうぞ」
「ありがとう!」
女の子が嬉しそうに両手で受け取ったのは栄養補助食品のショートブレッド。美味しそうに食べ始めた彼女の様子を見ていると、とても微笑ましい気持ちになる。
ふと、視界に男の子が入る。女の子とは違い、彼はまだ一口も食べていない。
「あれ? 好きじゃないですか?」
じっと両手で持ったまま食べようとしない男の子は、防人へちらりと視線を向けた。
「……アンタの分は?」
「え?」
むぅ、と下唇を尖らせて黙ってしまった彼が何を気にしているのか分かって、防人は柔らかく目を細める。どうもこの男の子は、相澤に似ているところがある。
「私の分は別にありますよ」
「目、見て言え」
信じていないのか目を見てこようとする彼に、つい苦笑が漏れた。
「これでも見てるんですけど……」
この状態じゃ相手からは分からないか、と目深にかぶっているそれに手をかける。人前で顔を晒したくないが、この子たちの前でならいいかと防人はフードを外した。
フードの下から現れた黒髪がさらりと揺れる。小さなLEDの光でもその髪が美しいことが分かった男の子は息を呑んだ。
「これで目を見ているって分かりますか?」
見つめてくる防人の眼差しは、とても柔らかいのにどうしてか男の子には悲しそうに見えた。
「ん……」
差し出された二本入りのショートブレッドのうちの一本。赤い顔を背けながら手を突き出してくる彼に、防人はまた苦笑いになった。
「あー……信じてもらえませんでしたか」
困ったなぁと首を傾けて苦笑いをしている彼女に、男の子は顔は背けたまま目だけを向けた。
「本当にあるなら、アンタが食べるときに半分返してくれればいいだろ」
「……君は、とても優しくて賢いんですね」
本当にこの不器用な優しさが彼に似ていて、防人を泣き出したい気持ちにさせる。込み上げてくる思い出を、小さな息とともに飲み込んでポーチからもう一つ栄養補助食品の袋を見せた。
「本当にありますから、遠慮せずに食べてください。お腹が空いているとイライラしたり、不安になったり、よくないことばかり考えてしまいますから」
お礼の意味を込めて笑みを見せれば、男の子は納得して手を引っ込めた。食べ始めた彼を穏やかな目で見ていた防人は、微かに感じた頭上の様子に顔を上げる。
僅かだが揺れたような気がした。それなのに声は一切聞こえてこない。
(おかしい……)
最初から違和感はあった。落ちる前に、近くにいたヒーローに救難を頼んだというのに動きが感じられない。もしかしたら、まだ敵 がいるのかもしれないとも考えたが、それにしては静かすぎる。
お腹が膨れて眠くなってしまったのか、女の子がうつらうつらとし始めた。
「おい、寝るなよ」
「まあまあ、そんなこと言わずに寝かせてあげましょう」
個性でそっと女の子を持ち上げて自分の元へ引き寄せる。浮遊感がより眠気を誘ったのか、女の子は防人の膝に下ろされる前に眠り始めていた。
地下であるせいか、じわじわと寒さが増しているようだ。マントコートの内側に女の子を座らせ抱えるように左腕を回す。すやすやと眠っている女の子はそのまま防人の体にもたれた。
「君も。少し冷えてきましたから」
男の子にも傍に来るように声をかけると、彼は迷うように視線を泳がせた後、渋々といった様子で防人に近づく。女の子の反対側で同じようにマントコートの中に入り、防人に体をぴったりと寄せた。こうしてくっついていれば、寒さは問題ない。依然、ここから脱出できないことが問題だ。
どうすればここから出られるか、ずっと防人は考えていたが状況は厳しい。ここへ子どもたちを抱えて落ちたときに、瓦礫の一部が体に当たりスマホの画面が故障してしまった。歪んでしまった画面ではあるが、機能は生きているようで入力と通信はなんとかできそうだ。ただ、アドレスを呼び出すことができない。完璧に記憶しているアドレスへここの位置情報を送るしかなさそうだ。
防人が間違いなく記憶しているアドレスは二つ。どちらに送るべきかと思うと、彼女の目は自然と伏せられる。しかし、このままでいるわけでも行かないと、意を決して位置情報を送信した。
「……なあ」
「あ、なんでしょう?」
控えめで迷うような声に考え事を止める。頭を寄せてきた男の子に顔を向けると、彼は横目で防人を見てボソボソと呟くように訊いてきた。
「……男じゃないの?」
「ああ、そうですね。女です」
どこで気づいたのか分からないが、確認するような口ぶりだった。防人の返事に目を丸くさせた後、彼はどしようとばかりに赤面する。
「な、なんで男のふり、してんの?」
「ふりをしているわけじゃないんです。ただ、違うというのも面倒でそのままなんです」
"めんどくさがりでしょう?"と笑って誤魔化したが、実際はマスコミと関りを一切持ちたくないだけだった。学生時代、体育祭で成績を残すたびに追いかけられていい思い出はない。彼らとの関わりに時間を使うくらいならば、現場に出て経験を積まなければならないと今でも思っている。
「でも、よく気づきましたね。どうして分かったんですか?」
ぎょっとして目を泳がせてから、彼はえっとと上目で防人を見る。"怒られるんじゃないか"と不安がっているのが男の子の目から見て取れて小さく笑みを返せば、少しほっとしたように彼はまた口を開いた。
「……いい匂い、だったから」
恥ずかしかったのか膝に顔を埋めてしまった男の子の耳が真っ赤になっている。思ってない言葉に目を丸くさせていた防人は、少しの間を置いてからくすりと笑った。
「ありがとうございます」
お礼を口にしたとき、頭上からパラパラと細かな瓦礫が崩れてきた。咄嗟に、二人を抱えてからフードをかぶる。何が起きているのか見上げると、少しずつ光が入り込んできた。眩む防人の目が見つけたのは一つの人影だった。
「大丈夫か?」
「要救助者二名です。ケガはありませんが一応病院へお願いします」
見つめてくる相手の目をフードの下から見つめ返す。本当は驚きと会えた喜びで声が震えてしまいそうだった。位置情報を送った相手は二人。一人は最近、やたらと気にかけてくれる山田と、もう一人は目の前にいるイレイザーヘッドこと相澤だった。
「さあ、先に出てください。具合が悪くなってないかお医者さんに診てもらいましょう」
しがみついたまま離れない女の子と鋭い視線を彼に送っている男の子に、相澤の元へ行くように促す。
「ねえ、一緒に来てくれないの?」
「すみません、私はまだやることがあるんです」
"ごめんね"と女の子の頭を撫でる。女の子は納得していないようで、下を向いてしまった。
「大丈夫です。この人は信用できます」
様子を見ていた男の子は防人のマントコートから出ると、女の子へ手を伸ばす。
「行くぞ。お祖母ちゃん、待ってる」
男の子に言われて、ハッとしたのか女の子も立ち上がって小さな彼の手を握った。とことこと歩いて相澤の傍へ行った二人は、まだ座ったままの防人へと振り返る。
「ありがとう。あのね、一緒にいてくれて怖くなかったよ」
手を振ってくる女の子の笑顔に面映ゆくなりながら防人も小さく手を振り返す。口を堅く結んでいた男の子は突然顔を上げると、防人の元へ戻ってきて思い切り抱き着いた。
「おれ、本当は怖かったんだ……」
ぽそっとこぼすように残された"ありがと"の声に胸が暖かくなりながら、防人は目を伏せる。
男の子が相澤のところまで走って戻ったのを見送ると、防人は頷いて顔を上げた。
「すみません、お願いします」
「ああ」
二人の子どもを抱えた相澤は、地上のどこかから巻き付けてきた捕縛武器を使って上がっていく。それを見送ってから、彼女はLEDライトを回収し自身も個性を使って外へと出た。
***
地下から出てきて最初に見えたのは、最後に見たときよりも瓦礫になっていたスーパーだったもの。どうしてこんな状態になってしまったのかと辺りを見回す。
近くの道路に止まっている救急車に、あの兄妹が乗り込んでいるのが見えた。二人に付き添って救急隊員とやり取りをしている相澤の姿から目を逸らす。
(仕事、しなきゃ)
誰か他にいないかと周りを探していると、息を切らせてこちらに走ってくる人影があった。防人の前まで来ると、彼は深呼吸で息を整えて彼女を見下ろす。
「大変だったな」
「すみません、お手を煩わせてしまって」
急いで来てくれたらしい山田に申し訳なく頭を下げる。顔を上げない彼女の頭を、山田は力強くガシガシと撫でた。
「困ったら頼れって言ってんだろォ? 何度言えば分かんだ!!」
どっかの誰かさんそっくりだ、という言葉を飲み込んだ彼の視線はまだ救急車の傍にいる、どっかの誰かさんへと向けられる。
防人からの位置情報を受け取ったとき、二人はパトロールの途中で出くわしたところだった。あのとき、スマホを見た瞬間に相澤は走り出していた。あの速さはプロヒーローだからというだけは説明がつかないだろう。間違いなく、相澤には防人への気持ちが残っていると確信した山田は、ちらりと彼女を横目に見る。
「イレイザーにも送ってたんだな」
「実はスマホの画面がおかしくなってしまって、アドレスを暗記していたのがお二人だけだったんです」
あはは、と困ったように眉を寄せて笑って見せた防人に違和感がある。相澤のことで無理をしているのかと思ったが、どうも違うようだ。
「あ、そうだ。マイク先輩は何か聞いてますか? あの兄妹の救助を穴に落ちる前にお願いしたんですがまったく来なかったですし、この状況は……」
周りを見回す彼女に、"あー"と山田は頭を掻く。
「実力のない奴らのくっだらねェ、ジェラシーってやつだな」
「ジェラシー?」
首を傾げた防人がフードの下でどんな表情をしているのか簡単に想像がつく。やれやれと言わんばかりに山田は肩をすくめて見せた。
「デビューしてからずっと活躍しっぱなしの新人ヒーローさんなら、自分たちの手なんかいらねーだろってよ。今頃、所属事務所の先輩なんかにどやされてんだろうな」
目深にかぶっているフードのせいではっきり分からないが、彼女が目を伏せているように山田には思えた。不意に、フードから覗いている端正な顎から汗が滴っていることに気づく。
「ちょっと来い。お前、変だぞ」
「え?」
きょとん、とした彼女をよく観察する。そして、すぐに気づいて山田は呆れたため息をこぼした。
「お前、ホントに……!! ったく!!」
「へ? うわぁ!?」
軽々と持ち上げられた浮遊感。横抱きにされた防人は、混乱しながら山田に控えめな抗議をする。
「あ、あの、マイク先輩。これは、どういうことでしょうか?」
「足ヤってる奴は大人しく担がれてろっつーことだ!」
「い、いえ、これは担いでるとは言わないです! 下ろしてください!」
必死に下ろすように頼む防人に適当な返事をしながら山田はどんどんと彼女を運んでいく。
「本当に大丈夫ですって!」
山田の腕から重さがふわりと消えた。個性で体を浮かせている彼女を見上げながら、彼は呆れたように眉を寄せる。
「大丈夫じゃねーから運んでやってんだろ」
「これで歩かなくてすみます」
何が何でも担がれるのは嫌だという防人から、山田の視線がちらりと相澤へ向けられる。すぐに背を向けた相澤の表情を見たのは、ほんの一瞬だった。それでも山田には、彼がどんな顔をしていたのかはっきりと見えていた。
-26-一言で表すなら、運が悪かったのだろう。大型スーパーの駐車場で起きた車の衝突事故。そこから互いのドライバーのケンカに発展してしまった。加熱していったケンカの仲裁に入ったのはヒーローではなく、面白そうだと割り込んできた
暴れに暴れた
現在、三人が閉じ込められている穴の大きさは、頭上までは3メートル、横は5メートルほど。壁を背にもたれかかっている防人よりも前で二人の子どもはLEDの明かりを囲んでいる。
「うちたち、ここからもう出られないの?」
悲しそうに膝を抱えた女の子が声には涙が混じっている。
「そんなことはありませんよ。他のヒーローが今救助活動をしてくれているはずです」
励ますように声をかけた防人を、もう一人の男の子が睨みつけて立ち上がった。
「嘘だ! じゃあ、なんで出られないんだよ!! アンタもヒーローなんだろ!? 早くおれらをこっから出せ!!」
「私も出たいのは同じです」
八歳前後の男の子と四歳ほどの女の子。説明して分かるだろうかと思いながら、彼女は上を指さした。
「いいですか? 今この上は壊れた建物の破片で塞がれてしまっています。確かに私はこれを動かすことができますが、無理やり動かすと建物の破片がバランスを崩してどうなってしまうか分かりません」
男の子の方は今の説明で理解でいたようで、両手をぎゅっと握り締めて黙った。
「ねえ、どうすればいいの……?」
不安でおろおろしている女の子は、説明された内容をすべて理解することはできなかったが、今すぐに出られないということは分かったようだ。
「大丈夫。もう上にはヒーローが来ていたでしょう? 彼らが何とかしてくれますから、私たちはそれを信じてここで待っていましょう」
防人が努めて作った笑みで、女の子は安心できたのか初めて表情に安堵をにじませた。
立ち上がったままの男の子の視線を感じる。何か言いたそうにしている彼に首を傾げれば、そっぽを向かれてしまった。
「あの、どうかしました?」
「べ、別に! お前、ヒーローのくせに弱そうだと思っただけだ!!」
フン!と大きく鼻を鳴らす男の子に苦笑いをしていると、近寄ってきた女の子がねえねえと腕を引いてきた。
「ねえ、お兄さんはどんなことができるの? 空飛べる?」
「空を飛ぶというより、自分が浮いたり、ものを浮かせたりすることはできますよ」
パッと表情を明るくさせた女の子は見せて見せてと強請る。それくらいならと、防人が彼女を浮かせてみせると楽しそうにはしゃぎだした。
「すごい! うち、飛んでるよお兄ちゃん!!」
「お、お前! 大人しくしてろ落ちたら……!」
浮いている妹を見上げながら、わたわたとしている男の子が、でっぱりに足を取られて転びそうになる。
「おっと」
倒れかけた彼を抱きかかえて、女の子をゆっくりと地面へ下ろす。よほど楽しかったのか、女の子はまだきゃいきゃいと声を上げていた。
「大丈夫ですか?」
男の子の表情を見ようと顔を覗き込むと、彼は顔を真っ赤にさせて目を逸らす。その様子が、思い出の中の彼に似ていて防人の目が寂しそうに細められた。
「ねえねえ! もう一回! もう一回やって!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら腕を引いてお願いをしてくる女の子に、男の子はムッとした顔をする。
「もう大人しくしてろ! なんかあったとき、コイツが疲れてたらおれたち助からないぞ!!」
助からないという言葉に、女の子の元気はどこかへ行ってしまった。しゅんとしてめそめそし始めてしまった彼女に男の子は罪悪感を覚えたのか、きゅっと唇を結んでいる。
「……お腹、空きませんか?」
「え?」
そう声をかけてみると、意外な言葉だったのか男の子は目を丸くさせて防人を見た。
「お腹、すいたぁ〜……」
更にめそめそとしながら答えた女の子に、一つ頷くと防人は腰のポーチを外す。
「あ、食べちゃいけないって言われてるものありますか? 食べるとお腹が痛くなったり、気持ちが悪くなったりするもの」
「ない……」
弱弱しく首を振った女の子から男の子を見れば、彼もこくんと頷いた。食物アレルギーの確認をすませてホッとしながらポーチを開く。
「それじゃ、はい、どうぞ」
「ありがとう!」
女の子が嬉しそうに両手で受け取ったのは栄養補助食品のショートブレッド。美味しそうに食べ始めた彼女の様子を見ていると、とても微笑ましい気持ちになる。
ふと、視界に男の子が入る。女の子とは違い、彼はまだ一口も食べていない。
「あれ? 好きじゃないですか?」
じっと両手で持ったまま食べようとしない男の子は、防人へちらりと視線を向けた。
「……アンタの分は?」
「え?」
むぅ、と下唇を尖らせて黙ってしまった彼が何を気にしているのか分かって、防人は柔らかく目を細める。どうもこの男の子は、相澤に似ているところがある。
「私の分は別にありますよ」
「目、見て言え」
信じていないのか目を見てこようとする彼に、つい苦笑が漏れた。
「これでも見てるんですけど……」
この状態じゃ相手からは分からないか、と目深にかぶっているそれに手をかける。人前で顔を晒したくないが、この子たちの前でならいいかと防人はフードを外した。
フードの下から現れた黒髪がさらりと揺れる。小さなLEDの光でもその髪が美しいことが分かった男の子は息を呑んだ。
「これで目を見ているって分かりますか?」
見つめてくる防人の眼差しは、とても柔らかいのにどうしてか男の子には悲しそうに見えた。
「ん……」
差し出された二本入りのショートブレッドのうちの一本。赤い顔を背けながら手を突き出してくる彼に、防人はまた苦笑いになった。
「あー……信じてもらえませんでしたか」
困ったなぁと首を傾けて苦笑いをしている彼女に、男の子は顔は背けたまま目だけを向けた。
「本当にあるなら、アンタが食べるときに半分返してくれればいいだろ」
「……君は、とても優しくて賢いんですね」
本当にこの不器用な優しさが彼に似ていて、防人を泣き出したい気持ちにさせる。込み上げてくる思い出を、小さな息とともに飲み込んでポーチからもう一つ栄養補助食品の袋を見せた。
「本当にありますから、遠慮せずに食べてください。お腹が空いているとイライラしたり、不安になったり、よくないことばかり考えてしまいますから」
お礼の意味を込めて笑みを見せれば、男の子は納得して手を引っ込めた。食べ始めた彼を穏やかな目で見ていた防人は、微かに感じた頭上の様子に顔を上げる。
僅かだが揺れたような気がした。それなのに声は一切聞こえてこない。
(おかしい……)
最初から違和感はあった。落ちる前に、近くにいたヒーローに救難を頼んだというのに動きが感じられない。もしかしたら、まだ
お腹が膨れて眠くなってしまったのか、女の子がうつらうつらとし始めた。
「おい、寝るなよ」
「まあまあ、そんなこと言わずに寝かせてあげましょう」
個性でそっと女の子を持ち上げて自分の元へ引き寄せる。浮遊感がより眠気を誘ったのか、女の子は防人の膝に下ろされる前に眠り始めていた。
地下であるせいか、じわじわと寒さが増しているようだ。マントコートの内側に女の子を座らせ抱えるように左腕を回す。すやすやと眠っている女の子はそのまま防人の体にもたれた。
「君も。少し冷えてきましたから」
男の子にも傍に来るように声をかけると、彼は迷うように視線を泳がせた後、渋々といった様子で防人に近づく。女の子の反対側で同じようにマントコートの中に入り、防人に体をぴったりと寄せた。こうしてくっついていれば、寒さは問題ない。依然、ここから脱出できないことが問題だ。
どうすればここから出られるか、ずっと防人は考えていたが状況は厳しい。ここへ子どもたちを抱えて落ちたときに、瓦礫の一部が体に当たりスマホの画面が故障してしまった。歪んでしまった画面ではあるが、機能は生きているようで入力と通信はなんとかできそうだ。ただ、アドレスを呼び出すことができない。完璧に記憶しているアドレスへここの位置情報を送るしかなさそうだ。
防人が間違いなく記憶しているアドレスは二つ。どちらに送るべきかと思うと、彼女の目は自然と伏せられる。しかし、このままでいるわけでも行かないと、意を決して位置情報を送信した。
「……なあ」
「あ、なんでしょう?」
控えめで迷うような声に考え事を止める。頭を寄せてきた男の子に顔を向けると、彼は横目で防人を見てボソボソと呟くように訊いてきた。
「……男じゃないの?」
「ああ、そうですね。女です」
どこで気づいたのか分からないが、確認するような口ぶりだった。防人の返事に目を丸くさせた後、彼はどしようとばかりに赤面する。
「な、なんで男のふり、してんの?」
「ふりをしているわけじゃないんです。ただ、違うというのも面倒でそのままなんです」
"めんどくさがりでしょう?"と笑って誤魔化したが、実際はマスコミと関りを一切持ちたくないだけだった。学生時代、体育祭で成績を残すたびに追いかけられていい思い出はない。彼らとの関わりに時間を使うくらいならば、現場に出て経験を積まなければならないと今でも思っている。
「でも、よく気づきましたね。どうして分かったんですか?」
ぎょっとして目を泳がせてから、彼はえっとと上目で防人を見る。"怒られるんじゃないか"と不安がっているのが男の子の目から見て取れて小さく笑みを返せば、少しほっとしたように彼はまた口を開いた。
「……いい匂い、だったから」
恥ずかしかったのか膝に顔を埋めてしまった男の子の耳が真っ赤になっている。思ってない言葉に目を丸くさせていた防人は、少しの間を置いてからくすりと笑った。
「ありがとうございます」
お礼を口にしたとき、頭上からパラパラと細かな瓦礫が崩れてきた。咄嗟に、二人を抱えてからフードをかぶる。何が起きているのか見上げると、少しずつ光が入り込んできた。眩む防人の目が見つけたのは一つの人影だった。
「大丈夫か?」
「要救助者二名です。ケガはありませんが一応病院へお願いします」
見つめてくる相手の目をフードの下から見つめ返す。本当は驚きと会えた喜びで声が震えてしまいそうだった。位置情報を送った相手は二人。一人は最近、やたらと気にかけてくれる山田と、もう一人は目の前にいるイレイザーヘッドこと相澤だった。
「さあ、先に出てください。具合が悪くなってないかお医者さんに診てもらいましょう」
しがみついたまま離れない女の子と鋭い視線を彼に送っている男の子に、相澤の元へ行くように促す。
「ねえ、一緒に来てくれないの?」
「すみません、私はまだやることがあるんです」
"ごめんね"と女の子の頭を撫でる。女の子は納得していないようで、下を向いてしまった。
「大丈夫です。この人は信用できます」
様子を見ていた男の子は防人のマントコートから出ると、女の子へ手を伸ばす。
「行くぞ。お祖母ちゃん、待ってる」
男の子に言われて、ハッとしたのか女の子も立ち上がって小さな彼の手を握った。とことこと歩いて相澤の傍へ行った二人は、まだ座ったままの防人へと振り返る。
「ありがとう。あのね、一緒にいてくれて怖くなかったよ」
手を振ってくる女の子の笑顔に面映ゆくなりながら防人も小さく手を振り返す。口を堅く結んでいた男の子は突然顔を上げると、防人の元へ戻ってきて思い切り抱き着いた。
「おれ、本当は怖かったんだ……」
ぽそっとこぼすように残された"ありがと"の声に胸が暖かくなりながら、防人は目を伏せる。
男の子が相澤のところまで走って戻ったのを見送ると、防人は頷いて顔を上げた。
「すみません、お願いします」
「ああ」
二人の子どもを抱えた相澤は、地上のどこかから巻き付けてきた捕縛武器を使って上がっていく。それを見送ってから、彼女はLEDライトを回収し自身も個性を使って外へと出た。
***
地下から出てきて最初に見えたのは、最後に見たときよりも瓦礫になっていたスーパーだったもの。どうしてこんな状態になってしまったのかと辺りを見回す。
近くの道路に止まっている救急車に、あの兄妹が乗り込んでいるのが見えた。二人に付き添って救急隊員とやり取りをしている相澤の姿から目を逸らす。
(仕事、しなきゃ)
誰か他にいないかと周りを探していると、息を切らせてこちらに走ってくる人影があった。防人の前まで来ると、彼は深呼吸で息を整えて彼女を見下ろす。
「大変だったな」
「すみません、お手を煩わせてしまって」
急いで来てくれたらしい山田に申し訳なく頭を下げる。顔を上げない彼女の頭を、山田は力強くガシガシと撫でた。
「困ったら頼れって言ってんだろォ? 何度言えば分かんだ!!」
どっかの誰かさんそっくりだ、という言葉を飲み込んだ彼の視線はまだ救急車の傍にいる、どっかの誰かさんへと向けられる。
防人からの位置情報を受け取ったとき、二人はパトロールの途中で出くわしたところだった。あのとき、スマホを見た瞬間に相澤は走り出していた。あの速さはプロヒーローだからというだけは説明がつかないだろう。間違いなく、相澤には防人への気持ちが残っていると確信した山田は、ちらりと彼女を横目に見る。
「イレイザーにも送ってたんだな」
「実はスマホの画面がおかしくなってしまって、アドレスを暗記していたのがお二人だけだったんです」
あはは、と困ったように眉を寄せて笑って見せた防人に違和感がある。相澤のことで無理をしているのかと思ったが、どうも違うようだ。
「あ、そうだ。マイク先輩は何か聞いてますか? あの兄妹の救助を穴に落ちる前にお願いしたんですがまったく来なかったですし、この状況は……」
周りを見回す彼女に、"あー"と山田は頭を掻く。
「実力のない奴らのくっだらねェ、ジェラシーってやつだな」
「ジェラシー?」
首を傾げた防人がフードの下でどんな表情をしているのか簡単に想像がつく。やれやれと言わんばかりに山田は肩をすくめて見せた。
「デビューしてからずっと活躍しっぱなしの新人ヒーローさんなら、自分たちの手なんかいらねーだろってよ。今頃、所属事務所の先輩なんかにどやされてんだろうな」
目深にかぶっているフードのせいではっきり分からないが、彼女が目を伏せているように山田には思えた。不意に、フードから覗いている端正な顎から汗が滴っていることに気づく。
「ちょっと来い。お前、変だぞ」
「え?」
きょとん、とした彼女をよく観察する。そして、すぐに気づいて山田は呆れたため息をこぼした。
「お前、ホントに……!! ったく!!」
「へ? うわぁ!?」
軽々と持ち上げられた浮遊感。横抱きにされた防人は、混乱しながら山田に控えめな抗議をする。
「あ、あの、マイク先輩。これは、どういうことでしょうか?」
「足ヤってる奴は大人しく担がれてろっつーことだ!」
「い、いえ、これは担いでるとは言わないです! 下ろしてください!」
必死に下ろすように頼む防人に適当な返事をしながら山田はどんどんと彼女を運んでいく。
「本当に大丈夫ですって!」
山田の腕から重さがふわりと消えた。個性で体を浮かせている彼女を見上げながら、彼は呆れたように眉を寄せる。
「大丈夫じゃねーから運んでやってんだろ」
「これで歩かなくてすみます」
何が何でも担がれるのは嫌だという防人から、山田の視線がちらりと相澤へ向けられる。すぐに背を向けた相澤の表情を見たのは、ほんの一瞬だった。それでも山田には、彼がどんな顔をしていたのかはっきりと見えていた。
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