同い年だったらなんて

「もう出たんですか?」

 風呂からリビングに戻れば、キッチンからひょっこりと防人が顔を出した。簡単にまとめた髪に、エプロン姿の彼女にぴくりと反応してしまう。

「ちゃんと温まりましたか?」

近づいた防人は確認するように相澤の顔を見上げた。見慣れない姿の彼女に、彼は顔を背けながら頷く。

「ああ。お前も早く入ってきた方がいい。本当に風邪ひくぞ」

じっと相澤の様子を見ていた防人の視線が、下から上へと動く。返事もしないで見てくる視線に居心地が悪い。

「なんだよ」

「あ、すみません。ジャージなんだなって思って」

 彼が着替えたのは雄英のジャージ。たまたま、まだ使っていないものがカバンの中に入れてあった。

「今日、置いてくるのを忘れた。持っててよかった」

「私の服を着てる相澤先輩が見たかったなぁ」

「お前の服じゃサイズが合わないだろ」

どう考えても丈が足りないし、そもそも華奢な彼女のものでは入るかどうかも怪しい。よしんば着られたとしても、みっともないことは間違いない。

「やっぱり無理ですかね。それじゃあ、今度は相澤先輩が着られるものも用意しないとですね」

くすりと笑う防人とは対照的に相澤は固まった。自分の服をここに置くということは、また今回のようなことを彼女は考えているということだ。

「い、いいから早く入ってこいって」

ぐいぐいと風呂場へ防人の背を押す。彼が照れているのを知っている防人はおかしそうに笑っていた。

「じゃあ、お湯をもらってきます。……覗かないでくださいね」

返事をせずに防人を睨むように見る相澤の目は、"からかうな"と訴えている。それを受けても、くすくすと笑っている彼女に敵う気がしないのは、自分の方が惚れているせいだろうかと彼は拗ねた表情で視線を逸らす。

「ドライヤーは出しておきましたから使ってください。あ、テレビも何も自由にしてくださいね」

「ああ」

 風呂場へと向かった防人を見送ってからリビングへ戻る。一人暮らしには広いこの部屋に彼女はいつも一人でいるのかと思いながらローテーブルの前に座る。

(それにしても……)

軽く部屋を見回してみるが本当に無駄なものはなく、それがよりこの部屋の広さを強調している。風呂の広さにしても、他にも部屋がある様子からも単身向けではない。広い部屋でありながら、隅々まで行き届いた掃除が防人らしいと思った。

 ふと、タオルから香った匂いが少し嗅ぎなれたものだと気づく。目を閉じてその匂いを感じていると、そのまま、つい、ぼんやりとしていたようで思ったよりも時間が経っていた。

 脱衣所の方から音がする。どうやら彼女が風呂から出てきたらしい。リビングの入り口を見ていると、髪を少ししっとりさせた防人が入ってきた。

「あれ? まだ髪乾かしてないんですか?」

「それより、ちゃんと入ってきたのか? 全然時間経ってないぞ」

"まあまあ"と、宥めるようにとぼけた彼女は、相澤の隣に座った。そのまま彼の肩にかかっていたタオルを手に取って、帰ってきたときと同じように丁寧に髪を拭いていく。

「本当に風邪ひいちゃいますよ。ほら、いい子にしててくださいね」

「ガキ扱いするなって」

そっとタオルが外れたことで視界が明るくなる。乱れて顔にかかった髪を掻き上げた相澤が見たのは、真っ赤になって自分を見ている防人だった。

「防人?」

「……う、はい」

俯いてしまった彼女の耳までが赤い。何故、そんなに赤くなっているのか分からずに首を傾げる。

「どうしたんだ?」

「えっと……当てられたっていうか、なんていうか……」

何を言わんとしているのか分からないでいる相澤に防人は指の間から赤くなってしまった目元を覗かせた。

「か、カッコいいなって、思って……」

「な……!」

じわじわと顔に熱が集まる。普段のからかいも照れ隠しなのだと知っているが、こんなにあからさまな反応をすることはあまりない。普段、見ることのない防人の様子が珍しく相澤の悪戯心をくすぐった。

「これが好きなのか?」

 人の好みというのはよく分からないなと思いながら、もう一度髪を掻き上げる。更に顔を真っ赤にした防人は、短く変な声を上げてまた俯いた。

「わ、私の反応で遊ばないでください……」

「普段、俺で遊ぶからだ」

でも、と相澤は思う。確かに、こうした相手の反応を見て知ってしまうとからかいたくなってしまう気持ちも理解できる。
 真っ赤になって狼狽えている防人が可愛くて、ついニヤけてしまう口元を隠す。

「笑うときはちゃんと顔、見せてください」

口元を覆っていた手が彼女の白い手によって外される。まだ赤いままの防人の顔の熱が移ったかのように相澤の顔もだんだんと赤くなった。そのまま見つめ合っていると、彼女が柔らかに微笑んだ。そして、静かに彼の背中へ回る。

「ドライヤー、かけますね」

 ゴオオっと音を立てるドライヤーの温風が当てられる。()くような手つきで髪に触れてくる防人の手が心地いい。視界を塞ぐと他の感覚が敏感になるのか、心地よさが増すような気がした。

「はい。乾きましたよ」

 時間が経っていたせいもあってか、あっという間に心地のいい時間は終わってしまった。ゆっくりと目を開けて振り返ると彼女はもうドライヤーを片付け始めている。

「ありがとう」

照れ臭くささで小さくなった声に防人は嬉しそうに笑う。そして、洗練された動作で立ち上がった。

「さ、夕ご飯にしましょうか。大したものがなくて申し訳ないですが」

困ったように笑った彼女を追いかけるように相澤も立ち上がる。

「手伝うよ。大したことはできないけど」

「ありがとうございます。じゃあ、運ぶのをお願いしますね」

 防人の後に続いて入ったキッチンは、やはり一人暮らしには広すぎる空間だった。でも、不思議とここだけは物が多いような気がした。

***

 防人の用意してくれた食事は相変わらず味が良かった。そして、変わらず和食だけ。以前、和食が好きなのかと訊いてみたら、彼女は和食しか作れないのだと恥ずかしそうに言っていた。どうも、母親から教わったものが和食だけらしい。

「お口に合いましたか?」

「うん。美味かった」

食後のお茶を淹れながら、ホッとしたように笑った防人の顔は少し幼く見えた。

「相澤先輩は洋食の方が好きですか?」

「いや別に、特にこだわりはないけど」

出されたお茶に口をつけながら、言うか言わないか迷う。ちらりと見た防人は両手で湯呑を持ちながら、かくり、と首を傾げていた。

「最近は、和食が美味いって感じてる」

正確には"防人の作る和食が"だが、恥ずかしくて言えない。照れているのを少しでも誤魔化せるようにお茶をすする。そんな相澤を見ながら、防人は嬉しそうに目を細めていた。

「洋食も勉強します。そのときは食べてくれますか?」

「ああ」

彼女が自分の為に頑張ろうとしてくれている。その気持ちが分かるから胸の中が優しくて温かくなっていく。

「あの、隣に行ってもいいですか?」

 それまでずっと向かいに座っていた防人の申し出には驚かなかった。しかし、なんだか妙に緊張している様子に相澤は首を捻る。

「いいけど……」

「じゃあ、失礼します」

おずおずと近寄ってきた防人が相澤の隣に座る。腕と腕が触れ合う距離は、これが初めてというわけではないのに、まだドキドキとした。

「そういえば、ずっと気になってたんだが、なんでお前もジャージ着てるんだ?」

 相澤の言う通り、防人は風呂上りに彼と同じ雄英のジャージを着ていた。ここは彼女の家なのだから、他のものだってあるはずなのに何故わざわざ学校のジャージを着ているのか分からない。

「なんていうか、その、同級生気分を味わいたいなぁ、なんて思いまして」

恥ずかしそうに笑った防人は、ちらりと相澤を上目で見る。自分の姿を映す黒い目には不安があるのが(うかが)えた。

「なんだそれ」

言葉の外に嫌じゃないと含めてみれば、彼女はしっかりとそれを受け取ってくれて、安心したように目を細める。

「たまに思うんです。ううん、今日も思いました。もう少し早く生まれたら、私も相澤先輩たちと同じ学年になれたのにって」

自分の湯呑を手にして、中のお茶を覗くようにして目を閉じた彼女が薄く笑う。

「そうしたら、相澤先輩が褒められたところだって見られたのにとか、白雲先輩と山田先輩を羨ましく思ったりしないのなぁって、そんなこと思っても仕方ないんですが、つい考えちゃうんです」

甘えるように体を寄せてきた防人からシャンプーの匂いが香る。緊張しているのは相澤だけでなく、防人の赤く染まった頬からもそれが分かった。

「同級生だったら、"相澤くん"なんて呼べたのかなって。もしかしたら、名前で呼び合ったりすることもあったのかなって、考えたりしちゃうんですよ」

こてんと肩口に寄せられた彼女の頭を感じながら、彼は一度小さく息を吐き出す。そして口を開いた相澤はいつもの冷静な口ぶりだった。

「学校じゃないなら、先輩を付けなくたっていいだろ。防人が呼びたいなら、好きに呼べばいい」

「本当に?」

「ああ」

自分たちの関係は、ただの先輩後輩ではなくなったのだから、これくらい普通だろう。それなのに、まだそんなことを気にしていたなんて知らなかった。それにまさか山田たちを羨ましく感じていただなんて、とおかしくなってしまう。

「相澤くん」

「ん?」

返事をしてやれば、嬉しそうにふふふと笑う声がすぐ近くで聞こえる。控えめに笑うその声が可愛らしくて、相澤の表情も柔らかくなる。

「相澤くん」

「なんだよ」

繰り返して呼ばれる名前に意味はない。ただ、彼女が楽しそうにしている。そして、こっそりと彼もいつもとは違う呼ばれ方にそわそわとしていた。

「あ、そういえば、戦闘訓練で褒められたご褒美あげてませんでしたね」

忘れていたと体を離した防人は、相澤へ向かいなおると手を伸ばしてきた。
 いつだかと同じように頭を撫でてくる手。彼女が撫でやすいように頭を下げてやれば、さらに彼女の笑みが深くなった。

「よく頑張りましたね。消太くん」

するりと滑るように頭を撫でていた手が頬に添えられ、防人の整った顔が近づいた。ちゅっと小さな音を残して離れて行った彼女は真っ赤な顔で目を伏せる。
 驚いて声も出なかった。頬に残った感触を確かめるように相澤は、防人の唇が触れた場所を押さえる。

「あの、ごめんなさい。猫カフェのときのことを思い出してしまいまして、その、これじゃご褒美にならないです、ね」

「ああ、ならない」

困り果てている彼女を引き寄せる。もう、その瞬間は何も考えていなかった。名前を呼ばれた嬉しさで熱くなっていた頭では、"頬ではご褒美にはならない"ということしか分からない。逃げられないように防人の後頭部に手を回した相澤の顔が近づく。同意もなく強引に、二人の唇は重なった。

「あ、相澤、先輩?」

「もう、戻すのか? 呼び方」

いつも穏やかに見つめてくれる黒い目にじんわりと涙が溜まる。しまったと相澤が焦る前に防人は頬を染めて嬉しそうに、告白した日のような花笑みを見せた。

「もう一回して、消太くん」

 胸がぎゅうぎゅうと締め付けられるほど、防人が愛おしくて仕方がない。先ほどよりも、ずっと丁寧に気持ちが伝わるように相澤は防人に唇を寄せた。

「好きだ。桜」

返事をしようとした彼女の口を自分の口で塞ぐ。キスなんてしたことがなかったし、これまでずっと自分には縁がないと思っていたせいか、この行為の意味なんて今の今まで理解できなかった。
 言葉で足りないからこうして足りない分を行動で埋める。そうせずにはいられないほど、愛しくなると人は行動で愛情を示すのだと、そう教えてくれた存在を抱きしめながら相澤は噛みしめるように目を閉じた。

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