毎週水曜日はちょっとだけ、いつもより特別な日。
お気に入りの曲をハミングをしながら歩く帰り道は、どうやったって足取りだって跳ねるように軽くなる。周りから見たら寒いのにこんなに浮かれて歩いているなんて変な人だと思われてしまうかもしれないけど、気温なんか関係無く毎週毎週楽しみで仕方がないのだから周りの目なんて気にしてられない。むしろ僕のこの幸せを皆に知ってもらって、お裾分けしたいぐらい。だって大好きな人に会える喜びは、みんな持っているものでしょう?この幸せはヴィオラでだって歌でだって表したくて堪らないぐらいキラキラと輝いているものだから。
毎週水曜日は授業の関係で学校が早く終わる。別に学校が嫌いというわけではなく、勉強やお友達と会えるから好きなのだけれど、やっぱり早く授業が終わるのは嬉しい。いつもより何時間も長くある放課後の時間はヴィオラや歌を奏でて楽しんだり、お友達と遊びに出掛けたりするのも家に帰ってごろごろしてても素敵な時間をすごせるだろうけど、僕が選ぶのはそのどれでもない。
駅もちょっとしたショッピングモールも家も素通りして、ステップを踏むようにお昼を少し過ぎというのも相まってあまり人のいない住宅街を進んでいく。通りから一本外れただけで、一気に辺りは静かになる。色々な音が溢れる街中は、少しだけ、騒々しくて苦手だ。多すぎる人の話し声、足音、車が不協和音を奏でているようで。家から僅かに漏れる生活の音、鳥の鳴き声、それから自分の足音。一つ一つの音がちゃんと聞き分けられるぐらいが、僕には調度いい。幾つも家を通りすぎると、二階建ての可愛らしいパステルカラーの建物が見えてきて笑みが零れる。決して大きくはない、こじんまりしたお人形さんの家のような幼稚園。柵には所々にカラフルな動物の形があしらわれていて、見ているだけ楽しくなれる。低めに造られたクリーム色のこれまた可愛らしい門を抜けて中に入ると、広くはないけれど小さな子供が駆けるには充分な広さだろう運動場。滑り台もブランコもジャングルジムもカラフルに造られていて、外とは全く違う色が溢れている。あたたかくてやさしい空間。何
度来たって、おとぎ話の世界に紛れ込んだみたいで楽しくなれる。ここ
に、好きな人がいるなら尚更。



「なつきっ!!」

「さっちゃん、おかえりなさい」


勢いよく飛び込んできた、自分よりずうっと小さな体をなんとか抱き留める。いつも、この小さな体の何処にそんな力があるのかと不思議に思う、僕の可愛い小さな、弟。いつもは兄の僕が言うのもなんだけど、五歳だとは思えないぐらいしっかりしている。僕の方が逆にいつもお世話をしてもらっているぐらい。普段はあんまり笑わなくて、不機嫌そうな表情をしているこのこだけど、それがこの時だけは一瞬、年相応に嬉しそうな顔をして、それからまたわざわざいつも通りの不機嫌顔を造る。別に喜んでなんていないって言うみたいに。バレバレの照れ隠し。その可愛らしさに任せてぎゅうっと抱き締める。不器用さんなんたから。心配性でしっかりしていても、やっぱりまだまだ小さなこども。時折見せる幼さが可愛らしい。こんな可愛いこを、兄弟でいられる僕は本当に幸せ者だ。毎週の今日が特別な理由のひとつはこのこ。小さな弟と長く一緒にいられる日。同じ家に住んでいるといっても高校生と幼稚園児では生活のリズムが違ってしまうから、実はそこまで一緒にいられる時間は
長くない。だから、ふたりで一緒に家まで帰ったり、たまに寄り道なんかをしたりする今日はちょっとだけ、特別な日。僕は、さっちゃんのこと大好きだから。
そうしてもうひとつの理由は、さっちゃんとは違う意味で"大好きな人"に会えるから。



「こらっ砂月!外でるならちゃんとコート着ろっていつも言ってんだろっ」



真っ直ぐによく通る声が建物から聴こえてくる。走って近付いてくる、子供用のコートとマフラーを片手に、自分は長袖のTシャツに黒いエプロンを着ただけの薄着の小柄な姿。まだ息が白くなるほどの寒さではないけれど、見るからに寒そうだった。お日様みたいな色の髪の毛が光でキラキラと輝いていた。お日様みたいに明るくて暖かくてやさしい、僕の、好きな人。


「風邪引いたらどうすんだよ」
「俺はそんなの引かない」
「わかんねえだろ、そんなの」


膝を折って持ってきたコートとマフラーを僅かに抵抗するさっちゃんに手際よく着込ませていく。言葉遣いはぶっきらぼうだけど、その手つきと横顔は優しい。こういうところを見ると、やっぱり彼が"先生"なんだと実感する。いいなあ、さっちゃん。羨ましい。さっちゃんにしっかり上着を着込ませて、それから顔を上げてじっと二人を見つめていた僕と目が合う。柔らかく微笑まれて、心臓がドキッと跳ねる。彼と会うたびに奏でることを止めない、甘くて幸せな音。


「翔ちゃん」
「先生って呼ぼうな、一応。」
「はあい、翔ちゃんせんせえ」
「……もういい」



諦めたように溜め息を吐く小さな頭は立ち上がっても、大分低いところにある。全体的に小さな造りと対照的な大きな目を持つ顔は何度見たって、僕より七歳も歳上には見えなかった。幼稚園の先生は、若々しい人が多いって聞くけれど、翔ちゃんはその中でも相当若く見える方だろう。制服を着たりしたら、下手したら僕よりも年下に見えてしまいそうだ。可愛いなあ。いつも男に、しかも歳上に可愛いって言うな!って叱られてしまうのだけど、嘘偽りない本当の気持ちなんだからしょうがない。ああ翔ちゃんもぎゅうってしたいな。絶対に怒られてしまいそうだけど。嫌われるのは嫌だな。抱き締められないなら、せめて寒さのせいか僅かに赤く染まった頬に触るぐらいは許されないだろうか。どうしようかと、顔をじっと見ていると翔ちゃんの
手が伸ばされて僕の頬にぺたりと触れた。え、どうして。僕の考えていること、ばれちゃったのかな。鼓動が一気に速くなった。


「な、に、翔ちゃん……」
「ほっぺ赤くなってる。ちゃんとお前も暖かい格好しろよ」
「…翔ちゃん手、暖かいね……」
「おう、子供体温も役に立つだろ」



触れる手はじんわり温かくて、自分の顔が随分と冷たくなっていたことを知る。でもそれ以上に顔に熱が集まってしまって暑いぐらいになる。心臓速いの、気付かれちゃうかな。気付いて欲しいような、気付いて欲しくないようなだけど翔ちゃんは鈍感だから、風邪でも引いたんじゃないかと心配かけちゃうかな。でも、離れたくない。頬に宛てられた手を包み込むように自分の手を重ねると、一回りも小さな手はびくりと反応した。那月、手冷てえよ!笑いながら、文句を言われた。だけど振り払うことはしないで、そのまま翔ちゃんの体温が移って僕の手は徐々に温かさを取り戻す。そういうところが、優しくて大好き。
まだ意識しているのは僕だけだけど。この体温みたいに混ざって、僕のこのどきどきが翔ちゃんにも移ればいいのになあ。そうして奏でた音はきっと、どんな曲より歌より甘くて、素敵な音になるに違いない。だってここはおとぎ話の中みたい。だったら、最後はハッピーエンドなんだって、決まっているでしょう?