不愉快な男 | ナノ






幼い頃、まだ姉さんや兄さんと一緒に住んでいた時のことだ。一度だけあたしは外で大泣きをした事がある。
あたしが寝ている間に姉さんと兄さんが買い物に行ってしまった時だ。
勝手に捨てられたと勘違いしたあたしは慌てて家から飛び出した。初めて一人で外に出た不安から既にあたしは泣いていた記憶がある。それでもこれ以上泣かないようにとどうにか堪え、二人が居そうなところを探そうとした。だが、幼いあたしにはよく3人で遊んだ公園しか思い付かず、それにまだそこにしか行けなくて、自分の最大限の記憶を辿りすぐに駆け足で向かった。
もちろん姉さん達が居るはずなく、希望を失ったあたしはさっきまで堪えていた何かが爆発したかの様に声を上げ泣いた。
そんな時だ。顔はよく覚えていないが、黒い髪だったのは覚えてる。あたしが泣き止むまでずっと傍に居てくれた。大丈夫か、と声をかけられた時酷く安心したのを覚えてる。気づいたらあたし達は一緒に遊んでいた。なにがきっかけだったのかは分からない。
きっとあたしを必死で探したであろう姉さんが来るまでずっと。



「あ、そういえばお前名前は?」

「総羅」

「総羅って言うのか、また遊べるといいな!」



これが最後にあの人と交わした会話だった。
これがあたしの初恋だったりする。
今更なんでこんなことを思い出したのか分からない。国語準備室で呑気に寝ていた時久しぶりにあの人の夢を見た。
そういやあの人の名前はなんだったかぼんやりとする頭で考えてみても結局思い出せずすぐに諦めた。
大きな欠伸をして携帯で時刻を確認してみる。ちょうど皆が帰る頃だ。結局ほとんどの授業を受けていない事になる。単位の事を考えて苦笑した。
まあ、どうでもいいか、と楽観的思考ですぐに単位の事など頭から消し去り教室に鞄を取りに戻ろうと国語準備室を出た。



───………


「私ね、土方君の事が好きなの!」



あー、と小さく漏らす。面倒な時に教室に戻ってきてしまった。教室には案の定あの憎き黒髪の姿と、見慣れないふわふわセミロングの女。せっかく鞄を取りに戻ったのに、こんないつ終わるかわからない告白タイムを待ってられるか。不本意だけど仕方ない、と扉を開けた。



「あ…、」



二人の視線があたしに集まる。恥ずかしそうに俯く女の子とそれとは対照的に心底つまらなそうなあいつの姿。
気にせず鞄を取ろうと自分の机に向かった時あいつの口元が密かに上がった。どうも嫌な予感がする。



「ごめん、俺こいつと付き合ってるから」



今この場に居るのはあたしを含めて3人。一人は告白してる女の子、もう一人は告白をされてる男。つまりこの男が言うこいつというのはあたしの事で間違いはなさそうだ。
すぐに否定の言葉を述べようと口を開くも奴の口があまりにも達者に動くもんだから付け込む隙がまるでない。
女の子は勝手な勘違いをしたままあたしを睨みつけ無言で教室をでていった。面倒な事に巻き込まれた。
こんな事なら気を利かせて告白が終わるまで待ってりゃよかったんだ。今更遅い後悔に埋もれそうになりながらも、鞄を手にして教室を出ようとする。が、すぐにそれは奴に封じられてしまうのだった。




「文句言わねえの?」

「…あんたと会話するぐらいならそれくらい我慢するわ」

「ふーん」

「いいから手離せクソが」

「なあ、」



いくら振りほどこうとしてもやはり男の力には敵わず無駄な抵抗とやらに終わる。
睨みつけてもきっと煽りにすらならないだろうから舌打ちをしてどうにか気分を落ち着かせる。相も変わらず奴の口は弧を描いたまま。気に入らない。



「そういえばお前名前は?」

「あ?」

「下の名前だよ」

「…総羅」

「総羅…?」



土方の姿がどうも先ほど見た夢のあいつと重なって答えてしまった。もやもやする。こいつとあの人を重ねるなんてあたしはどういう神経してるんだ。自分で自分に嫌気がさした。
いい加減帰りたくて、最後の手段とばかりに片手に持ってた鞄を思いきりぶつけ、あいつの手元が緩んだ隙に振り払って逃げ出した。


不愉快な男
(あたしの名前を聞いて眉を潜めたあいつの真意をまだあたしは知らない)




2012/0328