01.登校








いちばんさいしょにきみにあいたい











“…………つき”
“那月、ほらこっち!”




ふわふわして体があったかい。気が付いたら辺りはどこまでも一面のお花畑。真っ青で大きな雲がぽつんと一つだけ浮いている空。目の前には真っ白なキャミソールのワンピースを一枚だけ身に纏った優しい笑顔の翔ちゃん。
ああ、僕は夢を見ているんだ。それをハッキリと自覚した。だって今の季節、あんなに薄い服では寒すぎる。僕も薄いシャツ一枚しか着ていないのに、ここはポカポカと暖かった。吹き抜ける風も暖かくて、翔ちゃんの長い髪を柔らかく揺らしていた。夢の中にいるのだから、僕は眠っている筈なのに頭はやけに冷静でハッキリとしていて。こういうのを明晰夢って言うんだっけ、とぼんやりと思った。


“なつき”


柔らかく微笑んだ翔ちゃんがいつの間にか目の前に来ていて、小さな手をこちらに差し出していた。ああやっぱり、夢なんだ。だって、最近の翔ちゃんは僕にこんなに優しく笑ってはくれないし、手だってもう長い間ちゃんと繋がせて貰っていない。ちっちゃい頃は当たり前のように全部を手に入れていたのに。それがとても悲しくて、寂しくて、だからこんな夢を見るのかな。そのままその白くて小さな手を取ると、翔ちゃんは嬉しそうに僕の手を引いて走り出した。夢の中なのに手の感触は柔らかくっていつかの翔ちゃんと全く同じみたいだった。匂いまでも本物と変わらなくて。翔ちゃんの長くて綺麗な髪は動く度にさらさら揺れて、脚を動かす度に真っ白なワンピースに負けないぐらい真っ白な脚が裾から覗く。こんな風に手を繋いで走るのはいつぶりだろう。振り返った翔ちゃんはやっぱり楽しそうに笑っていて、可愛いなあと翔ちゃんを抱き寄せて、束の間の幸せを堪能していると、




「…おい、那月!いい加減に起きろっ!!」



先程まで見ていた顔と全く同じの、しかし表情は全く違う、翔ちゃんの顔が目の前にあった。夢の中ではあんなに冴えていた頭が、起きた時にはほとんど回らなくてぼーっと翔ちゃんの顔を眺めた。目覚ましのアラームをBGMにして、腕を組んで仁王立ちの翔ちゃん。怒っている翔ちゃんも可愛いけど、夢の中みたく笑ってくれたらもっと可愛いと思うんだけどな。でも朝一番に見るのが可愛い翔ちゃんなのは嬉しいなあ。なんてぼやぼやした頭で考えていると、また僕が眠ると思ったのか翔ちゃんが僕の鼻先スレスレの所で一度、手を叩いた。流石にそれには少々驚いて、半分しか開いてなかった目が開いて頭も漸く動きだす。


「おはよう、翔ちゃん」
「おはよう、とっとと着替えて学校行くぞ」
「いま、夢に翔ちゃんが出て来てたんです」
「……は?」
「翔ちゃん、凄く可愛かったな…」
「っ!?変態っ!」



翔ちゃんはいきなり顔を真っ赤にしてベッドにあった僕お気に入りのピヨちゃん抱き枕を思いっ切り投げつけてきた。少し、痛い。それから翔ちゃんは早くしろよと怒りながらどたどたいつもよりも大きな足音を立てて部屋から出て行ってしまった。どうしたのかな。呆気に取られて、なんで変態なのか聞きそびれてしまった。さっきから喧しかったアラームを漸く切って、服を脱ぎ出す。時間を見ればいつもより大分遅い時間でゆっくりしていたら翔ちゃんにも迷惑がかかってしまう。急がなくちゃ、翔ちゃんが先に学校行っちゃうかも。いつもの倍に近いスピードで制服に着替えて、顔を洗って下のリビングまで降りた。
そこにはさっきはそこまで気付けなかったけど、しっかりと制服を着て髪の毛も綺麗に整えられた翔ちゃんが鞄を持って立っていた。いつ見ても制服がよく似合っている。でもスカートが少し短すぎないかななんて見とれていると、カップに入った紅茶とトーストを手渡されてそのまま口に入れる。紅茶は僕の好きなほんのり甘いミルクティー、トーストには蜂蜜が塗られていて思わず笑顔になる。翔ちゃんは、優しいなあ。翔ちゃんだって、朝そんなに強くないのに僕の好きなものばかり用意してくれる。もぐもぐ口を動かして幸せに浸りながら曲がっていたネクタイをちょっと背伸びして直してくれている小さな頭を見つめていた。一生懸命で可愛いなぁ、手が塞がっていなかったら、ギュッて抱き締められるのに。でも怒られちゃうかな、昔から抱き締めたり頭を撫でてたりすると怒られちゃうけど、高校生になってから更に酷いから。いくら可愛い翔ちゃんが見れるからって、怒らせて口を利いて貰えなくなったり、こうやって朝、迎えに来てもらえなくなるのは悲しい。


「…よし、直った」
「ありがとう」


だからせめて感謝の気持ちを示そうとずっと下の方にある柔らかい頬に手を当てて目を見て微笑むと、翔ちゃんの顔が一気に耳まで真っ赤に染まった。どうしたのかと屈んで顔を覗き込もうとすると顔を逸らされて、学校行く!と慌てたように玄関まで走っていってしまった。気になったけど、もう本当に遅刻ギリギリの時間だったから僕も鞄を持って後を追う。翔ちゃんはまだ顔が少しだけ朱いけど、ちゃんと僕を待っていてくれた。こういうところが優しくて可愛くて、大好きだなあとまた笑みがこぼれた。
二人並んでちょっと早足で家を出る。翔ちゃんの歩幅に合わせるように僕は矛盾しているけど少しだけゆっくりと急いで。そこで不意に真っ白い小さな手が目に入った。
今日、見た夢みたいにその手を取って走ったら、笑ってくれるかな。それとも照れて真っ赤になって怒るのかな。
どっちにしろ翔ちゃんが可愛くって、僕が幸せになることには変わりない。

僕は翔ちゃんの手を握って、夢とは逆に翔ちゃんの前を少しスピードを上げて走る。勿論、翔ちゃんが付いてこれる速さ。さあ、振り返った時、翔ちゃんはどんな風に可愛いんだろう。



久しぶりに繋いだ手は夢よりずっと柔らかくってあたたかくて、胸の奥までその温もりが伝わってくるみたいだった。