「僕は、ここにいるからね。翔ちゃんが眠ってもどこにもいかないからね」



安心して眠ってね、泣きそうなのに、精一杯の作った笑顔で手を握られる。それは俺を安心させるための言葉なのだろうけど、だから何処にもいかないでと、哀願に似た祈りのようで。俺は平気だよ、慣れているから大丈夫。たかがちょっとした発作を起こしたぐらいで大袈裟なんだよ。いつまでたっても慣れないで大丈夫じゃないのは周りの方。これぐらいの痛み、苦しくたって耐えられるのに、泣きそうな目の前の顔を見ると別の痛みに苛まれる。胸が、痛い。心臓よりもっとずっと奥がじくじくと傷付いて血が吹き出そう。那月の手と、触れたのが随分と遠い昔のように感じる片割れの体温と重なる。そういえば、表情までもそっくりだ。薫と双子なのは俺の方なのに、なんだか可笑しい。心配性な弟のことを思い出して、くすっと少し声を洩らして笑うと、翔ちゃん?と不思議そうな声。そういえば、呼び方だって同じだ。自分よりも高い弟の声と那月の柔らかいテノールでは全く違うけれど、込められた色はほとんど変わらない。心から心配してるのがよくわかる、少し怯えが混じった声。こんなに優しくて、やさしいから、俺のせいで傷付いて。ごめんな、強くなれなくて。お前たちを悲しまさせないよう、守れる存在でいたいと思っているのだけれど。強くあれと自分を律しても、どうしようもなく揺らいでしまいそうなときがある。
例えば、こんな。
心配そうに俺の顔に手を当てた那月の手に、自分の手をそっと重ねる。冷たいという程ではないけど、ひんやりとして気持ちいい。やっぱり熱が少し上がっているのかもしれない。俺だってどこにもいきたくないよ、弱い誰かさんに向かってそう言って、意識は深く深く沈んでいった。  









***








「……翔ちゃん?」


声を掛けても、返ってくるのは穏やかな吐息ばかり。僕の手を顔に宛てて握ったまま翔ちゃんは眠ってしまったみたい。寝ずらいだろうと手を体の横に戻しても、捕まれた手は離されなかった。僕から離す理由もないので、きゅっと起こさないように気を付けて握り返して、翔ちゃんの寝顔を見つめる。お人形さんみたいな翔ちゃんの寝顔。今回の発作はそんなに酷いものじゃなかったけど、連日のレッスンなどで疲れが溜まっていたのか少し熱を出している。濡れタオルなどで冷した方がいいかなと立とうとするけど、繋がった手が離してはくれなくて、うぅんと嫌そうに唸ったのでまた座り直した。いつもは意地っ張りで不器用であんまり素直じゃなくて可愛い翔ちゃんだけれど、こうやって寝ている時はちょっとだけ感情に素直になる。それはとても嬉しくて、可愛らしいと思うのだけど。
僕は頼りないかな。柔かな輪郭を描く頬を指先でちょんとつつく。僅かに睫が揺れて反応したけど、起きはしない。体が弱ると心まで弱くなると言うけれど。翔ちゃんは、普段からもっと僕を頼りにしてくれてもいいのに。無意識じゃなくたって、もっと甘えてくれていいのに。さっきまでだって、意識のある翔ちゃんは自分が辛い筈なのに僕を安心させるように笑ってた。
強くて、優しくてやさしすぎる人。
起こさないように細心の注意を払って、翔ちゃんの左胸、心臓の上に耳を宛てる。穏やかな心音に、ほぅっと息を吐く。翔ちゃんは、詳しくは教えてくれないけれど、偶に苦しそうに胸を抑えているのを知っている。翔ちゃんが聞いて欲しくなさそうだから、僕は何も言わない。それが本当に正しいことかもわからないけど、翔ちゃんの悲しい顔を見たくない。踏み込んで嫌われるのが怖い。拒絶されたくない。そんなことを考えている人間に、強い翔ちゃんを守りたいと思うことは身に過ぎたことだろうか。
僕は、弱い。こんな人のことばかり考えているような優しい人を、守られてばかりで安心させてあけることも出来ない。いつだって考えているのは自分のことばっかりで、弱いくせに頼ってほしいなんて。目を閉じて翔ちゃんの鼓動にだけ身を委ねる。泣きたくなるほど愛しいアンダンテ。ずっと聴いていたい、側にいたい。なつき?頭の上から少し舌ったらずの声がして、そちらを向くとぼんやりとした揺れる瞳の翔ちゃん。目蓋の上にちゅっと触れるだけのキスを贈ると、ふにゃりと微笑んで目を瞑りまた直ぐに穏やかな寝息が聞こえだす。ああ、いとおしいこ。この人が失われてしまったら、僕はどうしたらいいんだろう。ちょっとした仮定だけで、苦しくて辛くて泣きたくなってしまうというのに。ひとりで生きていける程、自分が強くないことは解りきっている。でも、ひとりで生きていけることが強さなら、そんな強さなんかいらない。
翔ちゃんも、僕がいなかったら生きていけなければいいのに。繋いだ手を持ち上げて、柔かな自分よりずっと小さい手に口づける。この愛しい人を、嫌ってぐらいどろどろに甘やかして愛してしまおうと心に決めて。



















「翔ちゃん翔ちゃん、寒くない大丈夫?あ、くまさん使う?」
「いや、平気。くまさんを何に使えってんだ…」  
「ぎゅうっとすると暖かくて幸せになれますよ」
「しねぇよ!」
「えぇ!じゃあくまさんの代わりに僕がぎゅうってしますね!」
「って、うわっ!」