出会わなければよかった

 あれからも防人は相澤の元へは来なかった。ただ、電話は一日も欠かさずにかけてきている。そのせいか、あの日より寂しさが募ることはなかった。
 昨日の夜にかかってきた電話を思い出す。ケータイから聞こえてきた防人の声は随分と眠そうだった。無理をさせたくない。そう思うなら、いちいちかけてこなくてもいいと言えばいい。それなのに、相澤にはその一言が言えないでいた。

(昨日もそうだった)

昨日の電話でも彼女はこれまで毎日のように相澤に言っていた"好き"を言わなかった。どうしてなのか分からない。最初の頃であれば、やはりからかわれていただけだと思えたが、防人の気持ちが本気だと知ってしまった今では戸惑いばかりが胸の中で渦巻く。

「HEY!HEY! これから昼だってーのに、そんな暗い顔しちゃってどうしたYO!?」

 晴れない相澤の心情とは対照的に、無駄と言ってしまいたくなるほど明るく騒がしい声がかけられる。

「なんでもない。昼、行くぞ」

自分の気持ちの問題なのだから他人に言っても仕方がない。出そうになるため息を飲み込んで教室を出れば、山田も相澤の後ろを当然のようについて行く。

 廊下に吹き込んでくる風に気づいて下がりがちだった視線を上げる。開け放たれている窓から外を見てみれば、一人の女子を目が勝手に見つけた。

「お! 防人!」

足を止めたせいか山田も彼女に気づいて声をかけようとしたが、彼女の隣を歩く男を見て吸い込んだ息を呑み込んだ。

「……なんだアリャ」

 男に笑いかけられた防人は困ったように眉を寄せながらも笑っている。真っ赤になったり、慌てて否定するように手を振ったり、そして恥ずかしそうに俯いた。その雰囲気はどう見ても、ただの友人関係には見えない。二人で昼を食べるのか、二人の手には同じ柄の弁当包みがある。

 潰されるような痛みが胸に走る。呼吸もしづらくなるほどの痛みに相澤は彼女を視界から外して俯いた。

「おい……」

見たことのない彼の姿に、山田は驚くよりも心配が勝った。伸ばしかけた手が触れるところで、相澤は山田に背を向けて歩き出す。

「……さっさと行くぞ」

すたすたと行ってしまう相澤の猫背を見てから、山田はもう一度、窓の外を見た。遠くなった防人の小さな背中の隣には、相澤ではない男の背中がある。どうしてか、その光景は山田に強い違和感を覚えさせた。

***

 食事が上手く喉を通らない。気のせいだと自分に言い聞かせながらの昼食はいつもの倍の時間が必要だった。
 遅れてきた白雲の話に大袈裟に乗る山田は普段通りのやかましさを発揮している。気を遣われるのはごめんだと思いながらも、彼の優しさに相澤は助けられていた。

「あら。珍しい顔してるわね」

 かけられた声は、山田や白雲の騒がしいものではない。俯きがちだった顔を上げて見えたのは、一学年上の女子生徒だった。

「香山先輩……」

彼女がいつ屋上に来たのか、まったく気づかなかった。いつもなら、白雲がやたらと喜んで騒ぐので気づかないわけがない。自分でも何故気づかなかったのかと驚いている間に、香山は相澤を見下ろしながら面白そうに笑った。

「まるで恋に悩む乙女みたいな顔しちゃって」

その単語が相澤の胸の傷を刺激する。少し前から自覚はあった。あの日、彼女の電話から聞こえてきた男の声が気になって、一人残っていた教室から飛び出したときには理解していた。

「そうですか」

ふい、っと顔を逸らして話が続かないようにした。―――そのつもりだった。

「もしかして、あの可愛い子が一年で有名なイケメンくんと付き合いだしたから寂しいのかしら?」

「え? 香山先輩、マジっすか!?」

驚いている山田の隣では白雲が"可愛い子はすぐ彼氏が出来ちまうよな"なんて顔を上げて目元を覆っている。

「さあ? うちのクラスにいる彼女のファンの子が、そう言ってただけだから本当かどうかは分からないけど」

先ほどのこともあってか、山田は確認するように相澤を見た。しかし、彼の表情はいつもと変わらない、どこか気怠そうなものまま。

「昼休み、そろそろ終わるんで失礼します」

静かに立ち上がった相澤の背に、山田は声をかけられなかったが香山はそうではなかった。

「興味ないの? 彼女と仲、いいんでしょ?」

歩き出そうとしていた動きが止まる。"別に"と言葉を切った相澤は首だけで振り返った。

「俺とアイツはただの先輩後輩ですから、アイツが誰と付き合おうと関係ありません」

 普段よりも少し早足で屋上から出て行ってしまった相澤を見送ってから、香山は口をマズいとばかりに固く閉じている。

「ねえ、まさかとは思ってたけど、上手くいってないの?」

「香山先輩が余計なことするからっすよ」

やはり女性というのは、そういった面によく勘が働くのか、香山は二人の間に何かあることを察していた。山田にじっとりと責められるような視線を向けられて、少しだけ罪悪感のようなものを感じたが、すぐにそれもどこかにいってしまう。

「ん〜、でも、すれ違いも青春よね〜」

どこかうっとりとしながら自分の肩を抱く香山に、呆れたため息と、訳も分からずハイテンションで同意する声が向けられていた。

***

 放課後の夕暮れは相澤に防人のことを強く思いださせた。午後は彼女のことを僅かでも思い出さないように、深く集中して授業に取り組んだというのに、何もなければ結局は彼女のことを思ってしまう。思い出せば苦しくなる一方だと分かっている。それなのに止められない。気づかぬうちに習慣化していたのかもしれない。

 吐き出すようなため息の後、相澤は項垂れた。人気(ひとけ)のない中庭の茂みの奥。人の目を避けているうちに来た場所ときたら、防人と猫を見たところじゃないかと呆れた気持ちが浮かび上がってきた。

 苦しくて苦しくて仕方がない胸を鷲掴む。この気持ちになったことは初めてではないが、こんなに息が(つか)えるような強烈なものは初めてだった。
 くしゃりと悲鳴のような音が聞こえて、相澤はそこに入れていたその存在に気づく。胸ポケットから出てきたメモは制服の上からとはいえ握られたことでくしゃくしゃになってしまったいた。破けないように慎重に開いたメモには以前と変わらない文面がある。
 "相澤先輩が好きです"と書かれた防人の整った文字を見ていると強い悲しさに交じって苛立ちがふつふつと込み上げてくる。お前の気持ちは結局軽いものだったのか、俺をこんなにしてしまうなら、あの申し出を一蹴してしまえばよかった。そもそも出会わなければよかったと、思った瞬間だった。

 彼女の文字が歪んでいく。ぽたりとメモの端に落ちてしまったそれがなんなのか相澤には理解できなかった。

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