貴方は私の好きな人
廊下の窓に肘をつき、何気なく外を眺めていた。特にこれといって興味を引くものがあるわけではない。日差しが心地いいのでここにいるだけだ。昼食の後であれば、気持ちのいい眠気を感じそうだと、相澤は空を見上げた。
浮かんでいるのは、小さなちぎれ雲がいくつかだけでよく晴れている。掴みどころのないような雲を見ていると、やはり防人のことを考えてしまう。
「相澤、HEEEEY!!」
突然、背中を叩かれたた衝撃に、驚くよりも先に大きく咳き込む。抗議の意味を込めて思い切り睨みつけるが、当の山田は悪気なく笑っている。
「さっきからずっと呼んでたんだぜ?」
「何の用だ」
気づかなかっただけで、こんな目に遭わされるのは理不尽だ。腹立たしさを隠さない相澤に山田は、ふうっと息を吐き出す。
「だから―――」
不意に何かに気づいたように相澤は窓の外へと振り返った。話し出そうとした山田は思わず口を閉じる。普段、やかましい彼を黙らせてしまうほど、今の相澤は優しい眼差しをしていた。窓の先を見ている相澤の視線をたどると、そこには一学年下の可愛い女子がクラスメイトと歩いている。外を歩いている彼女たちは制服ではなく、ヒーローコスチュームに身を包んでいた。
初めて見たヒーローコスチューム姿の彼女は長い黒髪を高い位置でポニーテールにしている。いつも下ろしているところしか見たことのない相澤にとって今の防人は新鮮に映った。
らしくもなく、彼女がこちらを向かないものかと相澤はじっと見つめる。すると、防人の足が止まり、見上げるように振り返った。揺れる黒髪から目が離せない。不覚にも胸がドキリと跳ねた。
相澤の姿を見つけた彼女は、一度目を見開くとすぐに目を細めた。そして、小さく手を振ってくる。知り合いに手を振られるだなんて大したことではないのに、妙に嬉しくてむず痒い。戸惑いながら少し勇気を出した相澤が手を振り返すと、防人は本当に嬉しそうに微笑んだ。また、その笑顔が可愛らしく見えてしまったものだから、相澤は赤面せずにはいられなかった。
彼女の友人に肘で突かれている様子からどうやらからかわれているらしい。ハッとすれば、彼の隣にいた男も何か言いたげにピッと突き出した両方の人差し指で突いてきた。
「HEYHEY! いつからそんな関係になったんだァ!?」
「なんのことだよ」
相澤が顔を逸らしても話を終わらせる気はない山田は、もう小さな背中しか見えない彼女へ親指を向ける。
「防人に決まってんだろ! 気にならねーんじゃなかったのかYO!!」
気にならないとは最初から言っていない。ただ戸惑っていただけだ。それに最近は―――
「……そうでもない」
正直に言った相澤にまた山田は驚いて言葉が出なくなる。窓の外に向けられた彼の視線の穏やかさに、山田はやれやれと小さく笑うのだった。
***
実践訓練が終わり、昼休みに入る。更衣室へ移動しながら、額に滲んだ汗を手の甲で拭って息を一つ吐いた。
「あれ? 偶然ですね」
校舎に入ってすぐのところで出くわした防人は午前中とは違い制服に身を包んでいる。
「ああ。そっちは昼か?」
「ええ、今日は日差しが気持ちいいので外でお昼にしようと思って」
彼女が手にしていた弁当の包みを顔の近くまで持ち上げる。その包みは相澤にあの日のことを思い出させた。
「また寝過ごすなよ」
くすっと笑った相澤に顔を赤くさせた防人は焦ったように首を振る。
「も、もう、そのことは忘れてくださいよ!」
赤い顔で焦る彼女を見た相澤の目が優しく細められる。彼女を意識していると自覚したあの日から防人が可愛らしく感じることが増えていた。
「そ、それより! 先輩のこれって何ですか?」
首に巻かれているそれの端を手に取った彼女に聞かれて、ああ、と相澤も目を落とす。
「炭素繊維に特殊合金の鋼線を編み込んでる捕縛武器だ」
"へえ"と感心した声を漏らしながら、撫でたり握ったりしながら興味を示す防人に、ふと、彼女がヒーローコスチュームを着ていたときに持っていたものを思い出す。
「そういえば、お前は何を持ってたんだ?」
「午前中のことですか? あれは刀ですよ」
意外だと思って繰り返せば、防人は困ったように笑いながら話し出す。
「私の家は、昔は剣術で有名だったそうなんです。子どもの頃から教わっていたせいか戦闘するときは刀があった方がしっくりくるんですよ」
今は廃れて何もないんですけどね、と彼女に視線が落ちる。あまり触れていい話題ではなかったと察した相澤が黙ると防人が"でも"と楽しそうな顔をした。
「相澤先輩が私に興味を持ってくれて嬉しいです」
「……嫌な話題でもか?」
少々、嫌味のようになってしまったかと、すぐに後悔した相澤に防人はしっかりと頷く。
「ええ。相澤先輩が聞いてくれることならなんでも話したいです。まあ、できれば楽しい話の方がいいんですけど」
苦笑いの彼女に胸を撫で下ろす。恐らく、相澤が気にしているのを察してくれたことと分かっている。しかし、防人のことだ。濁すことはあっても嘘を吐かないことを知っていた。
「ああ、そうだ。もうすぐ体育祭ですね」
「そうだな」
あまりやる気はなさそうな相澤に、不思議そうな顔をした防人は左下に目を逸らした。
「本当は自分の為に頑張らなきゃいけないって分かっているんですが、どうも私はそういうのが苦手で……。だから―――」
覚悟を決めるように一歩前に出て、相澤との距離を詰める。そして、真っ直ぐな目で彼を見つめた。
「―――相澤先輩を理由にしてもいいですか?」
「え?」
予想もしない申し出に驚いていた相澤が、彼女の目の必死さに気づく。防人が自分を理由にできない性格なのはこれまで話した中で知っていた。彼女は自分に対する欲が薄い。それは防人の優しさと少しの弱さであることも知っている。そんな彼女を守りたいと思う気持ちも、相澤の心の隅では育ちつつあった。
「俺なんか―――」
「好きな人の為と思ったら、いつも以上に頑張れると思うんです。だから―――」
酷く悲しそうな目に見つめられて相澤の口は動かなくなる。
「"俺なんか"なんて言わないでください。貴方は、私の好きな人なんですから……」
離れて行こうとする防人の手を無意識に掴む。今、言わなくてはいけないと焦りにも似た使命感に背を押された。
「防人は俺を理由にしなくても、結果を残せると思う。……だけど、俺が理由になることでお前の自信になるなら、それでもいい」
偉そうなことを言ったと思った。自分の存在が彼女に大きく影響しているだなんて、勘違いもいいところなのかもしれない。それでも、目の前で嬉しそうに微笑む防人を見れば、自惚れも悪くないかもしれないと感じた。
「あの、我が侭なお願いがあるんですけど……」
上目で恐る恐る言ってくる防人の頬はまだ薄っすらと染まっている。大きく胸が脈打ったのを感じながら、なんとか口を動かした。
「な、んだ?」
「あの、これを分けてもらえませんか?」
捕縛武器の端を手にした彼女の頼みに、"ああ"と頷けば聞いてきたくせに防人は目を見開いた。
「いいんですか?」
「そろそろ替えようかと思ってたところだからな」
どれくらいの長さが欲しいのかと思えば、防人は相澤が予想したよりもずっと短い長さを指定してきた。
「こんな長さで何するんだ?」
「まあ、いいじゃないですか。悪いことには使いませんよ」
というか、これの正しい使い方は見たことがないので分かりませんし、と苦く笑う彼女にそれもそうかと納得することにした。ナイフで防人が欲しい長さに切ってやったそれを手渡せば、彼女は嬉しそうに頬を赤らめる。
「ありがとうございます……!」
手に乗った短い捕縛武器に見入っていた防人は、何かに気づいたのか目を見開く。そして、相澤へ近寄った。
「な、なんだ?」
距離が酷く近い。動揺する相澤とは対照的に防人は彼の胸元にそっと手をついて首の近くに顔を寄せた。
「お、おい……!」
「ああ、やっぱり」
勝手に一人納得した彼女は、緊張で固くなった彼を気にすることなく、すっと離れた。
「相澤先輩のいい匂いがします」
「汗臭いだけだ」
実践訓練の後で汗をかいた、この状態でいい匂いなわけがない。疑って彼女を見れば、首を傾げた後、また手元の捕縛武器の匂いを嗅ぐ。
「いえ、やっぱりいい匂いだと思います」
「お前、変態みたいだぞ」
照れ隠しに呆れた声で言ってみれば、ハッとした彼女が申し訳なさそうな目を向けてくる。
「嫌でしたか?」
不安が見て取れる目に相澤は捕縛武器の中へ口元を埋めた。
「……嫌、じゃない」
ホッとした顔で笑う防人には、ちゃんと伝わってはいないだろう。相手がお前だから嫌じゃないなんて、まだそこまでを口にすることは相澤には難しかった。
「相澤先輩、好きです」
「……分かってる」
初めて防人の"好き"に返事をすれば、彼女は大きく目を見開いて固まった。面映ゆくて仕方ない。顔を埋めている捕縛武器の中で首までもが熱いのを感じた。
-7-浮かんでいるのは、小さなちぎれ雲がいくつかだけでよく晴れている。掴みどころのないような雲を見ていると、やはり防人のことを考えてしまう。
「相澤、HEEEEY!!」
突然、背中を叩かれたた衝撃に、驚くよりも先に大きく咳き込む。抗議の意味を込めて思い切り睨みつけるが、当の山田は悪気なく笑っている。
「さっきからずっと呼んでたんだぜ?」
「何の用だ」
気づかなかっただけで、こんな目に遭わされるのは理不尽だ。腹立たしさを隠さない相澤に山田は、ふうっと息を吐き出す。
「だから―――」
不意に何かに気づいたように相澤は窓の外へと振り返った。話し出そうとした山田は思わず口を閉じる。普段、やかましい彼を黙らせてしまうほど、今の相澤は優しい眼差しをしていた。窓の先を見ている相澤の視線をたどると、そこには一学年下の可愛い女子がクラスメイトと歩いている。外を歩いている彼女たちは制服ではなく、ヒーローコスチュームに身を包んでいた。
初めて見たヒーローコスチューム姿の彼女は長い黒髪を高い位置でポニーテールにしている。いつも下ろしているところしか見たことのない相澤にとって今の防人は新鮮に映った。
らしくもなく、彼女がこちらを向かないものかと相澤はじっと見つめる。すると、防人の足が止まり、見上げるように振り返った。揺れる黒髪から目が離せない。不覚にも胸がドキリと跳ねた。
相澤の姿を見つけた彼女は、一度目を見開くとすぐに目を細めた。そして、小さく手を振ってくる。知り合いに手を振られるだなんて大したことではないのに、妙に嬉しくてむず痒い。戸惑いながら少し勇気を出した相澤が手を振り返すと、防人は本当に嬉しそうに微笑んだ。また、その笑顔が可愛らしく見えてしまったものだから、相澤は赤面せずにはいられなかった。
彼女の友人に肘で突かれている様子からどうやらからかわれているらしい。ハッとすれば、彼の隣にいた男も何か言いたげにピッと突き出した両方の人差し指で突いてきた。
「HEYHEY! いつからそんな関係になったんだァ!?」
「なんのことだよ」
相澤が顔を逸らしても話を終わらせる気はない山田は、もう小さな背中しか見えない彼女へ親指を向ける。
「防人に決まってんだろ! 気にならねーんじゃなかったのかYO!!」
気にならないとは最初から言っていない。ただ戸惑っていただけだ。それに最近は―――
「……そうでもない」
正直に言った相澤にまた山田は驚いて言葉が出なくなる。窓の外に向けられた彼の視線の穏やかさに、山田はやれやれと小さく笑うのだった。
***
実践訓練が終わり、昼休みに入る。更衣室へ移動しながら、額に滲んだ汗を手の甲で拭って息を一つ吐いた。
「あれ? 偶然ですね」
校舎に入ってすぐのところで出くわした防人は午前中とは違い制服に身を包んでいる。
「ああ。そっちは昼か?」
「ええ、今日は日差しが気持ちいいので外でお昼にしようと思って」
彼女が手にしていた弁当の包みを顔の近くまで持ち上げる。その包みは相澤にあの日のことを思い出させた。
「また寝過ごすなよ」
くすっと笑った相澤に顔を赤くさせた防人は焦ったように首を振る。
「も、もう、そのことは忘れてくださいよ!」
赤い顔で焦る彼女を見た相澤の目が優しく細められる。彼女を意識していると自覚したあの日から防人が可愛らしく感じることが増えていた。
「そ、それより! 先輩のこれって何ですか?」
首に巻かれているそれの端を手に取った彼女に聞かれて、ああ、と相澤も目を落とす。
「炭素繊維に特殊合金の鋼線を編み込んでる捕縛武器だ」
"へえ"と感心した声を漏らしながら、撫でたり握ったりしながら興味を示す防人に、ふと、彼女がヒーローコスチュームを着ていたときに持っていたものを思い出す。
「そういえば、お前は何を持ってたんだ?」
「午前中のことですか? あれは刀ですよ」
意外だと思って繰り返せば、防人は困ったように笑いながら話し出す。
「私の家は、昔は剣術で有名だったそうなんです。子どもの頃から教わっていたせいか戦闘するときは刀があった方がしっくりくるんですよ」
今は廃れて何もないんですけどね、と彼女に視線が落ちる。あまり触れていい話題ではなかったと察した相澤が黙ると防人が"でも"と楽しそうな顔をした。
「相澤先輩が私に興味を持ってくれて嬉しいです」
「……嫌な話題でもか?」
少々、嫌味のようになってしまったかと、すぐに後悔した相澤に防人はしっかりと頷く。
「ええ。相澤先輩が聞いてくれることならなんでも話したいです。まあ、できれば楽しい話の方がいいんですけど」
苦笑いの彼女に胸を撫で下ろす。恐らく、相澤が気にしているのを察してくれたことと分かっている。しかし、防人のことだ。濁すことはあっても嘘を吐かないことを知っていた。
「ああ、そうだ。もうすぐ体育祭ですね」
「そうだな」
あまりやる気はなさそうな相澤に、不思議そうな顔をした防人は左下に目を逸らした。
「本当は自分の為に頑張らなきゃいけないって分かっているんですが、どうも私はそういうのが苦手で……。だから―――」
覚悟を決めるように一歩前に出て、相澤との距離を詰める。そして、真っ直ぐな目で彼を見つめた。
「―――相澤先輩を理由にしてもいいですか?」
「え?」
予想もしない申し出に驚いていた相澤が、彼女の目の必死さに気づく。防人が自分を理由にできない性格なのはこれまで話した中で知っていた。彼女は自分に対する欲が薄い。それは防人の優しさと少しの弱さであることも知っている。そんな彼女を守りたいと思う気持ちも、相澤の心の隅では育ちつつあった。
「俺なんか―――」
「好きな人の為と思ったら、いつも以上に頑張れると思うんです。だから―――」
酷く悲しそうな目に見つめられて相澤の口は動かなくなる。
「"俺なんか"なんて言わないでください。貴方は、私の好きな人なんですから……」
離れて行こうとする防人の手を無意識に掴む。今、言わなくてはいけないと焦りにも似た使命感に背を押された。
「防人は俺を理由にしなくても、結果を残せると思う。……だけど、俺が理由になることでお前の自信になるなら、それでもいい」
偉そうなことを言ったと思った。自分の存在が彼女に大きく影響しているだなんて、勘違いもいいところなのかもしれない。それでも、目の前で嬉しそうに微笑む防人を見れば、自惚れも悪くないかもしれないと感じた。
「あの、我が侭なお願いがあるんですけど……」
上目で恐る恐る言ってくる防人の頬はまだ薄っすらと染まっている。大きく胸が脈打ったのを感じながら、なんとか口を動かした。
「な、んだ?」
「あの、これを分けてもらえませんか?」
捕縛武器の端を手にした彼女の頼みに、"ああ"と頷けば聞いてきたくせに防人は目を見開いた。
「いいんですか?」
「そろそろ替えようかと思ってたところだからな」
どれくらいの長さが欲しいのかと思えば、防人は相澤が予想したよりもずっと短い長さを指定してきた。
「こんな長さで何するんだ?」
「まあ、いいじゃないですか。悪いことには使いませんよ」
というか、これの正しい使い方は見たことがないので分かりませんし、と苦く笑う彼女にそれもそうかと納得することにした。ナイフで防人が欲しい長さに切ってやったそれを手渡せば、彼女は嬉しそうに頬を赤らめる。
「ありがとうございます……!」
手に乗った短い捕縛武器に見入っていた防人は、何かに気づいたのか目を見開く。そして、相澤へ近寄った。
「な、なんだ?」
距離が酷く近い。動揺する相澤とは対照的に防人は彼の胸元にそっと手をついて首の近くに顔を寄せた。
「お、おい……!」
「ああ、やっぱり」
勝手に一人納得した彼女は、緊張で固くなった彼を気にすることなく、すっと離れた。
「相澤先輩のいい匂いがします」
「汗臭いだけだ」
実践訓練の後で汗をかいた、この状態でいい匂いなわけがない。疑って彼女を見れば、首を傾げた後、また手元の捕縛武器の匂いを嗅ぐ。
「いえ、やっぱりいい匂いだと思います」
「お前、変態みたいだぞ」
照れ隠しに呆れた声で言ってみれば、ハッとした彼女が申し訳なさそうな目を向けてくる。
「嫌でしたか?」
不安が見て取れる目に相澤は捕縛武器の中へ口元を埋めた。
「……嫌、じゃない」
ホッとした顔で笑う防人には、ちゃんと伝わってはいないだろう。相手がお前だから嫌じゃないなんて、まだそこまでを口にすることは相澤には難しかった。
「相澤先輩、好きです」
「……分かってる」
初めて防人の"好き"に返事をすれば、彼女は大きく目を見開いて固まった。面映ゆくて仕方ない。顔を埋めている捕縛武器の中で首までもが熱いのを感じた。
top