6月に入り、天気は梅雨の盛りでじめじめとしているけど、時よりの晴れ間はすでに仄かに夏の匂いがする。こんな季節は髪の毛の跳ねが気になってそんなに好きではないけらど、やってくる夏を思えば可愛らしいもので 。
……そうなのだけど。どうしても憂鬱になってしまうことがある。








「よかったね、翔ちゃん!今日は良いお天気だよっ」
「……別に屋内なんだから、変わんないじゃん」
「変わりますよぉ。やっぱり晴れている方がきもちいいですし」


6月も中旬を過ぎれば、特有の体育の授業が入ってくる。基本的に体育の授業は得意だし、好きなのだけど。この授業だけはどうしても気が進まなかった。


「ふふっ翔ちゃんの水着姿、楽しみ。一番、翔ちゃんに似合う可愛らしいのを選んであげますからね!」


もうすぐ、プール開きになって水泳の授業が始まる。那月は朝から上機嫌だった。毎朝、苦労させられているふわふわの癖っ毛が跳ねることも今日は気にならないらしい。いくつか先に選んでおいたんですよぉと何枚かピンクや白などのやけにふりふりしていたりリボンがついていたりするいかにも那月が好きそうな水着を何枚か取り出す。鼻歌を歌いながら色とりどりの水着を鞄に詰めていたのはそういうことか。道理で那月が着るにしては小さそうな筈だ。…自分の物を選べば良いのに。 水着なんか着たくない。いや、着るのは別に構わないのだけど、水着を着て那月の隣に並ぶのが嫌だ。那月は、スタイルがいい。背が高くて、胸が大きくて。同性ですら見とれてしまう程。水着なんか着たらさぞ他人の目を引くだろう。それに比べて……。
目線を下に落としても、しっかり足元まで見通せてしまう凹凸の少ない身体。背が低いのはこの際仕方がないとして、肌の露出が増えるとやっばり自分の体型は気になってしまう。別にまな板って程真っ平らな訳じゃないと自分では思うのだけど、隣にいるのが那月じゃ…。勝ち負けとかではなくプライドの問題だった。


「……私、今日、授業休む」
「えぇ!?どうしてですか?翔ちゃん、先週生理終わったよね。具合、悪いの?」


那月が心配そうに屈んで顔を覗き混む。こういう時、同室ってのは厄介だ。黙ってたらわからない、女の子の事情だって言わなくても伝わってしまう。ここで仮病を使ったつていいのだけど、そうしたら那月は大きな瞳に涙を浮かべて心の底から心配するだろう。わたしが付いていながらと自分を責めるかもしれない。…那月の泣き顔は苦手だ。見ていると心が落ち着かなくて、心臓が嫌な悲鳴を上げる。黙っていると、眉を下げながら大丈夫?熱でもあるの?なんて言いながらオロオロしている。嘘でも体調が悪いと伝えたら保健室か部屋に連れていかれて、一日中、泣きそうな顔で看病してくれると思う。自惚れでははなく、那月は優しくて心配性で、それぐらいには私は愛されている。水泳の授業に出ないのは言ってしまえば、私のただの我儘なんだからそんなものに那月を付き合わせる訳にはいかない。でも素直に水着が着たくないから休むと言ったら、なんだかんだ真面目な那月は反対するだろうし、かと言って何か他に良い言い訳は見つからない。何も言わない私に悪い意味に受け
取ったのか、那月がほ、保健室に!と慌てて私の手を掴む。ああ、もう何も思い付かないのに。


「落ち着け、那月!私は別に具合悪くないから!」
「じゃあどうして、授業に出ないんですかぁ!翔ちゃん、泳ぐの得意だったでしょう?」
「つ、とにかく!私は今日、出ないから!那月は出なよ!」


じゃあね!これ以上那月の追及をかわすことが出来そうになくて、話を切り上げるために背を向けて走り出す。那月が名前を呼びながら、追いかけてきたみたいだけど、那月は足がそんなに速くないから追い付かれはしない。見失ったら、きっと諦めて授業にいく。女の子が水泳を休むことは深く言及されないし、他にも休む人は大勢いるだろうから授業は大丈夫だろう。後でレポートでも提出すればいい。それにこれで丁度授業も最後だから、もうHRもサボってしまおう。後でトキヤにでも連絡事項があるか聞けばいいし。廊下は走るななんて規則は無視して、那月に見つからないうちに寮まで急いだ。









**










「……なんで、翔ちゃん授業休んだんですか、」
「………」
「しかも、先に一人で帰っちゃうし…」
「…………ゴメン」



那月が水泳の授業をちゃんと一人でも受けて部屋まで 帰ってきてから、ずっと拗ねている。自分のベッドに膝に顔を埋めて座って、ぽつりぽつりと言葉を溢す。 濡れた髪を乾かそうともせず、髪の先から水滴がポタポタ垂れてシーツを濡らす。滴る雫が那月の心を表しているようで、真っ直ぐに見れない。タオルを差し出しても受け取らず、このままだと髪が痛むし、もしかしたら風邪を引くかもしれない。私が授業を休んだだけで、そこまで拗ねることかと思ったけど、その原因は私にあるから強くは言えない。私もベッドに乗り上げて、受け取られなかったタオルで那月の頭を拭く。思ったより拭く仕草が優しくなったのは、罪悪感とやっぱり那月のことが好きだからなのだと思う。だから、あのふわふわの髪を揺らして、それ以上にふわふわした笑いを見せて欲しい。


「……寂しかったです」
「…春歌も友千香もいただろ」
「でも、翔ちゃんはいませんでした」


わたしは誰よりも翔ちゃんと一緒にいたいんです。漸く那月が顔を上げて、大分乾いた髪の隙間から揺れる翠玉の瞳が覗く。不安気で儚げで、親とはぐれた迷子 のような涙が溢れていないことが不思議な瞳。タオルを持つ手を掴まれてその手の力の弱さに驚く。ああ本当に寂しくて、不安だったんだ。このこが、ウサギが比喩じゃないくらい寂しがり屋で、独りに怯えているのは知っていたのに。私の我儘で不安にさせてしまった。また俯いてしまった那月の頭を抱き寄せて、那月にしか聞こえないような小さな声で呟いた。



「……恥ずかしかったんだ、
、」
「っだから!人前で水着になるのが恥ずかしかったんだ!!」


只でさえおまえといつも比べられているんだから。後ろの方は消え入りそうだったけど、なんとか最後まで言い切った。 顔が、熱い。那月は顔を上げて、最初はポカンとしていたが、今度は先程の儚げさなど嘘のようにほわんと笑った。それから可愛いっ!と何時ものように力一杯飛び付かれる。そしてそのまま頬擦りをされて、幸せそうにだったら言ってくれればいいのに、と言った。


「言えるわけないだろ!只でさえおまえの選んだ水着って露出多いのにっ」
「そうですか?うーん…じゃあ、露出が少なかったら、翔ちゃんは水着を着てくれるんですね、」



あ、あれならいいかな、と那月はベッドを降りて鞄の中身をごそごそ漁っている。拗ねていたのが無事、治ったのはよかったのだけど激しく、嫌な予感がする。那月の髪の毛がそのまま気分を表して楽しげにピコピコ揺れ、お目当てのものが見付かったのかアホ毛がピンっとたった。ふりかえった那月は本当に楽しそうで、言わなければよかったと割りと本気でそう思った。


「翔ちゃん、これ!これを着てください!」
「…これって、今?」

はいっと元気よく返事をした那月が取り出したそれは所謂スクール水着というやつで。私自身も確かに、小学生の時まで着ていさたから見覚えはある。胸元にはご丁寧に平仮名でくるす、と書かれていてなんでそんなもの持っているのか聞こうとして、でも聞いた後悔するようなことを言われるだろうから止めた。那月はキラキラした期待に満ちた目でこちらを見ている。この顔も、苦手だ。泣き顔と同じくらい。この顔をした那月を拒否出来たことなんて一度だってないんだ。そうじゃなくても、今日は私の方に負い目があるから断れない。私が溜め息を吐いて、そのスクール水着を受け取ると、
那月はぱあっと花が咲いたって表現がよく似合う笑みを浮かべる。…このシチュエーションで浮かべるものではないと思うのだが。女の子が同じく女の子にスクール水着を渡して満面の笑みになるっていったい。けれど何を言ってもどうせ無駄なので、洗面所に着替えに向かった。






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