ここにいます

※ここからのお話にはアニメ化されていないネタバレがあります。閲覧には十分、ご注意ください

 昼食を屋上で食べる彼らの中に、彼女の姿があるのが当たり前に感じられるようになった頃。昼食を食べ始めた屋上で白雲は大きな声を上げた。

「防人! ショータと付き合ってるって本当か!?」

唐突な話題に相澤は口の中に入れていたおかずを思わず吐き出しそうになった。ぐっと力を入れてなんとか堪えた彼の横では、おかずを口に運ぼうとしていた防人が手を止める。

「はい。そうですよ」

あっさりと何でもないように答えた彼女に動揺している雰囲気はない。気恥ずかしさで、ちゃんと防人の顔を見られない相澤は横目で彼女を視界に入れた。

「な? 本当だろ」

やれやれと肩をすくませながら山田はちらりと相澤を見る。視線を向けられた本人は、唇をぎゅっと結んでそっぽを向いた。

「いつからだよ! なんで教えてくれなかったんだ。水臭い!」

「白雲先輩には相澤先輩から話すと思っていたので」

すみませんと苦笑して謝る彼女から相澤へ白雲の視線が移る。じーっと見てくる視線に負けるような形で、相澤は口を開く。

「別に隠してたわけじゃない」

「恥ずかしくて言い出せなかっただけだよなァ、相澤」

HAHAHAと大きく口を開けて笑う山田を軽く睨んだが、意味はないだろうと何も答えずに、またそっぽを向く。

「羨ましいぞ、ショータ」

弁当を膝に乗せている防人を見ながら呟いた白雲に相澤はムスッとした口調になってしまう。

「おい、どこ見てるんだ」

 どうも白雲の視線が防人のスカートから動いていない。白雲から視線を彼女へと動かして、会ったときから気になっていたことをやっと口にする。

「お前も、いつもよりスカート短いんじゃないか?」

「よく分かりましたね」

驚いているのか、意外に思っただけなのか、防人は目を瞬かせるだけで特に気にした様子はない。
いつも品のいい長さのスカートが、どうして今日は短いのか。疑問を投げかける視線を向ければ、彼女は彼の視線の意味に気づいて答えてくれる。

「頼まれたんです。今日だけでいいからこの長さで過ごしてほしいって」

「誰に」

男かと思った相澤に防人はくすりと笑った。

「同じクラスの女の子です。今日一日はクラスの女子みんなで長さを揃えようってなったんですって」

「女子ってときどき、よく分かんねーなァ。なんか意味あんのか、ソレ」

山田の質問に彼女は困ったように"さあ?"と苦く笑う。雰囲気からは、やりたくてしているわけではないようで、声をかけられたから仕方なくといった様子だ。

「明日には、元に戻すのか?」

「ええ。お腹が冷えたらご飯が美味しく食べられませんから」

その答えにほっとしながら、相澤はブレザーを脱いで防人へ突き出した。

「いいんですか?」

「じゃなきゃ出さない」

「ありがとうございます」

 嬉しそうに頬を緩ませた防人がブレザーを受け取る。弁当を脇に置いた彼女は丸見えだった膝にそっと彼のブレザーをかけた。

「実はお腹が痛くなったらどうしようって思ってたんです」

あったかいと喜ぶ防人の顔を見ていると面映ゆくて仕方がない。ふい、と顔を背けると、両脇から山田と白雲に肘で突かれた。
 冷やかしてくる二人を無視して彼女の弁当を口に運ぶ。今日の卵焼きは前回と違って甘い。だしもよかったがこれもいいと思って箸を進めている間に、白雲が防人と向かい合うように座っていた。

「防人、ショータに泣かされたら俺のところに来い! いつでも胸貸してやるから!」

突き出すように胸を張った白雲は、任せろと言わんばかりにその胸を、とん、と叩いた。目を見開いている防人に、白雲はにかりと白い歯を見せて笑う。そして、くすりと彼女も笑った。

「はい。そのときは頼りにしますね」

「俺も俺も! 可愛い子ちゃんの為なら胸でもなんでも貸してやるぜ!!」

はいはい!と便乗した山田にも彼女は"ありがとうございます"とお礼を返している。
 まるで自分が防人に酷いことをする前提のような話が面白くなくて、相澤はあからさまにムッとした。

「俺は桜を泣かせたりしない」

ぽつりと誰にも聞こえないような小さな声だったはずなのに、ちょうど会話の切れた間だった為に、その場の全員に聞こえてしまった。

「うわぁ、惚気かよ! 相澤ァ!!」

「そういうこと言うときは、もっと自信持てって!」

また両脇をぐいぐいと肘で突かれる。なんて間が悪いんだと自己嫌悪していると、たまたま防人の姿が視界に入った。
 恥ずかしさと嬉しさで顔を赤らめた彼女は、何も言わずに俯いている。ちらりと視線を寄こした防人と視線が重なると、目元が優しく細められ、さらに赤く染まった。見ただけでその熱がうつってしまったのか、相澤も顔を僅かに赤らめて目を逸らした。

 ずっと、こんな感じで高校生活を過ごしていくのだろうと、四人はこのとき、まだ漠然と思っていた。

***

 それは本当に唐突に、尻切れトンボに終わった。ザアザアと嫌いな雨の音に包まれながら、防人は屋上で立ち尽くす。ここでなら誰にも泣いていることは分からない。本当は悲しみでいっぱいで叫び出してしまいたい。しかし、電話の向こうの相澤が声を震えさせて堪えていたのだから、そんなことはできなかった。
 インターンが終われば、またいつものようにここで他愛ない話をしながら笑う先輩三人組の姿を見られると疑いもしなかった。もう戻ってこない日常を、じわじわと理解し始めるのと反比例するように足元から力が抜けて、かくん、と防人の膝は屋上についた。

 次々に思い出す白雲の姿や声に目頭が熱くなっていく。喉の奥で堪えていた声が僅かに漏れた。唇を強く噛んで声を漏らさないようにしたとき、彼女の脳裏に相澤の姿が浮かんだ。
 彼が一人で泣いているのではないかと心配になったが、すぐに電話の向こうで聞こえた声やインターン先を思い出して目を閉じた。

(消太くんの電話からは山田先輩の声が聞こえた。それに、インターン先は香山先輩と同じところだから、きっと一人じゃない)

相澤が今、この瞬間を一人で過ごしていないことにだけ安堵すると、防人の涙は勢いを増す。両手で顔を覆った彼女の声は雨に隠れて誰の耳にも届くことはなかった。

***

 数日後、防人の前に姿を見せた相澤は酷く疲れた様子だった。

「おかえりなさい。消太くん」

「………」

彼女が一人で住む部屋の玄関で俯いて立ち尽くす相澤に防人は無理やり口元に笑みを浮かべる。

「疲れたでしょう。ご飯、食べられますか?」

だらん、と下がったまま動かない彼の手を取る。いつも彼女よりもあたたかい手がとても冷たく感じられた。
 顔を俯かせたままの相澤の手をそっと引くと、力強く手が握り返され思い切り引き寄せられた。

「………」

覆いかぶさるように防人を抱きしめた相澤は何も言わない。そっと抱きしめ返した彼女も言葉を発することはなく、優しく彼の背中を撫でた。

「……桜」

 今日初めて聞いた声は掠れていた。痛々しく聞こえたその声に防人は頷く。

「ここにいます」

しっかりと相澤を抱きしめた防人の声は、大きくはなかったけれど凛としていた。何も言わないでくれている彼女にすがるように彼はさらに強く抱きしめる。
 親友を失った相澤の胸に、どれほどの無念さや虚無感があるのか、推し量ることはできない。今の自分にできることは寄り添うことだけだと防人は涙がこみ上げそうになってしまう目を閉じた。

「……今日は、一緒にいてもいいか?」

「ええ。もちろんです」

震えている彼の背中を撫でて、彼女は小さく息を吸い込んだ。

「もう少し、こうしていましょうか。……その後、ちゃんとご飯を食べましょうね」

防人の首筋に顔を埋めた相澤は声も出さずに、一度だけ頷いた。今日は降っていないというのに、どうしてか二人は雨の匂いを感じていた。

***

 リビングに入ると、少し焦げたような臭いを感じた。相澤がキッチンへ目を向けると、防人が困ったように眉を寄せて笑みを作る。

「煮物、焦がしちゃって……。まだ臭いますか?」

これまで彼女が料理で失敗したところなんて見たことはない。それなのに焦がしてしまったということは、やはり防人も強いショックを受けているのだと相澤は目を伏せた。ふと、彼女の手を見れば、右手の指に包帯が巻かれている。思わず防人の手を取って、相澤はその指を痛々し気に見た。

「火傷、大丈夫なのか?」

「はい。ちゃんと、軟膏も塗りましたからすぐに―――」

"治る"と言いかけた刹那、彼女は形のいい唇を動かすのを止める。そして、違う言葉を口にした。

「―――痛みも引きます」

死んでしまったら治らない。そんな当たり前のことが頭を過り、咄嗟に使うのを避けてしまった。普通であれば気づかない。しかし、相澤は防人が何を気にして言葉を変えたのか気づいていた。

「桜」

 抱きしめているのは自分なのに、腕の中の彼女に包まれている。そう感じながら、防人の頭に手を回して温もりを確かめるように綺麗な黒髪に鼻先を押し付けた。

「……桜」

"気を遣うな"と言えればよかったが、今の彼は彼女を感じること以外に少しの余裕もない。防人からの温もりに、自分と彼女が生きていることを感じる。

(桜は生きてる)

そのことが相澤に強い安心感を抱かせた。
 するりと、彼女の手が彼の背を撫でる。繰り返し撫でてくる手が、彼女がここにいるということを実感させてくれた。

「消太くん」

 どこか意を決したように感じる声だった。その声に、相澤は彼女の髪に自分の顔を押し付けるのを止める。

「ご飯、食べましょう―――」

体を離した防人は相澤の顔を見上げながら、その頬を優しく片手で包み込んだ。何も言わず、ただ頬を撫でてくる彼女の目にはうっすらと涙がある。その目の奥に先ほどの言葉の続きを見つけた彼は固く目を閉じて頷いた。

"私たちは、生きているんですから"と防人の目は訴えていた。その言葉を今は口にしないでくれることが、相澤には救いだった。そう、分かっている。こうして悲しみに暮れている時間は合理的ではない。自分たちは生きている。できることがある。死んでしまった白雲とは違って。
 目を閉じたまま頬に触れる防人の手に自分の手を重ねて、ぐっと飲み込むように相澤は強く頷いた。前を向こうとしている目の前の彼に強さを見た彼女は、今にも泣きそうな顔で微笑んでいた。

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