翔ちゃんをつくればいいんだ。そうしたら、きっと。



心臓手術をして無事に病気は完治し、これからは普通に、健康に生きていけるのだと思われた翔ちゃんは、それから5年もしないうちにしんでしまった。定期健診では問題ないと言われていたにも関わらず、あるイベントのリハーサルの最中に翔ちゃんは倒れて、そのまま病院に運ばれた。病は完治などしていなかった。見えないところ、気付かないところで隠れて、じわじわ翔ちゃんの体は蝕まれていて。それからすぐ、一か月経たないうちに、治療法もみつからないうちに、あっけなく。倒れてから、目も開けることも、声を出すこともないまま眠るように。
翔ちゃんは逝ってしまった。
僕は、翔ちゃんを助けられなかった。
僕の知らないところで、翔ちゃんは僕じゃない人に治されて。でも、翔ちゃんが元気になるのなら、それでよかった。本当は僕が治してあげたかったけれど、間に合わないよりずっといい。僕が医者になるにはあと10年は掛かる。僕が医者になって、翔ちゃんの治療法を見つけるまで、翔ちゃんが生きている保証はない。翔ちゃんが元気になって、健康になって、ずっと一緒にいられるのなら。助けるのが、僕じゃなくたっていい。
翔ちゃんと似た病気で苦しんでいる人たちを助けたい。そんなの、翔ちゃんの病気を治して、健康になって、翔ちゃんが僕の傍にいてくれることを前提とした、副産物的な望みに過ぎなかった。今思えば、きっと理由が欲しかっただけだ。目標を夢を叶えて、その先に生きる動機が必要だっただけ。薫は凄いなって、褒めてもらいたかったただのこども。
なら、いまは?翔ちゃんがしんでしまって、一緒に生きてはいけなくなった。褒めてはもらえなくなった。これからは翔ちゃんの代わりに、人を救えばいいのだろうか。翔ちゃんは助けられなかったけど、翔ちゃんみたいに苦しんでいる人たちは助けたよ。がんばったんだよ。そうしたら、翔ちゃんは褒めてくれるの?よかったって、感動系の薄っぺらいファンタジーみたいに、天国から翔ちゃんが言ってくれるの?あいにきて、くれるの。
冗談じゃ、ない。

翔ちゃんを治せなかったくせに、他の人間は助けるのか。
翔ちゃんは治らなかったくせに、他の人間は助かるのか。


ゆるせるわけ、ない。




翔ちゃんがしんでしまってから、時間の流れは酷く緩やかで、恐ろしく早かった。退屈すら感じられない時間は、目を閉じ、再び目を開けたら1分も経過してないときも、何日も経っていることもあった。時間に取り残されるというのは、こういうことなのか。なにも感じず、考えられなくても、周りだけは勝手に変化していく。僕は変われない。
その間に、いろいろな人が僕を訪ねてきたのだと思うけれど、あまり、覚えてはいない。翔ちゃんと同期の翔ちゃんの友人達。翔ちゃんが憧れていた、元担任教師。翔ちゃんの元同室でライバルで、親友であった人。翔ちゃんの、パートナーだった少女。みんな、翔ちゃんを通しての知り合いで、翔ちゃんがいない今、僕とは関わりなんてないはずなのに。ある人は慰めて、ある人は怒って、ある人は無言で、やって来ては帰っていく。皆がみんな、翔ちゃんのし、を悲しんでいた、悼んでいた。言葉を掛けられていたのは僕だったのだろうけど、声も、映像もぼんやりと遠くにあって、その光景を頭上から映画でも観るような眺めていた。
一頻り、翔ちゃんの知り合い達が訪れてから、翔ちゃんのマスターコースの直接の先輩であった人と、どうしてだか、博士が会いに来た。翔ちゃんを介さない、僕の直接の知り合いが訪ねて来ることが珍しい。友人が全くいない訳ではなかったはずだが、そこまで深い仲の友人はいない。必要だと思ったこともなかった。
僕の世界の中心はいつだって翔ちゃんで、翔ちゃんと、他の人はそれ以外でしかない。それは自覚していたし、問題どころか誇らしいとすら感じていた。
美風藍と名乗った先輩は僕に何かを言うわけでもなく、名前を言ったきり、黙って僕を見ていた。観察、と言うのが相応しく、無表情で見下ろしてくる。不快感はなかった。まともな感性であれば、初対面の人間に凝視されれば不快にもなるだろう。僕の感情が壊れてしまっただけなのかもしれないが、それよりも美風藍の視線には全く感情が込められていなかった。記録、観察、分析のような意志は感じられはしても。監視カメラがただ映像を記録しているかのように、機械的。良くできた人形の眼にレンズでも仕掛けているような、機械仕掛けの人形。機械でできたもの。人形。機械。
ロボット。
ああ、そうだ。


「ねえ、博士」



反応を示さない僕に気にしないで、何かを話し掛けてきていた博士は、僕が呼ぶと驚いたように口を止めた。けどそれも一瞬のことで、博士はすぐにいつも浮かべている穏やかだけど、思考の読めない顔で、なんだい?と訊いた。




「僕にも、ロボットは造れますか」



意外にも大きく反応したのは、美風藍の方だった。無表情以外にもなれたのか、と思うほどに、目を見開き、唇を震わせていた。反対に博士は不気味な程静かに、ロボットのような無表情で、僕を見ていた。


二人のやけに蒼白とした顔色は、最期に見た翔ちゃんの血の通わない横顔に、よく似ていた。