デビュー後から何年かたったおはなし。







列車の窓からは真っ暗な空に星が光の糸を引いているかのように見えた。流れ星のように見えたとしても、動いているのは自分達の方だったけれど。那月と自分、二人しかいないがらんとした列車は走る、走る、走る。列車が何処に向かうかは知らない。一番高い切符を買って、知らない駅でまた乗り換える。それの繰り返しで、聞いたこともない、読み方さえわからない駅から駅へ。
乗ってくる人間は他に居らず、車窓から見える景色からは街灯の数が少なくなっていく。ケータイは置いてきたから、邪魔は入らない。ちいさな箱を持たないだけ、で体は驚くくらい軽くなった。
かたんごとんと列車の走る音、偶に入る車内アナウンス、風の音、那月と俺の声。目を閉じればそれだけで構成される世界になる。
望んでいたのは、とても単純で、簡単に手に入るものだった。

何処か遠くへ行こう、と手を掴んだのは那月。
振り払わなかったのは俺。

いろいろと、二人とも限界だったのだと思う。二人でいられればいいと無邪気に言い切れたのはもうずっと前の話で。周囲を偽って家族を偽って友人を偽って。つまりは自分を偽り続けると言うことで。誰かといても二人でいても騙し続ける罪悪感に苛まれた。
だけど手を離すにはもう、依存し過ぎている。暖かさに、甘さに、優しさに。自分と相手との境目が分からなくなるほど融解してしまっている。学生時代を経て、共にデビューをしてから数年。まだ出会ってから、一生から見たらほんの短い時間かもしれなくても、その時間は濃く、甘やかに現在進行形に記憶してある。離れられない。離れて生きていけるとも思えない。


「寒くなってきましたね……翔ちゃん、さむい?だいじょうぶ?」
「へーき、」

そう?と言って、那月は繋がった手を握り直し、指を絡めた。人目がないからと重ね合った手の温もり。煩くて仕方のなかった鼓動は今では穏やかに同じリズムを刻む。歩く速さより少しだけ速い心臓の音に馴染み始めたのはいつのことだったろう。それらはとても愛おしいものであるのは変わらないのに。不変なものなど何もないのだという事実が重くのし掛かる。
夢見た舞台は別に、夢の国でもおとぎ話の世界でもなかった。キラキラと輝いた、世界の裏側。近付けば近付くほど綺麗な面以外が見えて、現実身を帯びてくる。苦しいのでも悲しいのでもなく、ただただ寂しかった。諦められなかった。汚いところを知っても、憧れていたものが夢幻だったと気付いても。まだ焦がれていた。いや、夢見ていたときよりも一層激しく、手を伸ばせば届くかもしれないと体は無意識に求め出す。手には一人分のぬくもりがあって、上手くは腕を伸ばせない。離したら、もっと楽に自由に動くことができる。それでも、重なった手はどうやったって離せはしない。
小さくて、綺麗で柔くて脆い宝物みたいな記憶。子供みたいに全部自分のものだと抱き締めてしまえたら。自分から捨てられるものなら、最初から持ってこなかった。そんな言い訳を言い聞かせるように繰り返す俺は卑怯で、目を逸らして、核心に触れられない俺たちは臆病だった。


がたんごとん、がたんごとん。


街灯も減り、家の灯りも遠くでぼぉっとうっすらと見えるだけ。思考まで白く濁っていく。視覚も聴覚も鈍っていき、残った嗅覚だけが、夜と、嗅ぎ慣れない緑の匂いを感じ取った。
随分と、遠くまで来てしまった。
この先は、どこにいくんだろうと、今更ぼんやり考えた。


「ねえ、翔ちゃん。星が綺麗ですよ、」
「…………そうだな、」



那月は抜け出してきてからずっと、憑き物が落ちたように穏やかに、でも少しだけ疲れたように話し、微笑む。それを見るたびに、聞くたびに、泣きたいような叫びだしたいような気がして、真っ直ぐには見られない。感情を振り払うように頭をゆっくりと振ってから視線を逸らし、同じようにガラス越しに空を眺めた。
都会よりもずっと広い空には柔らかく、優しく、そうして突き放すように冷たい光が瞬いている。目を閉じてもその光景は離れてはくれなくて、薄情に成りきってくれない、星空は恐ろしかった。

がたんごとん、がたん、


車内には機械的なアナウンスが知らない駅名を告げる。機械を通した人工的な声にノイズが混じっていた。どこかで聞いた罵声、歓声。聞き慣れたケータイの着信音。今はもう、遠くにあるもの。それらだって、愛しいものにかわらなかった。


「……月が、綺麗ですね」


もうすぐ、列車は終点に辿り着く。