新人ヒーロー

 電話の向こうの声は驚きと不満で興奮していた。自分が答えればそうなることが分かっていた彼はそのことには驚かなかったが、想像以上の大声が返ってきたことに顔を顰める。

『はあ!? 行・か・な・い・だァ!?』

電話越しの大声に相澤はケータイから耳をさらに離す。あらかじめ耳から離していたというのに、酷い大声で耳の奥がキーンとしている。

「うるせぇな。耳元で大声出すなよ」

不快に感じながら、反対の耳にケータイをあてた相澤の眉間にはしわが寄っている。

『なんでだよ!? 防人が卒業すんだぞ! しかも首席で!!』

 ふと、彼女と別れたのは去年の今頃かと相澤は目を伏せる。ここまで必死に毎日をこなすだけで精一杯だった。あれから一年も経っているのかとぼんやりと思う。

『おい、聞いてんのか!?』

「聞いてる。俺は仕事があるから行かない。じゃあな」

プツリと一方的に通話を終わらせると、ケータイの画面が待ち受けに変わる。その待ち受け画面を少しの間だけ見つめた相澤は小さく息を吐き出した。
 春先とはいえ夜の屋外は冷える。寂れたビルの物陰で、寒さを誤魔化すように彼は顔を捕縛武器の中へ埋めた。

***

 その後、月日は流れ防人が雄英を卒業して半年が過ぎていた。その間も相澤と彼女が連絡を取ることはなく、顔を合わせることもない。

 吹き付けられた夜風にヒーローコスチュームのマントコートがなびく。誰もいないビルの屋上で街を見下ろしていた防人はフェンスにもたれかかっていた。深くかぶったフードが風で捲れる。下から出てきた黒い髪。その髪の下から月明かりに晒された顔立ちは学生時代よりも幼さが抜け、更に美しくなっていた。
 何かに気づいた彼女は屋上のフェンスを乗り越え飛び降りる。地面にぶつかる瞬間、飛び降りた勢いはすべて消えて、ふわりと彼女の体は宙へ浮く。そっと地面へ降り立った防人は騒動の中心に向かって駆け出して行った。

 防人桜は雄英高校に入学したときと同じように、ヒーロー活動を開始してすぐに注目を浴びた。
 何をさせても迅速で的確な行動は、先輩プロヒーローたちを驚かせ、また世間を騒がせた。そして、そのミステリアス性が注目を引く。体型の分かりにくいマントコートに身を包み、性別が分からない。インタビューにも答えず、テレビカメラなどの前には一切姿を現さなかった。彼女についての情報は、直接関りを持った人たちの噂だけ。そして、今日もその噂が一つできあがる。

 個性を使い暴れていた酔っ払いを拘束した防人は膝を折る。睨みつけてきた相手に怯むことなく、じっと見つめ返した。

「ンだ、テメェ!! いい気になってんじゃ―――」

「もうすぐ貴方は警察に引き渡されます。理由は存じませんが、できればもうこんなことは起こさないでください」

 これまでよりもキッと目尻と吊り上げた酔っ払いは、フードの下に見えた悲し気な瞳に息を呑む。

「貴方が暴れて悲しむ人がいるでしょう?」

防人に両手で丁寧に持たされたのは、酔っ払いの定期入れだった。その中に入っている写真を思い出して、彼の酔いはどんどんと醒めていく。

「……もう会えないなら、どうすりゃいい」

 俯いて声を震わせる彼に、彼女も顔を俯かせる。会いたいのに会えない苦しさは同じとは言えないが、よく理解できるつもりだ。

「どうしてお会いできないのかは分かりませんが、貴方が今回起こしたことを喜ぶ方ですか?」

「……怒られちまうだろうなァ」

泣き出した彼の肩へ防人の手が置かれる。

「ご自身も傷つく行為は、これっきりにしてくださいね」

慰めるように置かれていた手が離れていく。彼が顔を上げたときには、もうそこに新人ヒーローの姿はなかった。

 湿り気を含んだ風に吹かれながら防人は顔を上げた。空には半月が見える。胸の奥にしまっている寂しさが顔をのぞかせて、彼のことを思い出させた。
 "抹消ヒーローイレイザーヘッド"それが今の相澤だ。彼に会いたい。でも、今の未熟な自分ではまだ会いに行くだけの資格がないと、月を見上げるのを止めた。
 風で捲れそうなフードをつまんで引き下げる。そのまま、彼女は夜のパトロールに戻っていった。

***

 夢を見た。それほど昔のことではないのに、強い郷愁に駆られる。愛しい彼女が笑っている。しかし、その彼女は自分のものにできなかった。彼女に失望されることが耐えられない。それは当時も今も変わらない。

 空を見上げれば、月が浮かんでいる。残暑の空気を含んだ風が室内へと入って、彼の髪を揺らしていく。

 自分はもっと上手くやれる人間だと思っていた。実際は、彼女を諦める結果になったが、今はそれも仕方がなかったのだと思える。部屋の隅に置かれている弁当箱に視線をやると彼は目を閉じた。

 できればもう一度彼女の夢を見たい。高校時代、好きで好きで仕方なかった防人桜が笑っている夢。
 自分の手の届かない遠い所へ行ってしまった彼女。今の防人のことを知るのは難しい。真実かも分からないのに、コンビニや本屋に立ち寄れば彼女のゴシップが載った雑誌を買ってしまう。こうして一方的に知っていることで、防人への恋心を捨てられないでいることも理解しているが止められない。

 向こうはきっと自分のことなど忘れてしまっただろうと思うと、自嘲じみた笑いが込み上げてくる。防人のことをこんなに長く忘れられないでいる自分を意外に感じながら、彼はゆっくりと目を開けて明日の仕事のことを考え始めた。

 湿気を含んだ風がまた吹き始める。肌を撫でるまとわりつくような風に、彼は不愉快そうに顔を歪めた。

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