もっと必死に

 東北から戻ってきた翌日。急遽呼ばれた現場には、物凄く有名なヒーローがいた。
 大きな体を見上げる。体格も背丈も大きなその人は持っている個性とは違って、とても冷たい目つきをしていた。

「初めまして、エンデヴァーさん。私は―――」

「そんなものはいい」

ぴしゃりと会話を打ち切った様子からも彼が会話をする気も、自分のことを知るつもりもないのだと分かる。目を瞬いてから、どうしたものかと防人は顎に手を添えた。

「さっさと働け。足を引っ張るようなら、さっさと外れろ」

「そうならないように気を付けます」

 じろり、とわざと威圧するように睨む。しかし、この新人ヒーローは怯えることも委縮することもなく、じっと見つめ返してきた。真っ直ぐな目を彼にしては珍しく不快に思わなかった。

 短く鼻を鳴らして背を向けたエンデヴァーを少し見送ってから、防人はその後ろを歩き出す。吹き上げる風にフードが捲れないように抑えて、大きく息を吸い込んだ。

***

 深夜、ビルの屋上にあるフェンスの外でしゃがんでいるヒーローは真っ黒なコスチュームに身を包み、癖のある長髪と首に巻いている捕縛武器を夜風になびかせていた。ゆっくりと立ち上がった彼は走り出す。そして、夜の中に姿を消した。

 路地裏で見つけた車上荒らしを取り押さえる。担当部署へと連絡を取った相澤は、突然の悲鳴に顔を上げた。今度は大通りで(ヴィラン)が暴れているようだ。
 騒ぎの中心へ駆け出した相澤は大通りへ飛び出すと足を止めた。ざわざわと周囲の人間は騒いでいるが、先ほどの恐怖に染まった声ではない。拍手や歓声の中心は、彼のいる位置からはよく見えない。仕方なく周囲の声に耳をすませば、新人ヒーローが現れ、目にも止まらぬ剣技で暴れていた(ヴィラン)数人を叩き伏せたと話しているのが聞こえてきた。

(新人ヒーロー? 剣技?)

 まさかと思う。人込みを避けて、ビルの上へと出ればようやく人込みの中心が見えた。マントコートのフードを目深にかぶっているヒーロー。体型も分かりにくい、性別も分からない。それなのに、相澤にはそれが彼女だとすぐに分かった。
 どきりと胸が高鳴る。自覚はある。まだあの頃の気持ちは彼の胸の中で息づいている。

(桜……)

目が離せないでいる相澤の視線に気づかず、防人は警察に(ヴィラン)を引き渡す。警察の男性が親し気に彼女へ話しかけている。彼に何か話した防人はそっとそのまま姿を消した。

 痛む胸を掻きむしるように掴む。今、傍にいた男は彼女とどんな関係なのだろう。腹の底からぐわっと全身を駆け巡った、内側から焦がすそれに強く唇を噛みしめた。もう嫉妬なんてしていい理由なんかない。手を離したのは自分からだ。
 深く息を吸い込んで、長く吐き出す。今は仕事だ。防人の存在に気持ちを乱されている場合じゃない。噛みしめていた唇から、ゆっくりと力を抜いて、彼も仕事へ戻っていった。

***

 頭がぐらぐらする。個性の使い過ぎの影響か軽い頭痛がした。薄暗く細い路地裏で防人は頭を押さえて目を閉じる。
ここからでも聞こえる賑やかな繁華街の音。騒々しくも感じられる音の中にいると、今の状態では酔ってしまいそうだった。

(もしかしたら、さっき……)

 先ほど数人の(ヴィラン)を取り押さえたとき、どこからか感じた視線。あの視線は、と思う。
 きゅ、と胸が痛む。会いたい気持ちが膨れていく。我慢して飲み込まないと探しに飛び出して行ってしまいそうだ。短く吸い込んだ息を唇を噛みしめて堪える。

(今は、仕事をしないと……)

仕事中にこんな気持ちに振り回されているだなんて、彼に呆れられてしまう。長く息を吐き出して気持ちを整える。今は何も考えない。自分のすべきことだけを考えよう。
 大分、痛みが引いてきた頭から手を離す。ゆっくりと開いた防人の目は、何の揺らぎもなく、怖いほどに前を向いていた。

 その夜、結果的に彼女は、更に数人の(ヴィラン)を捕まえ、酔っ払いに絡まれていた女性を助け、事故で横転したトラックの積み荷の中から運転手を助け出したりと、一晩にしてはよく働いた。

 ビルの陰で朝日が上がったのを感じる。重い頭痛のする頭をフードの上から押さえる。これはさすがに眠らないと治まりそうにないと感じたときだった。

「あら? 防人さんじゃない?」

 振り返れば、そこには雄英時代の先輩がいた。

「香山先輩……」

お互いコスチュームに身を包んでいるというのに、彼女から本名を呼ばれたものだから、つい同じように名前を返してしまった。ズキズキと痛む頭を持ち上げた彼女に香山は痛々しそうな目を向ける。

「大丈夫? 顔色が真っ青よ」

「少し個性を使いすぎただけですよ」

 困ったように笑った防人に、ちょっと待ってと香山はスマホを持ち出す。

「誰か呼ぶわ。その状態じゃ家まで帰れないでしょう」

「いえ、このまま事務所に戻ります。ここから近いので大丈夫です」

なんてことはないと手を振ると、彼女は笑うのを止めた。

「……ご無沙汰しています。ミッドナイトのお噂はよく承っています」

「私の方こそ、貴女の活躍はよく聞いてるけど、毎回そんなボロボロになるまで働いてるの?」

「まさか」

あはは、と笑って見せる。実際は香山の言う通りだった。それでも今の生活を止める気なんて防人にはない。

「すみません、私、そろそろ行かないといけないので失礼しますね」

 頭を下げて彼女は香山の隣を通り過ぎる。察しのいい香山と頭痛のある状態で話しているとボロを出してしまうような気がした。

 フードをかぶり直した防人の後ろ姿を見送っていた香山は手の中で震えたスマホに目を向けた。かけてきている相手の名前を確認すると、ため息を吐いてから電話に出る。

「ちょっと、どうなってるのよ」

 繋がって最初の言葉に相手の"はぁ?"と困惑した声がスマホから漏れている。

「はぁ? じゃないわよ! あの子ボロボロじゃない」

イラっとしながら、香山は彼女の歩いて行った方へまた顔を向ける。もうそこには誰の姿も気配もない。はあ、と大きく息を吐き出してから彼女は頬へ手をあてた。

***

 何とか事務所に帰れた防人は痛み止めを水で流し込むと、仮眠室のベッドへ倒れ込んだ。このまま眠ってしまえば、起きたときに頭痛が治まっていることは分かっている。痛みでなかなか眠りにくいが、目を閉じていれば気が紛れた。

(早く、追い付きたい……)

 先ほど偶然出会った香山を見たとき、最初に思ったのはそれだった。彼よりも早くヒーローになった人。それが酷く羨ましくて涙が出てしまいそうだった。他人を羨んだところで今の自分の何かが変わるわけではない。今よりも、もっと必死にならなければ、自分のずっと先にいる相澤には追い付かない。

 眠った彼女の閉じた瞳から、また涙がこぼれている。誰も拭うことのない涙はそのまま彼女が目を覚ますまで、白い頬にその跡を残していた。

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