翔ちゃんが女の子
















キス、したいなあ。
那月はさっきから楽譜ばかりに目を通していて、私には背を向けている。もうすぐレコーディングテストがあるんだそうだ。二人きりで部屋にいて那月が私に構わないのは珍しい。真剣に楽譜を眺める横顔は不覚ながら、どきりとするものがあるのだが退屈は退屈。普段は嫌がったって何を言ったって、抱き締めたり抱き抱えてきたり着せ替えさせようとする癖に今日ばかりは何もしてこない。いつも構われ過ぎているんだから、精々すると虚勢を張れたのは初めの一時間だけで、今は普段感じることのない孤独感に襲われている。別に、一人とか、幼少期の病院暮らしで慣れているはずなのに。那月がいっつも傍にいたから二人の方に慣れてしまったようだ。勉強の邪魔はしちゃいけないってわかってはいるけれど、ちょっとぐらいこっちを見てくれないかな。クッションがわりに使っていた那月お気に入りのピヨちゃんをぎゅうっと抱き締めても、返ってくるのは柔らかいパウダービーズの感触と僅かに移った自分の体温だけ。認めたくはないけど、やっぱり寂しい。キスしたい抱き締めて欲しい声が聞きたい私を見て。はしたない欲求を心か体がが訴えている。私にだって人恋しくなることがあるんだ。好きな人に触れたいと思うのは女だって男だって変わらないと思う。これが那月とかだったらすんなり甘えにいけてしまうのだろうけど。残念ながら元来より中々素直になれない性分とプライドだとか羞恥心だかが邪魔をして私には出来ない。そもそもどうしたらいいのかもよくわからない。愛情表現豊かな恋人を持った身としては、自分からそういうことを表すことはあまりない。好きだとか愛してるだとかを言われても、十回に一回ぐらい私もと返事をするのがやっとというところで。それだけにだってヤワな心臓は相変わらず悲鳴を上げてしまうし、顔だって可哀想なぐらい真っ赤になってしまう。那月は、リンゴみたいで可愛いだとか、また歯の浮くような台詞を言ってくるけれど、こっちとしてはそれぐらい普通に返せるようになりたい。だって、恋人だし。愛情は与えられるばかりじゃなくて、ちゃんと同じ分だけ与えたい。ちょうど天秤がピッタリ釣り合うように。それこそ那月に甘えっぱなしじゃいけないよな、なんて恋する乙女丸出しの恥ずかしい思考に陥ってまた顔が赤くなり、ピヨちゃんに顔を埋めた。本当は、こんな理由をつけて那月に触れたいだけだ。那月と付き合うことになってから、自分のなかに縁のなかった乙女心ってやつと、どうにか向き合えるようになってきたと思ったら、今度は際限無く欲求は増すばかりで。認められるようになったとは言え、受け入れるのにはまだ抵抗があるのだけど。
でも、我慢、出来ないかも。
そろりと足音を忍ばせて何メートルも離れていない那月に背後から近付く。那月は五線譜に目を向けていて接近には気付かない。気付かれず寂しい反面、気付くなよと念じながらそろりと近寄る。自分の心臓が早くも悲鳴を上げだして、那月に気付かれてしまうのではないかと思ったが、相変わらず那月はこちらには気付かないようだった。ここまで来たら後戻りは出来ない。那月の背中はやっぱり広くて、後ろから抱き付きたくなる衝動が込み上げるが、ぐっと堪えて、こちらに背を向けている那月に同じく、背を向けてゆっくりと座る。ギシッとベッドの軋む音がやけに大きく感じられた。それから膝を抱えて体重を徐々に後ろへ後ろへと倒していく。そうして長いような短いような時間をかけ、ようやく僅かに背中同士が触れ合う。「…………翔ちゃん?」

「んー……続けてて、いい」

背中から僅かに温かい那月の体温が伝わってくる。じんわりと心までさっきまでの退屈とか寂しさが溶かされるみたいに広がっていく。たったこれだけと、人が見たら笑うかもしれないが、これが私の精一杯。キスしたいし抱き付きたいし抱き締めて欲しいし手を繋ぎたいけれど。それらを口に出すこと、ましてや行動に移すなんて難易度が高過ぎる。足りないと言えば足りないけれど、それでも充分。落ち着かなくて、落ち着く。心臓はまだ少し、速いメロディを刻むけれど、苦しくはない。恋の幸せを感じるにはこれぐらいがちょうどいいんだ。違った体温に馴れてきたらゆっくりと寄り掛かる。寄り掛かった分だけ、より那月の存在を感じられる気がしたから。少しぐらい体重をかけたって那月には問題ないだろう。だってそもそも那月がいけないんだ。私は人肌とか温かさとかなくたって平気だった筈なのに。那月がそれらを際限無く与えてくるから、一人じゃ我慢できなくなってしまった。沸き上がる欲求の元はこいつなんだ。これぐらい、責任取って貰わなきゃ、困る。
漸くこの体勢にも落ち着いて、馴染みはじめた心地好さに目を閉じていたら何故か那月が僅かに震えだして。どうしたのかと那月の方を向こうとしたら、




「っ!翔ちゃん!!」
「うわっ!!」
「ずるいです。僕、ずっと我慢してたのに……」



こんな可愛いことするなんて!とベッドに押し倒されてそのまま思いっきり抱き締められる。可愛い可愛いと頬擦りをするように頭をぐりぐりと押し付けられて、のし掛かられているから苦しいぐらいなのだけど。苦しさより漸く手に入った求めていた体温にほうっと息を吐く。苦しいし、やっぱり心臓は悲鳴を上げ続け痛いぐらいなのだけど。だけど、どうしたって求めてしまうんだ。大人しく背中に手を回して、自分からも体温を求めてよりぴったりと那月にくっつく。そうしたら那月もちゃんと抱き締め返してくれて。落ち着かなくて、落ち着く。苦しいけど、苦しくない。それは那月だって同じなんだろうってことを、近付いた重なった音が教えてくれた。やっぱり、那月が悪い。だってこんなの知っちゃったら、止められるわけないじゃんか。



「ごめんね翔ちゃん、寂しかった?」





その通りだよ、ばーか。
甘やかしてきた責任、ちゃんととりやがれ


首に腕を回して、更にもっとぐっと近付く。
今日はもう少しだけ、背伸びして、欲求にわがままになってみようか












「なつき×にょた翔」
藤間さまに捧げます。リクエストありがとうございました!返品可。