自信を持っていい
『お前、マジいい加減にしろって』
「そんなこと言われましても……」
電話の向こうの彼には見えないのは分かっているが、つい誤魔化すような苦笑いをしてしまう。誰も出勤して来ない事務所で一人、書類仕事をしながら防人は山田の電話を受けていた。
『ミッドナイトと会ったんだろ? めちゃくちゃ心配してたぞ』
「あれは個性の使い過ぎで頭痛を起こしていたせいですよ」
"次はもっと気を付けますから"と言いながら手元の書類を見て眉間にしわを寄せる。あまりにもずさんな文章に、個性を使いすぎてもいないのに頭痛がしそうだ。
『あのなァ、本当にお前、働き方異常だぞ。事務所、何にも言わねーのか』
「……私のしたいことを優先してくれているんですよ」
作り直しの書類をデスクの端に積み、一枚でもそのまま使えそうなものを探す。すでに分厚くなり始めている作り直しの書類のことを考えると、今日の半休はデスクワークで消えてしまいそうだ。
「その書類仕事がやりたいことか?」
電話とドアから聞こえてきた声に、書類から顔を上げる。目の前の男性に防人はゆっくりと首を傾げた。
「え? 嘘。わかんねーの?」
「もしかして、マイク先輩ですか?」
いつも長く逆立てている髪を下ろた私服姿では雰囲気がまったく違う。でも、よく考えたら声は同じだと思うと、彼女は"ああ"と納得した声を漏らした。
「いつもよりイイ男で驚いたんだろ?」
「え? ああ……そう、ですね?」
反対側に首をこてんと傾げた防人に山田はいろいろと言いたいことを飲み込んだ。普段なら、なんで疑問形なんだ!とか、同意くらいしろよノリが悪いな!なんて軽口も叩けたが、美人はこういう時にズルいと思わされた。
「ま、まあ、とにかくよォ。その書類仕事、したくてやってんのか?」
「やりたい仕事だけするわけにはいかないじゃないですか」
トントンと書類の角を合わせて整える。思っていたよりも少ないこの量なら午前中いっぱいを使うことはなさそうだ。
「……この事務所、まともじゃねェぞ。今日だってなんで誰も出勤して来ねェんだ?」
「急な用事は誰にでもありますよ」
無表情で書類を作り直し始めた彼女の手がキーボードの上を走る。こなれているのか、文章も何も迷う様子がない。
「防人……」
ため息交じりに彼女の苗字を口にした山田は呆れよりも目の前の後輩が心配で仕方がなかった。いつもこの事務所には人がいない。名ばかりのヒーローは防人の活躍をHN に上げて事務所の名前を売り、昼頃にのこのことやってくる事務員は、いい加減な役にも立たない書類を作っていくだけ。清掃も雑務もすべて防人が一人でやっていることを知ったのは、偶然、山田の事務所とここが近かったからだ。
「分かってます。本当はこの状況がおかしいんだって」
カタカタと鳴らしていたキーボードから手を下ろす。きちんと山田を見上げた防人はどこか悲しそうな顔をしていた。
「でも、今はこれくらいしないとダメなんです」
「……お前、なんでそんな焦ってんだ?」
ずばり言い当てられてしまい、視線を逃がしながら彼女は髪を耳にかけた。俯いて、あははと口にしたきり防人は何も言えなくなる。
「これからの話。真面目に考えろ」
山田からの話に彼女は目を丸くさせた。驚いて動けないでいる防人の頭を、ぽん、と一撫でして彼は事務所から出て行く。一拍遅れて我に返った彼女はすぐに追いかけたが、廊下にはもう山田の姿はなかった。
***
昼過ぎの街を歩く。雲が多めの空を見上げて、午前中の事務所で山田に言われたことを思い出す。はぁ、と息を吐き出して視線を前に戻して、フードの端を摘まんで引き下げる。まさかあんなことを言われるとは思いもしなかった。
(ダメだ、ダメだ! ちゃんと集中しないと)
足を止めて顔を左右に振る。動揺から集中しきれていない。く、と息を止めてゆっくりと長く吐き出す。そして、また歩き出す。とりあえず、山田の話を考えるのは仕事の後にしようと決めた。
「助けてくれ!」
かけられた声に振り返ると、若いサラリーマンが肩で息をさせながらフラフラと駆け寄ってきた。
「どうしました?」
「あ、あそこ、ビル!敵 が!!」
そう男性が話したのと同じタイミングで、周囲に銃声が響く。数発聞こえてきた銃声に街のあちこちから悲鳴が上がった。
「貴方にケガはありませんか?」
「お、俺は、敵 と入れ違いで会社から出てきたからケガはない……! で、でも、ほ、他の人が……!!」
ガクガクと震えている男性の口は上手く動いていない。恐怖で一杯一杯になっているようだが、避難することに問題はなさそうだ。
「知らせてくださってありがとうございます。もう大丈夫ですから、早く避難してください」
安心させようと優しく声をかけて防人は男性に教えられたビルへと走る。目的の場所へ近づくたびに、逃げてくる人たちが増えて思うようには走れない。
地面を強く蹴り上げて個性を使って人々の頭上に飛び上がる。そのまま、近くのビルの屋上へと降りた。
事件の起きているビルを注意を払いながら覗き込む。屋上から数階下、金融会社の入っているフロアで敵 が一般人を人質に立てこもっているようだ。
見えている範囲であれば自分の個性が通用しそうだが、中の状況が分からない今は簡単に動くことはできない。しかし、長く様子見をしているつもりもなかった。見つからないように細心の注意を払ってフロアの中に使えるものを探す。
(あった)
小さく光ったそれを見逃さなかった防人は、テレキネシスを使って慎重にそれの角度を変える。
(四、五……七人と、二人)
中の様子を事件の起きているフロアの鏡を使って人質、そして敵 を数えた。もしかしたら、鏡で見えないところにも敵 がいるかもしれない。
念には念をと、ここから見えるドアを思い切り開けた。室内では大きな物音がしたのだろう。敵 たちは、確認の為に物音をさせたドアに向かっていく。
(もう一人……)
三人目の敵 の姿を確認して立ち上がる。腰の刀に左手を添えたとき、背後に気配を感じて振り返った。そこには一方的に知っている大きな男。
「状況を教えてくれ」
オールバックの金髪に筋骨隆々のこの大男のことを知らない人はいないだろう。
「オール、マイト……」
白い歯を見せてニカリと笑ったナンバーワンヒーローに、防人はハッと我に返り頷く。
「立てこもり事件です。人質が七名と敵 が三名。今、相手の人数を探るためにわざと物音を立てました。そのせいで向こうの警戒が強まっています」
「君はこれからどう動くつもりだったんだ?」
窓際に近寄って周囲を覗くように警戒している敵 に向けられていた視線が彼女に向けられる。真っ直ぐに向けられた視線に、戸惑うことなく防人は見つめ返した。
「私は三人の位置を把握すれば動きを止められます。もう一度鏡を使って見えていない位置にいる敵 を把握して動きを制止させるつもりです」
想像よりも慎重に事の運びを考えていた彼女にオールマイトは大きく頷いた。
「よし、それではその作戦でいこう。要救助者は任せてくれ」
「よろしくお願いします」
すぅっと神経を集中させる。先ほどと同じく、フロア内の人間に気づかれないように鏡を動かして中を確認していく。何か話しているのか二人は固まっていて、もう一人は人質の中に紛れるようにしているのを見つけた。
三人を同時にテレキネシスで強制的に壁に貼り付ける。手にしていた拳銃も取り上げて天井に貼りつけた。
「今です」
さすがというべきか、声をかけた瞬間、オールマイトは既に現場へと踏み込んでいた。人質にされていた人々は現れた平和の象徴とされるヒーローに安堵して泣いたり、喜びの声をあげている。
彼の割った窓から同じように彼女も現場に飛び込む。壁に貼り付けられたままの敵 を縛りあげ、天井にくっつけていた拳銃をゆっくりと下ろす。三丁ある拳銃すべてから弾を取り出したとき、警察がやってきた。
「すみません、コレお願いします」
顔見知りの警察官に拳銃と弾を渡す。受け取った彼は防人に"お疲れ様です!"と言いつつ、目はオールマイトへと向いていた。
「凄いですね! 僕、オールマイトを初めて生で見ました!」
はしゃいでいる様子の彼に苦く笑う。気持ちは分からなくないが、あまりはしゃいでいると、彼の上司にまた怒られるのではないかと心配になった。
「お前、現場で何はしゃいでんだ!!」
"テメぇの仕事しろ!!"と怒鳴った彼の上司の声に、警察官全員の気が引き締まったように見受けられる。自分もぼうっとしていられないと、防人も仕事に戻ろうと現場から離れた。
「あ、ちょっと待って」
「え?」
まさか自分が彼に呼び止められるだなんて思ってもみなかった。呼び止めてきた彼、オールマイトを見上げる。どうやら、人質たちの避難が終わったのだろう。何を言われるのかと目を瞬いている防人に彼はグッと親指を立てた。
「素晴らしい働きだったよ。あのエンデヴァーが褒めるだけあるね」
「エンデヴァーさんが?」
先日、一緒に仕事をした後、何度か彼の現場に呼ばれるようにはなったが、特にこれと言って褒められるような何かをしたわけではない。
「人違いでは……?」
「え? でも君、"サイキッカー"だろう?」
"サイキッカー"とは防人のヒーローネームで間違いない。ぎこちなく頷いてみれば、オールマイトは励ますように白い歯を見せて笑った。
「プロ一年目だなんて思えない働きだった」
「……私なんてまだまだです」
せっかく褒めてもらっているのに、どうしても素直にお礼が言えない。申し訳なさで視線を下げると、オールマイトは不思議そうに防人を見てから、華奢な肩を励ますように叩いた。
「慢心はよくないが、自信がなさすぎるのもよくない。君はもっと自信持っていいんだぜ!」
ナンバーワンヒーローである彼の言葉であるからだろうか。強く心を揺さぶられて顔を上げると、オールマイトはニカッと笑みを見せて、次へと走り去っていった。
彼の走り去った勢いでフードが揺れる。捲れる寸前でフードの端を捕まえて、顔を隠すように引き下げた。
(自信を持っていい……)
本当に信じていいんだろうか。もし、本当に少しでも自信を持っていいのなら、彼に会いに行くことも許されるだろうか。
日は大きく傾き、街に影が差している。もう少しで夕暮れになるだろう。何気なく空を見上げたとき、偶然、ビルからビルへと飛び移る彼の姿を見つけた。
黒いコスチュームで捕縛武器を首に巻いているヒーロー。彼の視線の先を追いかけると逃げる人影が見えた。
必要ないかもしれない。それでもと、逃げる敵 へ意識を向ける。ギリギリ自分の個性が届く範囲にいた相手の動きを止めた。
***
追いかけていた敵 の動きが不自然に止まった。その隙を逃さず、相澤は捕縛武器で相手を締め上げる。
個性は消していた。それに今の不自然な動きは敵 の意図したものではないことは、ギャアギャアと騒いでいる様子からも明らかだ。
(まさか)
視線を周囲に巡らせれば、近くの歩道で大喧嘩しているカップルの仲裁をしているフードを目深にかぶったヒーローを見つける。
まあまあ、と宥めるように手を動かしては女性が投げつける物を一つ残らず、その個性で受け止めていた。
まだ騒いでいる敵 へと目を戻す。もう少しキツく締め上げると、逃げられないことを悟って静かになった。引き渡しの連絡を取って、相澤は大人しくなった敵 を、じっと見る。
その後、相澤は防人への気持ちを塞ぐように仕事に熱を入れた。そして、もしも、彼女が待ってくれていたのならその時は―――なんて考えが頭を過って自嘲する。そんな都合のいい"もしも"は存在しない。それはただの願望だ。自分でも呆れるほど防人にある未練。きっとこれは一生消えてくれることはないだろうと、相澤にはそんな気がしてならなかった。
-25-「そんなこと言われましても……」
電話の向こうの彼には見えないのは分かっているが、つい誤魔化すような苦笑いをしてしまう。誰も出勤して来ない事務所で一人、書類仕事をしながら防人は山田の電話を受けていた。
『ミッドナイトと会ったんだろ? めちゃくちゃ心配してたぞ』
「あれは個性の使い過ぎで頭痛を起こしていたせいですよ」
"次はもっと気を付けますから"と言いながら手元の書類を見て眉間にしわを寄せる。あまりにもずさんな文章に、個性を使いすぎてもいないのに頭痛がしそうだ。
『あのなァ、本当にお前、働き方異常だぞ。事務所、何にも言わねーのか』
「……私のしたいことを優先してくれているんですよ」
作り直しの書類をデスクの端に積み、一枚でもそのまま使えそうなものを探す。すでに分厚くなり始めている作り直しの書類のことを考えると、今日の半休はデスクワークで消えてしまいそうだ。
「その書類仕事がやりたいことか?」
電話とドアから聞こえてきた声に、書類から顔を上げる。目の前の男性に防人はゆっくりと首を傾げた。
「え? 嘘。わかんねーの?」
「もしかして、マイク先輩ですか?」
いつも長く逆立てている髪を下ろた私服姿では雰囲気がまったく違う。でも、よく考えたら声は同じだと思うと、彼女は"ああ"と納得した声を漏らした。
「いつもよりイイ男で驚いたんだろ?」
「え? ああ……そう、ですね?」
反対側に首をこてんと傾げた防人に山田はいろいろと言いたいことを飲み込んだ。普段なら、なんで疑問形なんだ!とか、同意くらいしろよノリが悪いな!なんて軽口も叩けたが、美人はこういう時にズルいと思わされた。
「ま、まあ、とにかくよォ。その書類仕事、したくてやってんのか?」
「やりたい仕事だけするわけにはいかないじゃないですか」
トントンと書類の角を合わせて整える。思っていたよりも少ないこの量なら午前中いっぱいを使うことはなさそうだ。
「……この事務所、まともじゃねェぞ。今日だってなんで誰も出勤して来ねェんだ?」
「急な用事は誰にでもありますよ」
無表情で書類を作り直し始めた彼女の手がキーボードの上を走る。こなれているのか、文章も何も迷う様子がない。
「防人……」
ため息交じりに彼女の苗字を口にした山田は呆れよりも目の前の後輩が心配で仕方がなかった。いつもこの事務所には人がいない。名ばかりのヒーローは防人の活躍を
「分かってます。本当はこの状況がおかしいんだって」
カタカタと鳴らしていたキーボードから手を下ろす。きちんと山田を見上げた防人はどこか悲しそうな顔をしていた。
「でも、今はこれくらいしないとダメなんです」
「……お前、なんでそんな焦ってんだ?」
ずばり言い当てられてしまい、視線を逃がしながら彼女は髪を耳にかけた。俯いて、あははと口にしたきり防人は何も言えなくなる。
「これからの話。真面目に考えろ」
山田からの話に彼女は目を丸くさせた。驚いて動けないでいる防人の頭を、ぽん、と一撫でして彼は事務所から出て行く。一拍遅れて我に返った彼女はすぐに追いかけたが、廊下にはもう山田の姿はなかった。
***
昼過ぎの街を歩く。雲が多めの空を見上げて、午前中の事務所で山田に言われたことを思い出す。はぁ、と息を吐き出して視線を前に戻して、フードの端を摘まんで引き下げる。まさかあんなことを言われるとは思いもしなかった。
(ダメだ、ダメだ! ちゃんと集中しないと)
足を止めて顔を左右に振る。動揺から集中しきれていない。く、と息を止めてゆっくりと長く吐き出す。そして、また歩き出す。とりあえず、山田の話を考えるのは仕事の後にしようと決めた。
「助けてくれ!」
かけられた声に振り返ると、若いサラリーマンが肩で息をさせながらフラフラと駆け寄ってきた。
「どうしました?」
「あ、あそこ、ビル!
そう男性が話したのと同じタイミングで、周囲に銃声が響く。数発聞こえてきた銃声に街のあちこちから悲鳴が上がった。
「貴方にケガはありませんか?」
「お、俺は、
ガクガクと震えている男性の口は上手く動いていない。恐怖で一杯一杯になっているようだが、避難することに問題はなさそうだ。
「知らせてくださってありがとうございます。もう大丈夫ですから、早く避難してください」
安心させようと優しく声をかけて防人は男性に教えられたビルへと走る。目的の場所へ近づくたびに、逃げてくる人たちが増えて思うようには走れない。
地面を強く蹴り上げて個性を使って人々の頭上に飛び上がる。そのまま、近くのビルの屋上へと降りた。
事件の起きているビルを注意を払いながら覗き込む。屋上から数階下、金融会社の入っているフロアで
見えている範囲であれば自分の個性が通用しそうだが、中の状況が分からない今は簡単に動くことはできない。しかし、長く様子見をしているつもりもなかった。見つからないように細心の注意を払ってフロアの中に使えるものを探す。
(あった)
小さく光ったそれを見逃さなかった防人は、テレキネシスを使って慎重にそれの角度を変える。
(四、五……七人と、二人)
中の様子を事件の起きているフロアの鏡を使って人質、そして
念には念をと、ここから見えるドアを思い切り開けた。室内では大きな物音がしたのだろう。
(もう一人……)
三人目の
「状況を教えてくれ」
オールバックの金髪に筋骨隆々のこの大男のことを知らない人はいないだろう。
「オール、マイト……」
白い歯を見せてニカリと笑ったナンバーワンヒーローに、防人はハッと我に返り頷く。
「立てこもり事件です。人質が七名と
「君はこれからどう動くつもりだったんだ?」
窓際に近寄って周囲を覗くように警戒している
「私は三人の位置を把握すれば動きを止められます。もう一度鏡を使って見えていない位置にいる
想像よりも慎重に事の運びを考えていた彼女にオールマイトは大きく頷いた。
「よし、それではその作戦でいこう。要救助者は任せてくれ」
「よろしくお願いします」
すぅっと神経を集中させる。先ほどと同じく、フロア内の人間に気づかれないように鏡を動かして中を確認していく。何か話しているのか二人は固まっていて、もう一人は人質の中に紛れるようにしているのを見つけた。
三人を同時にテレキネシスで強制的に壁に貼り付ける。手にしていた拳銃も取り上げて天井に貼りつけた。
「今です」
さすがというべきか、声をかけた瞬間、オールマイトは既に現場へと踏み込んでいた。人質にされていた人々は現れた平和の象徴とされるヒーローに安堵して泣いたり、喜びの声をあげている。
彼の割った窓から同じように彼女も現場に飛び込む。壁に貼り付けられたままの
「すみません、コレお願いします」
顔見知りの警察官に拳銃と弾を渡す。受け取った彼は防人に"お疲れ様です!"と言いつつ、目はオールマイトへと向いていた。
「凄いですね! 僕、オールマイトを初めて生で見ました!」
はしゃいでいる様子の彼に苦く笑う。気持ちは分からなくないが、あまりはしゃいでいると、彼の上司にまた怒られるのではないかと心配になった。
「お前、現場で何はしゃいでんだ!!」
"テメぇの仕事しろ!!"と怒鳴った彼の上司の声に、警察官全員の気が引き締まったように見受けられる。自分もぼうっとしていられないと、防人も仕事に戻ろうと現場から離れた。
「あ、ちょっと待って」
「え?」
まさか自分が彼に呼び止められるだなんて思ってもみなかった。呼び止めてきた彼、オールマイトを見上げる。どうやら、人質たちの避難が終わったのだろう。何を言われるのかと目を瞬いている防人に彼はグッと親指を立てた。
「素晴らしい働きだったよ。あのエンデヴァーが褒めるだけあるね」
「エンデヴァーさんが?」
先日、一緒に仕事をした後、何度か彼の現場に呼ばれるようにはなったが、特にこれと言って褒められるような何かをしたわけではない。
「人違いでは……?」
「え? でも君、"サイキッカー"だろう?」
"サイキッカー"とは防人のヒーローネームで間違いない。ぎこちなく頷いてみれば、オールマイトは励ますように白い歯を見せて笑った。
「プロ一年目だなんて思えない働きだった」
「……私なんてまだまだです」
せっかく褒めてもらっているのに、どうしても素直にお礼が言えない。申し訳なさで視線を下げると、オールマイトは不思議そうに防人を見てから、華奢な肩を励ますように叩いた。
「慢心はよくないが、自信がなさすぎるのもよくない。君はもっと自信持っていいんだぜ!」
ナンバーワンヒーローである彼の言葉であるからだろうか。強く心を揺さぶられて顔を上げると、オールマイトはニカッと笑みを見せて、次へと走り去っていった。
彼の走り去った勢いでフードが揺れる。捲れる寸前でフードの端を捕まえて、顔を隠すように引き下げた。
(自信を持っていい……)
本当に信じていいんだろうか。もし、本当に少しでも自信を持っていいのなら、彼に会いに行くことも許されるだろうか。
日は大きく傾き、街に影が差している。もう少しで夕暮れになるだろう。何気なく空を見上げたとき、偶然、ビルからビルへと飛び移る彼の姿を見つけた。
黒いコスチュームで捕縛武器を首に巻いているヒーロー。彼の視線の先を追いかけると逃げる人影が見えた。
必要ないかもしれない。それでもと、逃げる
***
追いかけていた
個性は消していた。それに今の不自然な動きは
(まさか)
視線を周囲に巡らせれば、近くの歩道で大喧嘩しているカップルの仲裁をしているフードを目深にかぶったヒーローを見つける。
まあまあ、と宥めるように手を動かしては女性が投げつける物を一つ残らず、その個性で受け止めていた。
まだ騒いでいる
その後、相澤は防人への気持ちを塞ぐように仕事に熱を入れた。そして、もしも、彼女が待ってくれていたのならその時は―――なんて考えが頭を過って自嘲する。そんな都合のいい"もしも"は存在しない。それはただの願望だ。自分でも呆れるほど防人にある未練。きっとこれは一生消えてくれることはないだろうと、相澤にはそんな気がしてならなかった。
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